1-07 ぼくは出来損ない

「青葉さんっ!?」


 ゆずが床に尻もちをつく。その上に青葉が倒れ込んできて、とっさに身体を抱きとめた。


「うぅ……っ」


 青葉は苦痛に顔をしかめている。脇腹を押さえている手にはくれない色がつき、服にもどんどんと色が染みこんでいく。


「青葉さん、しっかりして! 青葉さん!」


 ゆずは必死に声をあげ、青葉の背をさすった。

 その時、気配がしてハッと顔をあげる。エントランスの前まで、夢鼠がやってきていた。エントランスには屋根がついているため、そばまではこないが、ゆずたちに黒い目を向けて狙いを定めている。また針を発射する気だ。


「くっ……!」


 ゆずは震える足を無理やり立たせ、青葉の手を肩に回した。直後、夢鼠からまた数本の針が飛ばされる。ゆずは近くにあったトイレへ、青葉とともに飛び込んだ。

 トイレの入り口は直角に曲がっているため、針は入り口の壁に突き刺さった。

 ゆずは洗面所の手前で、青葉を床に座らせる。以前、青葉の顔は苦しそうにゆがんでいた。


「どうしよう……。まずは、手当てしないと……」


 ゆずはおどおどと辺りを見回して、自分の腰に巻いていたエプロンをほどいた。タオル代わりに、それを傷口に押し当てる。

 青葉がうっすらと目を開き、ゆずの顔を見た。


「ねぇ、ゆず……。ゆずだけでも、逃げて、いいよ……」


 ゆずは目を丸くして、青葉と顔を合わせる。


「わたしが……あのハリネズミの、注意を引いて……、囮になるから……。そのあいだに……ゆずは、扉から……、カフェに戻って……」

「でも、そんなことしたら、青葉さんが……」


 傷口はまだふさがらず、押し当てたエプロンに色が染みこんでいく。

 青葉は顔を青くしながら、弱々しく言葉を続けた。


「大丈夫……。だって、これ、夢なんでしょ……? 死んじゃっても、夢が覚めるだけだよ……。だからお願い……。わたしは、ゆずだけでも……助かってほしいの……」


 ゆずはなにも言えず、青葉の顔を見つめた。徐々にその顔が険しくなり、両手を握り、震え出す。青葉から目をそらして、首をすくめた。


「ごめんなさい……」


 出てきたのは、謝罪の言葉。

 込み上がってくる感情を堪えながら、絞り出すように言葉を続ける。


「ぼくが、ひとりでなんとかしてみせるって、思ったばっかりに。青葉さんを危険な目に遭わせてしまって、傷つけてしまって。あの時と同じだ。ぼくは迷惑をかけてばっかりだ」


 ゆずの頭によみがえってきたのは、先日、自分のせいで仲間に怪我を負わせてしまった記憶。あの時と、今の状況が重なる。

 膝の上には、握り締められた右手がのっている。その手首にはめられたブレスレットについている輝きのない結晶。それを見つめる視界が、しだいに涙でぼやけていく。


「やっぱりぼくは、出来損ないなんだ……」


 呟き、目を閉じる。視界は真っ暗で、思考も暗い闇へ沈んでいく。たまった涙が、目尻からこぼれ落ちかける。


「そんなことないよ」


 その時、優しい声が、目の前から聞こえた。

 ゆずが目を開けると、そこには、笑みを浮かべる青葉がいた。


「だってゆず、わたしの腕にとまってくれたじゃない」


 昼間、ふくろうカフェで青葉が、何度も名前を呼んでくれたことを思い出す。

 慣れない場所で、どうしていいかわからず、棚の隅に逃げ込んでいた。だれも自分なんかに目をとめてくれはしなかった。けれども、青葉だけは違った。初めて自分をご指名してくれた。温かな声で、何度も呼んでくれた。

 あの時と同じ、温かな手がゆずの頭をそっと撫でる。


「今はできないかもしれない。けれども、諦めなければきっとできるはずだよ。だから、ゆずは出来損ないなんかじゃない」


 ゆずの胸に抑えきれない感情が膨らみ、喉へとせりあがってくる。零れかけた涙を手で拭い捨て、顔をあげる。片手はエプロンで青葉の脇腹を押さえたまま、もう片方の手で青葉の両手をきゅっと握った。


「ぼくは、青葉さんを守りたい」


 その表情は、さきほどまでのおどおどしていたものとは違う。しっかりと前を向き、青葉の瞳をまっすぐに見つめている。握った手に力がこもる。

 その時、建物が揺れ、外でなにかが落ちる音が響いた。ゆずは立ち上がり、外の様子をうかがう。夢鼠が建物に突進を繰り返し、天井を崩しながらこちらへ近づいてくる。


「青葉さん、立てる?」

「うん、少し楽になったよ」


 青葉はエプロンを包帯代わりに結び、立ち上がる。少しよろけるが、ゆずに身体を支えてもらった。


「行こう。ぼくは腹をくくったよ」


 ゆずはそう言って、青葉の手をしっかりと握る。

 青葉もゆずの真剣な表情を見ながら、手を強く握り返した。


「でも行くって、なにか打開策を思いついたの?」


 そう訊いた瞬間、ゆずの真顔がちょっと引きつる。


「いや、全然……」


 その言葉に、青葉の首が思わずカクンッと傾く。

 ゆずはトイレの出入り口まで来て、夢鼠の様子を覗きながら、頭を必死に掻きむしった。


「うーん、どうしよう……。どうすればいいんだろう……。青葉さんを守りながら、なんとかあの夢鼠を……。うーん、せっかく腹をくくったのに!」


 叫んだ瞬間、ゆずの動きが止まった。


「ゆず? どうしたの?」

「そういえば、あの夢鼠って、お腹には針がないんだよね?」


 夢鼠は建物を壊しながら、徐々に二人へ近づいてくる。

 青葉はゆずの背後からちらっと夢鼠の様子をうかがい、眼鏡の横を押し上げた。


「うん。ハリネズミの針は毛の一部が硬くなったもので、おもに背中や頭の上に生えているの。お腹は柔らかい毛に包まれていて、硬くはないみたいだよ」

「だったら、お腹に攻撃できれば、ぼくでも倒せるかもしれない!」


 そこまで言って、ゆずは再び頭を掻いた。


「でも、どうやってお腹を出させればいいんだろう? 今のぼくたちじゃあ、近づくこともできないのに……」


 夢鼠はもう、トイレの壁まで迫ってきている。

 ゆずはいったん考えるのを止めて、ここから出ようと青葉の手を引く。

 けれども逆に、青葉に手を引っ張られ、止められた。


「ねぇ、ゆず。わたしに考えがあるの」


 青葉の頭の中にあるのは、昼間のふくろうカフェでの何気ない出来事。店員が青葉に差し出してくれた、串付きのキャンディだった。

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