第9話 秘密の庭(現ファン)

 子供の頃はよく近くの廃墟に遊びに行った。

 それというのもこのあたりの地域には、バブル期に建てられたいわゆる限界ニュータウンがあったのだ。子供の頃はまだそれなりに住んでいる人もいたようだが、大人になったいまではほとんど廃墟化しているらしい。かつて森を切り拓いて作られたニュータウンは再び森に飲み込まれようとしている。

 まあとにかく、そのうちの廃墟探検が遊びのひとつだったのだ。


 中でもお気に入りだったのが、その当時から森にすっかり飲み込まれた家だ。当時の作りにしてもかなり大きく、探検をするには一番だった。二階建てで部屋数も多く、どことなく西洋の館を思わせる作りで、日本の住宅しか見た事のない子供にはかなり新鮮に映った。リビングには暖炉もあり、その前に置いてあるテーブルと向かい合わせのソファも、いま思うと海外からの輸入品だったのではないかと思う。壁紙も薄緑のダマスク柄だったし、家具もアンティーク調だった。どれもこれも現実離れしていた。いま思うと廃墟とはいえ中は比較的綺麗で、あまり荒らされている様子がなかった。ほんのわずかに積み上がった埃に残るのは私の足跡だけだったように思う。

 そして何より、この家には秘密の中庭があったのだ。

 それは私がその家に探検に行き、部屋のひとつひとつを調べていた時のことだ。相変わらず誰か住んでいるような生活感は無かったし、周囲は森に囲まれているしで本当に廃墟なのは見てわかった。誰かの住んでいる家に入ってしまったのではないかという不安感と、好奇心とで私は満たされていた。そんなとき、一階の奥の扉を開けていないことに気付いた。今日はこの奥の扉を開けてみようと、ノブを回した。すると、急に明るい光が差し込んできた。あれっ、外だったのか……と思ったのもつかの間、そこには美しい庭が広がっていた。


 だれも手入れをしていないのは明白なのに、そこは花が咲き乱れ、レンガの道はガゼボに続いていた。ガゼボには白いガーデンチェアとテーブルが置いてあった。だれもいない庭園なのにもかかわらず、あまり汚れてはいなかった。錆びや土埃も無く、近くには桜が咲いていた。これほど見事な西洋庭園なのに、桜が咲いているのも不思議だ。周囲はレンガで囲まれていて、いましがた入ってきた扉以外に行けそうなところはなかった。たぶん中庭なのだろうと私は勝手に思った。

 それからここは秘密の庭になった。

 私はたびたびその家に入り込んでは庭に直行し、そこで時間を潰した。ときどきそこには鳥たちやウサギがいて、きっとどこかから入り込んだんだろうと思っていた。ウサギなど家の周辺では見なかったが、たぶん山の方にいるのだろうと思い込んでいた。私はウサギたちを可愛がっていたが、時折、彼らは私をじっと見つめることがあった。まるでここに居ることを監視されているようだった。そんなとき、私はなんとも言いがたい不思議な気持ちになったものである。

 そうして私は、どういうわけかここを秘密にしないといけない気がしていた。あまりに綺麗な庭があったなどと吹聴すれば親に怒られるだろうと思ったし、友人たちにも何故か言えなかった。言おうとすればあの時の鳥やウサギの目が、奇妙に脳裏に去来した。


 中学校にあがるくらいになるとそうした探検をする暇もなくなり、他県の大学に通って一人暮らしをするようになると、すっかりあの庭のことなど忘れていた。大学の近くで就職もすると、実家に帰るのは盆と正月くらいになってしまった。

「そういえば、ニュータウンが取り壊されるらしいよ」

 正月に帰ったときに、母から話を聞いてようやく思い出した。

 私はあの西洋風の家に美しい庭があったことを懐かしく思った。久々に出向いてみると既にニュータウンの取り壊しは始まっており、あちこち立ち入り禁止になっていた。せめてあの西洋風の家が残っているかどうか見てみようとしたが、森に侵食されきっていて、たどり着けずに帰ってくるしかなかった。滞在中にもう一度向かうことも敵わず、まだあるのかどうかさえ定かではなくなっていた。


 ふと不思議に思ったのは、あの当時、妙に庭が広く感じたことだ。庭の大きさが明らかに家と比較しても合わない。いくら私が子供だったからといっても限度はある。

 そういえば、あの中庭はいつも桜が咲いていた。

 季節を問わずだ。

 夏であろうが冬であろうが、あの中庭だけはいつも花が咲き乱れ、コートが無くても大丈夫だった。そしていつも明るく、曇りの日であっても優しい日差しが差し込んでいた。それだけじゃない。あの地域の周辺には、野生のウサギなど生息していなかった。学校や家からペットが逃げたという噂も聞かなかったし、あのウサギ達は一体どこからやってきたのか。

 そもそも、あの庭はなんだったのだろう。

 聞くところによるともう既に限界ニュータウンは行政の手が入り、場所そのものが無くなってしまったという。だからもう二度と確かめることはできないのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る