第12話:酒場《さかば》

「よし、今日はここまで!」


 昼過ぎから始めた打ち合い稽古は、休憩をはさみつつも日暮れまで続いた。


「はぁ~。結局、一発も入らなかったなぁ」


 俺が声をかけると、緊張が解けたのかオリバーは地面に寝っ転がって、天を仰ぎながら言った。


「私も。胴にかすっただけだから当たったとは言えないわよねぇ」


 メリナも地面にへたり込みながら言う。すっかり緊張の糸が切れたようだ。


「私は一発当てたもんね!」


 ライラはまだ元気そうだ。一発だけとはいえ俺の背中に蹴りを直撃させた。彼女は今回の稽古では足技のみを使っていた。本気を出せば両手の爪を使った攻撃や、狼に変身することも可能なはずだ。


 しかし同族が他にいないため、正体を無闇に明かすのはよくないと彼女なりに判断しているのかも知れない。また、俺の顔面などの防具のない箇所への攻撃は明らかに避けていた。稽古とはいえ主人を傷つけることに抵抗があるのは間違いない。


 稽古中の怪我で、俺の治療術を必要としたのは4回。うちオリバーが3回でメリナが1回。最も軽装のライラは傷らしい傷を受けることすらなかった。身のこなしの軽さはもちろんのこと、皮膚自体が丈夫であったり筋肉にも柔軟性があるなど、そもそも怪我自体をしにくい体のようだ。


 オリバーとメリナは彼女の正体を知らない。彼女の動きを褒め称えることはあっても、特に疑問には思っていないようだった。おそらく吟遊詩人の歌により、この世界には冒険者をはじめとする超人的な者たちがいるということを知っているからだろう。


「俺たちはこれからギルド宿に戻るんだが、お前たちはどうする? 飯くらいならおごってやってもいいぞ」


 この一言に若者たちは元気を取り戻した。


「マジで?!」

「いいんですか?!」


 二人とも食べ盛りで、ふところ具合も心もとないのだろう。奢りの一言にすぐに飛びついた。


「ああ、早く着替えて顔洗ってこい」


 俺がそう言うと、二人は飛ぶようにして訓練所の詰所へと駆け込んでいった。


「私も、お腹ぺこぺこだよ」


 ライラが言う。今日は宿で朝食を食べた後は、神殿で出されたパンを軽く食べた程度である。激しい運動をするには少々物足りなかったのは間違いない。意識してみると俺も急に腹が減ってきた。


「マスターがうまい飯を用意してくれている頃だろう。お前もさっさと着替えてこい」

「は~い♪」


 彼女の姿を見送ると、俺は井戸水を汲んで顔を洗った。火照ほてった顔に冷たい水が染み渡る。久しぶりに、いい汗をかいた気がする。


 **


「すげえ、祭みてえだ……」


 ギルド宿の中にある酒場の賑わいを見てオリバーがこぼした。冒険者ギルドの酒場に来るのは冒険者だけではない。街の人や旅の商人も多く訪れる。


 彼らが求めるのは情報や冒険譚ぼうけんたんであったり、魔物の肉や異国の香辛料を用いた珍味であったり、あるいはこの酒場の雰囲気そのものかも知れない。客からのおひねりを目当てに旅の詩人や楽師、踊り子らもよく訪れ、彼ら彼女らもまた客を呼ぶ。こうして、冒険者ギルドの酒場は中央都市の一大名所となっていった。


「よお、帰ってきたな。どうだ新米どもは?」


 マスターはカウンターの中で忙しそうに作業したり、料理人や給仕に指示を出していたが、俺たちを見つけるとすぐに声をかけてきた。


「なかなか有望だぞ。すぐにでも冒険者として推薦してやってもいいくらいだ」


 俺がそう言うと、横にいたオリバーとメリナは目を輝かせた。現在の制度において、新たに冒険者として認められるには、一定以上の実績を上げている冒険者からの推薦を受ける必要がある。


 今回俺がやったように稽古をつけたり、あるいは簡単な探索に同行させることによって実力や素質を判断するのだ。いずれにしても一度はマスターを通すのが習わしで、ここで門前払いされる者も少なくない。


「そうか! やはり俺の目に狂いはなかったようだな。ま、とりあえず座れよ」


 マスターは給仕に指示を出し、カウンターの前に4つの椅子を並べさせた。俺たちが座る席を取り置いてくれたのだ。そうしている間に、マスターは自分の分も含めて5人分のジョッキをカウンターに並べる。


 酒場の客たちはマスターの様子を見ると声を静めた。その波は広がり、騒がしかった酒場はあっという間に静かになった。


「ようこそ冒険者ギルドへ。俺たちは新しい仲間を歓迎するぜ!」


 一通り静まるのを待つと、マスターはジョッキを高く掲げる。そして……


「乾杯!」

「乾杯!!」


 マスターの音頭で、酒場中の人たちが一斉に盃を打ち鳴らして乾杯を叫んだ。

 冒険者はもちろん、そうでない客も、楽師や踊り子たちも、みんな一斉にだ。

 その後は、「頑張れよ!」だの「死ぬんじゃねえぞ!」だの「大物になれよ!」だの、激励の言葉が口々に飛んでくる。


「さ、ぐいっといってくれ」

 緊張と感動か、すっかり固まっている二人にマスターが促すと、二人は一気にジョッキの中のエールを飲み干した。


 **


 恒例の「儀式」が終わると、酒場は普段どおりの喧騒を取り戻した。同じような新米冒険者がいれば声をかけてきたりするものだが、あいにく今はいないようだ。


「やっぱり街の飯はうめえなぁ。それにしても、歯を治してもらったのは本当に感謝だな」


 オリバーは、俺が治してやった前歯で豚の骨付きアバラ肉にかじりつきながら言う。


「新鮮な肉がこんなに食べられるなんてねぇ。やっぱり今年はどこも豊作だったのかしら」


 メリナが言う。冬を迎えるこの季節、肉はなるべく保存用に加工するものである。保存せずに食べるための肉が出回っているということは、それだけ食糧事情に余裕があるということである。


「5年前は不作で大変だったんだぜ。うちの村でも子供や年寄りが何人も死んじまってさ」


 ゴルド卿が『異変』をいち早く察することができたのは、各地の統計によって偶然では片付けられない規模の不作が明らかになったからである。しかし近年では、逆に豊作の報告が多い。家畜もよく肥え、たくさんの仔を産んでいるようだ。


「昔……といっても10年くらいしか知らないんだけど、ここ最近は大地が元気になってきてる気がするのよね」

「ああ、俺もなんとなくそんな気がするぜ」


 農村出身の二人が口を揃える。土とともに生きる彼らならではの視点なのかも知れない。


「そうか、ライラはどう思う?」


 神狼しんろう族の血を引くと言われる彼女なら、何かわかるかも知れないと思い、俺は話題を振る。


「確かに。私が生まれた大陸よりも活気があるというか、土とか草木の色が濃いような感じはしたかな」

「やはり、そう思うか……」


『異変』以来、どうやら大地は活性化しているようだ。実りは豊かになり、そこに住む生物も強くなっている。


 そもそも、俺たち冒険者自身がそうである。武具や戦術が洗練されたとはいえ、巨大な魔物を相手に互角以上に戦える人間なんて神話や伝説だけの話だと思っていた。魔物、すなわち異常な成長を遂げた生物による被害は増えたものの、その「魔物」自体もまた大地の恵みとして、その毛皮や骨肉が人類に恩恵をもたらしている。記録に残された限りの歴史において、今が最も豊かな時代だとする学者も多い。


 しかし、この豊かさというのは手放しに歓迎してよいものなのだろうか。良くも悪くも、俺たちは『異変』の真っ只中にいる。そして、その謎を解き明かすためにゴルド卿は……俺たちは旅をしてきたのだ。今回の遠征で何かが掴めるのだろうか。今はまだ報告を待つしかない。

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