第6話 初めての教室

 数分後、俺はその扉の前に舞い戻った。

 扉の前で、己が使命を心の内で復唱する。


 皆が幸せな学園生活、皆が楽しい学校生活。それを保つマントルの下の力持ち。

 俺は必ず、彼らを支えてみせる!—————いざ!


 意気込んで扉を開く。

 自身の目標を再度設定したおかげだろうか、扉は驚くほど軽かった。

 まあ、新築だからただ単に建付けの悪さがないだけだが……。


 両助はこれから共に学園生活を送る仲間達をその目に捕えようとする。

 皆初対面、大方気まずさから押し黙っていることだろう。

 可哀そうに、その口、重いよな。だが安心しろ、俺が来た。


 教室内の地位というの初日で決まる。隠された強い個性がない限り覆ることはない。皆それを相手の雰囲気で感じ取るのだ。

 スクールカーストの位置を決める大事なファーストコンタクト、教室での立場の位置決めに…。


ガヤガヤガヤガヤガヤガヤ。


 両助は出遅れたのであった。


 皆、すでにグループを形成していた。さっきまで共にいた女生徒でさえ。

 自身が入り込む余地など微塵もなかったのだ。


 もうちょっと恐れろ若葉の君よ。朽ち果て————————おっと、いけないいけない。良いではないか、皆が楽しければ。


 そんな景色に少し驚きながらも自分の教室に入る両助。

 ホワイトボードにマグネットで貼ってある紙には着席番号が記載されていた。

 自分の番号を見つけてそそくさと席に向かう両助。

 その時、視界の端で複数の女生徒と会話している内海の姿があった。

 お前も同じクラスだったのね。


 せめてあいつが単騎でいれば、避難場所にしてさしあげようと思ったが、ああなってしまえばもう無理だ。

 着席し、周りを見渡す。

 もはやその空間は新入生の世界ではなかった。皆、適応力高すぎない?


(あれ?もしかして俺必要ない?)


 深呼吸して、分析した結果、その結論に至った両助は、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからず、複雑な心情でいた。

 春風が窓より零れ、教室の空気をまわす。

 その青春の景色の中で両助はただ無言で座っていた。


 なんという孤独、同じ場所にいるはずなのにまるで隔絶された空間のようではないか。入学初日に孤立無援の独りぼっちとなってしまった両助はこれからどうしようと頭を悩ませていた時……。


 スゾゾッ!


 そこで背後よりこの空間に似つかわしくない音が聞こえた。

 あまりにも不釣り合いな音だったものだから振り返る。


「………」


 両助はそれを見て、言葉を失った。

 一瞬、あまりの孤立感に幻覚を見たのでは、と自身を疑った。

 だってそうだろう。ここは新入生達の楽園。笑顔溢れる集積場。

 会話は鳴りやむことなく、明るさに陰りはない。その目を焼く景色は日輪が如く、終わった者に羨望の眼差しが与えられるその場所に、この姿を晒しているのだぞ?


 そんな理想の中でただ食事をする者がいるなど。


 両助はやはり気をおかしくして妖精さんを見たのだと結論付けた。

 ほら後ろにいるコイツは小柄だし、それっぽい気がしてきた。


 その者は両助が見ていることに気付いているにも関わらず、食事を続ける。

 両助が衝撃に視線を離すことすら忘れ、居たたまれなくなった彼は会話を試みた。


「ズゾゾ、ズゾゾ……ハウハエフエフハ?」


 は?なんて?

 くっちゃくっちゃと話すものだから、思わず耳を再度傾けてしまった。


 まあ、でもそれは未知でありながら、彼の存在は救いでもあったのだ。

 彼の存在を現実だと認識した両助は、この機会を逃すものかと口を開く。

 誰も話ができる者がいないのだ。なんとしても捕まえなければ。


 相手が聞き取れなかったことを察したのだろう。彼は口の中のものを全て胃に流し込んだ。そこでようやく聞き取ることが出来た


「……何かようですか?」

「ああ、いや」


 そこで己が非に気付く。確かに不躾にも凝視してしまった。

 そんな事をされれば、何か良くないことをしたのかと不安になるものだ。

 良くないぞ、俺。皆が楽しい学校生活を送れるようにするんだ。初めから怯えさせてどうする…。


「ごめん。ちょっと驚いただけなんだ。なんでもないよ。……よく食べるね」


 彼の手元を見ると、麺類があった。先程の音は麺を啜った音だったようだ。そうしてその横にはタッパーに入った白米が……炭水化物に炭水化物⁉

 麺を啜り、米を掻きこむ彼に一驚を喫しながらも、それを会話の入り口に展開させようとする。


 それに彼も乗っかってくれた。

 どうやら物を食っているだけでそれ以外は普通に思えた。


「うん。僕はなんでも口に放り込まないといけないから」


 その言葉の意味が解らず、困惑した。

 元来、食事とは食べる者本人の意思によるものだ。それをまるで他人からの命令のような言い方をするのは…。新手の拷問かな?

 その両助の混乱に気付いた彼は自己紹介をした。


「俺、木村きむら啓介けいすけ。よろしく。啓介でいいよ」

「ああ、よろしく。俺は影峰両助、こっちも両助でいいよ」

「はは、語呂が似てるね」


 確かに、ごっちゃになりそうだな。

 だが、それも時間が経てば、間違われることはなくなるだろう。

 なにせ啓介の見た目はすごく特徴的だ。


 始業前のこの時間に食事に熱中することから彼の体はとてもふくよかだ。

 まんまるお顔のもちもち肌。どことなくマスコットを思わせる。

 丸坊主にした頭がマスコットらしさを更に助長する。


 彼は会話の方向を修正して続けた。


「えっと、これだったね。これね、部活で必ず食べるように言われてるんだ」

「部活…もう入ってるの?」

「うん。実は中三の時に何回か来てたんだ。その時に仮入部を済ませてたんだ」

「へえ…。この学校には部活の推薦で?」

「いや、ちゃんと勉強してきたよ」

「おお、それはすごい」


 その事実に思わず、感嘆した。

 両助自身、この学校に入学するため滅茶苦茶勉強した。

 両助一人の力では無理だったろう。それも教室の反対側でキャッキャウフフしている内海のおかげだ。


「ここ県内でも結構賢いとこだろ?部活もして、勉強もする。両方してるなんてすごいな」

「う~ん、そうかな?確かにここって県内ではそれなりに上位のとこだけど、全国区で見たら普通じゃない?」


 彼は口に入れたものを再度流し込み、会話を再開する。

 もちもち肌で頬張る姿はどことなくリスを連想したが、怒られそうなので黙っておこう。


「部活は相撲部?それともラグビーか?」


 そんなに食べるんだ。体系が小柄であったことが懸念であったが、それしか思い浮かばなかった。ていうか啓介を見たらそれしか連想できない。

 部活から強制されるなど、運動する以外にも苦労があるんだなあ…と思いながらも彼の回答を待つ。

 だが啓介はその疑問に手を振って否定した。


「違う違う。柔道部だよ」

「じゅ、柔道部…」


 柔道部って筋トレしてるイメージ(個人の感想です)だったけど、こういうこともしてるのか。

 両助は頭の中で筋骨隆々の男がダンベルを持ち上げる姿を思い浮かべていたが…。


「俺は何もかも足りないからね。こうして体重を上げて力つけないと。ほら重くなれば投げられにくいでしょ?」

「ああ、そういう」

「ここって柔道部は全国区だろ?だからここに入学したんだよ」

「ここってそんなに強いの?」


 それは初耳だったので、思わず聞いてしまった。

 もしかすれば、柔道に精通している人からすればそれなりに名の通った高校なのか…。

 部活動紹介もまだだったので、両助の中ではこの高校の部活知識はゼロに近かった。

 パンフレットにもろくに目を通していない。だって両助はただ頭の良い所に入りたかっただけなのだ。

 両助の予測は正しかったらしく、啓介もそれを認めた。


「うん、かなりね。新聞でも何回か取り上げられてたよ」


 入る気などさらさらないが、そうだったんだ。

 思わぬ新情報の獲得に感心しながらも、その教室の空気が一変したのを、両助と啓介は感じ取った。

 それもそのはず、このクラスの担任である教員が訪れた。


「はーい、皆!席に…はついてるね!」


 そうして慣れた様子で教卓についた眼鏡をかけたスーツ姿の男性教員は持っていた段ボールにカッターナイフを差し込み、中身を取り出す。

 各列の最前に配られたそれは、両助の下にも届き、見るとそれは学生だよりと学生証と学生手帳だった。他にも数枚の書類も回ってくる。


 中身を流し見するが、書いてあるのは学校が掲げる信条と学生がこれから目指すべき姿だとか、他には施設の紹介があったり、校長の言葉、三年間の大まかな流れ。

 ここでは読み切れないので、机に置いて教員を見る。まあ、持ち帰っても読む気はないが…。


「全員に行き届いたね。学生証は一年間使う物だから、無くさないようにね。あと他の奴もおいおいでいいから、どうせその時になったらまた説明するしね」


 そこで男性教員が「じゃあ!先生の自己紹介をしましょうか!」とホワイトボードに向き直る。

 背後では、いつの間にか食事を終えていた啓介がタッパーを片付けていた。


(こいつ、いつ食った⁉)


 その食べる速さに驚きながらも、教員に目を向ける。


「一年間、君達の担任になります。沢野さわの直人なおとです。趣味はキャンプです。夜の森とかね。静かでね。焚火の前にいると心地良いからおすすめですと……まあ、私もね。何年も教師やってきてますが、こうして生徒の前に立つとやっぱり緊張しちゃうのでね。いたらない処もあるかもだけど、よろしくお願いします」


 苦笑しながら自己紹介を終えて、軽く頭を下げる沢野先生。

 なんとも人当たりの良さそうな教師ではないか。

 どちらかといえば、当たりの部類だろう。

 下手に熱血な人だったり、怖い人よりかはマシだ。

 皆も経験ない?濁声強面担任、あれ一年間はずっと教室の空気が重いからな。

 沢野先生は自身の腕時計と手元の書類を見比べると…。


「これから入学式なわけだけど、まだ時間があるね……うん、それまで皆ここで待ってて、またね、時間になったら呼びに来るから」


 そう言って、教室から出る沢野先生。

 両助も今日の予定表を見ると、入学式までまだ時間があった。

 これはそれまで自由時間だろう。


 最後にドアから少し顔を出した沢野先生は「何かあったら職員室に来てね」と言葉を残して去っていった。

 そこからは教室も元の空気感に戻り、賑やかになり始めた。

 後ろの啓介はというとおにぎりを食べていた。どんだけ食べんねん、こいつ。

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