第四章

一、あなたは、俺の光。



 北の地。

 季節は巡って冬の頃。


 とある村の入口に辿り着いた時、櫻花インホアたちは言葉を失う。

 視界に広がったのは、ひとの仕業とは到底思えない光景だった。


 重なるように動かないひとだったモノ。真白い地面を染める斑模様の赤。女も子供も老人も関係なく、時が止まったかのようにぴくりとも動かない。皆、身体のどこかが欠けていて、その欠片がそこら中に散らばっていた。


 吐き気を覚えるほどの腐臭と、血の臭いが漂うその凄惨な光景は、肖月シャオユエの眼にさえ悍ましいものとして映る。



 目の前に広がるその悲惨な事態に、櫻花インホアは目眩を覚えた。それはまるで、数百年前のあの光景に似て――――。



******



 肖月シャオユエは警戒の意味も込めて、村の中を見て回る。そんなに広い村ではなかったので半刻はんとき(約一時間)ほどで隅々まで調べ終えたが、誰一人として生きた者はいなかった。


 戻った時、冷たい地面に蹲っている櫻花インホアを見つけて、慌てて駆け寄る。


「大丈夫? 一旦ここから離れよう。嫌かもしれないけど、我慢して?」


 肖月シャオユエはそっと触れて、そのまま櫻花インホアを抱き上げる。されるがままの櫻花インホアを眼を細めて見下ろし、足早に村を後にした。


 あの酷い有様を見るに、悪鬼の仕業だろう。あの人数をひとりでやったのか、それとも群れで襲ったのか。手口からして前者だろう。


(骸の状態から見て、同一人物の仕業だ。あんなことができるのは、限られているだろうが······)


 それよりも櫻花インホアが心配だった。近くに休める場所は見当たらないが、唯一、村を囲む山の麓に洞穴を見つけた。


 その入口付近で櫻花インホアを降ろそうとしたが、いつの間にか細い指先が自分の衣を掴んでいたため、無理矢理解くことはせずにそのまま腰を下ろした。


 血を見慣れていないとか、そういう類のものではないだろう。

 あの光景自体に、こうなってしまったなにかがあるのかもしれない。


 微かに震えているその身体をぎゅっと抱き寄せて、肖月シャオユエ櫻花インホアの顔をうずめさせる。洞穴の中に響くのは、一定間隔で落ちる雫の音だけで、ほとんど静寂に近い。


「あなたが抱えているモノに関係している? 俺はどうしたらいい?」


 ぎゅっと隙間なく抱きしめて、囁くように訊ねる。うなされているのか、櫻花インホアの表情はどこか苦しそうだった。代われるものなら代わってあげたいが、それを彼は良しとしないだろう。


 けれども。


「あなたを苦しめているそれが悪夢なら、俺が喰らってあげる」


 凶を吉に転じさせる。

 悪いものを良いものに。


 肖月シャオユエは眼を閉じて、櫻花インホアの唇に自分の唇をそっと重ね、意識を集中させる。


 溶けるように交わる夢の中。

 闇の中でひとり、蹲る櫻花インホアを見つけた。



******



 あの折り重なるような骸の山は、あの日の光景に似て。櫻花インホアはなにも見たくないと目を閉じ、耳を塞ぎ、蹲る。


 暗闇が広がるこの空間に在るのは、己のみ。


 花神かしんであった時。自分が原因で起こってしまった悲劇。天帝に贔屓にされていたことをよく思わなかった者、その嫉妬心を募らせていた者に、謂れ無い罪を着せられ、失ったモノ。


 自分の配下であった九十九人の花の精たちが、ある者の策略によって虐殺された。花の精たちに一体何の罪があろうか。彼ら、彼女らがなにをしたというのか。


 ただ、宴で花を咲かせただけ。


 罠に気付き、駆け付けた時には遅かった。

 真白い石楠花シャクナゲの花は真っ赤に染まり、横たわった花の精たちの骸が、辺り一面に無残な姿で放置されていた。


 それを宴の余興として、その者は酒を酌み交わしていたのだ。天界に座する者の所業とは思えなかった。櫻花インホアはその場の感情でその者の顔を平手打ちし、罵声を浴びせた。


 けれどもその者は笑いながら、待っていたとばかりに言い放つ。


「なんということ! このわたくしに手をあげるなんて! お前のような身の程知らずは、天界から追放してあげる!」


 その者は天界にある階級の中でも上位の神で、自分の意のままに櫻花インホアを追放するなど、他愛もない事だった。


 しかし、あの天帝に特別気に入られている櫻花インホアを、なんの理由もなく追放することなどもちろんできないし、そんなことをしようと思う者もいなかったのだ。


 彼女にその口実を与えてしまったことが、最悪の結果を齎した。

 櫻花インホアはそのまま天界を追われ、野ざらしにされた花の精たちを弔うことも叶わなかった。


 その後、花の精を虐殺させ、櫻花インホアを追放した彼女がどうなったか。

 元凶を作ったはずの彼女は、証拠も証言も不十分ということで、位を少し落とされただけで、天界を追われることはなかった。


 あの日、あの場にいた者たちが口を揃えて、櫻花インホアが悪いと示し合せ、すでに追放され弁解の余地のない櫻花インホアに、そのすべての罪を負わせたのだ。


 そんな天界に嫌気がさした櫻花インホアは、以降、二度と戻ることはなかった。天帝は戻って来て欲しいと、何度も伝令の分身を寄こして懇願してきたが、地仙のまま天仙になる気のない自分には、嬉しくもなんともなかった。


 あの時の光景を思い出すたび、心の奥底に眠る恐ろしい感情が蘇り、眩暈がした。

 今もその感情は、暗闇の中で彷徨い続けている。


 そんな黒い感情でいっぱいになっている自分の頭に、遠慮がちにそっと置かれた手があった。


「あなたのせいじゃないよ、」


 自分を信じてくれている者たちが皆、口にしてくれた言葉。

 当時の櫻花インホアには、届かなかった声。

 けれども、今、そこに響いたその言葉は、どこかそれらとは違っていた。


「あなたは、なにも間違っていない」


 違う。

 あの時、自分がもっと冷静に事態を受け止めていたら、あんな事にはならなかったはず。すべて、自分の落ち度だった。


「俺は、そんなあなたに救われたよ?」


 子供をあやすように、頭を撫でられる。なんだか落ち着くその声音も。よく知っているものだった。


「俺にとって、あなたは、光。暗闇なんて全部消え失せてしまうほどの、鮮烈で強力な光だから」


 途端、暗闇が晴れ、真っ白なセカイに変わる。言葉を重ねて、肖月シャオユエは夢を塗り替えていく。光で溢れたセカイに、薄紅色の花びらがひらりはらりと舞い降りてくる。


 黒でも、白でも、赤でもない、薄紅色の花びらたちが地面に落ちては染めていく。


「俺、あなたと同じ名前の、この花が好きなんだ。あなたは?」


 それは儚くも華やかな、薄紅色の花びら。


 いつの間にか地面に降り積もったその花びらを、両手で掬い上げる。俯いたまま優しい笑みを浮かべ、思わず言葉が零れた。


「私も··········好きです、」


 途端、手の中の花びらと一緒に、地面を覆っていた無数の花びらが、どこからか吹いてきた強い風によって、一斉に天に舞い上がる。


 その花びらたちを追うように、顔を上げた櫻花インホアの眼に映ったのは、舞い上がる薄紅色の桜の花びらに包まれた、白髪の美しい青年の姿だった。



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