あきつしまやまとのくには

@NEGAIGAKANAUNEGAIGAKANAU

第1話

 暗い岩室に男が一人…、作業台の上で何かしている。…腑分けだ、人を、腑分けしている。しかもその心臓は、まだ、動いているではないか…。

「左右吉(そうきち)、お前もこちらに来てみろ、この男の心の臓は強い、これだけ身体を開かれて、まだ動いている。」

岩室の奥の、さらに暗い部分から、少年が一人姿を現した。年の頃はまだ十二と言ったところか。

少年は手に持っていた薬瓶を棚に置いた。腑分けを見させられるのが嫌で、薬の整理をしていたのだが、呼ばれては仕方ない。

「…玄理齋(げんりさい)様、何故、犬や猫では駄目なのですか?あるいは、牛馬では?」

作業台の上にくくりつけられた男は、壮絶な苦悶の表情を浮かべて、意識を失っている。口に噛ませた猿ぐつわの端には口角からもれた血泡がつき、必死で抗おうとしたのだろう、手の爪は作業台を掻いて、ついには剥がれている。

そうして、胸から腹までざっくりと切り裂かれ、肋骨は折り取られて、肺腑、心臓、胃、腸などがむき出しになっている。

 少年はそれらを見るのが嫌だった、耐えがたかった。吐きそうになるのを必死にこらえる。玄理齋の気まぐれで、いつ自分がそうなるとも…、生きながら腑分けされるとも知れない。

部屋中に満ちあふれる死臭…、岩室の入り口には、そうして腑分けされ、息絶えた者達の骸が無造作に積まれている。

「ふむ…、確かに、畜生には畜生の良さもある。奴らに学ぶ事は多い。しかしやはり人だ、人を腑分けする事が、最も智を豊かにする。」

言いながら玄理齋は、作業台にくくりつけられた男の心臓を、むんずと掴んだ。意識を失っているはずの男の身体が、びりびりと痙攣する。

それにかまわず、玄理齋は心臓を、男の身体から引きちぎった。男はしばらくがくがくと痙攣していたが…、やがて動かなくなった。

玄理齋の手の中で、心臓が、生の名残を唄うように、ぴくぴくと動き、血を吐き出している。左右吉少年はたまらず目を背けた。

「西洋では、人は、神に似せて創られたと言うそうな。ならば人を知る事が、神へと近付く道標、人を生きながらに腑分けする事は、神に選ばれた俺の、使命なのだ!」

異常だ…、この男は狂っている…。その恐怖が、左右吉に玄理齋の元から逃げる、と言う選択肢を失わせていた。

「左右吉、訓練の方も、ぬかりなくやっておるだろうな。」

「はい…。」

左右吉が短く答える。玄理齋は、手の中の心臓を楽しげに眺めている。

「ふふ…、我が神の御国を建てるのは、ここ播磨、仙石原の松丸城からだ。まずは物部彰久が自慢の髭を、ちりちりに焦がして見せようぞ!」

いよいよ戦になる…、左右吉は思う。この戦で、自分は死ぬだろう…。それが親に捨てられ、この悪魔のような男に拾われてしまった、自分の宿命なのだ、もう諦めた…。

玄理齋の語る神など虚、大義なき天下などとれようはずもない。でもそれで良い…、誠の神よ、どうか、この狂った男を…、玄理齋を、殺してください…。左右吉は心中で祈る。

そうとも知らず、玄理齋は満足げに、むしりとった心臓を眺め…、そしてやがて、かたわらに置いた広口の硝子瓶の中に、それを落とす。瓶の中には酒が満たされており…、主を失った心臓は、奇妙な水棲生物の様に、液体の中でたゆたっていた…。


 左海日乃輪(さかいひのわ)がこの世に生をうけた頃には、もう秋津志摩大和国(あきつしまやまとのくに)は戦乱に明け暮れていた。それもそうだ、秋津志摩を治めていた、岩見幕府が崩壊してから、もう百年はたつ。

それでも日乃輪の生まれた東国の武蔵竹浦などまだ静かな方で、やはり京に近い中つ国のあたりは騒がしい。戦に次ぐ戦だ。

ただ伯父の住む播磨仙石原は、その一帯の領主で竹丸城主の、冬月宗勝(ふゆつきむねかつ)が、勢力拡大を続ける安芸物部氏当主にして、一代で中つ国十二カ国を治める太守となった、物部彰久(もののべあきひさ)に降伏、臣従した事で、平穏を取りもどした「はずだった」。

冬月氏降伏が確か八年か九年前の事であったか…。また戦になりそうだ、手を貸して欲しい…、伯父からの手紙を日乃輪が受け取ったのは、今年の春の初めである。

それから出来るだけ急いで諸用を済ませ、武蔵を発ったのだが、播磨に着いた頃には、もう秋の気配がしていた。野辺に秋桜の花が咲いている…。

戦の匂いがする…。仙石原が近くなり、日乃輪はその「匂い」に複雑な思いを抱いた。薬箱を積んだ、馬の背にゆられつつ…。

伯父に預けられ、播磨に住んだ幼い日…、まだ冬月氏が物部氏に抗っていて戦になった。その時、勧善寺で、道薫和尚(どうくんおしょう)と出会っていなければ、今の自分はないだろう。

戦が、自分を育てたのか…。人の死が…。いや…、死の淵にあるものを、生へと導くのが自分の務め、道薫和尚との、そして祖母との約束ではなかったか…。

その時悲鳴が聞こえた。

「いや!離して!」

「いいじゃねぇか、大人しくしてりゃ、乱暴にはしねぇからよ!」

 村娘が…、まだ十二、三の娘が…、足軽だろう、軽武装の男二人にからまれている。日乃輪は下馬して、もめている三人に歩みよった。

「やめなさい。」

「ひ…、日乃輪ちゃん!」

村娘は日乃輪の姿を認め、男達の手をふりはらって、日乃輪の背後に隠れた。

「おいおい、こりゃ、べっぴんじゃねえの…。ちょうどいい、こっちも男二人だ。女も二人いた方が、より楽しめるってもんよ。」

男達が下卑た笑みを浮かべる。日乃輪は眉をしかめた。

「やれやれ…、物部のお殿様の軍規は、下々にまで行き渡っていないようですね…。」

「あぁん!俺達は、田所の殿様に、金で雇われただけよ!それもはした金で、従わなきゃ税を重くするってんだ。娘っ子ぐらい漁らせてもらわなきゃ、わりに合わねえよ!」

「べっぴんさんよぉ、さっきから、見下したような物言いだ。俺達のこの刀、玩具じゃねぇんだぜ?」

男達が抜刀した。だが日乃輪は不敵に笑って、手でかかってくるよう合図する。

「どうやら、痛い目見なきゃ、分からねぇようだな!」

男達が襲いかかってくる…。だが素人剣術だ。日乃輪はさっと身体をかわし、一人目の男の手首をひねって刀を奪いとり、すれ違いざまその背を蹴って、男を地面に転がす。

そのまま、奪いとった刀を、もう一人の男の喉元に突きつける。

「怪我人や…、まして死人を出すことは本意ではありません。戦に来たのなら、戦場にもどりなさい。」

「ち…、畜生!」

かなわないと悟ったのか、男達がじたばたと、見苦しく仙石原の方に逃げていく…。日乃輪は娘をふり返った。

「ええと…、るい、さん、でしたね。お怪我はありませんか?」

「ありがとう日乃輪ちゃん…、に、二年ぶりくらいだよね?」

「そうですね、るいさんは大きくなられた…。」

「渡辺の長者様が、日乃輪ちゃんを呼んだって、本当だったのね。」

「こんな所で、何を?」

戦のさなかだ…、あまり一人で出歩くのは、利口、とは言えない。

「そ、その…、色々物入りで、つい、死体の、懐を…。」

ああ…、死体から、金目の物を盗ろうとしたのか…。戦になると、そう言うことはよく起こる。

「まだ勝敗もついていないのでしょう…。伯父上の手紙からすると、物部のお殿様が優勢らしい…。死体の処理は、物部のお殿様のお許しが出てからにしましょう。」

 日乃輪は多少上品に言い換えた。

「さ、馬に乗って…。渡辺荘まで、一緒にもどりましょう。」

るいは、こくん、とうなづいた…。


仙石原渡辺荘の入り口で、日乃輪の伯父、渡辺政幸(わたなべまさゆき)が待っていた。

「ひい。」

政幸は、歳は六十を少し過ぎたか。総白髪の、品のいい老人である。日乃輪の実家…、左海の家では、正直貧乏しているのだが、伯父は商いに成功し、今や渡辺荘の長者である。「ひい」とか、「ひいちゃん」というのが日乃輪の通称であった。

「伯父上、どうして私が今日来る事が分かったのですか?出迎えていただけるなんて…。」

日乃輪はちょっと驚いて、あわてて馬から下りた。頭にかぶった笠を脱ぐ。るいは政幸にお辞儀すると、たたた…、と走ってむこうへ行ってしまった。

「いや、戦が始まってから、落ち着かんでな。毎日ここに来て、お前を待っとった。もう勧善寺は傷病兵であふれかえっとる。」

「ではすぐ、勧善寺へ…、」

「その前に見てもらいたいものがある。旅装のままで悪いが…、ちょっと丘へ登ろう。」

 伯父について荘へ入る。人々は田畑の仕事も手に着かないようで、立ち話などしているが、日乃輪を見ると、ひいちゃんだ、ひいちゃんが来たぞ、と声を上げ、走り出すものもいる。

おそらく勧善寺へ知らせに行ったのだろう。しかし「医者」の日乃輪を療養所になっている勧善寺へやらないで、見せたいもの、とはなんだろう…。

日乃輪が問いを発しかける前に、政幸がちょっと眉をしかめて言った。

「お前…、相変わらずそんな断髪にしとるんか。そりゃ、いいよる男もないなぁ…。」

日乃輪は年の頃十八、娘としてはすでに行き遅れだが、なかなかに見目は良い。髪を結い上げず、肩の辺りで切りそろえていて、尼僧のようだ。

しかし痛々しい印象はなく、かえって快活に見える。袴着も凜々しい。

「これぐらいの長さがちょうどいいんです。髪を結っている時間があったら、勉強するなり、薬を作るなり…、」

「ばあさんが生きとったら、なんて言うか…。」

「祖母は分かってくれますよ。」

 そうこう言ううち、丘のてっぺんに着いた。仙石原がよく見える…。豆粒のような人馬が入り乱れ、合戦を繰り広げているのだが…。

え…、日乃輪は我が目を疑った。その中心に、人の背丈の五、六倍はあろうかという、紅い小山が蠢いている。そんな馬鹿な…、あれは…、巨人ではないか…。

「最初にあれを見たもんは、誰でもその目をこすりよる。もっとよく見たいじゃろ。遠眼鏡を用意してある。」

日乃輪は政幸のさしだした遠眼鏡を、あわてて眼に当てた。紅い巨人…、と見えたものは、木の板や鉄板を貼り合わせて出来た、人工物だと分かる。巨大加羅久利(からくり)だ。

中に人が入って動かしているのだろうか…。しかし見れば見るほど良く出来ている。本物の人間のように、動作がなめらかだ。

それは四つん這いになって、手や足で人馬を踏みつぶし、時折口から火を吐いた。誰が設計し、どのように作ったのか…。

人工物だ、と確認したのに、その紅く塗装された木の板のむこうに、筋骨が透いて見えるかのような出来栄えである。

物部方の兵が、その四肢に鉤縄をかけて引き倒そうとしているのが見えるが、上手くいかないようだ。思わず「巨人」の動きに見入る日乃輪に、政幸が言った。

「冬月の殿さん、ご乱心の原因があれよ。『紅鬼(あかおに)』と呼ばれとる。事の起こりは…、冬月の殿さんの末の子の、信勝さんが熱病にかかったところからだなぁ…。」


 今から一年か、一年半ほど前…、冬月宗勝(ふゆつきむねかつ)の末子、信勝(のぶかつ)が熱病に倒れた。信勝は、宗勝が五十を過ぎてから出来た子で、眼の中に入れても痛くないほどにかわいがっていた。

方々から医者を呼びよせて、診てもらったが治らない…。体力を消耗し、命も危ないのでは…、と言われていた信勝を、流れ者の「医者」、赤城玄理齋(あかぎげんりさい)が完治させた。

宗勝は大いに喜んで、玄理齋に褒美を取らせようとすると、この流れ者は、冬月家に仕官する事を望んだ。可愛い末子の命の恩人である、宗勝は玄理齋に望みの地位を与えた。

こうして冬月家の「軍師」となった玄理齋は、主君、宗勝に紅鬼の設計図を見せた…。この巨大加羅久利があれば、秋津志摩統一も夢ではない、と…。

宗勝の胸に、はるかに年下の物部彰久に屈せざるを得なかった、かつての恥辱がよみがえった…。

天下統一、とまでは言わない、物部彰久を下して、中つ国の太守になりたい…。宗勝の許可を得て、紅鬼建造がはじまった。

 冬月氏が治める仙石原周辺の村々に、重税がかけられ、人足もかり出された。街道と海路にも勝手な通行税が設けられ、物流は大いに乱れた。

男手を取られて田畑も荒れる。村々の長者、名主は相談して、冬月の主家筋である物部氏に直訴した。

すぐに物部氏から冬月氏に対する詰問状が送られた。宗勝は叛意を隠して、物部の使者を饗応し、彰久に献上品を送った。「今、我々は物部氏の勢力拡大にとっても、重要な軍備を整えているのだ」と言い訳して…。

そんな事でだまされる彰久ではない。播磨方面を任せてある部下の、田所善助(たどころぜんすけ)に命じて軍備を整えさせ、冬月氏の居城、松丸城をかこませた。しかし紅鬼建造は、宗勝の肝いりで日に夜を継いで行われていた。

善助が主家の命令と、配下のごますりの間でうろうろしている間に、紅鬼は完成してしまったのである。そうして冬月氏はいよいよ謀反を起こした…。それが今年の初夏の事だという。


 政幸は渋い顔で言った。

「確かに紅鬼はすごい。見るもんを圧倒する。肝の小さいもんは、もう槍も刀も投げ出して逃げるわな。だがそれだけよ、なれりゃどうと言う事もない。」

日乃輪は紅鬼に興味津々で、まだ遠眼鏡を目にあてている。

「あれ一つ作るのに、どんだけの銭がかかったか、簡単には計算できん額よな。今の冬月の殿さんに、紅鬼を二つも三つも作る力はない。あんなもん一つで、物部の殿さん倒そうて…、無茶な話よ。」

日乃輪は…、しかし伯父の話しを聞いていなかったわけではない。政幸は商売で成功した人だから、冷静なのだろう。

世間知らずの殿様が、あの「大きな玩具」に夢を託してしまった気持ちも理解出来る。人体の構造を熟知した日乃輪が見ても、紅鬼の精巧さはまさに目を見張るものがある。

「田所の善助さんが頼りないんで、とうとう物部の殿さん直々に、この戦の指揮を執られると。今日明日にも着陣されるだろうよ。戦ももっと激しくなる…、ひいはちょうどいい時に来たなぁ。」

「へぇ…、美髯殿(びぜんどの)直々にですか…。」

人々は物部彰久の事を、「美髯殿」と呼ぶ。見事な髭をたくわえているそうで、偉丈夫、美丈夫の誉れも高い。知勇兼備を体現したような将だとか。ただ、冷徹…、とも言われる。

「人の手で作った物が、人の手で壊せない方はない…、とか申します。彰久様があれを捕らえたら…、中はどんな作りになっているのか、見させてもらいたいものです。」

「冬月の殿さんは、ほとほと馬鹿なお人よなぁ。あんながらくたこさえる銭があったら、領民に白い米やら餅やら、たらふく食わせてやる方が、どんなにいいか…。」

日乃輪はちょっと笑った。伯父の現実主義ぶりがおかしかった。

「では、先に勧善寺にむかいます。」

「ああ、馬で駆けてけ。後からぼちぼち行くわ。」

日乃輪はひらり、と馬にまたがる。八つで一度故郷を離れた…、それからは旅から旅への生活だった気がする。馬のあつかいもなれたものだ。


 寺まで駆けていくと、門前に人だかりが出来ていた。文字通り、首を長くして、日乃輪を待っていたのである。

「ああ…、本当にひいちゃんだ…。」

「ひいちゃん、よう来てくれたな!」

ひいちゃん、ひいちゃん、と人々の間から声が上がる…。日乃輪は再び下馬した。

「お出迎えありがとうございます。傷病人の状況は?」

「どうもこうも…、ここらには医者がおらん。ひいちゃんが作ってくれた薬草園も、宝の持ち腐れよ。坊さん達が、本見ながら、なんとかかんとか応急処置だけしとるが…。」

「病人は下り腹が多い。怪我人は、切り傷、やけど、骨折…、明らかに症状の重いもんは、お堂の中に寝かせとるが、それももう一杯よ。今は庭先まであふれとる。」

日乃輪は馬から薬箱を下ろした。

「薬はたくさん用意してきました。まず、怪我人には痛み止めを、下り腹にはこちらの…、」

指示しながらもう一つ荷を下ろした。日乃輪が手作りした、一風変わった布袋に収まっているが…、太刀だ。武士が持つような立派な太刀だ。日乃輪はその布袋を肩からさげた。

医療行為をしていく過程で、剣術もまた身につけざるを得なかった。骨折のひどい場合は、患部を切断するしかない…。斧で患部を断つと術後がよくない。旅の空での護身、と言うのは、まあついでだ。

 薬は荘の者に手分けして与えてもらう事にして、日乃輪は重傷者が多いという本堂の中に入った。寺の僧侶達に、いつ怪我した者なのか、どう言う手当てをしたのか、と言った事を聞きながら診察していく。

もう少し早く…、開戦前に来られればよかった…、とは思うが、日乃輪も武蔵竹浦でぼんやり暮らしているわけではない。

実家の家計を助けるため、薬を商いし、傷病者を診察し、また、自分の生い立ちを考えて、子どもに教育を施したりもしている。

しかし現金収入はほとんどなく、実質物々交換のようなものである。苦労しすぎて白髪が生えそうだ…、と思うが、まだ若いからか、髪は烏の濡れ羽のように美しい。

 

にわかに外が騒がしくなった。遠くで法螺貝の音が聞こえる…。ああ、美髯殿…、物部のお殿様が着陣されるんだ…、と思う間に、荒々しい馬の蹄の音が聞こえてくる。誰か、寺の境内に乗り付けてきたようだ。

日乃輪はむっとした。怪我人ばかりのこの境内に、馬で駆け込むなんて…、蹄で踏んづけてしまったら、どうするつもりだろう。

「なんだなんだ、傷病人ばかりか!辛気くさい!」

大きな声が聞こえる。日乃輪は本堂の外に出た。

「この程度の戦で怪我などするな!邪魔だ!どけ!」

背の高い男が、立派な馬から降りて、そばにいた怪我人を蹴飛ばした。

「も、申し訳ございません!」

怪我をした男が、そそくさと場を譲る。物部の重臣だろうか…。ずいぶん横柄な人だ。その男が日乃輪に気が付いた。

 男は月代をそらず、癖のある髪を長く伸ばして、頭頂で一つに結っている。立派な髭をたくわえているが、まだ若い、三十くらいだろう。なかなかの美男子だ。

戦だというのに武装らしい武装はほとんどしておらず、黒の筒袖の着物を着て、左胸に鷺の紋様の入った胸当てだけ当てている。ちょっとした傾き者だ。

「乱暴はおやめください。」

日乃輪は努めて平静を装って言った。

「ほう…、なかなか美しい女子(おなご)だ。この寺の者か?」

「違います、他所から来ました。左海日乃輪と申します。」

「いくつだ?」

「…十八です。」

「なんだ、ではもう所帯も持って、子どももいるのか。」

「…独り身です。」

男はじろじろと日乃輪を見た。

「ふん…、そのような断髪にして、女のくせに太刀まで持っている。こんな変わり種に、いいよる男がないわけか。」

こう言う反応は常の事だが、いつまで経ってもなれるものではない。日乃輪はつい不快さを顔に出す。思った事が顔に出てしまう…、日乃輪の悪いくせだ。

「まあいい、住職を出せ。」

「今ここは、野戦療養所です。責任者は私です。」

「は?何故貴様が責任者だなどと…、他所者なのだろう?」

「他所者ですが、私は医者です。」

「ははっ、女の医者など、聞いた事がない。冗談はたいがいにしろ。さっさと住職を出せ、ここを本陣にする。この傷病人どもをすぐにどけるのだ。」

「そんな…!私もさっき着いたばかりです、まだ全員の容態も把握していません!物部のお殿様がこちらをどうしても本陣になさると言うなら、せめて全員を診察させてください!今動かすと、命に触る重傷者もいるかも知れない!」

さすがに日乃輪が声を大きくする。その時再び慌ただしい馬の蹄の音が聞こえて、門前に二人の若侍が乗り付けた。若侍達は下馬すると大急ぎで髭の武将に駆けよって、叫んだ。

「も、物部彰久様、御着陣!御着陣!」

「遅いぞ!先触れが大将のあとから来てどうする!」

「し、しかし、殿の馬さばきがあまりに見事で…、とても追いつけません。」

若侍達がその場に跪く。え…、日乃輪は驚く。では、このちょっと傾いた髭武者が、物部彰久、その人だというのか…。

「彰久様!」

政幸が駆けよってきて、若侍達の後方にひかえた。

「おう、お主とは以前に会った事があるな。確か渡辺…、」

「渡辺政幸でございます。彰久様におかれましては、ご健勝のよし…、誠に祝着至極に存じ奉ります…。」

政幸がしきりに、目で日乃輪にも膝を折るよう促すので、仕方なく日乃輪もひかえた。

「渡辺の長者よ、この妙な女、自分を医者だなどと申しておるが、何か知っているか?」

「この者は私の妹の子…、姪でございます。訳あって、男子と同じように学問させました。医者と申すのは誠の事…、京と長崎で六年ほど学んで参りました…。」

「ふーん…。」

彰久は珍しい物を見る眼をして、日乃輪の周りをぐるりと回った。

「日乃輪とやら、無礼はわびなくて良いぞ、わしも名乗るのを忘れておった…。わしが、安芸物部家第五十二代当主、物部彰久である。どこぞの田舎者よ。」

うわ…、女にたてつかれた事を、本当は根に持っている…、と思ったが、日乃輪は黙ってさらに頭を垂れた。

「では話の続きだ。この寺を本陣にする。以前仙石原で戦になった時は、古川山に陣をしいたが…、色々不便だった。ここにする、すぐ傷病者を移動させろ。」

「ですから、すぐに動かすのは無理だと、先ほど申し上げたば…、」

日乃輪が反論しかけると、政幸があわてて言った。

「本陣でしたら、ぜひ我が家をお使いください!こんな荒れ寺より、何倍もきれいです!風呂もすぐわかしますし…、そうだ、物部の御殿様がおいで下さった記念に、米をふるまいます!蔵の米を、全部出します!」

「この近くか?」

「はい、もう目と鼻の先で!」

彰久はふん、と鼻を鳴らした。

「いい伯父を持ったな、日乃輪。行き遅れの、行かず後家でも、伯父に孝行できる事はあるぞ。まあ、医者だというならせいぜい励め。こんなつまらぬ戦で怪我をした馬鹿どもに、うんと苦い薬でもくれてやれ。」

彰久はひらり、と馬にまたがると、若侍の一人に命じて、政幸に馬を譲らせた。政幸が乗馬して先導しようとすると、思い出したように彰久が言う。

「そうだ、まずはあの紅鬼という物をよく観察したいな。」

「それならば、近くの丘にご案内します。ちょうど遠眼鏡を持っております。」

「うむ、良いぞ、さすがは渡辺の長者だ。この戦が終わったら、褒美を取らそう。そうだな、さしあたりは、お前の蔵の米の、倍…、いや、三倍の米を贈ろう。」

彰久は鷹揚に言いながら去って行った。日乃輪はため息を着いた。少し腹は立ったが…、中つ国十二カ国の太守としては、寛容なほうだろう…。

「ひいちゃん…、この寺には、冬月方の傷兵も入れとるが…、大丈夫じゃろうか?」

村人の一人がよってきて言った。それはこの春、伯父から手紙が届いた時、日乃輪が伯父に頼んだ事であった。怪我人は、別け隔てなく勧善寺に収容して欲しい…、と。

「言わなければ大丈夫ですよ。せっかく手当てしてもらって、食事も出るのに、自分から名乗り出る者もいないでしょう。」

日乃輪は立ち上がって膝をはらった。本堂にもどる。やるべき事はたくさんある…。


 全ての患者を見終わる頃には、日がとっぷりと暮れていた。各人の体調に合わせて、食事の内容も細かく指示した。傷病兵に粥などが配られ、手がすくと、日乃輪は薬草園にむかった。

それはほんの数年前…、そう、二年くらい前か。長崎で西洋医学をおさめ、伯父に無事、医学の基礎を身につけた、あとは実践あるのみである、と報告した際に、伯父に頼んで作ってもらったものだ。普段は伯父の家の使用人が管理してくれている。手持ちの薬はあらかたなくなってしまった。明日に備え補給しておこう…。

 提灯の明かりを頼りに、薬草を摘んでいく。ふと、何故麻酔作用のある薬草は、中毒性があるのだろう…、などと考えていた時だった。

「く、くせ者!」

「え…?」

いつの間にか数人の侍にかこまれていた。物部の警備兵のようだ。刀に手をかけて、日乃輪をにらんでいる。

「お前は何者だ!その血はなんだ!」

怪しい者、と言われれば、知らない人から見れば、日乃輪はこの上なく怪しいかも知れない。髪を結わない異装で、着物には怪我人を見た時に着いた返り血がかなり付いている。

何と言ったら納得してもらえるか…、まあ、最悪、本陣は伯父の家に置かれたはずだから、伯父に会わせてもらえば、身元の保証はしてもらえるのだが…。

「私は…、」

「なんだ、日乃輪ではないか。」

申し開きしようとした時、聞き覚えのある声がした。美髯殿…、彰久様だ。

「大丈夫だ、この者は渡辺荘の長者の姪だ。で、何をしている?」

彰久が馬で進み出てきて、下馬しながら問うた。

「ここは、薬草園なんです。手持ちの薬が切れたので…。」

「こんな夜更けにか?励めとは言ったが…、しかもひどいなりだな。」

「薬草を集めたら、夕餉にして、風呂に入って、それから薬の調合をしようと…。」

「は?まだ飯も食っておらんのか?しかも風呂のあと薬の調合だと?いつ寝るのだ?」

「まあ、明け方ですね。貧乏暇無し、と申しますから、これぐらいは…、」

彰久は大げさにため息をついた。

「一番隊、この女の指示に従って、薬草を集めろ。二番隊、三番隊は先に行け、わしはあとから追いつく。」

侍達が彰久の指示に従って動く。一番隊、と呼ばれた十数名ほどが、日乃輪の元に集まってくる。日乃輪が薬草の見本を渡し、自分も仕事にもどろうとすると、彰久に肩をつかまれた。

「貴様は少し休め。ほら、まんじゅうをくれてやる。ありがたく食え!」

「…ありがとうございます。」

実は日乃輪は甘い物が苦手だった。では酒のほうがいける口なのかというと、全くの下戸である。

甘い物も美味しいと思えない、酒も飲めない…、人生の半分くらい、損している気分だ。しかし中つ国の太守が、「ありがたく食え」と言うまんじゅうを、いらないとは言えない。

 彰久が何故か眉をしかめて、日乃輪をじっと見ている…。日乃輪はせいぜい育ちがいいように見せようと、まんじゅうを小さくちぎって食べた。実際の所は農家の子だが…。

間が持たず、日乃輪は口を開いた。

「殿自ら見回りですか?」

「…貴様と大差ない、どうせ眠れん。」

「戦で、気が高ぶっておられる…?」

「いや…、いつの頃からか、昼も夜も、眠くならなくなった。だから頭か身体か、どちらかはいつも働かせるようにしている。そうして夜が白む頃になって…、ようやく疲れを覚えて、少しうとうとするのだ。」

そうなのか…、自分の事と思って、貧乏暇無し、などと言ったが、失礼ではなかったか…。彰久が視線を薬草園の方にむけた。手燭を持った兵達が右に左に動いている。

「貴様は、何故嫁に行かん?その器量で、おまけに医術の心得もある、便利だ。並の娘のように、髪を結った事はないのか?」

「それが…、私、八つで人を殺しまして、故郷では、もののけ憑きと呼ばれております。」

「八つでか?何があった?」

「良くある事です、わずか八つの子ども相手に、意馬心猿の馬鹿者もいるもので。」

「そうか…、故郷は何処だ?」

「武蔵の、竹浦という所です。何もない、辺鄙な所で…、海ぐらいしかありません。」

「安芸もそうだった…。海縁に、苫屋が並んで…、魚の匂いがする…。今はずいぶんよくなったが…。まあ、宮島があるだけ、貴様の故郷よりはいいところだろう。」

武蔵は遠いな、と言う彰久を見て、日乃輪はふと不思議になった。中つ国の太守と、いくら医者とは言え、田舎者の農家の娘が、対等に話している…。

最初の印象は良くはなかったが、あんがい心の広い人なのかも知れない…。「冷徹」と言われるのは、戦のことか、政のことなのか…。

「殿も、独り身だとうかがいましたが…。」

「ああ、深い意味はない、なんとなくだ。」

日乃輪はまんじゅうを食べ終え、あらためて礼を言ってから、懐に入れておいた水筒の水を飲んだ。苦手な甘い物でも、腹に収まってしまえば、他の食べ物と一緒である。人心地ついた…、日乃輪はほっとした。

「…強いて言えば、まだ、家督を継ぐなどと思いもよらず、貧乏をしていた頃だ、恋仲になった娘がいた。お前のように器量好しではなかったが…、懐の深い娘でな、一緒にいると心が和らいだ…。」

彰久が髭をしごきながら、少し遠い目をして言った。

「最後に会った時、ちょっと風邪をひいたようだが、大丈夫だ、と言っていた…。しかしその三日後には死んでしまった。その事は、なんとなく引っかかっている。」

彰久が苦労人だと言う事は、日乃輪も聞いていた。確か生まれてすぐに母君を亡くし、五歳で父君も亡くし、家臣にだまされて父君から譲られた所領を失い、領民の情けでやっと生きていたとか…。だから彰久は今でも、領民に無理な税をかけないという。

「医者をしていても思います、人の生き死にとは、本当に分からないものだと…。昨日元気だった者が、次の日には突然亡くなったり…。かと思うと、事故で四肢を失った者が、這いずりながらでも元気に生きている。」

「そうだな、わしも父を亡くし、兄を亡くし、甥まで亡くして、今の地位にいる…。それで良かったのか、悪かったのかは分からない。それでも…、」

「それでも…、」

「やらなければならない事を、やるだけ…。」

彰久と日乃輪、二人の口が同じ言葉を紡ぎ出した。どちらからともなく、ふっと笑みがこぼれる。

そうだ…、もののけ憑き、と言われても、あの日自分を襲った男を刺した事、後悔してはいない…。彰久もきっと、父君に、兄君に、そして甥御に、何かしてやれる事があったのではないかと思う日もあるだろう。

しかし後ろばかりむいていたなら、今の彰久…、十二カ国の太守という地位は、つかめない。中つ国は非常に良く治まっている。

「今やらなければならない事は、あの冬月の紅鬼をなんとかしなければ…、だな。お前もあれを見たか?」

「見ました、誠の巨人かと思いました。良く出来ている。」

薬草摘みを頼んだ侍達が、日乃輪の元に集まりはじめた。充分な量が採れている。

「では見回りにもどる。医者の無養生と言うからな、貴様も気をつけろ。」

馬にまたがる彰久に、日乃輪は声をかけた。

「殿、よろしければこれをお持ち下さい。」

「なんだ?」

日乃輪のさしだした薬入れを、馬上の彰久が摘まみあげた。

「心を寛げる効果のある漢方です。私も頭が冴え過ぎてしまって、眠れない事がある…。私の、医の師匠、直伝のお薬です。」

「ふーん…。」

彰久は薬入れに入っていた丸薬を取り出し、しばらく眺めていたが、再び薬入れにもどした。

「渡辺の長者の姪だからと言って、お前の事を全面的に信用したわけではないぞ。せいぜい部下に飲ませて、安全かどうか確かめてから使うとしよう。」

彰久がにやりと笑う。日乃輪は苦笑した。

「それで結構です。」

はっ、と気合を入れて、彰久が馬の腹を蹴った。一番隊と呼ばれた侍達が、後について駆け出す。日乃輪はしばらくそれを見送ってから、両手に一杯になった薬草を持って、勧善寺にもどった。














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