第14話:弓術《きゅうじゅつ》

 俺たちは訓練場へと向うことにした。ギルドでも一番の弓の名手であるジャックに弓術を教えてもらうためだ。


「ライラも来るか?」

「ううん、今日はトムのための訓練でしょ? 私がいると邪魔になりそうだし、それにギルドで覚えたいことも色々あるし」


 彼女を残すことに不安がないわけでもなかったが、俺がいつも付きっきりというわけにもいかないだろう。自身のことを大人だと思っているのであれば、問題が起きても自分自身で解決できるようにならなければならない。


「そうか。それじゃマスター、ライラのことをよろしくな」


 ギルドマスターは、この場では一番信頼できる理解者である。彼に任せておけばひとまず安心だ。


「おう、行って来い!」


 こうして、マスターから昼食用のパンを受け取ると、俺とジャックはギルド宿を後にした。


 *


 訓練所に併設されている射撃場を利用するにはギルドの正規登録が必要なだけあって、各種の弓が揃えられており、本格的な射撃訓練が可能になっている。


 俺がいたパーティでは、斥候せっこうのイザが短弓たんきゅうを使用していた。遭遇そうぐうする魔物が強力になったり、またマジックアイテムが充実するに従って戦闘で弓矢を使う機会は減ったが、それでも牽制けんせい陽動ようどうに活用していた。


 それに、単純な射程そのものも大抵の魔法よりも弓矢のほうが長いので、野戦においては重要な武器である。空を飛ぶ魔物に対しては最も効果的であり、賢い連中であれば弓矢をちらつかせるだけで近づくのを避けたりもする。


「俺みたいに狙撃そげき一本ならともかく、あくまでも攻撃手段の一つとするなら短めの弓のほうがいいだろうな」


 ジャックは俺の意図を汲んで弓を選んでくれている。


「これは複合弓ふくごうきゅうといってな。木でできた弓に、獣の脚のけんを貼り付けて弾性を強くしたものだ」


 手渡された弓を構え、弦を軽く引いてみる。なるほど、見た目よりも遥かに張力ちょうりょくがあるようだ。


「こんな見た目でもかなりの腕力が必要なんだが、お前なら使いこなせるだろ?」


 戦闘の専門家である戦士ほどではないにせよ、俺だって前衛として武器を振るっていたのだ。腕力は人並み以上にある。


「弓をまっすぐ構えて、ゆっくり引いてみてくれ……よし、それくらい引ければ十分だ」

「もういいのか? もっと強く引くこともできるんだが」

「市販の弓ならそのくらいにしておけ。大型の魔物の素材……それこそグリフィンの骨なんかを使えればもっと強い弓ができるかも知れないがな」


 そう語るジャックの口調は、なぜか悔しげであった。


「どうした、せっかくグリフィンを狩ったんだから弓は新調しないのか?」

「そうしたいのは山々なんだけどよ、加工できる職人がいねえんだよな。グリフィンの骨なんて見たこともねえってのが普通なんだろうけどよ」


 魔物の体は素材として珍重されるが、討伐例が極めて稀な大型な種族ともなると、その加工法に慣れた職人は多くない。いや、ほぼ皆無と言っても良い。


「いずれ加工できる職人が見つかったときのために弓に使えそうな部位は温存しておくつもりだけどよ、いつになるやら。……そんなことより今はお前のための時間だぞ」

「ああ、わかってる」


 俺は弓を手に射撃場へと向かった。


 **


「うーん、スジはいいんだけどよ。やっぱり左手の押しが弱いぜ。ひじを伸ばすのがきついみてえだな」

「やはりそうか。俺も薄々感じていたんだが、ここまでとはな」


 長年、左手には盾を持って稽古や実戦に明け暮れていた。必然的に肘が曲がった状態が多くなる。特に魔物からの強打を受け止めることが増えてからは、左肘は曲がった状態のほうが自然に思えるようになってきた。つまり、肘を真っ直ぐ伸ばして弓を支えることが困難なのだ。


 これは例えば筋肉が付くのと同じように、経験に基づいた実用的な体の変化なので、自分にとってはこの状態こそが正常なのだろう。よって、回復呪文などを用いても本来の形に矯正きょうせいすることはできないのである。


「いくら右手で引く力が強くても、左手を伸ばして弓を支えられないんじゃ仕方ねえな」


 ジャックの言う通り、弓の固定がうまくいかないので狙いがうまく付けられず、散々な結果であった。


「いや、スジは間違いなくいいんだぜ。的を狙う目線や矢をつがえる右手を見ればわかる。もしお前が弓一本で戦っていたら俺の次くらいの使い手にはなってただろうさ」

「……本当か?」


 思わず聞き返したが、彼はつまらないお世辞を言うような男ではない。


「ああ。お前さんの盾使いも大したもんだが、弓矢の才能もあったってことだな。両立できないのが皮肉だが」

「いっそのこと、右手で弓を構えるってのはどうだろう?」

「いや、利き手でないほうで矢をつがえるのは並大抵の訓練では身につかないぜ」


 そうだろうな。苦し紛れの思いつきであることは自分でもわかっていた。


「それより、せっかくお前は法術が使えるんだからよ、その射程を伸ばすってのは考えないのか?」

「射程といってもな。聖なる炎にしたって風の刃にしたって、遠くまで飛ばすことはできないぞ」


 これらは、豊穣神から与えられた裁きの力の具現化である。術者の訓練によって性質を変えられるようなものではない。


「もう一つあるじゃねえか。回復術の反転がよ」


 回復術の反転。つまり生命力を与えるのではなく、逆に奪う術。術の応用として初歩で習うのだが、狙いをつけることも難しい上に効果も小さいので、実践的な術ではないと見なされている。だが回復術の反転である以上、その力の制御は術者の力量次第である。


「……本末転倒だ。癒やしのための力を攻撃に使うなんて」

「そうか? 俺には慣れない弓矢を担ぐよりもよっぽど実用的だと思うけどな。試しに撃ってみろよ」

「……そうだな」


 今の俺は、何ができるのかを模索する時期である。やれるだけのことは試してみる価値はあるはずだ。


 右手を真っ直ぐに伸ばし、人差し指で的に狙いを定める。……駄目だ、この距離では当たる気がしない。


 そこで、俺はふと思いついたことを実行に移した。まず握りしめた左手を目の前に伸ばす。あたかも見えない弓を握っているかのように。次に右手を伸ばす。そして親指と人差し指で見えない矢をつまみ、見えない弦を引き絞る。


 あくまでもイメージであり、法力で弓矢を形成しているわけではない。しかし、指先一つで的を狙っていたときよりも確実に手応えがある。目で的の中心を捉え、反転の接頭辞せっとうじを付け加えた癒やしの呪文を唱える。右手の指に反・生命力が集まるのを感じる。


 豊穣神の加護ではなく、術者である俺自身による滅びの力を振るうことに若干の戸惑いがあったが、それを振り払う。最後に、右手の指を離すと同時に法力を解き放つ! 刹那、白い閃光が見事に的の中心に吸い込まれていった。


「ヒュー! やるじゃねえか、一発目からど真ん中だぜ!」


 ジャックが口笛を吹いて囃し立てる。俺としても、ここまでうまくいくとは思わなかった。


「それにしても的には傷一つ付かないんだな。力を絞ったのか?」


 彼はたかのように優れた目で、離れた的の様子を俺に報告する。


「いや、そういうわけじゃないさ。おそらくゴブリンくらいなら仕留められるはずだ。木の板は既に生命を失っているから何の干渉もされなかったというだけだ」

「なるほどな。つまり物理的な傷を与えるというわけじゃないんだな。反転回復、俺も存在は知っていたが見るのは初めてだからなぁ」

「俺も、実際に使ったのは修行以来だ」


 この攻撃にどれほどの実用性があるのかはまだわからない。だが、遠距離攻撃の手段の一つにはなりそうである。


 **


 非常時のための最低限の法力を残し、反転回復呪文の射撃の練習に費やした。その成果は俺が思っている以上であった。


「それにしてもすげえな。初日でここまで狙いを付けられるとは本当に大したもんだぜ」

「さすがにお前には敵わないさ」


 ギルド宿に戻る道すがら、ジャックは俺を褒め倒していた。俺も謙遜けんそんはしたものの、自分自身ですら射撃の才能に驚いている。


「あとは実戦の機会があればな」


 訓練中、彼は鳥でも撃ってみろと言ったが、法術を無闇な殺生せっしょうに用いるのは固く断った。とはいえ実際にどの程度の効果があるのかは把握しなければならない。不謹慎だが、魔物の出現を願っている。


 *


「戻ったぞ……何だ、オリバー達はもう帰ってきたのか」


 ギルド宿に戻ると新人たちがいた。まだ昼過ぎといった時間帯である。薬草摘みから帰ってくるには少し早いように思えた。


「それがね、妙な化け物に出くわしたのよ」

「俺が仕留めてやるつもりだったんだけどよ、一旦報告に戻れってこいつに言われて……」

「どうやら『怪鳥かいちょう』と呼ばれる魔物のようですね。詳しいことはマスターから話を聞いてみて下さい」


 オリバーが「こいつ」と呼んだ青年はとても穏やかで冷静な声でそう答えた。ローブに木製の杖を持つ姿は魔術師のようだ。


「ちょうどいい獲物じゃねえか。お前の腕、見せてやれよ」


 ジャックがにやけた顔で俺に語りかける。俺自身も、力を試せる魔物の出現に胸が高鳴っているのがわかる。この時、俺は初めて神官ではなく戦士の心になっていることを自覚した。

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