第16話 それどころではない


 「ヘルデナ・クズシ・カスタブ・ノイデ。

 (来たれ、冥界の門を守りし獣よ)」

 夏樹はギョッとした。

 死にかけの魔族は、最後の生命力を使って、地獄の番犬を呼び出そうとしているのだ。


 「えっ、あ、えっと」

 そんなものを召喚されてはたまらない。

 夏樹は、慌てて速攻系の『紋様』を組もうとするが、焦って上手くいかない。

 なんとか『紋様』を組んで手の平を叩き合わせると、左手で魔族を指さし、いったん開いた右掌を握りしめながら、起動言語を唱えた。

 「土顎ッ!」

 

 一呼吸おいて地面が揺れると、倒れている魔族の真下で地面が割れた。

 魔族の身体が傾くと、抗うことなく地割れの底へと飲み込まれていく。

 魔族の姿が見えなくなると、大地の顎がギリギリと閉じ始めた。

 圧死による断末魔は聞こえない。

 魔族は地割れへと飲み込まれる前に、息絶えていたのだ。

 

 「い、今のも、罠……?」

 由美香が驚愕し、目を丸くして言った。

 魔族を飲み込み、閉じた地割れの跡は、歪に盛り上がっている。

 3mほどの地割れとはいえ、大地に影響を与えたのだ


 「落とし穴系の固定トラップ」

 「落し穴……え、あ、そ、そう……。

 系統的には、けっこうダサイんだ」

 由美香は強張った表情のまま、辛辣な感想を口にした。

 

 「……あ、あ!

 でも、効果は凄いんだね。

 うん。凄いよ。びっくり。うん」

 失礼なことを口にしたことに気付いたのが、取って付けたように称賛する。


 「単発で引っ掛かる奴はいないけどね」

 普段の夏樹なら、何か毒の効いた言葉で返すところだが、それをしなかった。

 それどころではないのだ。


 「引っ掛からないの?」

 由美香が不思議そうな顔になった。

 「だって、地面が揺れて、足下に地割れが走ったら、落ちる前に逃げ出すだろ」

 夏樹は、新しい『紋様』を組み上げながら言う。

 「それは、まあ、そうね」

 「標的を空に放り投げて、着地地点に起動させておくとか、そういう使い方でないと役に立たないね」

 

 「でも、今回は役に立ったのよね。

 ありがとう。助かったわ」

 由美香の顔から緊張が解けた。

 何かもう終わったような気になっているようであった。


 「礼はいらないよ。

 間に合わなかったから」

 「間に合わなかった?」

 「あの魔族は、召喚魔法の詠唱を終えてから死んだんだよ。

 おれの罠が発動したのは、その後」


 「……それって、つまり」

 「召喚獣が現れるってことだよ」

 夏樹が答えると同時に、地面がズズズッと揺れた。

 

 「出るぞ! 地中だ!」

 魔族の死体を飲み込み、閉じた地割れの跡を夏樹は指さした。

 「召喚者の屍を依代にして現れるぞ」

 地面が盛り上がり、崩れていく。

 大質量の土砂を押し上げ、召喚された怪物が地表に出ようとしているのだ。


 まずは、頭が出てきた。

 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。


 「由美香ちゃん。

 ほらほら、こっちこっち」

 夏樹は由美香を引っ張って、中庭を移動していく。


 樫木の背後に回り込んだ。

 「か、隠れるの?」

 「隠れても、あんまり意味ないけどね。

 犬は鼻が利くから」


 土中から這い出てきたのは、夏樹が言った通り犬であった。

 ただし、普通の犬ではない。牛ほどもある巨躯と三つの首を持った魔犬だ。

 目は真っ赤に染まり、首周りから胸部にかけてが、不気味に蠢いている。

 無数のヘビが、たてがみのように生えているのだ。


 魔犬は身震いすると、身体についた大量の土を払い飛ばした。

 湿った土の臭いが広がる。


 「ケルベロス……」

 由美香が強張った顔でつぶやいた。

 ケルベロスはギリシャ神話に登場する、三つ首を持つ冥界の番犬である。

 「正解。

 やっぱり知ってるんだね」

 「勉強会とかあるのよ」

 由美香が答えた。


 どんな内容の勉強会か知りたくなったが、夏樹は聞かない。

 今は、それどころではないのである。


 ケルベロスが唸り、三対の金色の目が、夏樹と由美香を探す。

 よりによってケルベロスを呼び出すかよ……。

 夏樹は唇を噛んだ。


 常時三方向を警戒している怪物である。

 不意打ち狙いの罠士にとって、相性は最悪の怪物であった。

 連携しなきゃ、勝ち目は無い。

 しかし、ハンクもエルシャも、シモンもリーザもいないのだ。


 ケルベロスが二人を探すように、空気の匂いを嗅ぎ始めた。

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