第39話:凱旋《がいせん》

「トム……? 無事だったのか!」


 《帰還》によって一時的に失われていた記憶を取り戻し、ライラと抱き合って無事を喜んでいると、懐かしい友の声が聞こえた。


「どうした、その格好は。……さては《帰還》を使ったのか?」


 真っ裸になった俺を見て察したようだ。ライラは狼の姿になって、地べたに座った俺の股間を隠している。


「ああ。禁忌の術だが、俺は無事に戻ってきた。そして記憶も取り戻したぞ、エル!」


「本当によく戻ってきたな、トムよ」

「ええ。ゴルド卿、本当にご心配をおかけしました」


「本当よ、あなた達が手を離した瞬間に諦めてたんだから」

「でも、帰ってきてくれて本当に良かった……」

「エレナ、よくみんなを助けてくれたな。イザも、俺とアランを池の底から拾い上げてくれたんだよな」


 戦いの記憶が鮮明に蘇る。


「僕が生き延びたのにトムさんとライラだけが犠牲になる運命なんて許せないと思っていました。帰ってきてくれて、ありがとうございます!」

「アラン、お前は世界を救った勇者なんだ。そんな情けない顔をするんじゃないぞ」


 涙と鼻水で顔を濡らしている彼であるが、そう言う俺もひどい顔になっているだろう。かたわらにいる猟犬アルフも尻尾を振って、俺たちの無事を喜んでくれている。


「さあ、帰ろう。……トム、俺のマントを貸してやる」

「すまんな」


 エルから受け取ったマントを羽織り、立ち上がる。


「裸で歩くには寒い季節だからな。それにお前はどうだか知らないが、ライラはお前の裸を俺たちに見られるのがたまらなく悔しいみたいだぞ」


 狼の姿のライラが「わん!」と一声鳴くと、誰からともなく笑いだす。やがて全員が涙を流しながら笑いあった。そうだ、俺たちはやり遂げたのだ。『混沌の獣』を打ち破り、豊穣神を蝕む呪いを解き放ったのだ!


 こうして、俺たちは穏やかな帰途につく。俺は靴も失ったので荒れ地を裸足で歩くことになったが、先を行く仲間たちが地面をならしてくれたので、なんとか歩き続けることができた。西の空へと沈みゆく月を見送りながら、空が明らむ頃には無事にエルフの里にたどり着いた。


 **


「あなた方が何を成し遂げたのかは全て理解しています。まことに大儀でした」


 里の入口では、長老が直々に出迎えてくれた。彼女の両耳に付けた琥珀こはくの耳飾りが朝日に輝いている。


「『混沌の獣』は死にました。あなた方には休息が必要でしょう。特にエレナ、君は魔力をほとんど使い果たしているじゃないか」

「ええ、今すぐそうさせていただくわ」


 フォルンの言葉にエレナが甘える。確かに彼女は大呪文を3回も唱えた上に、《転移》によって一度に5人と1匹を地中深くから脱出させた功労者だ。いや、エレナだけではない。高揚感から疲労も眠気も忘れて一晩で歩いてきたが、激戦の後でみんな肉体も精神も限界のはずだ。


 俺たちはあの心地よい寝室に通されると、泥のように眠りこけた。


 **


「なかなか似合ってるぞ、トム」


 会食室でエルが声をかけてくる。着るものを失った俺のために、エルフ達が服と靴を用意してくれたのだ。白を基調とした清楚な仕立てである。清冽な泉の水で汗と泥を流した後に袖を通すと、まるで生まれ変わったような気分になった。


「おはよう、トム! もう夕方だけどね」


 彼女もまた、エルフの衣装を身にまとっている。そよ風になびく純白の衣が茜色の夕陽に照らされて、それは美しく輝いている。


「今宵は皆さまのための宴です。山で捕れた鹿の肉も用意いたしましたので、心ゆくまでお召し上がりください」


 食卓には、エルフ達は食べないという肉料理も並んでおり、ライラがさっそく目を輝かせている。また宴席にはアルフも招かれ、彼女のために生の肉も用意されている。


「それでは、我らが豊穣神の恵みに乾杯!」


 ゴルド卿の音頭で宴が始まる。誰もが存分に酒食を楽しみ、語り合い、笑い合いながら夜は更けていった。


 **


「さようなら。皆さまの人生に幸が多からんことを」


 翌朝、長老たちに見送られて俺たち7人と1匹は里を後にした。エルフの靴は羽のように軽く、エルフの衣は森ややぶを進んでも汚れ一つ付かない。朝日を背に浴びて、軽やかな足取りで歩みを進めていった。


 *


「トム?! もう片付いたのか?」


 魔の山の西、川沿いの森林地帯を横切る一本道を進んでいると、オリバーとメリナ、それにポールの3人組に出会った。


「ああ。俺たちの冒険は無事に終わった」

「そうか、話を聞いて加勢しようと思ったのに無駄足になっちまったな」


 オリバーは少し残念そうな顔をするが、それでも俺たちに会えた喜びのほうが大きいようだ。


「先ほど川を渡ったのですが、あれはどんな魔法を使ったんですか?」

「エルフに伝わる秘術よ、あとでゆっくり聞かせてあげるわ」


 エレナが答える。ポールが注目したのは、生きた樹木で作った橋であった。


「はじめまして、メリナといいます。勇者アランにゴルド卿ですね!」


 メリナが名乗る。彼女にとってこの二人は、叙事詩に歌われた憧れの英雄たちである。


 三人を加え、ますますにぎやかな足取りで中央都市を目指す。


 **


「旦那、大仕事を終えたようですね! 今日は俺の奢りにさせてください!」


 ギルド宿に入ると、所得顔ところえがおの俺たちを見てマスターが大いに歓迎してくれた。カウンターには豚肉の料理が並ぶ。エルフの鹿肉料理もさっぱりとして美味だったが、俺たちには脂の滴る豚肉料理のほうが性に合っているようだ。


 俺たちの旅の目的を具体的に知る者は多くない。語るのが禁じられているわけではないのだが、あまりにも規模が大きく荒唐無稽なため、にわかには信じてもらえないのである。マスターは全てを把握している数少ない人物であるが、とりあえず「大仕事を終えた」という大雑把な意味では、この場にいる全員が理解している様子であった。


「聞かせてくださいよ、『混沌の獣』を倒した武勇伝を」


 マスターはいつもの蒸留酒をゴルド卿の盃に注ぐ。


「いや、わしはせいぜい仲間たちの盾になってやったくらいだ。若い連中に聞いてやってくれ」


 奴の攻撃で篭手こてが破壊され、むき出しになった腕が生々しい。


「そうか。……それじゃまずは、トムとライラに聞かせてもらうとするかな。それにしても、まるで新郎と新婦みたいだな!」


 マスターは冒険者ギルドに似つかわしくない純白の衣装をまとった俺たちを囃し立てる。ライラは恥ずかしさと嬉しさがないまぜになった顔をしている。


「ま、冗談はさておくとして、そいつはエルフの衣だろう?防具というわけでもなさそうだし、いつもの鎧じゃなくてそれを着ているのは理由があるんだろうな」

「まあな」

「夜は長い。ゆっくり聞かせてくれ、トムとライラが歩んだ道中をよ」


 こうして、俺とライラは語る。この語りはやがて物語となって、明日の冒険者を旅にいざなうのだろう。そして、次は彼らが新たなる物語をつむいでゆくのだ。世界に未知と神秘がある限り、俺たち冒険者の「物語」は終わらない。

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