04


とある世界の片隅。

人間エダイン・ウルグと魔族の間に戦争が起きていた。

逃げ惑う群衆は街から街へと押し寄せ、まるで筆でなぞる様に火薬の爆撃が追いかけていく。

襲撃された軍の屯所から命からがら脱出した半人狼族カムルイの青年ハンクは、武装した複数の人間に追い詰められ、切羽詰まった末に本来ならば絶対に空けてはならない次元壁に隧道バイパスひらいた。


《───逃げなければ、逃げなければ残る道は死のみ!》


人間達の執拗な火薬攻撃に火の粉を散らして燃え盛る街並みを背に逃げ惑い、もう何処にも逃げ場がなかったのだ。

やむ無くの次元解錠だった。しかし…それが悪く働き、ハンクは生じた負荷により未知の空間に弾き飛ばされた。


ドガアァァ…ッ!!

───ズザザザザァ……ドオ…ッ!


「ギャッ、ぐあっ! がっ、かはっ……」


生々しく血の滲んだ満身創痍の身体が、吹き晒されて硬い雪の上を転がり落ち、なだらかな窪みで漸く動きを止めた。


「ぐ…っ………ハア、ハア…かろうじて、生きている、か……」


ここは何処だろう。

言い表せない強烈な痛みに軋む身をもたげた彼の視界一面に映るのは、広大な雪原とその周囲を囲うようにして聳える険しく雄大な山脈。

未知の異世界とは思えないほど、穏やかで殺風景な景色が広がっていた

ゆっくりと起き上がろうと地面に手を着いた彼は、その時に初めて己が人型ではない事に気付いて驚いた。


そんなッグルルルッ!」


嘆きは言葉にはならず、口からは獣の唸り声が吐き出されるばかり。

──なんてこった。どうやら、隧道バイパスを拓くのにかなり大量の魔力を消耗してしまったようだ。

おまけに、軽いとは言えない怪我まで負っているから…完治まで更に時間がかかるだろう。

ならばこそ、どこか安全な場所に身を隠し、身体を休めなければなるまい。

ウンザリしながら、ハンク──白オオカミは満身創痍の身体で休息場を見繕うべくゆっくりとゆっくりと雪原に歩み出した。

雪に足跡を刻んで進むが、しかし…行けども視界を占めるのは雪景色ばかりで、身を潜められそうな場所は見当たらない。

朦朧としながら何度も立ち止まる内に彼はついに倒れ、力尽きた。

ゆるやかに日が暮れ、冷たい雪混じりの風がヒゲをそよがせていく。


「クウゥ…っ」

《クソ。───俺の命も、ここまでか…》


浅い呼吸を繰り返しながら目を閉じかけた一瞬、閉じゆく視界の端に銀色に輝く大粒の真珠を捉えたハンクは勢いよく飛び起きた。


《───こ、これはっ!》


迷わずに雪ごと真珠を飲み込む。

こんな場所にある理由は分からないが、自分以外の“誰か”が落とした濃厚な魔力の塊は満身創痍である彼にとっては天の助けだった。

ちなみに点々と散らばるこの真珠玉は単なる宝石ではなく、強力な魔力が凝縮された、いわゆる魔力石である。


シュウゥゥゥ────…!!


《───ああ、濃い魔力が沁みていく…》


たった1粒を飲み込んだだけでも、体内の大量の損傷が急速に修復されていく。

点々と転がっていた残りの魔力石を吸収したハンクは、苦痛からの解放に感嘆の深い溜息を漏らした。


「よし! これで、人型をとれるだけの魔力が充填された…」


だが、おかしい。魔力を帯びた世界線ならば、地に足をつけた時点でそれと分かるのに、どうやらこの世界には魔力が存在しないようだ。

ならば、この濃厚な魔力の塊ともいえる真珠は一体誰が生み出したのだろうか。


「これは、作成者を早急に特定する必要があるな…」


ハンク-白オオカミは遠く夕暮れに色づく山脈…穂積岳ほづみだけに鼻面を向けた。

どうやら山裾は温泉街らしく、集中すると嗅覚が周囲に漂っている鉱泉の臭気を拾う。


《それに、あの真珠の魔力は故郷では神とも等しく畏敬される“ある種族”のものだ。

こんな辺鄙な座標の末端世界に存在する理由を、確かめなければならないだろう…。》


傷が完全に治った訳ではないが出血は止まったので、ハンクは確かな足取りで雪路を歩き出した。




急峻を荒ぶ風の音は細く、雪を含んで甲高い。

此所、穂積岳ほづみだけはこの一帯の山岳の大半を占める起伏激しい山で、幾多の人や動物達の命を呑み込んできた死の山である。

だが、比較的勾配が緩やかな周辺山系は市民に親しんでもらえるように拓かれ、遊歩道をはじめ釣りができる緑地や子供向けのアスレチック公園が設けられている。

種類豊富な遊具が揃った公園の他、馬やヤギ・小動物を展示しているちょっとした自然施設があるにも関わらず、人の入りは極端に少ない。

閑古鳥すらも鳴かないその主たる原因、それは遊歩道の奥に鎮座する穂積岳が強力な威圧感を発しているからであった。


急峻が多く雑然とした地形のため計器類は狂い、そのため登山客は運が良くて遭難、悪ければ滑落死する。

これが、この穂積岳が“死の山”と言われる所以であった。

だが、決してそれだけが人を遠ざけている事情ではない。

磁場が狂っていて足場も悪く、そのうえ人目にもつき難いのを利用して、自殺する輩が後を絶たないのだ。

ゆえに地元民には元より、全国的に有名かつ最兇の心霊スポットとして挙げられることも要因の大半を担っていた。

まさに、最悪の二重苦である。

ハジマリがいつなのかは分からない。

それが、然るべき在り様だと肯定するように穂積岳は頑なに人の侵入を拒み、今日も相変わらず足許に広がる街並みを俯瞰しているのであった。

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