ザクロを喰らう男

ダチョウ

美しい人を穢してしまうことを許して欲しい

第1話

「トメキアカネです」

 ホテルの小ホールの出入り口には、訪れた人の名前を確認する受付用の机が設置されていた。受付担当の女性は赤ペンを持ったまま、机の上の名簿から視線を上げて声の主である僕を見る。

「あっ、郵便書留の留に木で、留木トメキアカネは……木へんに石です」

 僕はほとんど前髪に覆われた視界の隙間から、女性の様子を覗いた。

 女性は「あぁ、はいはい」と面倒くさそうに、名簿の『94 留木柘』の番号に赤ペンでチェックをつける。やっつけ仕事のように付けられた赤チェックは、留の字にはみ出していた。

「セイジンオメデトウゴザイマス」

 女性の言っている言葉が『成人おめでとうございます』だと変換するのに、少し時間を必要とした。抑揚のない平坦な言い方に、ロボットのような女性だと思う。

差し出された造花のコサージュを胸につけて、小ホールに足を踏み入れた。

第一ホールという名前がついてはいるが、ここ以外このホテルにホールと呼べるような部屋はないし、この部屋もホールと呼べるほど大きな部屋ではない。オレンジと赤でよく分からない模様をつくりだすカーペットが床一面に敷かれていて、所々赤黒いシミができている。小学校の体育館より少し小さいくらいの、ただの部屋だ。

 二つの路線が交わる駅が近くにあるだけの、ギリギリ繁華街を名乗って許されそうな街。そこにあるホテルなんて、こんなものだろう。むしろよくホテルがあったものだ。

 ステージというには申し訳ない、床から一段上がっただけの簡易な平台が部屋の奥に設置されている。その上には『第五十八期卒業生同窓会』と同窓会には似つかわしくないポップなフォントで書かれた看板が、天井から静かにぶら下がっていた。

 そのステージのすぐ横に、ひょろりと細長い枝のような男が立っている。

手島てじま

 僕が声をかけると、手島は振り返ってグラスを持っていない方の手をヒラヒラと振る。

「柘、遅かったな」

「手島が早いんだよ。今みんな着いたタイミングなのか、入り口が混んでた」

 手島は「ふーん」とだけ言うと、すぐ近くのテーブルに並ぶグラスを一つ手に取り、僕に差し出す。グラスの中で揺れる人工的な赤色の液体は、どこか血を薄めたような色だった。

「安モンだ。あれだけ高い参加費払って、だぜ?」

 手島からグラスを受け取り、一口飲んですぐに、僕は眉をひそめたまま手島にグラスを返す。

「な?」

「いや、それ以前に僕、こういう作られたいちご味がダメなんだ」

 手島は「そうだったな」と言って笑うと、使用済みグラスの置き場に、自分の空になったグラスと一緒に置いた。

「……おおかた、あいつらが参加費を横領してんだろ」

 手島はその長身を折りたたむように身をかがめて、僕に耳打ちする。

 彼の目線は、部屋の中央で固まる七人組に向けられていた。見た目は微妙に変わっているが、この学年で七人組といえば彼らしかいない。何よりリーダー格の彼が発する巨大な笑い声。耳をヤスリがけされているような独特の不快感があるのは、昔と変わっていなかった。

「さすがは政治家の息子だぜ。手癖がお悪いことで」

「手島も、政治家の息子だろ」

 僕が半笑いで言うと、手島はべー、と舌を出した。

「口直しがしたい。新しい飲み物もらおう」

「そうだな」

 手島と一緒に新しいグラスを手に取る。今度はいちご味のしなさそうな、シャンパンゴールドのドリンクを選ぶ。

「はは、やっぱ安っぽい味。これなら水にすりゃよかった。味を気にしないで済む」

 手島は一口飲んで、そうつぶやいた。僕も一口飲んでいちご味がしないことを確認すると、そのまま二口ほど飲む。

「柘」

 手島は眠たげな目を不意に鋭くすると、顎で七人組の方を見るように促した。僕が目線を動かすと、彼らがこちらに向かって歩き出しているのがわかる。

「楽しいクソ同窓会が始まるみたいだな」

 手島はそうつぶやくと、グラスを傾けた。

 七人組の声が近づいてきて、僕らはステージから離れる。彼らはそんな僕たちに気がつくこともなく、自分たちが世界の中心のようにステージへと上った。

 ホテルのスタッフの人からマイクを奪うように受け取って、リーダー格の彼は「あ、あ」とマイクテストをする。

「えーっと、お集まりのみなさァん」

 部屋にいる人のほとんどが、一斉に彼に視線を向ける。彼はその視線を浴びて恍惚の表情を浮かべると、話を続けた。

「今日はご足労いただきまして、どうも。短い時間ですけど、私たち同窓会委員で頑張って企画したんで……なんだっけ?」

 彼が振り返ると、後ろの六人は笑ったり続きを教えたりと、各々楽しげな反応をする。楽しそうなのは、彼らだけだった。冷めきった目線に、彼らはまったく気が付かない。

「あぁ、そうそう、ね。ビンゴとかも企画してるので。中学高校時代の思い出話に花をさかせて、ぜひ最後まで楽しんでください」

 後ろの六人が拍手をしたり指笛をするのに合わせて、パラパラと拍手が湧く。手島も僕も、なんの意思もなく拍手をして、なんの意思もなくぼんやりと、彼らを見ていた。





「ゴミみてぇな同窓会だったな。あれならドブに金捨てた方がマシだわ」

 手島はホテルから駅までの帰り道、白い息を吐きながら吐き捨てる。

「結局ビンゴもダメだった。手島惜しかったな。リーチしてたのに」

「ビンゴになったって、もらえる景品カスだったろ。本気の粗品とか、笑えねぇ。参加費の四割はアイツらの懐だろうな」

 駅前の街路樹は瑞々しい葉の代わりに、イルミネーションを纏って整然と道路横に立ち並んでいた。

 飲み屋に楽しそうに入っていくグループが目にとまり、手島のほうを見てみる。手島は僕の視線に気がつくと、コートのポケットから手を出して腕時計を見た。

「お兄さん、まだ八時ですけど……口直しに、どうですか?」

 手島は、おどけて言った。

「もちろん、よろこんで」

 僕らは適当な居酒屋を見つけて入店する。いかにも大衆居酒屋といった風合いで、あちこちから爆発のような笑い声が聞こえた。

 壁を埋め尽くすように貼り付けられたビールのポスターを横目に、メニューに目を通す。

「とりあえず俺ハイボールかな」

「ファジーネーブル」

 手島はメニューから目線だけ動かして、僕を見る。

「なんだよ」

「甘党だよな、お前」

 彼はそれだけつぶやくと、「あとテキトーに頼むぞ」と言って、その薄い身体の割に大きな声で店員さんを呼んだ。適当に注文するといいつつ、しっかり僕の食べられるものを頼んでくれるあたり、さすがは歴の長い友人だと思う。

 僕と手島は、中高一貫の男子校で出会った。手島と留木で、前後ろの出席番号だったことをキッカケに話すようになった。

お互いにあの学校の空気感に馴染めなかったこともあって意気投合し、こうして仲良くしている。

 学校は俗に言うお坊ちゃまが通うような、金持ち向けの自称進学校で、気取った連中ばかりだった。そんな中で政治家の息子でありながらそれをひけらかしたりしない手島に、僕は好感を持っている。

 ひけらかすというより、そのことを彼はむしろコンプレックスとまで思っていそうだけれど。

「そういえば、柘。どうなんだ?」

「なにが」

 手島は広げたメニューを片付けて、おしぼりで手を拭く。

「大学」

「あぁ、楽しいよ。普通に」

 僕もつられて、おしぼりで手を拭いた。

「親父さん、理解があって良かったよな。柘は医大には、いきたくなかったんだろ?」

「うん」

 あっけらかんと笑う手島に対して、僕は笑ってみせる。

 だが、上手く口角が上がらなかった。そんな僕を見て、手島はわずかに表情を曇らせる。

「……そりゃ、おふくろさんはアレだけどよ。でもお前の人生はお前のもんだし、間違ってないと思うぜ?俺は」

 僕は「ありがとう」とこぼすと、必要以上に丁寧におしぼりを畳んで、机の隅に置く。タイミング良く店員さんが注文したドリンクを持ってきた。

僕はこれ以上この話で暗い顔をするのを見せたくなくて、ほとんど奪うようにファジーネーブルを受け取った。

「ほら!飲も飲も。成人祝い」

 手島に似た細長いグラスに入ったファジーネーブルを、彼の目の前に出す。彼は一度肩をすくめると、ジョッキを僕のグラスに軽く音が出るくらいに当てた。

「そうだな、成人おめでとう」

 手島はそれだけ言うと、一気に半分ほど飲み干した。

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