第6話 ママドラゴン
わたくしは、その異変にすぐに気が付きました。巣穴近くの草原で翼を広げる練習をしていた息子ルシウスを中心に、地面に光が走り、巨大で緻密な模様が展開されていきます。
あれは……粗が目立ちますが、召喚の魔術陣でしょうか……?
誰かが不遜にもルシウスを召喚しようとしています。ですが、あの程度の魔術ならルシウスでもレジストできるでしょう。
なにも問題は無い。そう思っていたのですが……魔術陣がカッと輝くと、ルシウスは忽然と姿を消していました。
『あなた!』
わたくしは、すぐ隣を飛ぶ夫へと念話を飛ばします。
『こちらでも確認していたよ。一度戻ろうか』
夫の言葉に、わたくしたちは一度転移で巣へと戻ることにしました。
◇
『あぁ、ルシウス。いったいどこに行ってしまったの……』
いつも良い子で待っていたあの子の姿が見えない。ただそれだけで、胸が張り裂けてしまいそうなほど痛みを感じます。それほどまでにルシウスの存在はわたくしの心を掻き乱します。しょせん幻痛だと分かっていても、わたくしが痛みを覚えたのはいつ以来でしょうか……。
それでも、わたくしはまだ冷静でいられました。ルシウスには、万が一を考えてマーキングをしていたのです。子どもはよく突拍子も無いことをするとドラゴンたちに聞いていたので、念のため現在地が分かるようにしていたのです。
マーキングによると、ここから離れた大陸北西部にルシウスが居るようですね。きっと、わたくしからルシウスを奪った下手人もそこに居るのでしょう。
『さっそく向かいましょう!』
わたくしがルシウスの元まで転移しようとすると、夫に強制的に止められました。
『まぁまぁ、待ちたまえ』
『どうして止めるのです?!』
思わずわたくしの語気が上がります。
『この転移魔術は、本人の同意が無ければ発動しないタイプの魔術だよ。つまり、この転移はルシウスの同意の元、発動したんだ。ここはルシウスの意思を尊重するべきではないかな?』
たしかに、ルシウスの同意が無ければ魔術は発動しなかったでしょう。でも……。
『言葉巧みにルシウスを騙して同意を得たのかもしれません』
ルシウスはまだ生まれたばかりの赤ちゃん。騙すことなんて容易いでしょう。それゆえに、わたくしはどうしても心配してしまいます。
『そうかもしれないね。でも、なにも問題はないよ。考えてもみてくれ。私と君の息子であるルシウスを傷付けられる存在が居ると思うかい?』
夫の言葉に、わたくしは少しヒートアップしていた心の冷静を取り戻します。たしかに、夫の言うとおり、ルシウスを傷付けられる存在が居るとは思えません。しかし、何事にも例外が存在するとも云いますし……。それに、体は無事でも心に傷を負う場合もあります。やはり、一刻も早くルシウスを取り戻したほうが良いのではないでしょうか……?
『心配です……』
私の言葉に、夫が暢気に大丈夫だよと微笑みます。
『カイヤは心配性だね。じゃあ、こうしよう。これから私たちでルシウスを見守ろうじゃないか。そして、なにかルシウスに危険があれば助けに入ろう。それまではルシウスの意思を尊重しようじゃないか』
夫の言い分も分かります。しかし……。
『今すぐ連れ戻した方が良いのではないですか?』
『それだとルシウスの意思を無視することになってしまうよ。せっかく、あの子が私たち以外の第三者に興味を持ったんだ。あの子の気が済むまで遊ばせてあげよう』
わたくしもルシウスの意思を無視したいわけではありません。できれば尊重したい。しかし、なにかあってからでは遅いのです。わたくしの心は激しく揺れ動きます。ルシウスの意思を尊重すべきか、それともルシウスの意思を無視してでも連れ戻すべきか……。
思い悩むわたくしは、結局、夫に言い包められて、ルシウスの意思を尊重して、あの子を見守ることになりました。
『ルシウスを召喚したのは、人間のようだね。面白い種族に召喚されたものだ。ルシウスにとって良い刺激になればよいのだが……』
夫は人間のことを面白いと評しますが、わたくしにとって人間は愚かな種族と記憶しています。ルシウスのことが心配です。いじめられたりしなければよいのですが……。
ルシウスを召喚したのは、ブリオスタ王国の第一王女アンジェリカ・シド・ブリオスタ。王女が召喚したからか、ルシウスは今のところ丁重に扱われています。まずは合格でしょうか……。
『あのハーゲンという者。なかなかドラゴンの生態に詳しいようだね。頭も悪くない』
ブリオスタ王の信頼も厚いのか、ハーゲンという禿頭の老人の発案により、ルシウスを丁重にもてなすことが決定されました。突然我が子をわたくしから奪ったのです。わたくしの人間への印象は最悪を通り越して滅ぼしてしまいたいほど。ですが、ルシウスが望んで召喚されたということと、これからの彼らの態度次第では情状酌量の余地は残そうかと思います。
わたくしは、ルシウスを見守るのと同時に、彼らの動向も監視し始めました。
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