3. 謎のノストラダムス少女

 さて、俺の回想はそのまま渋谷に向かおうと思ったのだが。


「ちょっと待って、叔父さん」

「ああ? 何だ?」

 その前に、甥っ子の海斗に止められていた。


「ガングロって、本当にいたんだね。っていうか、渋谷センター街が厄介ってどういうこと?」

「当たり前だろ。当時は、めちゃくちゃ多かったぞ。アムラーなんてのもいた。それに渋谷は、今よりさらに若者の巣窟になっていて、カオスだったんだ」

「アムラー?」

安室あむろ奈美恵の真似をしたファンだよ。ミニスカート、厚底ブーツ、茶髪のロングヘアみたいな感じのファッションで、目立ってた」

「へえ」

 その辺りに、早くも「ジェネレーションギャップ」を感じずにはいられない、中年の俺だったが、とにかく甥に、先を話すことにする。



―1999年、7の月。空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために―


 当時、まことしやかに噂されていた、「ノストラダムスの大予言」のこの一節が話題になった。


 つまり、16世紀のフランスの占星術師である、ノストラダムスの大予言を解釈し、「1999年7月に世界は滅びる」と噂されていた。

 実際、まだインターネット黎明期で、電話回線を利用したISDNはあったが、ADSLも光回線もない時代だった。携帯電話も今ほど普及していなかった当時、ノストラダムス関連の本は飛ぶように「売れた」。


 今ほど情報を入手するのが困難だった時代。人々は、「世紀末」という得体の知れない恐怖に脅かされていた。


 同時に、「2000年1月1日。世の中のコンピュータが一斉に誤作動を起こす」という、いわゆる「2000年問題」に揺れていた時期だった。


 そして、俺は「彼女」からもらったチケットを手に、その3日後の金曜日の夜。

 渋谷に向かったのだ。


 渋谷センター街。

 1999年から2000年代初頭にかけての渋谷は、実際「カオス」な世界だった。


 まず、今では信じられないくらいに「若者」、特に「高校生」が多かった。

 圧倒的に多く、「街が高校生に占拠されている」状態と言ってもいい。その多くが「イベサー」と呼ばれる、イベントサークル目当てだった。


 この「イベサー」というのは、当時の大学生が発端になっており、その文化が高校生にも流れてきていた。


 要は、複数の学校のグループ同士で集まったり、地元の仲間で結成したりした「サークル」が、渋谷を中心に何十、何百と集まって活動していた。


 しかも「カオス」たる所以は、そこでは違法行為が平然と行われていたことだ。

 イベサーでは、数か月に一度のペースでそれぞれサークル単位でクラブを貸し切って、イベントを開いたり、「飲み会」を開催していた。

 おまけにその多くが未成年でありながら「タバコ」を吸っていたし、「酒」も飲んでいた。


 今のような「コンプライアンス意識」がない、甘い時代。


 しかも、ちょうど第二次ベビーブーム前後の世代の若者が圧倒的に多かったから、彼らが我が物顔で、街を闊歩し、渋谷センター街界隈のファーストフード店に入り浸り、大声で叫び、ゲラゲラと笑い、一般人が近寄りがたいほどの雰囲気を有していたし、警察からも半ば放置されていた。


 今なら、ネット社会で、「あそこで違法にタバコを吸って、酒を飲んでる未成年がいる」と簡単に通報され、すぐに「炎上」しそうだが、そんなものはこの時代にはない。


 その上、90年代後半から「チーマー」と呼ばれる、カラーギャングの一種が、渋谷や池袋で目立ち始め、まるでニューヨークでバスケでもやっていそうな格好のパーカーやらジャージ姿の、いかつい若者があちこちにごろごろいた。


 俺が、「厄介」だと言ったのは、そのことで、週末ともなれば、渋谷センター街は、人が歩きにくいほどの若者でごった返すのが常だった。


 仕方がない。あまり乗り気ではなかったが、俺は彼女が出演するというライブハウスに足を運んだ。


 渋谷センター街のから、通りを一本隔てた脇道にそいつはあった。

 地下に続く階段があり、その下に派手な紫色のネオンサインが輝いていた。


「ライブハウス Z」


 と書かれてあり、彼女が指定した場所だった。


 しかも、一歩、中に入ると、さらに「カオス」空間が形成されていた。

 若者、それも明らかに10代と思われる少年・少女で溢れ、おまけにその多くが「タバコ」と「酒」に染まっていた。


 タバコの匂いと煙、そして酒臭い息が、狭苦しいライブハウス内に充満した、その空間がもはや「世紀末感」を示しているようにすら見える。


 そんな異質な空間で、俺は受付にチケットを渡し、カウンターで酎ハイを注文して、立見席についた。


 立見席と言っても、観客はまばらで、思った以上に、密集はしておらず、ホールのあちこちに置かれた丸いテーブルの上に、飲み物を置いて、見物している客が多かった。


 前座は別のバンドが務め、彼女は20時からライブの「メイン」として登場するらしい。


 そのバンド、歌声とはどんなものか。期待と不安の混じる中、待っていると。

 やがて、ステージに現れた彼女は、先日の彼女とは全然違っていた。


 まず、ガングロですらない。頭は、当時流行ったバンド「センチメンタルバス」のNATSUのようなアフロヘアー。バンドメンバーは、彼女以外にリードギター、ベース、ドラムがいたが、いずれも男。


 彼女自身は、中央でマイクの前に立ち、しかもエレキギターを抱えていた。そのギターは恐らく、出逢った時にかついでいた物だろう。


 そして、静寂に包まれる場内に、音と声が響き渡った。


 だが、それが何とも強烈な物だった。

 ヘビーロック、パンクロック、いやどちらかというとオルタナティブ・ロックかグランジに近い。「暗いロック」だろう。

 とにかく、派手でやたらとリフを利かせた音の波はあるが、全体的に暗い。それにボーカルを務める彼女の声が特徴的だった。


 低いというか、ハスキーボイスの声。

 よく通る声だが、歌っている歌詞が酷かった。


 確か、チケットには、

「ノストラダムスの大予言を吹き飛ばせ! 世紀末ライブ開催、Ami」

 と、威勢よく書いてあったのに、それとは真逆だった。


「ノストラダムスの予言がやってくる!」

「もうすぐ世界は滅びる!」

「さあ、世界最終戦争アルマゲドンの始まりだ!」


 などなど。

 明らかに「皮肉」というよりも「ネガティブ」な歌詞で、この世の絶望と、もうすぐ来る「世界の終焉」を望んでいるかのような、後ろ向きの歌詞だった。

 まるで「北斗の拳」の世界でも望んでいるかのようだ。

 「ロック」とは元々、「反体制」、「反社会」を風刺した歌のジャンルと言えるが、これはそれよりも「後ろめたい」ような「終末」を望むような、何とも暗い歌だったのだ。


 歌自体は、インディーズバンドにしては上手いし、演奏も悪くはなかったが、このあまりにもネガティブすぎる歌詞に、俺は閉口した。


 自己肯定感が低すぎるというか、彼女は一体どんな気持ちで、どんなことを考えてこの歌を唄っているのか。

 まったく頭の理解が追い付かない。


 だが、観客自体は喜んでいるようで、演奏が終わると口笛や拍手が溢れていた。


「こんばんは。Amiです」

 マイクの前に立ち、MCを務める彼女。


 Amiは本名なのだろう。

 しかし、マイクの前に立つと、小さい彼女はさらに小さく見える。


「今日は、来てくれてありがとう」

 そう言った、彼女がステージから客席を見渡し、そして俺と目が合っていた。

 瞬間、わずかに微笑む彼女が、少し綺麗に見えて「ドキッ」と胸が高鳴っていた。


 そう。これを「恋」と言えるのか、どうかわからなかったが、確かにその時の「彼女」は輝いていた。


 そして、俺は彼女のことをもう少し知りたいと思うのだった。

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