第3章 飲めや語れや満月の夜

第9話 神様の集う場所

 僕たちの顔を見た弁天さんは、信じられないという表情を浮かべている。


「ここで二人に会えるなんて思わなかった……。どうやってここに着たの?」

「推理に推理を重ねたのよ」

「よく言いますよ。完全に行き当たりばったりだったじゃないですか」

「……うるさいわね」

「実は僕たち、弁天さんに用があって探してたんですよ。それで、上賀茂神社に入った時、見慣れない鳥居を見つけて。何となく入ったら道に迷っちゃったんです」

「それを、己れが連れてきたというわけだ」


 天狗は僕の言葉を引き継ぐと、僕らの方をじっと見てくる。


「人間を見るのは久しぶりだが、こいつらは中でも特に異質だな。連れてきたら面白いと思った」

「異質とは言ってくれるじゃない……」


 先輩は一人でプリプリしている。

 ただ、僕は違う部分に引っかかっていた。


 ――人を見るのは久しぶり。


 この天狗の言葉が意味するもの。

 天狗も弁天さんも、そしてこの店の客も。

 人間ではないと言うことだ。


「それで、二人はどうしてここに? 私に用って言ってたけど……」

「これよこれ。忘れて行ったでしょ」


 先輩は背負っていたリュックからぐい呑みを取り出す。

 手に持たれたそれを見て、弁天さんは「あっ」と声を上げた。

 どうやら気付いていなかったらしい。


「高そうなぐい呑みだったし、大切にしてたんでしょ?」

「わざわざ届けに?」


 僕は頷く。


「ご迷惑を承知でうかがいました」

「本当にありがとう。大切なものだったから、戻ってきて本当に良かった……」


 弁天さんはぐい呑みを胸元で抱えると、こみ上げる嬉しさを噛みしめるように目を瞑った。


「こりゃその子らに感謝しなあかんなぁ」


 不意に、こちらの様子を見ていた客の一人が愉快そうに声をかけてくる。

 小太りで、鼻下に口髭がある中年の男だった。

 すると、その隣に居る男も話に加わってくる。


「新顔だね、弁天の知り合いかい?」


 ニット帽をかぶり、サングラスをかけたいかつい人だった。

 渋谷のセンター街に居そうだな、なんて印象を持つ。


 弁天さんは声をかけてきた二人の男の言葉に反応する。。


「えぇ、今日一緒に飲んだの。わざわざ忘れ物を届けに来てくれるだなんて……」

「酒を交わした友の為よ? 当然でしょ」

「嬢ちゃんよう言った。せや、酒の席で裏切りはない。酒の前では誰もが本当の友になれるんや」

「話が合うわね、おっさん」


 先輩は口ひげの男をビッと指差す。

 この人の遠慮のなさには毎回ヒヤヒヤする。


「先輩、初対面の方に失礼ですよ」

「ええんやで、兄ちゃん。細かいことは気にしたらあかん。ここでは社会的な地位とか、ルールとか、そんなもん関係ないんや」


 するとサングラスの男も同調した。


「ここは年数回開かれる場所でね。毎回来てるけど、来るたびに新しく誰かと知り合う。そういう場所なんだよ。いちいち遠慮してると疲れちまうんだ」

「毘沙門、ええこと言うやないか」


 すると先輩が「よし」と男たちの隣へ座る。


「これも縁よ。飲みましょ。お酒を持ってきてるの」


 先輩は言うや否や、鞄から先程の日本酒を取り出し、机においた。

 わっと声が上がる。

 本当に大丈夫だろうか。

 奥で静かに飲んでいる老人方も居るので、怒られないか気が気でない。

 しかし弁天さんは特に気にした様子もなく「やっぱりあなたたち面白いわね」としみじみ言った。


「トモさんが機動力、コウヘイ君が抑止力ってところかしら」

「抑止出来てないですけどね。振り回されっぱなしです。でも、大丈夫ですかね、あれ」

「心配ない。酒を飲み交わそうとして怒るようなやつはあの中にはいない」


 察してくれたのか、天狗が僕の肩に手を置く。

 弁天さんも同調したように首肯した。


「今日は貴重な無礼講の日だもの。みんな騒ぎたいんじゃないかしら」


 彼女は騒ぎを嬉しそうに眺め、やがてこちらに視線を戻す。


「それじゃあ私たちは私たちで飲みましょうか?」

「お店は良いんですか?」

「良いのよ。確かにここは私の店だけど、経営している訳じゃないから。ごっこ遊びみたいなものなのよ。それに皆は常連だし、気にしないで大丈夫」

「それなら……」


 カウンター席に座ると、カウンターの奥から弁天さんがグラスを二つ取り出し、僕と天狗の前に置いた。

 大きなビンにあるお酒を、それぞれの器に注いでいく。

 琥珀色の澄んだ液体で、ビールともまた違うようだ。


「美味しいのよ、これ」

「高そうなお酒ですね……」

「そんなでもないわよ」

「賀茂川で飲ませてもらったお酒と、どっちが美味しいんですか?」

「うーん、どっちかしら」


 弁天さんは思案するように眉にしわを寄せる。


「好みによるんじゃないかな」


 なるほど。

 つまり同クラスのお酒という訳か。


「酒の優劣は自分で決めればいい」


 天狗はお酒の注がれたグラスを持ち、面をずらして一気に口に運ぶ。

 それを見て弁天さんが「あっ」と声を上げた。


「乾杯してから飲もうと思ったのに……」


 責めるような声に、天狗は「すまん」とうなだれる。

 シュンとしているのが分かった。

 弁天さんはその様子を見てフッと微笑むと、自分のグラスにも同じお酒を注ぎ、僕に掲げる。


「じゃあ私たちも飲みましょうか」

「でも僕、持ち合わせが……」


 こんな高そうなお酒の代金を払えるほど裕福ではない。


「ここでは金は要らない。要るのは深酒をしても大丈夫な体だけだ」


 天狗の言葉にぎょっとする。


「タダ酒って事ですか? でもそれだとすぐお酒がなくなるんじゃ……?」

「ここではね、お酒が足りなくなったりする事はないの。いつも誰かがお酒を持っていて、楽しく飲んでいる」

「そういう場所だから、ですか」

「よく分かってるじゃない」


 弁天さんはニッコリと美しい笑みを浮かべた。


「この街の空気感、すごく良いですけど、よく分からないですね。異界……とか、そういう空間なんですか?」

「実は私もそこまで知らないの」

「えっ? そうなんですか?」

「細かいこと考えても分からないものは分からないし。それなら、気にせず楽しもうかなって」

「要領の良い考え方ですね」

「まぁね。だてに歳は喰ってないわ」


 弁天さんはにっこりと微笑んだ。


「はは、歳は喰ってないって……」


 若いじゃないですか、と言おうとして言葉を飲み込む。

 あり得ない返答が返ってくる予感がした。

 彼女が人間ではないのはなんとなく察しているが、それを決定づけられる気がする。


 いや、答えを聞かずとも明らかなのかもしれない。


 店の名前が『七福天』。

 六人の客と、弁天さん。

 客の一人の名前が毘沙門。

 その隣に座るのは、ナマズのような口ひげの関西弁の男。


 そこから導き出せる答えは一つだ。


 僕はふと思い出し、手に持っていた袋を机の上に置く。


「弁天さん、ここ、お酒って冷やせます?」

「冷やせるけど、どうしたの?」

「いや、ずっとビール持ってたんで冷やしたいなって」

「あぁそう言うこと。構わないわよ」


 弁天さんは袋を受け取ると、カウンターの真下に片付ける。

 こちらからは死角だが、恐らく氷水か何かあるのだろう。


「このビール、エビスビールだったのね。もらった時は暗気付かなかった」

「エビスのビールか」


 くっくっと天狗はさも愉快そうに笑う。


「ただの商品名ですけどね。あちらのエビスさんとは無関係です」


 僕が先ほどの関西弁の男に視線をやると、弁天さんは不思議そうに目を丸くした。


「エビスの名前、教えたっけ?」

「なんとなくわかりますよ。それより、乾杯しません?」

「いけない、まだ飲んでなかったわね」

「乾杯」


 コン、とグラスをぶつけ、乾杯をする。

 一口お酒を口に運ぶと、澄んだ山の息吹が口に広がるのが分かった。

 サラサラと解けるような口当たりで、芳醇な香りをしている。

 薄味だが、飲み込むと鼻孔に一気に香りが広がるのだ。

 新感覚だった。


 不思議だと思う。

 この状況も、このお酒も。

 僕がジッと見ていると、視線を感じたのか弁天さんと目があった。


「コウヘイ君、どうしたの?」

「あ、いえ、ちょっとおかしくて」

「何が?」

「まさか神様とお酒を飲むなんて思ってなかったので」


 すると弁天さんは「ばれちゃってたのね」といたずらがバレた子供のように笑った。

 その顔は、やはり女神のように美しかった。

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