第20話 人のそんげん

 固い話になるが、日本国憲法第二十三条には、「健康で文化的な最低限度の生活」を国家が私たちに保障することが明記されている。


 こうした条文ができたのは、人間だれしも、いつどん底に落ちるかもしれないという現実があるからだ。


 いざとなったら国が面倒を見てくれるってことは、さあ安心と思うが、なにか、この最低限度の生活ということばは誤解されているような気がするのは思い過ごしか。


 言うなれば、自分としては、最低限度の生活とは生きるか死ぬかという状態であって、努力をして改善するべき生活ではないのかと思っている。


 だとすると、生きるか死ぬかという状態の幅が広いわけがない。


 なぜなら、救急車で運ばれてきた人に、命にかかわる部分への措置をすることが当たり前だが、すべての体力を心配して風邪薬と胃腸薬と頭痛薬などを一辺に与えることはない。


 つまり、その人が本当に求めているものに十分な措置を行って、精神的な安心を保障することこそが最低限度の生活の保障じゃないかと。


 ところが、生活の保障となると、なんでもバランスよくそろえてあげようとするイメージがあって、だいいち、限られた財源でそんなことをすれば、かえって、一つ一つが粗末になるに決まっている。


 そうなると最低限度の生活とは、粗末なものにも耐えて生きていく生活のように見えてしまう。


 人は環境への適応力は抜群にあるから、知らず知らずのうちに、向上心を失って抜け出せなくなるかもしれない。


 精神的な貧しさこそが、人の本当の貧しさである。


 狭いながらも楽しいわが家ということばがあるが、単身であっても、家族があっても、目標をもって精一杯努力する姿が幸福なのだ。


 本当の生活の保障とは、どんなみじめな状況になっても、国のお金で、本人のもっている能力を無料で伸ばし、他の人から、さげすまれるようなことがないように、人としての尊厳を保つようにしてあげるっていうことではないのかな。

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