第32話

「どうしてあなた、あまり学校に来ないのかしら?」


 土屋さんのその質問は、松本さんのデリケートな部分に突っ込む、あまりにもド直球な質問だった。


 たしかにそれは俺も気になっていたことであったが、さすがに松本さんには聞けずにいた。その質問をあえて土屋さんが突っ込んだのは、ある想いがあったからのようで。


「別にあなたを学校に来るように説教をしようよか、そういう傲慢な考えがあるわけじゃないの。もちろん、あなたには学校に来て欲しいと思っているけれど、それはあなたが決めることであって、私がとやかく言えることじゃないものね」


 それでも、と言って土屋さんは話を続けた。


「1度あなたに勉強を教えるからには、あなたの今後の勉強プランについて、一緒に考える権利が私にはある。次の定期テストは、この勉強会に精力的に参加してくれればなんとか乗り越えられるでしょうけれど、その次は分からない。私は1度手を差し伸べただけで満足して、あとは野となれ山となれ、というような無責任なやり方をしたくないのよ」


 要するに、応急手当て的な手助けはしたくない、ということだろう。

 この勉強会が、松本さんの勉強不足の一時的な解決にしかならず、根本的な問題解決につながらないことを、土屋さんは理解していた。


 不登校、であることがきっと彼女の勉学を妨げている。

 だからその不登校の理由を知ることが、根本的な解決につながると、土屋さんは考えたのだろう。


 その土屋さんの想いを聞いて、松本さんは目を丸くしていた。


「きょ、今日初めて出会ったばかりのわたしのために、そ、そこまで考えていただけるなんて、きょ、恐縮です。……わたしが不登校なのは、その、頑張っていることがあって、それに熱中しすぎちゃってるからで。夜遅くまで活動していると、朝起きられないこともしばしばで、だから、自然と学校にも来れなくて……」


 頑張っていること、と松本さんはぼかしたが、どうやら松本さんの不登校は、前向きな不登校のようだった。


 不登校に前向きもなにもないかもしれないが、それでも学校で嫌なことがあって通えなくなっただとか、そういうことじゃないようで、俺は少し安心した。


「そう。でもまあ、あなたの勉強コーチとして言わせてもらうなら、少しずつでもいいから、学校に来るようにするのよ。頑張っていることに励むのは素晴らしいことだけれど、せめて学校で授業でどの単元をやっているのかが分かるくらいには、登校するべきだと私は思うわ」

「は、はい!」


 土屋さんは無理に、松本さんの頑張っていることを聞き出そうとしなかった。

 土屋さんはなにか明確な基準を持って、土屋さんと向き合っているらしい。


 俺がそんな2人を傍観していると。


「……本当に問題なのは森本くん、あなたの方かもしれないわね。あなたは毎日学校に来て授業を受けているはずなのに、どうしてこんなに理解度が低いのかしら?」


 土屋コーチの矛先が、今度は俺の方へ向かってきた。


「いいこと? 授業でしっかり身につけようという意識を持ちなさい。授業中に余計なことばかり考えないの。もし、授業のペースが早くてついていけないというのなら、事前に予習をしておく。それくらいしてもいいんじゃないかしら?」

「……はい」

「あなた、部活や委員会にも入っていないでしょう? 時間が作れないなんて、言い訳はできないわよ。私がしっかりと面倒を見てあげるから、日頃からもっと勉強に励みなさい」

「……はい」


 実に正論すぎる指摘に、俺は頭が上がらなかった。

 話のオチに使われた気がするが、気にしないでおこう。




 それから勉強会終わりに土屋さんの家で、夜ご飯をご馳走になってしまった。

 どうやら土屋さんは昨日からカレーを作り置きしてくれていたようで、それを俺たちに振舞ってくれたのだ。


 土屋さんのカレーは、血走ってしまうくらいに美味しく、俺は思わず2回もおかわりをしてしまった。

 優等生ほど料理が下手みたいなテンプレートがあるが、土屋さんはそのテンプレートにすら当てはまらないほどに、完璧超人だった。



 夕食後、数学以外の科目の勉強の仕方を土屋さんからあらかた教わり、俺たちは土屋さんの家からお暇することにした。

 次の勉強会は、2日後に開催してくれるそうだ。


「す、すいません! 飛び入り参加だったのにも関わらず、夜ご飯までご馳走になってしまって。ほ、本当に今日は、ありがとうございました!」

「いいのよ。それにまだまだ、勉強会は始まったばかりよ。お礼を言うのは、定期テストでいい点数をとってからにしてくれる?」

「は、はい!」


 松本さんはすっかり、土屋さんに懐いていた。


 無理もないだろう。これだけ手厚く土屋さんにサポートされてしまえば、懐かない方がおかしかった。


「土屋さん、俺からもありがとう。勉強を教わっただけでなく、夕食までご馳走になってしまって」

「いいのよ、私がしたくてしたことなんだから。帰って寝る前には、しっかり暗記科目の勉強をするのよ。ノンレム睡眠には記憶を定着させる効果があるんだからね」

「ああ、分かった」


 暗記科目は寝る前に学習するのが、1番効率がいいそうだ。

 次の勉強会では指定された範囲での確認テストを実施してくれるそうで、俺も熱心に勉強せねばならなかった。


 そして、玄関から立ち去ろうとした俺たちだったが。


「じゃあ夜道には気をつけて帰りなさ……いいえ、待ちなさい! やっぱり、私も最寄りの駅までついていくわ!」

「え? なんで? 最寄りの駅までの道くらい覚えているが?」

「いいから! 私もついていくわ!」

「……まあ、別にいいけど。でもそうしたら、俺たちを最寄りの駅まで送った帰り道、土屋さんが1人で夜道を歩くことにならないか?」

「なら、森本くんが2往復しなさい」

「なんでだよ……」


 そんな理不尽な土屋さんの要求も、今日一日勉強を教わったので、断ることができず。

 俺はなぜか、土屋さんの家と最寄り駅を2往復する羽目になった。

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