第35話 しんじてるから

 校舎内に侵入し、そっと窓を閉める。一階の男子トイレの窓は、俺たちの期待に反して、ギィ、と錆びた音を出してしまった。


 俺が通っている学校は、三年生が一階におり、目的の二年生のクラスは二階にある。トイレの押戸をそっとあけて廊下をのぞいてみると、生気を失った表情をした生徒たちが、あちこち徘徊していた。


「ヴェリスやばいぞ。パトロール用に生徒を巡回させてやがる。下手したら全校生徒と職員が相手になるんじゃないのか」

「ふむ……。いや、始祖たる真祖様であれば町一つほどの人間は操れるだろうが、ハーフであるダンピールにはそこまでの力はないはずだよ。きっと各階に数名配置してあるぐらいだろう」


 ヴェリスは自分なら学校全体の催眠が可能だけどね、と付け足す。

 なるほど、生まれによって能力に上限がある感じなのか。妖怪の世界も世知辛いな。だが、今は事態が少し好転する情報になったので、喜ばしい。


「で、どうすんだあいつら。言っちゃあなんだが、俺は喧嘩とかしたことないから、肉弾戦は厳しいと思うぞ」

「僕がやるさ。ミオ君は背後を守ってくれればいいのだよ」

「お前が殴ったら相手が粉末になっちまうんじゃないのか? 手加減してやってくれよな、マジで」


 軽くウインクを返され、俺は若干引いたが、ヴェリスもここで虐殺マンになるつもりはなさそうだ。

 もしかしたらかっこよく手刀を首筋に落としていくのかもしれない。


「見張りは三人か……戦略は流れる水の如く、近場から攻めていくものだ。目標をノッポ・大仏・パパ活と呼称しよう」

「かなり酷すぎじゃないかな。まあコールサインだからセーフにしとこう。で、行くのか」

「ああ、出撃だ」


 僅かに開いていたトイレのドアから見た限り、先ほどの呼称順に遠くなっていく配置だ。最初の標的はノッポ先輩になる。


 にゅるり、とか、するん、とかの擬音がしそうな動きだった。

 ドアを開け放ったヴェリスは、後ろを向いているノッポ先輩に近づき、その首筋に――。


「とりゃあああああああっ!!」

「ブッ!!」


 フライングクロスチョップをかました。しかも奇声と一緒に。

「ばっかやろ、なんでそんな大技出すんだよ! しかもうるせえし!」

「いや、つい……」


 チョップを受けたノッポ先輩は微動だにせず、ゆっくりと振り返った。

「おい、効いてないぞ。手加減しろとは言ったけど、流石にノーダメは想定外すぎないか?」

「おかしいねえ、人間一人を気絶させる程度に力を絞ったんだけどなあ」

 

 そんな漫才をやっている間に、ノッポ先輩、大仏先輩、パパ活先輩が集まってきた。どうやら一階の兵力はこの三名だけのようだ。各教室から増援が出てくる気配もない。


「これ絶対上の二人に気づかれただろ。どうすんだよ」

「どうもダンピールちゃんの力で、身体強化が成されているようだね。だったら少し僕も妖力を使うことにしよう」


 ハアッ、という掛け声とともに、ヴェリスの体の一部が隆起する。

 無論、腕の筋肉だぞ。


 某世紀末救世主漫画のように、制服の両腕部分が破れ、かなりアンバランスなシルエットがあらわになる。

 細身の体に両腕だけ肥大した状態だ。見ようによっては不気味極まる。


「はあっ!」

 裂帛の気合の声と共に、ヴェリスが強烈なラリアットをノッポ先輩に食らわせた。

 そのままボウリングのピンのように吹き飛び、後ろにいた大仏先輩を巻き込んで倒す。


 俺はというと、パパ活先輩に襲われていて、相手の両手をかろうじて抑え込んでいる状態だった。


「ヴェ、ヴェリス、勝ち誇ってないでこっちも何とかしてくれ!」

「おっとそうだった。自分の雄姿に見惚れていたよ」

 

 アホなことを抜かしつつも、ヴェリスはそっとパパ活先輩の首筋を押さえ、気道を止めて気絶させる。

 部分だけみればアサシンのようでカッコいいのだが、いかんせん一人倒すたびに鬱陶しいポージングを決めている。


「助かった、流石にここに寝かせておくのは忍びないから、端っこに寄せて……と」


 これからが本番だ。

 斥候役を通じて、二階にいるハンターペアには様子が伝わっているかもしれない。

 速攻で行くのか、それとも再び隠密行動をするべきか。相手の力量が不明なので、取りうる選択肢は非常に少ない。


「あ……」

「どうしたヴェリス。おい、両腕が元に戻ってるぞ。それに心なしか足元がフラついてるようだが」

「血が……足りない……んだ。どこかで補給をしなければ、妖力を使うのが難しいようだね……」


 いわゆるマジックポイントが尽きた状態か。割と燃費が悪いな、吸血鬼。

 あ、そういえば輸血パックを持ってきてるって言ってたような。


「ヴェリス、例のアレ、輸血パックはどうした」

「僕はオーガニック派を目指しているんだけどね。まあそんな贅沢はさておき、パックはアマリエが管理している。今は手元に何もないんだ」


 そうしてヴェリスはチラリと、気絶しているパパ活先輩を見やる。

 吸うのか、ここで。俺はそれを見過ごしていいのか。


「怖い顔しないでくれよ、ミオ君。言っただろう、補充の宛てはあるって」

「それが人間を傷つけないことを願うんだがな。で、どこに行こうとしてるんだ」


 ヴェリスは再び侵入してきたトイレに向かって歩いていく。

 確かにここでは騒ぎすぎた。下手したらクルースニクのデカブツが降りて来てもおかしくない。貧血状態のヴェリスと一般人の俺では、まとめて粉砕されてしまうだろう。


「ミオ君、こっちだ。手伝ってくれ」

「ああ、わかっ――おい、どこ行くねん」


 ヴェリスが手をかけているのは『女子トイレ』の押戸だ。

 人さし指を立て、しっという風に沈黙を促してくる。

 敵……だろうか。何やら真剣な表情に、俺も背筋が凍る感覚を味わっていた。


「少しそこで待っていてくれたまえ。ちょっとした仕掛けをしてくるよ」

「策ってやつが。よし、わかった。その辺に隠れてるぞ」


 キィと音を立て、ヴェリスは女子トイレの中へと入っていった。

 その音と入れ違いに、二階から重厚な足音が聞こえ、階段を下りてくる気配を感じた。例のデカブツ……クルースニクが出陣してきたのだろうか。


 くそ、どうすればいい。

 俺は武器になりそうなものを探すが、昇降口の傘ぐらいしかめぼしいものがない。

 ラノベじゃあるまいし、まさか学校に本物のハンターが襲撃するなんて思ってはいなかったのだから、どうすることもできない。

 素直にヴェリスの秘策を待つのが吉だろう。


「吸血鬼の臭いが――濃いな」

 大男のクルースニクは鼻をヒクつかせて、辺りを窺っている。

 着ているものは学校の制服だが、その威圧感は戦い慣れたもののそれだ。

 茶色いドレッドヘアと、黒い瞳がらんらんと光る。体は、無駄なく鍛えられた肉体があるだろうことは想像に難くない。


「やあ、待たせたねミオ君」

「出たな、異端者め」


 笑顔でトイレから出てきたヴェリスは、瞬時に瞳を赤く変化させた。


「これはこれは……お早いお着きで」

 軽口に対して、クルースニクは背中にしょっていた鞘から、両手持ちのバスタードソードを抜き去った。


「滅」


 平和なはずの学校で、ガチのバトルが発生しようとしていた。

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