第3話

ルーカスたちと別れてからぶらぶらと夜市を見て、酒を買って帰路に着く。独身の竜騎士たちは基本的にハウスゲンの騎士団横に併置されている騎士団寮で寝起きする。ノラは女性だけれど、ハウゲスンの騎士団の中にノラを女性だからと襲おうとする輩はいないとわかっているので、寮住まいだ。それに帰る家もない。門限ギリギリに帰ってきたノラは寮母に睨まれつつ階段をあがり自室へ辿り着く。


木製の年季の入ったドアを開ければギイと蝶番が軋んだ。

室内は狭いワンルーム。簡素なベッドと、備え付けのクローゼット。姿見もあるけれど、男所帯ではあまり必要が無いのか欠けているし少しくもってしまっていた。

上着を脱いでクローゼットにかける。部屋着に着替えてからブーツを脱いでベッドに身を横たえた。


ふう、と息を吐いてたぐり寄せたのは不細工な抱き枕。母が買ってくれたもので、水族館で昔見たイルカだ。くたくたになってしまっているが、その分抱き心地も良くてもう随分と古くなっているのに手離せないでいる。


「……リーヴ、いるんだろう。でておいで」


宙に声をかけるとそこがぐにゃりと曲がり、ノラの相棒である白竜──リーヴ──が出てきた。

しかしその姿は昼間のような見上げても頭に生えている角が見えないほどではなく、両手に乗せられるほどのサイズになっていた。


「リーヴ、お疲れ様」


キュウオン…と小さくリーヴが鳴き、ノラの枕元に降り立つ。頭(こうべ)を下げて一礼してからグリグリとノラの頬に口先をこすりつける。これはリーヴなりの愛情表現のようで、しかしノラは他の白竜がこの仕草をしているのを見たことがない。

リーヴの頭を指先で撫で、タオルで体を吹いてやると気持ちよさそうにノラと同じ色の瞳をスッと細めた。


「ほら、今日のご褒美」


ベッドサイドのテーブルに置いていた包みを取りだし、中からクッキーを一枚、リーヴの口元に寄せる。

リーヴはノラを一瞥(いちべつ)してからクッキーにサク、と小さくかじりついた。


「リーヴは白竜なのになんで甘いものが好きなんだ?君たちは相棒の血を飲むはずだろう」


問いかけてもサクサクと食べ続けている小さな可愛らしい相棒。竜は人間と意思疎通を取らない。取れないのか、取らないのか、それはわからないと言われている。けれど人の言っていることを理解できる知能はあるようで。


「お前とも話せたら楽しいんだろうな」


ポツリとこぼした言葉。リーヴの青い瞳がノラに向く。聡明そうな深い青だ。その瞳に見つめられると、なんとなく彼女の言っていることがわかる気がする。


「はぁ。また来たんだよ」


クッキーから意識を逸らしてノラの言葉を聞こうとしている姿のリーヴに、ため息混じりに言葉を吐き出す。


「実家から、早く結婚しろって。今度はとうとう釣書付きの手紙が来た。全く……私は夫を取るつもりはないと何度言えば伝わるんだろうな」


実家の家族とは、仲が良いとも悪いとも言えない関係だ。ノラが竜騎士になると言い出して、家族はもちろんそれを止めたのだが聞く耳持たずに家を飛び出し王都で竜騎士試験を受け、無事合格して実家にその旨を伝える手紙を送ったのだ。家族は『お前がそれでいいのなら私たちは反対はしない』とは言ってくれたが、気づいたら家族と溝ができてしまっていた。お互いどう接すればいいのか分からなくなってしまったのだ。家族としては然るべき時に結婚して相手の家に入ると思っていたのだろう、ノラはそれが嫌だった。


アコレードを王都で王妃から受け、一人前の騎士になることは、昔からの夢だった。もちろん家族にもそれが夢だと幼い頃から言っていたし、彼らも頑張れと言ってくれていた。けれど、本当に騎士になって、彼らがノラへの対応に迷いがあると気づいた時、その言葉は子供の空想だと思われていたのだと、理解した。

彼らはノラの一番近くにいたのに、ノラのことを全く理解しようとしていなかったのだ、と。まあ、もちろんノラもその夢が本気だと伝わるように言わなかったことも悪いだろう。けど、家族に理解されなかったという事実が、ノラを打ちのめしたのは確かだ。


「……リーヴ、お前だけだ。私は、お前だけがいればいい……なにも、望んではいけないんだろうな。仲間にも、裏では何を言われているか想像するだけで……」


寒気がした。晩冬の寒さは堪える。毛布をたぐり寄せて体を包む。それでも寒気は消えず、ノラはその夜リーヴを抱きしめて眠りについた。





懐かしい夢を見た。リーヴと出会った頃の夢。




ノラとリーヴが出会ったのは、竜騎士試験の最終試験だった。


竜騎士という騎士職は、大まかに分けられた区分の中だと聖騎士にあたる。聖騎士というのは、主に王都で王族や公爵、侯爵に仕え彼らを護る騎士職だ。


聖騎士だけが受けられる三年に一度の竜騎士登用試験に受かったものだけが王国騎士団聖騎士竜騎部隊に所属でき、自身を「竜騎士」と名乗れるのだ。


竜騎士登用試験の最終試験。そこで騎士たちは自分の相棒となる白竜を見つける。いくら腕っぷしが強くても、試験会場内にいる白竜に見初められなければ竜騎士にはなれない。要は、実力ではなく白竜と気が合うかどうかなのだ。白竜は清廉な人を好むという。つまり、竜騎士になった騎士はほとんどが騎士道精神に則った武人ということだ。


ノラはその会場でほかの白竜よりひと回り大きくて、白竜たちに怯えを向けられている雰囲気を持つ白竜──リーヴ──に出会った。竜騎士になれば、はみ出しものと蔑まれるであろうことがわかっていたノラは、なんとなく同情のようなもので白竜に近づいた。白竜との顔合わせの最終試験は、騎士が白竜に触れることを許されたら合格になる。

ノラはまっすぐ大きな白竜を見上げ、その何色にも染っていない白い瞳を見つめる。白竜も、ノラに興味を示したようで。白竜は首を下げてノラと視線を合わせる。


「……いいの?」


ぱちり、とその白竜が瞬いた。そっと手を伸ばす。その硬質で大きな鱗の肌に触れようとして、一瞬躊躇う。


──本当に、この白竜を、私の騎竜にさせていいのか。


その迷いは白竜にも伝わったようで、ぐわっとノラの目の前で口を開いた。

瞬間的に喰われる、と思ったノラ。

この場では帯刀は許されていない。抵抗する手段は、会場を見ている騎士団長が竜の嫌う音を発するというものだけだ。

目をぎゅっとつむり、喰われる衝撃に耐えようと歯を噛み締め身体に力を入れる。どこに噛みつかれるだろう。肩か、腕か、それとも頭から喰われるか。


しかし、何秒経っても衝撃は来ない。喰われると思ったのに、痛みがないのだ。

おそるおそる目を開く。目の前にあった光景にノラは息を飲んだ。


真っ青な深い青に瞳を染めた白竜が、ノラに頭(こうべ)を垂れている。

驚き息を飲むと、白竜はノラの胸あたりを鼻先でトン、とつつく。早く触れろということだろうか。


「……本当に、お前はそれで……いい、のか?」


震える声。ノラは恐怖していた。白竜に対するものではない。この高貴で優しい白竜をノラの相棒にしたことで人々から誹りを受けさせることに対して、だった。

しかし白竜の瞳がノラの瞳の色に染っていることから、もうノラはこの仔の竜騎士になるしかない。


『白竜に見初められる』というのは、白竜に触れることだけではない。この試験会場内にいる白竜は皆白い瞳をしている。何者にも染まっていない瞳だ。竜は騎士を選ぶ。選ばれた騎士は、白竜に触れることを許され、そして白竜はその騎士の瞳と同じ色に瞳を染めるのだ。それが、竜騎士になる最終試験の合格基準。


白竜を染め、触れることを許される。


それが、竜騎士の資格だ。そうして、ノラは白竜にリーヴと名を与え、竜騎士となったのだ。



「……」


ぴちち、と小鳥の歌声を耳が拾った。まぶたの裏を焼く白い光。どうやらもう朝らしい。目を開くと腕の中に収まっていたリーヴと視線があった。一晩中ここにいてくれたようだ。


「おはよう、リーヴ」


リーヴの頭にある毛を撫でる。サラサラとしていて指通りが良い。乙女の髪の毛のようだと思えばリーヴがキュ、と不満そうに鳴いた。


「今日は、町へ買い物へ行く。休みだし、揃えたい日用品があるんだ……ついてくるか?」


リーヴはノラを見つめる。澄んだ瞳に心の奥底まで覗き込まれるような感覚。そうしてしばらく目を合わせる。ノラが着替えを終えるとリーヴが肩に乗った。どうやらノラと共に町へ出ることを決めたようだ。

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