第5話:休息《きゅうそく》

 俺達は森林地帯を抜け、街道を目指して草原を歩いていた。既に日は傾き始めたので早めにたどり着きたい。


「そろそろ人に会うかも知れないな、狼の姿に戻れるか?」


 今は狼耳の生えた人間の姿をしているライラに俺は尋ねた。


「このあたりだと狼も珍しいって聞いたんだけど大丈夫なの?」

「狼なんて名前しか知らない人がほとんどだ。大きな犬にしか思われないさ」


 実際、猟犬を連れた狩人などは珍しいものではない。


「わかった、それじゃ変身するね」


 そう言うとライラの顔つきは狼のようになった。マントからのぞく足元も獣のものになっている。やがてしゃがみこむと、マントの下から完全に狼になって現れた。


 体の大きさは変わらない。もう大人だと言っていたから、人間としては小柄に見えても狼としては普通なのだと思われる。


「わん♪わん♪」


 変身を終えると、えながら俺の周りを飛び跳ねる。狼になると人間の言葉は話せないようだ。彼女は再びマントに頭を通すと、人間の姿に戻った。


「狼になるとご主人さまと話せなくてつまんないから、人が来るまではこの格好でいるね」

「ところで、裸足はだしで森の中を歩いていたけど大丈夫なのか?」

「あ、それなら全然平気。人間よりもずっと丈夫みたいだから」

「そうか。でも人前で裸足だと目立つから、あとでサンダルでも買ってやるよ」


 革靴では窮屈きゅうくつかも知れないが、すぐ脱げるサンダルなら大丈夫だろう。


「よくわかんないけどご主人さまに買ってもらえるならうれしい♪」

 どうやら俺はすっかり懐かれてしまったようだ。


 *


「ねえ、そろそろ人の匂いがするから変身したほうがいいかな?」


 俺には全くわからないのだが、狼らしい嗅覚きゅうかくによってライラは察知していたようだ。


「ああ、そうだな」


 ライラは狼に変身すると、俺は彼女が服代わりにしていたマントを拾って自らまとった。


 ほどなくすると、野草を摘みに来ていた村人と出会った。


「狩人さんかい?この季節に珍しいね」


 狼になったライラのことを猟犬だと思ったのだろう。俺は適当に話を合わせる。


「まあそんなところだ、やはり獲物えものは全然いないな」


 魔物を狩ってはいるので嘘をついているわけではない。そして、今日はまだ遭遇すらしていないのだ。


「昨夜は見たこともない魔物が森で暴れてたって話だ。最近物騒ぶっそうだから気を付けなさいよ」


 トロルの件については既に近隣で噂になっているようだ。俺が倒したと言いたいが、それを証明するものは何もない。せめて討伐の証に指の1本でも切り取っておけば多少の報奨金は得られたかも知れない。


「ご忠告ありがとう。あんたもお気を付けて」


 冒険者というのはだいたいそうなのだが、軽装の鎧にマントという出で立ちなので、俺を神官だとは思っていないようだ。本来なら加護を祈るべき場面だが、狩人と思い込んでいるなら余計な混乱はさせないほうが良いだろう。俺は心の中で祈りを捧げた。


 *


 日が暮れる前に町についた。森林を迂回する街道の中間地点にあり、大陸南方への入口にもなるので、それなりに発展しているところだ。


「ライラ、しばらく待っていてくれないか?大きな獣を無断で連れて行ける場所じゃないんだ」

「くぅ~ん……」


 寂しそうな声を出したが、木陰でおとなしく座り込んだ。


「服を買ってきたらすぐ戻るからな」


 俺は服屋を探し、ライラの体に合いそうなシンプルなワンピースとポケット付きのエプロン、耳を覆い隠せるようなゆったりとしたフードを買った。あとは靴だ。革靴だと窮屈だろうし、つっかけサンダルは旅向きではないから、革紐付きのサンダルにした。


「待ったか?」


 ライラの元に戻ると彼女はじゃれついてきた。さっそく物陰に隠れて変身して、買った服を着てもらった。


「どう、似合ってるかな?」


 ワンピースは薄緑色、フードはそれより濃い緑色。シンプルなデザインだが、それが彼女の素朴な可愛さを引き立てているような気がした。


「ああ、いいんじゃないか。これで堂々と町の中を歩けるようになったぞ」

「わぁい♪」


 ライラは嬉しそうに俺の腕に組み付いてくる。


「おいおい、あんまりべたべたするもんじゃないぞ」

「でもさぁ、港町では男の人と女の人がこんなふうにしているのを見たよ♪」


 彼女の言う港町とは新大陸のことだろう。王国よりも開放的な気風きふうが強いようだ。


「よく見てみろ、ここではそんなことしてる人はいないだろ?」

「あー、たしかにそうだね」


 少し寂しそうにしたライラの手を握ってやる。


「このくらいなら大丈夫だな」

「嬉しい♪」


 そう言いながら頬を擦り寄せてきた。まったく可愛い奴め。


 *


「ねえねえ、あっちの方から美味しそうな匂いがするよ」


 俺には感じないが、少し離れた広場には屋台がたくさん出ているはずなので、その匂いだろう。


「まずは宿を取るのが先だ。遊び歩くのはそれからにしよう」


 俺は以前来たことのある冒険者ギルドの宿に向かった。


「個室は空いてるか?」

「ああ、ベッド1つで良ければな」

「構わないが、いくらだ?」


 ライラのほうをちらりと見るが、特に気にした様子はない。


「素泊まりなら2人で銀貨8枚、夕飯も付けるなら10枚だ」


 なお、ギルド宿であればどちらにしても朝飯は付いてくるが、一般の宿では頼まないと出ないことが多い。俺たち冒険者のように朝早くから活動するのでもない限り、昼前と夕方の2回しか食事をしないのがこの国では普通だ。


「夕飯は外で食べる。宿代は先に払っておくぞ」


 かさばる荷物を部屋に置いて、俺達は夕暮れの町に出た。


 *


「ねえ、こっちこっち!」


 ライラに手を引かれて広場に出た。彼女が駆け寄ったのは串焼きの屋台だ。


「羊の串焼き、南方名物あるヨ。お嬢ちゃんいかがかネ?」


 肉を焼いている男は南方風の衣装を着て、わざとらしい訛りで話しかけてくるが、顔立ちは明らかに王国の民である。


「うまそうだな、2本もらおう」

「まいどありがとネ!」


 胡散臭うさんくさい店だが、ライラが物欲しそうな目でよだれを垂らしていたし、何より俺も匂いに釣られていた。


「おいしーね♪」

「そうだな。俺も焼きたての肉は久しぶりだ」


 この町から砂漠を越えた「南方」には以前行ったことがあり、似たような串焼きも食べた。ただ、この店のものには本場の香辛料はほとんど使われていないようだ。南方でしか育たない香辛料は王国内では貴重品なので、庶民相手に売るなら当然なのだが。


 もっとも肉自体の質は悪くなく、塩加減や焼き加減も絶妙なのでそれなりに食える代物である。肉を焼く道具もこのあたりでは見ないものだし、もしかしたら本当に南方で修行をしたのかも知れない。


「ねぇねぇ、あれも美味しそうじゃない?」

「まあ待て、ちゃんと食べ終わってからだ」

「はーい」


 ご主人さまの言うことは素直に聞く。まったく可愛いやつめ。


「いくらか小銭をやるから、好きなの買ってきていいぞ」


 ポケット付きのエプロンにしたのはこのためだ。中央都市に着いたらしっかりした鞄を買ってやるつもりだが。


「こんなに?!」

「ああ、買い物にも慣れる必要があるからな。俺はここで待ってるから」

「ありがとう、ご主人さま!」


 そう言って広場へと駆け出していった。


 **


「お腹いっぱい食べたのは久しぶりかも♪」

「ああ、俺もだ」


 宿に戻ると、改めて余韻よいんを噛みしめる。


 結局あの後は屋台を回って、果物やら焼き菓子やら、蜂蜜はちみつ入りの温かい葡萄酒ぶどうしゅやらを堪能たんのうし、宿の飯よりだいぶ高く付いた。だが俺も楽しかったし、何よりも楽しそうなライラを見るのが嬉しかった。


「ねえ、なんで私にこんなに優しくしてくれるの?私はご主人さまに何もしてあげてないのに」


 一言で答えるのは難しい。

 狼が化身だと言われる豊穣神への信仰心か。

 幼くして病に斃れた俺の妹の姿を重ねているからなのか。

 それとも、この美少女に対する単純な愛欲からなのか。


「俺にとっての新しい仲間だからだ」


 今はそう答えるしかなかった。未熟な仲間のために手を尽くしてやるのは当たり前だ。俺達のパーティがアランにしたように。


「私もご主人さまの力になれるのかなぁ」

「それを確かめるためにも中央都市ではやってもらいたいことが色々とある。今日はそろそろ休め」

「はぁい」


 葡萄酒のせいか、もう眠くなっているようだ。狼の姿になって毛布の中に潜り込んだ。いかに主人といえども、人間の姿のままで寝床を共にすることには抵抗があるのかも知れない。


「おやすみ」


 彼女の頭を撫でてやると、すぐに眠りに落ちた。俺はもう一仕事ある。ライラについて中央都市の神官長に報告する書面を作らなければならない。必ずや力になっていただけるはずだ。


 ***


【一般用語集・豆知識】


『朝食』

 一日三食の食事というのは、中世ヨーロッパ社会では決して一般的ではなかったので、本作でもそのような設定にしている。


『蜂蜜入りの葡萄酒ぶどうしゅ

 いわゆるホットワイン。甘みや香りを付けたもので、煮立ててアルコール成分もいくらか飛んでいるので飲みやすい(完全にアルコールが抜けているわけではない)。

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