3時3分何してた?

栗金鳥団

1章

1 プロローグ①

2020年5月9日1時39分 鯨が丘海浜公園 海原グラウンド



 人間、慣れというのは恐ろしいものだと常々思う。



 目算で200m先。

 そこには暗闇の中に灯る2匹のエイ。


 かつてあれほど恐怖した相手を前にし、今では何の感情も湧いてこない。


 宙に浮いたエイがそのヒレを羽ばたかせる度、全身にまと紫電しでんほとばしり、バチバチと空気を震わす音だけが、夜のしじまに響き渡る。


 そして、今一度大きくヒレを羽ばたかせると、闇を切り裂きながらこちらへ迫ってきた。


 ふぅっと軽く息を吐くと、腰をすっと落とし……筒に右手を宛がう。


 そして……目を瞑る。



 世界に響くのは不規則に弾ける紫電の音のみ。

 こちらへ迫る音はどんどんと大きくなる。


 そして、音が最大になった時……


“スポンッ!!”


 世界に響き渡る、間の抜けた音。


 “キュポン”


 振り抜いた腕を畳み、筒に蓋をする。

 

 目を開ければ、身体を真っ二つに裂かれ、地に沈んだ二匹のエイ。

 電気の放出は止まり、ピクリとも動かない。

 そして、見る見る内にしわくちゃに乾燥し始めた。


 それを確認し、ふぅっと深く息を吐き出す。

 緊張状態を解いて、腰をあげて筒から手を離す。



 人間、慣れというのは恐ろしいものだと常々思う。


 死闘の末に初めて倒した時は、とてつもない達成感に包まれたものだ。

 しかし、今では何も感じない。


 そう、何も感じないのだ。


 自分よりも身体の大きなバケモノと戦うのも。

 そのバケモノが殺気をまき散らしながら迫ってくるのも。

 生暖かい青色の返り血を浴びるのも。

 この手で生き物の命を奪うのも。


 今では何も感じない。


 そして、人の死でさえも……。


 人間、慣れというのは恐ろしいものだと常々思う。


 だけど、ケイトのやつが言っていた。

 環境に合わせて自分を、時には環境の方を変えてまでして、何としてでも生き残る。

 どんな過酷な環境にも適応できることこそが、人間の強みなのだと。


 つまるところ、この過酷な環境に俺たちが適応したということなのだろう。

 あれからたった2か月しか経ってないのに、随分と適応してしまったものだ。


 エイの身体にサバイバルナイフを入れ、ヒレを剥ぎ取りながら、そんなことを考える。



 「おぉ~い!ジンスケ~!無事かぁ~!?」

 どこか愛嬌のある野太い声。

 声がする方を見れば、わっさわっさと揺れながら小さな光が近づいてくる。


 「おぅ、なんとかな。こっちは全部片付いたけど、そっちはどうだ?」

 「多分こっちも終わったと思うけどなぁ……」

 ヘッドライトに照らされ、浮かび上がったのは柔道着を纏った大男。

 大男もまた、おにぎり頭にヘッドライトを巻いているのだが、なぜだか妙に似合っている。


 「今回は取りこぼしはないと思うが、一応報告待ちだな」

 「こいつら夜だと目立っていいなぁ……あれ?何やってんだ?そいつら食えたっけ?」

 「ヒレを軽く炙って柚子ゆず胡椒こしょうで頂くとタマラナイって、イインチョが前言ってたからさ」

 「イインチョおっさんかよ……しっかし、そっか、へぇ……健気だねぇ」

 「うっせ!」

 ニヤニヤする大男の腹を裏拳で叩くも、ぼよんとした弾力で跳ね返される。

 

 その後も続く大男の茶化しを誤魔化すためにも、剥ぎ取り作業を再開しようとするが、ふいに後ろに妙な気配を感じた。

 ばっと振り向けば、ヘッドライトが照らしたのは……宙に浮かぶ剣道具一式。


 「うわぁあああ!!」

 飛び跳ねる大男。

 その様子にこちらまでびっくりしてしまう。

 まぁ、無理もないか。

 暗闇で宙に浮く剣道の鎧とか、ホラーでしかないからな。


 「……糸出さん、もしかして終わったかな?」

 剣道の鎧は面の部分で頷くと、籠手で握った竹刀を横に振る。

 

 「皆あっちに集まってるってことかな?今行くよ」

 再び面で頷くと、ふよふよと浮きながら先行する。

 手早く剥ぎ取り作業を終わらせると、ヒレを肩に背負ってその場を後にする。




2020年5月9日1時52分 鯨が丘海浜公園 潮吹き広場



 広場に足を踏み入れると、すでに十人近くの若者たちが集まっていた。

 若者たちが囲うのは、この公園の名物であり、この近辺で知らぬ者はいない石造りの噴水。


 知名度が高いのは、この公園が遠足や行楽の定番地だというのもあるが、何より噴水のいわくゆえだろう。

 この噴水はクジラを模した形をしているのだが、なんと三つ首なのだ。

 なんでもこの地の伝承になぞらえて作られたそうなのだが、三つ首という妖怪じみた姿に加え、積み重ねた歴史と容赦なく打ち付ける潮風により表面が風化し、なんともおどろおどろしい雰囲気を醸し出している。

 そのため、遠足では幼き子供たちに恐怖を植え付け、やんちゃな少年たちの度胸試しの餌食となり、そこから生み出された幾多もの眉唾エピソード。

 ここいらで生まれ育った少年少女にとって、この噴水はなんとも馴染み深い存在なのだ。


 そのかつての恐怖の象徴は、今は神々しい光に包まれていた。


 「ジン!佐々木!無事だったか」

 若者たちに混じる唯一の青年が心配そうな声で駆け寄ってくる。


 「まぁ、なんとかね。ところでマサ兄、やっぱこれって」

 「先月と同じとみるべきだろう」

 「33日に一度のビッグウェーブ……イインチョの仮説が当たりっぽいね」

 「さて……今度は誰が出てくるのか」

 

 噴水の光は段々と強くなっていき、目も開けていられぬほどになっていく。

 そして、クジラが勢いよく潮を吹き始め、光の奔流が空へ打ち上げられる。


 打ちあがった光は周囲に降り注ぎ、次第に3つの光の塊を作り出す。

 そして、人を包めるサイズになると、役目を終えたように光はすっと消えた。



 光が消えたそこには、よく見知った3人の姿。

 「へっ……あれ?ここは?」

 「うげっ……なんか頭クラクラするぜ」

 「むっ……不可解だ。直前の記憶と状況が一致せぬぞ」


 3者共に困惑の様子。

 まぁ、当たり前か。


 俺は3人の中で最もよく見知った、ひょろりとした眼鏡の男に近づく。

 「よぅ……ケイト。久しぶりだな……会いたかったぜ」

 「何を頓珍漢とんちんかんなことを。今の今まで一緒に……なぜ泣いているのだ?モガッ!おい、苦しい!やめろ!」

 「ばっか、泣いてねぇよ」

 ヘッドロックをかけ誤魔化そうとするも、どうもこれは誤魔化せそうにない。


 「ケイト~!!会いたかったよぉ!!!」

 「おい!貴様は止め!?」

 さらに追い打ちをかけるように、大男が抱きついてくる。

 そして、人目を憚らずにわんわんと泣き出した。

 


 人間、慣れてしまえば何も感じなくなる。


 ……あれは嘘だ。


 現に2か月ぶりに級友に会っただけで、こうも感情は昂り暴走してしまう。


 今日だって正直怖かった。

 全長3m超えのエイだぞ!

 それが殺気をまき散らしながら襲ってくるのだ。


 何より、あと一秒でも振り抜くのが遅ければ、俺はエイが纏う紫電で感電死していた。

 頭をよぎるのは、異臭と共に焼け焦げてゆく級友の姿。


 いつか自分もそうなってしまうのではないか?

 いや、一歩間違えれば、今日にでもそうなっていただろう。


 今はまだいい。

 だが、布団の中に入り一人になれば、今日もまた眠れぬ夜を過ごすことだろう。


 環境への適応?

 それができたらどれだけいいか。

 そう自分に言い聞かせないと、どうにかなってしまうのだ。

 自分の弱さにとんと嫌気がさす。


 でも、仕方ないだろう?

 2か月前までは、ただの高校生だったのだから。


 一体どうして……どうして、こうなってしまったのだろう?



“ピッピー!!”

 透き通ったホイッスルの音で、嫌が応でも意識がそちらへ向けられる。

 「感動の再会を邪魔して悪いが、時間がないから話を進めるよ」

 広場に響くマサ兄の声。

 

 「もり先生、簡単な確認をさせてください。どこまで覚えていますか?」

 「へっ?どこまでって、その……学校で卒業式の……あれ?いつの間に夜に?」

 周りをキョドキョドと見渡す小柄な女性。

 

 「やはりそこまでですか。落ち着いて聞いてください……今は2020年の5月9日。信じられないかもしれませんが、あれから約2か月が経過しています」

 「笛吹先生、一体何の冗談……」


 「朧気ながら思い出してきたぞ。卒業式のあの日、まるで時が止まったかのように動けなくなった」

 ブツブツ呟く眼鏡の男。


 「そう、たしか3時3分だ。そして、そこからの……そこからの記憶がないぞ!?」

 そしてそのまま頭を抱える。


 「さっきマサ兄が言った通り、時間がないんだ。学校へ戻ったら全部説明する。でも、その前にどうしても聞いておかなくてはいけないことがある」

 「……なんだ?」


 そう、これだけは聞いておかねばならない。



 「3時3分何してた?」


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