9/3 ※ネタバレ注意 吉田修一『永遠と横道世之介』上・下


 残暑が厳しい二〇〇七年の九月。横道世之介は三十八歳のカメラマンとして、学校行事やファミレスのメニューなどを撮影する日々を過ごしていた。恋人のあけみがオーナーを務める武蔵野のドーミーで暮らす世之介だが、修学旅行で知り合って仲良くなった中学教師・ムーさんの引きこもりの息子・一歩かずほを、そのドーミーに受け入れることになる。

 毎日新聞で、二〇二一年から二〇二三年まで連載された、『横道世之介』『続横道世之介』(文庫本では『おかえり横道世之介』)と続いたシリーズの最終作。世之介が、あけみちゃんやドーミーの下宿人たち、元芸人の営業マンの礼二さん、書店員の女性の大福さん、山形から上京したての男子大学生の谷尻君たちと過ごす生活や、先輩カメラマンの南郷や後輩カメラマンの江原ことエバと働く様子を描いた一年間と並行して、余命宣告を受けたかつての恋人・二千花にちかとの二年間も断片的に語られる。


 これまでのシリーズよりも、ぐっと現代に近付いたので、私も知っている時代の空気を思い出せた。この年から、猛暑と言われだしたとか、ゆるキャラブームとか本屋大賞とか。元芸人の礼二さんが、「M-1では東北出身のコンビが注目されている」と語っていたのは、恐らくサンドイッチマンのことだろう……優勝した年がズレているけれど。

 ただ、読んでいると、これから起きるであろう様々な出来事を思い起こされてしまう。世之介の運命もそうだが、彼が仕事で巡った東北の海岸沿いの景色とそこの人々、作中で唯一の実在する人物のことなど、考えてしまうと、ずんと心が重くなる瞬間がある。


 それでも、そんなことは関係ないとばかりに、作中の時間はのんびりと進んでいく。美味しいものを食べたり、くだらない話をしたり、心地良い風に吹かれたり、重いもよらないトラブルも、日常のスパイスとして機能したりもする。そして、東京とは思えないようなご近所付き合いや、田舎から送られてくるみずみずしい食べ物の描写に、心がほっと温かくなる。また、世之介が久しぶりに再会した先輩と狭い居酒屋で近況報告しあっていると、周りの席の人たちが話に入ってくる、そんな繋がりに何故か東京らしさを感じた。

 また、世之介が出会った人たちとの縁をとても大切にしているのにもらしくてほっとした。同じ師匠に学んだ兄弟子の南郷が、大きな賞を採ったことをきっかけにモンスターと化し、世之介にきつく当たるようになっても、接し方は変えずに、むしろ彼の代わりにその母親に会いに群馬まで向かったりもする。また、本編中では亡くなっている二千花の両親にも、積極的に会いに行って、彼らの家に泊まったりもする。大学生から変わらない図々しさが可笑しくも、そのらしさがたまらなく好きだと感じる。


 地の文では、「この二十年で成長したものと言ったら、車の運転技術だけ」と酷い言われようだった世之介だが、彼の言葉の端々から、成長を確かに感じる。「この世で一番大なのは、リラックスすること」とか、自閉症のはとこが怖いと言われると「相手の目を見れば、気持ちが分かる」と話すとか、人生の最期の瞬間にどう思うのか問われた時の答えとか。余命宣告を受けていると、初めて二千花に告白された瞬間の世之介の対応も、はっとさせられた。ここまで至るまでの、知らなかった彼の半生も気になってしまう。

 これまでのシリーズでは、世之介の一年に挟まる形で、未来の登場人物たちが描かれていたのだが、今回は逆に時間軸が過去に遡る。それを知ると、世之介を囲んでいた奇跡のような巡りあわせを感じて、より、さりげない日常が美しく、眩いことのように感じられるのだ。


 最終章の「十五年後」では、もうずっと泣きながら読んでいたのだけど、一番最後に載せられていた世之介からの手紙で、また余計に涙があふれて止まらなくなった。私は、世之介の物語を読みながら、彼と一緒に同じ時間を過ごしてきたのだと思っていたのだけど、彼の本当の心には、まだ触れていなかったのだ。

 本作で、世之介にさよならを告げるのかと、読んでる最中は笑っていたけれど、ずっと寂しい気持ちを抱えていた。だが、読み終わった今は違う。言うのは、「さよなら」ではなく、「またね」だ。


 またね、世之介。私が東京に遊びに行ったら、また会おうね。
























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