第一章 扉を開ければ違世界

(↑細かいですが、「違世界」=「いせかい」。タイトルのための造語なので軽く流してください。序章のような1章になってます。)





「今から考えると、異変は電気がチカッチカッと明滅した事だったかもしれません……。でも取り付けたばかりのLED電球だったので、妙だなと……」


 俯きながら話し始める男性客を、拓人たくとは眺めた。

 青崎貴志あおざきたかしさん。二十代半ばの会社員だという。服装はまだスーツ姿のままだ。膝に置いた両手はぎこちなく握りしめられ、顔色もくすんだように悪い。

「変だとは思ったんですけど……あまりにもそれが続くので、一応取り替えて……でもそれから週に一度は必ず明滅するようになって……。業者の方々にも見て貰ったんですけど、『全く異常は無い』と言われるばかりで……」

 対して、鬱々と語られるその話を黙って聞いているのが、男性の対面のソファーに座る長身の青年。

 店主、藤邑ふじむらさん。

 彼に会った人は、そのほとんどが何度も彼を見返す。

 ず目を引くのが、その髪だ。白と黒が交じっている。というより、ほとんど白んでいる。

 だが、何よりも目を惹きつけるのは、その圧倒的な美貌である。

 切れ長の瞳と端整な顔立ちは、ともすればきつい印象を与えそうだが、繊細さをあわせ持っている。

 あまりに整っているのでイケメンという言葉ではいまいちしっくりこない程の美形だ、と思う。黒ずくめのような服装でも埋もれた感じは一切ない。

 もっとも、此処に来る人は不安げだったり追い込まれていたりするのが大半なので、そのことをわざわざ口にする人はいない。

 男性の話は続いた。

「今も、電気はおかしいままなんですけど……そのうち、部屋の中で気配みたいなものを感じるようになって……。誰か人の気配のような……。何か、じっと……。でも俺霊感とか無いっていうかそれ迄一度も感じた事無いし……、ちょっとそういうのに敏感になってるだけだろうなって思ってたんですよ……。仕事の疲れだろうなって。……でも…………」

 下ばかり向いていた男性の顔が、少しだけ動く。

「……一週間前だったと思います。なかなか寝付けなくて起きた事があって……三時半頃でした……それ迄も色々気になって、寝不足続きではあったんですけど……その時は、ちょっと何か飲もうかってキッチンに立って……その……電気を点けた、瞬間にですよ。パッと点いたので何となく上向いた……天井に、巨大な人間みたいなのが張り付いてたんですよ」

 ごくりと、拓人は思わず唾を呑んだ。

 男性のくっきりとくまの刻まれた目が見開かれている。

「頭の巨大でかい、赤ん坊みたいな……ソイツが俺を見た気がして……いや、俺を見て、次の瞬間には消えたんですよ……。寝惚けてたとか夢見てたにしてはめちゃくちゃリアルで……もう色々おかしいことは分かってるんですけど、気の所為せいにしては随分はっきり憶えてて……でも、それだけじゃなくて……」

 ますます彼の顔が強張っていく。

「後々彼女に……あっ、度々泊まりに来てるんですけど、何気なくソレのこと話してみたんですよ……変な夢見てさ、くらいの軽い気持ちで…………そしたら、『タカくんも見てるの?』……って……あっ、彼女からはタカくんって呼ばれてるんですけど……俺の部屋に来てるうちに、実は彼女も変なのをはっきり見てたんですよ……」

 がくりと項垂うなだれると、憔悴しょうすいの空気が濃くなる。

「それから……おかしい電気だけじゃなくて、その変なモノまで度々目にするようになったんです……。それとなく調べてみたんですけれど、あの部屋で過去に何かがあった訳ではなさそうで……事故物件ではないらしいです……。でも、あんまり問い詰められないじゃないですか、悪質なクレーマーと思われそうで……。今は、彼女も部屋に来る事はなくて、俺も何度か友人のとこに泊めて貰ったりはするんですけど……戻ってみるとやっぱりおかしいんですよ、居るんですよ……見えるんです……」

 両手でぐしゃりと髪を掴んで、

「やっぱりあの部屋何かに取り憑かれてるんでしょうか。それとも俺が取り憑かれている? 俺がおかしくなってるんでしょうか? さっぱり原因も何も分からなくて──もうどうすれば良いのか……」

「……その不可解な事は」と、初めて藤邑さんが口を挟んだ。ほんの少し低くて、けれど取り立てて感情を滲ませない透明な声だ。

「御自宅の中だけで起こっているという訳ですね。行く先々でとか──仕事場の方では起きない?」

「ああ、そうですね……」

「彼女さんは貴方と同様にはっきりと

「はい……」

 それだけ訊いて、藤邑さんは再び黙った。少しの合間何事か考える様な沈黙を置いて、顔を上げた。

「分かりました。お引き受けしましょう」

「ほっ、本当ですか! どうにかできるということですよね!?」

「最初に説明しました通りお金は要りません。こちらは事態の解決が出来ればそれで良いので。では、実際に現場となる御部屋にお伺いしたいんですが、都合の宜しい日は何時いつになりますか? 早めの方が良いのは間違いないですけど。出来れば彼女さんや訪問者のない時に」

「……即日でも宜しいですか?」

「本日ですね。良いですよ。ではその予定で」

「あの……彼女とかが居ない時の方が良いってのは……」

「安全の為です」

 藤邑さんは淀みなく応える。

「もしもの場合皆さんが無事の方が良いでしょう?」

 一ミリもにこりともしなかった。

 その綺麗な顔で淡々と言い切られるのは物凄く迫力があった。

「…………」

 男性は沈黙を返した。

「では、こちらの方で準備しますので、少々お待ち下さい」



 男性が席を外したその部屋で、拓人はテーブルのカップを片付けながら藤邑さんにそっと、

「アタリ?」

「アタリだろうね。話を聞く限りだと影響はまだ広範囲化も深刻化もしてない様だから、『断章』のレベルとしては低いかも」

「あれで深刻化してないのかぁ……」

「とはいえ長引けば事態は悪化するだろうし、低レベルでも十分死に至るケースはあるけどね。

 ──それじゃあ、行こうか」




     ***




 店から十五分程離れた場所にある、築数年だろう五階建てのマンション。その階を一番上まで上がり、

「……此処が俺の部屋です」

 二部屋過ぎたところで立ち止まり、青崎さんが鍵を開けた。

 藤邑さんは玄関のドアを見ていたが、その表情に特に変化はあらわれなかった。「──始めますか」と独り言の様に言い、男性がドアを開けようとするのを留め、立ち位置を交替する。

 一度振り返ると、

「貴方は此処で待っていて下さい」

 指で示す。

「でなければ命の保障はできませんので」

 さらりと言い切った。男性の顔が引き攣る。

「終わったら戻って来ます」

「…此処にいれば安全ということですよね?」

「そうです」

 きっぱりと応えて、ドアへと向き直る。

 そして藤邑さんがドアを開けた。




 バタン──と後ろでドアが閉まる。

 入ったところで、二人は立ち止まっていた。

「……あれ?」

 拓人は思わず呟く。


 そこは玄関ではなくなっていた。


 1DKと聞いていたが、今目の前に広がっているのは、外観に不釣り合いな程に長いだった。

 天井の高さも幅も奥行きもまるで異なる、何処かの屋敷の中かと見紛みまがうような木造の廊下だ。

 そこが部屋だとは──だったとは──到底信じられないくらい、異様な光景だった。

「大分侵蝕してるねぇ……」

 慣れた様子で、藤邑さんが冷静に眺める。

「この様子だとわざわざ音漏れや物理的な破壊の被害とかは気にしなくて良さそうだ」

 おもむろに、一歩だけ前に出る。「じゃあ──やりますか」と左手を差し出し、すっと小さく息を吸うと、

「〈初めにげんがあり〉」

 ──ふわりと、何処からともなく一冊の本が手の上に現れた。

 黒い布張りの装丁の本。

 藤邑さんが「力」を使う為の重要なものだ。

 それを手に収めると、

「拓人は此処に居てね。『断章』の影響も拡がっているし」

「分かった」

「此処と外には被害が及ばないよう念の為の結界張っておくから」

「うん。……気を付けてね」

 微笑みながらひらりと右手を振った藤邑さんは、廊下の奥へと歩きだした。



 さして周囲に気を払わず、暗い廊下を通り過ぎた。

 何処にも明かりとなるものが見当たらないのだ。窓も無い。別の部屋へと通じるドアも存在しない。

 突き当たり。正面は壁となっていて、つまりは行き止まり状態なのだが、藤邑は左横を向いた。

「おやおや」

 言葉と裏腹に、淡白な声音。


 上へと続く階段があった。


 これは随分ともとの広さを無視して侵蝕の領域が拡がってるな、と思う。

 もう少し遅ければ──あの依頼者がまだこちらのもとへ来なければ──今頃彼の意識は無かっただろう。永遠に目覚めないという意味で。

 その本来あり得ない階段を、躊躇ためらうことなく登って行った。

『断章』の気配は上階からが濃い。

 足をのせる度にぎしぎしと軋む階段は二階迄で途絶え、やはり迷路の様に廊下が伸びていた。暗闇や一つもドアの無いところなど様相は一階と同じ。

 ──廊下の先は、何処へ繋がっているのか、左に折れていた。

 廊下の半ばで立ち止まる。

「……此処で良いかな」

 声に応えるかのように。

 掌の上の本が、ひとりでにページを捲らせた。

 ぺら、ぺら、と緩やかに流れていく。

 しかし、廊下には何の変わりもなかった。異常な程に長い通路が闇の中に伸びているだけ。

「『──彼はいつの間にか姿を消していた。』」

 閉ざされたような無音。──音が聞こえないのではなく、しない。

 ページはまだ捲れていた。

「『所在なげに佇むわたしの前に、その廊下は冷たく無機質に伸びていた。』」

 異変はない。

「『僅かの光も入らぬ古びた壁は、わたしを取り囲む為にあるかのようで落ち着かない。

  じっとこちらを監視しているようだ。

  

  それに全くの闇でないのはどういう事か?

  何者かがこの空間を作り出しているかのような違和感だ──。』」

 不意に、ページが止まった。

 異変はない、


「────────────────来た」


 視線の先の廊下は左に折れている。

 音が聴こえ始めていた。

 ……ダ、ダ、ダ、ダダダダダダダダダダダ──

 力任せに叩きつける只々暴力的な音が、震動とともに近付いてくる。

 直後、曲がりから出てきたのは巨大な赤ん坊だった。通路を埋め尽くさんばかりの巨体が、天井を壁をと異常な速さで這い進みながらこちらへ迫ってくる。

 その間、三秒。

 だが、藤邑は既に動いていた。

 本の背に手を添え、ページを下へ。それで指し示すかのように前へと腕を伸ばし。

「〈止まれ〉」

 告げた。

 ──その通りになる。

 眼前数センチのところでバァン! と音が響いた。赤子とこちらを隔てる光の壁が生まれたからだ。

 巨体はなおも光に突進し続け、口が開き、

 ──あああああああああああーーーー

 野太い叫びが空気を揺るがせた。そして僅かな間を置いて、

 新たに激しい音を立てて木材がぶち破られたのは、藤邑の真後ろだ。やたらと細長い人の手らしきものが床から突き出て、伸びて、藤邑を鷲掴もうとする。

「忙しないな」

 しかし、藤邑の顔に驚きはなかった。起こる事を分かっていたかのように。

「〈再び彼の声がして、〉」

 背後にも光の壁が現れる。

「〈全ての動きが止まった〉」

 光の壁がそのまま、それぞれの異形を囲い込む。同時に、絶叫も突進も、ありとあらゆる動きと物音がぴたりと鎮まる。

 本のページを仰向けて。

 藤邑の淡々とした声だけが紡がれる。

「〈終わりの前に夢と望みは消え落ちて、すべてのものに眠りが降りる

  あるべきものはあるべき場所に

  汝の名は──『グレースリーブの怪屋敷』

  ──終幕〉」

 本が、閉じられる。

 瞬間、ごう、と強い風が異形をそれぞれ取り巻いた。

 異形の姿は霧散して消えると、風は藤邑の前で一つの塊となって、徐々に勢いを弱めていく。

 やがて風の流れがほどけたそこに──光に浮かぶ、古い古い1枚の「ページ」。

 ぱしりとそれを掴むと、藤邑の身体全体が光の中に取り込まれた。

 一切の邪気の無い、澄んだ光だ。

 奇妙な浮遊感に包まれながら、藤邑は、手の中のものを見つめる。


「……予想はしてたけど、望み薄かな」




     ***




「それじゃあ──用意は良い? 始めるよ」

「……う、うん」


 依頼男性のマンション先から二人は戻ってきていた。

 閉め切られた部屋は、彼と応対した場所。今は藤邑さんの対面に、拓人が座っている。

 向かい合いながら、拓人はドキドキと緊張が隠せない。……もう何度も行ってきた事なのだが、やはり何時いつでも落ち着かない。

『断章』回収後はいつも。

 藤邑さんの手には、閉じた黒い本と、その上に重ねられた1枚の頁。

 本の天がこちらに向いているのを見て、拓人はこくっと頷く。

 そして、藤邑さんの瞼がそっと閉じられて、静かに息を吸い──

「〈その加護と恵みを。我らに在処ありかを願う〉」

 古い頁を、淡い光が包んだ。

 更にそこに記された文字の全てに、光が宿る。

「〈我らに示し願う〉」

 次の瞬間、光が溢れ、弾け飛んだ。

 光の粒となったそれらは、そのまま拓人の方へ流れてくる。

 きらきらと舞い降りる光景は見惚みとれる程に綺麗だが、長くは続かない。仄かに温かみのある粒子は拓人の全身に降り注ぐと、直ぐに消えてしまった。

 目の奥に眩しい残像が焼き付いた気がして、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、

「うーんと」

 きょろきょろ自分の姿を見回す。こっちかな、と拓人は右腕の袖をまくり上げた。

 ──腕の内側、肘上辺りから肩へかけてびっしりと、黒い羽根のようなものが覆っていた。

 まるで鳥の羽毛のよう、と思うのは簡単だが、風に触れてもいないのに時折それがさざめく様は、気持ち悪いので拓人もあまり見たくない。

 先の粒子の残りか、儚く漂っていた光が、その黒いものだけに煌めいていた。

 光はその箇所かしょへ吸い寄せられるように消えるも、刹那に強い輝きを発して、それとともに掌側から少しの範囲の黒いものがうっすらと消えていった。

 痛みは無い。きれいになった部分はもとの肌の色があって、そこに何かが付いていたという痕は見当たらない。

「おぉ……! 少し戻った!」

 対して、一緒に覗き込んだ藤邑さんはあくまでも冷静に息をいて、

「……やっぱり1頁程度じゃ効果は弱いね。最低でも4、5枚、一章分の頁数が必要か……。これぐらいだと直ぐに戻っちゃうし」

「でも、少しでも見なくてよくなるのは嬉しいし、体調も違ってくるからめちゃくちゃいいよ……! 有難ありがとう、藤邑さん!」

「そう? 拓人がいいならいいけれど……」

 いそいそと袖を戻すと、

「今回の『断章』って何だったの?」

「G・ハースの『グレースリーブの怪屋敷』だよ。もう絶版だね。この著者の作風は大体がホラーファンタジーを取り入れたミステリなんだけど、これも同じく。郊外にある古い屋敷では夜な夜な怪奇現象が起きていて……てやつ。主人公のライターがそこを訪れるところから話が始まるんだよ。今回のがよりにもよって怪奇現象にあたる頁だった訳だね。二階の書庫にもあるよ」

「分かった、読んでみる!」

 すぐさま頷くと、拓人はソファーから立ち上がった。




 もし、不可解な事象に悩まされていたら。

 坂守町の古町通りにある古書店を訪ねてみるといい。

 問題が解決するかもしれない。


 ──それが『断章』によるものであるならば。



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