2-06 らいむの手ほどき

 それからもゆずは、客が来ない間は特訓に明け暮れた。

 トレーニングルームで、金属同士がぶつかる音が鳴り響く。ゆずが手に一本のナイフを持ち、それを勢いよく振り払う。目の前にはらいむがいて、同じくナイフを持ち、ゆずの攻撃を受け流していた。


「そうです。良いですよ。もう少し速く」


 広間の端には、はっさくとすだちとみかんもいて、二人の特訓を見守っている。


「はぁっ!」


 ゆずは両手でナイフを持ち、頭上から力を込めて振り下ろした。

 らいむはそれを、片手で持つナイフで受け止める。微笑みを浮かべ、腕を降ろした。


「よくできましたね。少し休憩しましょう」

「う、うん……」


 ゆずは肩で息をしながら返事をして、両手を膝の上に置いた。額から汗が流れ、床に零れ落ちる。

 一方のらいむは、汗ひとつかいておらず、涼しい顔をしている。


「昨日よりもナイフのさばき方がずいぶん良くなっています。その調子ですよ」


 その言葉を聞いて、ゆずはぱっと表情を明るくして顔をあげた。


「本当!?」


 褒められたことが嬉しく、声をあげた。横で見守っている三人にも視線を移す。

 すだちとはっさくとみかんは、それぞれ微妙な顔をしながら、互いに顔を見合わせた。


「が、がんばってるね~!」

「遅い」

「全然ダメでしょ」


 辛辣なコメントに、ゆずはガクッと肩を落としてうなだれた。


「こんなのでぼく、キメラの夢鼠を狩れるのかな……」


 今日はまだ青葉が来ていないから、正直な思いが口から零れる。キメラの夢鼠を狩ると言ったのは自分だ。けれども自分だけ変身ができない分、不安に襲われる。

 すると、肩に優しく手が置かれた。顔を上げると、らいむがゆずに微笑みを見せる。


「焦ってはいけません。ゆずにはゆずにしかできないことがありますよ」

「ぼくにしかできないことって、なに?」

「それは、なんでしょうね」


 曖昧な言葉に、ゆずの頭がカクッと傾く。

 それでもらいむは笑みを浮かべたまま、話を続けた。


「安心してください。私たちも、ゆずに協力しますから。いっしょにキメラの夢鼠を狩りましょう」


 らいむの言葉は心強く、ゆずの胸を軽くさせる。確かに、らいむたちがいれば、どんな夢鼠でも狩れる気がする。けれども同時に、後ろめたいものを感じて、ゆずは目をそらした。


「本当にいいの? ぼくが勝手に言ったことなのに……」

「いいんです。だって、私たちは仲間じゃないですか。仲間が助け合うのは、当たり前のことです」


 自分が仲間だと認められていて、ゆずはほっと息を吐く。視線を横へ移すと、はっさくとすだちとみかんは、また互いに目を合わせていた。三人とも硬い表情をして、なにを考えているのかわからない。


「さぁ、ゆずは少し休憩してください。無理は禁物ですよ」

「う、うん」


 らいむに肩を押され、ゆずは広間の中心から離れ、はっさくたちのいるほうへ歩いていった。


「はつ、手合わせをお願いします」


 代わってらいむは、はっさくを呼ぶ。はっさくはなにも言わずに、らいむのもとへ歩き出した。ゆずとすれ違い際、睨むように鋭い視線を向けてくる。


「よく見ていろ」


 はっさくはそう言って、ブレスレットを胸に当て、言葉を紡いだ。カフェの服装から漆黒の衣装に姿を変え、自身の翼から羽を二枚抜く。羽はたちまち、鉤爪へと形を変えた。鉤爪を両手に装着したはっさくが、翼を広げ、飛び立つ。らいむもブレスレットを胸に当てて真紅の衣装へと変身し、羽を抜いてナイフへと変化させる。両手にそれぞれ四本ずつのナイフを構え、はっさくを迎え撃つ。

 鉤爪とナイフがぶつかる音がしたと思った瞬間、二人の姿が消えた。


「み、見えない……」


 武器同士が激しくぶつかり合う音が響き、上空で火花が散って、ときおり投げられるナイフが壁や床に突き刺さるが、二人の姿は速すぎてゆずの目では追えない。

 呆然と前を見ているゆずの右隣で、みかんが肩をすくめた。


「まぁ、あの二人は異常だから。参考にしなくていいでしょ」


 左隣からはすだちがトコトコやってきて、「はい、どうぞ~」と白いタオルをゆずに渡した。それから首を傾げ、ツインテールを揺らしながらゆずの顔を覗き見る。


「ねぇ、ところでゆずは、なんで青葉ちゃんの記憶を消したくないの~?」


 受け取ったタオルで汗を拭いていたゆずの手が止まる。

 隣でみかんが、ブッと吹き出し、顔を背けた。

 それを見て、すだちは頬を膨らまし、話を付け足す。


「だってさ、マザーの言葉に逆らって、キメラの夢鼠を狩るって約束までしちゃったんだよ~? あの時オレ、ヒヤヒヤしてブルブル震えてたんだから~。どうしてそこまでして、青葉ちゃんの記憶を守りたいのかな~って」

「そ、それは……」


 言いよどむゆずに対して、みかんが半目を向けて口を開いた。


「私情を挟んでるだけでしょ」

「そ、そんなこと、ない……、けど……」

「それ以外になんか理由があるわけ?」

「そ、それは……」


 ゆずはおどおどと目を泳がせる。右にはみかんの呆れたような視線があって、左にはすだちのきょとんとした好奇な眼差しがある。

 ゆずは自分の右手首にはめられたブレスレットに、目を落とした。


「実はぼく、カフェに来る前の記憶がないんだ……」


 その言葉を聞いた瞬間、両隣にいる二人の目が、丸く見開いた。

 それに気づくことなく、ゆずは視線を落としたまま話を続ける。


「自分が今までなにをしてきたのか、全然覚えていなくて……。あったはずのことがなかったことにされるのが、すごく怖いんだ。だから、青葉さんには、そんな思いをさせたくなくて……」


 ゆずは、ブレスレットに付けられた輝きのない結晶を見つめる。もしかしたら、自分が変身できないのは、記憶にない自分がなにかしたせいなのかもしれない。自分がなにをしてきたのか、わからないこと自体が、怖くてしかたなかった。


「そっか、同じなんだね……」


 ぼそりと、隣ですだちの呟く声が聞こえた。

 どういう意味だろう。ゆずが首を傾げ、問いかけようとした時、遠くで「カランカランッ」とドアベルの音が鳴ったのが聞こえた。


「だれか来たみたいですね」


 らいむの声がしたかと思うと、広間の中央にその姿が現れる。首をひねって扉のほうを向きながら立ち止まっていると、目の前にはっさくの姿が現れた。鉤爪を上に掲げ、らいむを切り裂こうと振り下ろしてくる。


「よそ見をするな。俺を見ろ」


 ガンッと、らいむは両手の指に挟んでいるナイフで鉤爪を受け止めた。顔は扉へ向いているが、黒い瞳ははっさくへと向けられている。


「見ていますよ。いつでも」


 そう言って、微笑みを見せ、変身を解く。はっさくも身を引いて視線をそらし、同じく変身を解いた。


「お客さんかな! ぼく、見てくるね!」


 もしかしたら、キメラに取り憑かれた客かもしれない。ゆずはそわそわと落ち着かない様子で、扉のほうへと駆けていく。

 そんなゆずの後ろ姿を見ながら、残りの四人は目を合わせる。


「やる気があるのは良いことですね。私たちも行きましょう」


 らいむが微笑み、ゆずのあとを悠然と歩いていく。


「やる気だけあるのが困るでしょ」


 みかんが呆れ顔になってぼやいた言葉は、ゆずの耳に届くことはなかった。

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