第41話 彼にも苦悩はある。

午後十時、影峰宅————————


 午後八時に帰宅した両助は、食事と風呂を済ませて、ベランダで夜風に当たっていた。

 帰って早々お土産をねだる妹に約束(脅迫)された物を渡す。

 物を出して、手渡して終わり。

 感謝の言葉もなければ、熱い抱擁もない。

 まあ、家族なんだからこんなもんだよ。当たり前だけど。でもありがとうぐらいは欲しいな。嬉しさのあまり自室に走っていく気持ちはわかるけど。


 そうして火照った体を冷やしていく。

 今日は長風呂だった。考え事をしていたせいだ。

 馬鹿な話だ。自身の体調も気が付かないほどに熟考していたとは。

 ああ、まだ春先だからだ。冷たい夜風がとても心地いい。

 気持ちの良いそれを浴びてしまえば、自ずと意識も————————。


「おーい。こんなとこで寝んな」


 ふらりとぐらついた意識、それによって上体を背後に倒れさせようとしたら、背後より受け止められた。

 いや、抱きとめられたの間違いか。背中になんともすごい感触がする。


「起きてたんか、お前。寝なら、美容の大敵じゃぞ?」

「その喋り方、やめてよね。分かりにくい」

「ほお?わしはこっちの方がお前も安心すると思ったんじゃがの」


 両助の背後、ベランダの窓から姿を現したのは、影峰家に居候している凍雲いてぐも真菜まな、諸事情あって今は両助の家に住んでいる。


 細長い眉が特徴的なワンレングスボブの女の子、年は両助と同じだ。

ちらりと背後を見ると、真菜の恰好は結構な薄着だ。

まだ冬の寒さが少し残ると言うのに、キャミソールにショートパンツときた。申し訳程度にカーディガンを羽織っているが、意味あるんかそれ?

さすがの両助もその格好をよくは思わなかった。


「そんな恰好でおったら風邪引くぞ」


 そう言いながら、その未練が残る感触から離れようとすると、肩を掴まれ引き戻される。

 バランスを崩したせいだ。今度は後頭部にすごい感触が。


「大丈夫だよ。少しくらい」

「ダメじゃ。こっちはお前を預かっとる身じゃ。なんかあったらどうする」

「……少しだけだから」

「……で、なんじゃ?なんぞ用があって来たんじゃろ?」

「何もないのに、私が両助に話しかけちゃダメなの?」

「めんどくさい奴じゃな⁉貴様は⁉」

「ウソウソ、ジョウダンジョウダン」


 正直に言うと、両助は早く用を終わらせて欲しかった。

 なぜなら今この状況が非常に不味い。

 両助は今、股間に意識を集中してそれが起き上がらないように注意していた。

 悲しいことに両助は童貞なのだ。ちとそれは彼にとって刺激が強すぎる。

 真菜は両助を抱き留めたまま、会話を再開する。


「今日ね、陸人りくとに会ったの…」

「………」


 両助の意識は完全に股間から逸れた。

 その名前により、それどころではなくなったのだ。


「学校の帰り、偶然だった」


 真菜は沈黙する両助など気にせず、いや、分かったうえで会話を続ける。

 両助は先程まで簡単に抜け出せる腕が、とてつもなく重い鎖のように感じていた。


「でね。今度会わないかって。もちろん両助も。どう?」


 その誘いに両助は話を逸らしたくなる。

 だが、はっきりさせないとダメだ。

 でないと真菜は同意したものと見て、両助を連行するだろう。

 両助はその誘いを断る。真菜の顔は見ずに虚空に向かい声を投げた。

 どうにもその言葉は彼女の顔を見ながら吐けなかった。


「いやあ……わしはいいや、行かん」


 その言葉を受けて、両助を抱きしめる腕がきゅっと締まる。

 彼女はそれを気づかれているとも知らず、平然と言葉を吐き続ける。


「なんで?きっと楽しいよ?」

「…………行きたくないんじゃ」


 そう言って今度こそそこから抜け出そうとしたのだが、またも真菜は両助を引き戻す。

 話しが完全に終わったと思っていたので完全に油断していた。

 まさか彼女がここまで我儘だとは。

 今度はさらに体がずり落ち、膝枕の態勢になった。

 両助は顔の直上、そこにある彼女の顔に向けて、拒絶の意思を強く示す。


「ええいッ!いい加減にせいッ!無理なものは無理——————」

「………」


 そこで言葉が止まる。

 その顔に、これ以上言葉をぶつけることが躊躇われた。


 全く、綺麗な顔を台無しではないか。美人がそんな複雑な顔をするでない。お前はいつも笑っておればよいのだ。たとえ難しかろうともな。

 それにこんなどうしようもない人間に、そんな優しい感情を向けてくれるとは、なんていい女なんじゃ……。

 その感情に自然と言葉が出る。今、再認識した事実に再度彼女に同じ言葉を浴びせる。


「なあ、真菜。やっぱりお前はここから出ていけ」


 その言葉に一時、場が鎮まる。

 そんな絶縁宣言をされれば、誰でも話すことを忘れるほどに衝撃を受ける。

 だが……。


「今からでも、というかいつでもお前の親父殿頼めば————————」


 真菜に驚愕という感情は起きなかった。以前も言われていたことなのだ。

 だが、はい、そうですかと受け入れられるなら今頃ここにはいない。

 彼女の顔が、膝上に両助の顔に近づく。

 真菜は、両助の言葉を遮るように、彼の口元を自身の唇で塞いだ。

 数刻の接吻の後に、両者の口が離れる。

 あんまりにも自然と行われたものだから、両助も反応に困ってしまった。そこから少し沈黙した後に口を開く両助。


「………別にそんなことを言ったつもりはないぞ?」

「…うん、やっぱり私はそっちの両助の方が好きだな」

「……いや、やっぱりお前にはこっちじゃ」


 真菜は両助の言葉には答えない。愚直な感想を零すのみ。その事実から目を逸らしていた。

 彼女は膝元にいる両助に対して微笑むばかりだ。

 彼女が聞きたがっていないのは分かっていたが、両助も後ろめたさがある分、言わないわけにはいかなかった。

 遮られた会話はそこで続く。


「真菜、お前は恋を知れ。こんな片田舎の、辺境の街でなく。都心に行って、多くの人に囲まれながら良い男を見つけて恋を知るべきじゃ」

「街にも行ってるし、恋も知ってるよ?」

「…………それは恋ではない」


 真菜はさも当然のように両助を見て答えたが、それは違うと両助は思った。

 こんな退廃的なモノが、そんな高等なものではないと、彼はよくわかっていた。

 そこで本日最後の邂逅が終わる。

両助は彼女自身がわかってくれなければ意味がないと、言い訳をして眠りにつくことにした。


「ねえ…」


 自室へと消えようとした両助を真菜は引き留めた。


「今日はもう少し一緒に居たいな」

「……我儘を言うでない。もう寝ろ」


 両助は振り返ることなく答えたが、真菜もそれは譲れないと意地を張る。

 彼女は屁理屈を立てて説得した。


「両助も言ってたじゃん。言いたいことだけを言うのが話し合いじゃないって………お願い」


 その言葉に両助はまたも言葉を詰まらせる。

 どうにも口が回るもので、誰かの影響か?

 だが、それを違えることに両助は抵抗を感じた。

 終わりの前の一幕、終わった後の後日譚。

 これがそんな付け加えのどうでもいい時だと、結論付けて彼女へと向き直る。


「ちょっとだけじゃぞ?」


 自分でも思うが、なんて甘い。そんなだからつけこまれるのだぞ?

 真菜の「じゃあここに座って」という言葉に従い、ベランダの縁に座る。


 すると彼女は両助の太腿に頭を預けて来た。

 頭が自身の膝へと落ちる瞬間、髪が揺れ良い香りがした。

 薄着なせいでもあるのだろう。寝転んだ彼女の胸元は少しはだけていた。そのため両助は出来るだけ視線を天へと向けて文句を言う。


「お前、寝る気じゃろ?」

「寝ない寝ない、ちょっとだけだから…」


 そう言って頑としてどこうとしない真菜。仕方がないので満足するまでそうさせることにした。

 しかし、本当に寝られたら困るので話を絶えさせないようにしようとしたが、彼女の方から話を振った。


「両助、学校は楽しい?」


 その言葉に両助は間を置かずに答えた。躊躇う理由などどこにも無かったのだ。


「ああ、楽しいのお。なにより平和じゃ」


 そのどこか憎々し気でありながら苦笑を浮かべる両助の姿に真菜は彼の言葉を信じた。

 だが、信じたは良いが、納得できない事もあった。


「うちにくれば良かったのに…」

「ええ……お前んとこ?……嫌じゃ、なんかお堅そうじゃ、あんなお嬢様学校」


 その誘いを両助は断った。彼自身校則の楽な高校の方が良かったのだ。


「ちゃんと男の子もいるよ。良いの?私、取られちゃうかもよ?」

「……そうなれば、いいのお」

「もう……」


 その回答に不満を零した真菜、両助はその反応に微笑するとともに空を見上げる。

 これだけは田舎の特典だ。空には建物が掛からず、見渡すばかりの星空が広がる。

 それに起こりえる未来を夢想する。


 もしも真菜が、あの星空のように、どこか遠くで誰かと幸せになる。

 その幸福が放つ輝きを、今みたいに彼方より眺める。

 それはきっと美しく、また代えがたいものだ。

 おそらく両助が全てを終わらせた時、そこには素晴らしい星空が広がっているだろう。皆の幸せという星空が。


 それがあれば俺はいつまでもやっていける。


 たとえ自分には何もかも無くなり、無に帰そうとも、その温かさと誇らしささえあれば、俺はいつまでも生きていける。

 未だ星一つさえ持っていない両助は、その未来に希望を見る。


 おっと、いけない。想像するばかりではいけない。

 どれにでも言えることだ。まずは行動せねば。

 そうして憩いの一時を終わらせるべく、膝に居座る彼女をどかそうとした時だ。


「………」

「だから寝るなと言っておろうに」


 反応がないと思えば、真菜はそこで寝息を立てていた。

 星に気を取られたことに後悔する。寝させないようにとあれほど考えていたのに、結局は気が逸れたうちに寝られてしまった。


(このままはいかんよなあ……)


 さすがの両助もこの状況は体に良くないと思った。

 今は季節的に夜も冷え、風も冷たい。外で寝などしたら、体調を崩してしまう。

 そう判断した両助は真菜を起こそうと肩に触れる。


「おーい、起きんか」

「ん……」


 寝ぼけた様子の真菜はゆったりと上体を起こす。

 それに「起きたか。じゃあ、部屋に戻れ」と言おうとした途中でそれは遮られる。なぜなら真菜はまたすぐに太腿へ顔を埋めたのだ。


 こいつ、寝ぼけておるな。

 だが、ここで見過ごすわけにはいかない。

 彼女には是が非でも暖かい寝床で眠っていただかなければならない。


 少し強引であったが、両助は肩を掴み無理やり真菜を自室へと連行しようとした。

 しかし彼女は「んッ」と言ってまたも膝に埋もれられてしまった。

 それに、なぜわしが怒られたの?と思いながらもため息をつきながらこれは無理だと諦めた。


「はあ……これは親父殿に殺されるの……」


 自分の行末を知り、この身に降りかかる恐怖を感じ取る。

 だがそれはそれとして本当に風邪を引かれたら困るので、両助は自身が来ていたパーカーを脱いで真菜に掛ける。効果は薄いと思いがないよりマシだ。


「………」


 今まで直視することを避けてきたその顔を見る。

 改めて思うが、将来この顔を独り占めできる男は憎いな、正直羨ましいよ。

 凍雲真菜は間違いなく美少女と呼ばれる部類の女の子だ。


 彼女は間違いなくこんな閉鎖的な街にではなく、もっと広い世界に放ってやらなければならない女の子だ。

 もっと多くの人に囲まれて、幸せにならなければならない女の子だ。

 その顔は俺以外に向けられなければならない物だ。


 でも、そんな気高く、何にも劣らないはずだった顔を曇らせたのは…。

 そもそも彼女をここに引き留めてしまったのは……。


 特にそうしたいと思ったわけではなかったが、口元に力がこもる。

 両助はこの現状から、その言葉を我慢することができなかった。


「真菜、ごめんなあ。俺が弱かったばかりに、ごめんなあ………」

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