process 6 気晴らしデート

 関原は今日の勤務を終え、疲れの溜まった体を運んでいく。作業着は汗まみれで不快感がまとわりついている。


 明日は久しぶりの休み。連休はいつぶりだったか。そんなとりとめもないことを考えながらエレベーターに乗った。


 新天地に来てからというもの、昔の友人とも連絡を取らずじまい。3年もたってしまうと連絡するだけでも怖気づいていた。

 これが選択してきた結果と簡単に導き出せる。後悔はない。だが休日の過ごし方はなんとも味気ない。自宅でゴロゴロするばかり。検索した流行りを追ってみても、心躍る物はなかった。

 世界のテクノロジー系の実験映像やアニマル系のドキュメント番組を流し見るだけ。冴えない休日の過ごし方だと先輩に言われてしまった。自分でもそう思っていたから不快に思うこともなかったが、もう少し健康的な休日の過ごし方もできればと小さな悩みを持て余す。


 図らずも1人考えをめぐらす空間となったエレベーターが止まる。地下10階で止まったエレベーターが扉を開ける。乗ってきたのは1人だった。乗ってきた人物と顔を合わせると、一瞬視線が交わった。


 木城は一瞥いちべつし、エレベーターのボタンを押す。扉がしまり、エレベーターが上昇を始めた。


 エレベーターの後壁こうへきのそばで2人して並ぶ。静かな空間で口火を切ったのは木城だった。


「大変そうね」


 関原は視線を少し木城に向けたが、すぐに前へ戻す。


「作業も大詰めだからな。あと3ヶ月もすれば完成する予定だし、この忙しさも鎮まるさ」


「老け過ぎ」


「は?」


「おじさんまっしぐらね」


 小馬鹿にする笑みを目にし、胸の奥から湧き上がってくる苛立ちを覚えたが、同時に安らぎを覚えた。一体なんと言えばいいのか。関原は妙な考えを噛み殺し、落ち着きを払って嘆息たんそくする。


「君と違って慣れない体力仕事をしてるんだ。プロレスはまた今度にしてくれ」


「ふふ、プロレスねぇ。ま、干からびたモヤシとプロレスしても面白くないしね」


 地下9階に止まったエレベータから2人が出る。木城の後から出た関原は右へ進路を変える。


「関原」


 呼び止められた関原は振り返る。木城は不敵な笑みで関原を見据え、タイトスカートのポケットから取り出した物を見せつける。2枚のチケットがはらりと揺れる。


「甘楽さんにもらった屋内プール施設の無料チケット。2人分貰っちゃったんだけど、こういうの貰っても行く人いないのよ。あなたいる?」


「まさか君から誘われるとはな」


「感無量って感じ?」


 関原は呆れるほどおちょくった態度に微笑する。

 木城は作業着の関原に違和感を覚える。ほんの少しの違和感だったが、昔の関原とは雰囲気からして違っていた。


 関原は木城に近づいていく。一言で言うなら大人びている。お互い研究員として目まぐるしい生活を送ってきたせいもあるだろうが、たくましくなったというたぐいのものではない。

 そこにあったのは信頼————。木城が変わったのか、関原が変わったのか。いずれにしろ、あの頃、いがみ合っていた2人がいつしか戯れるようになっている。


 関原は木城の手元に目を落とした。木城は関原の視線を辿り、チケットを差し出す。2枚のうち1枚を受け取り、チケットの表裏をサラッと確認する。


「無料券なんて太っ腹だな。ここは」


 南国のリゾートを彷彿とさせるチケットの表デザインに、無料の文字が躍っている。


「で、あなた予定は?」


 木城は慣れない関原の対応に痒い思いを抱きながら話を進める。


「明日と明後日なら空いてるが」


「なら明日でいい?」


「ああ、構わない」


「じゃあホーリークリスタルに14時ね」


「ホーリークリスタル……?」


 関原に疑問が浮かぶと、木城の表情も鏡に映したかのように同じ顔つきになる。


「知らないの? 最近中央地区に出来た集合場所のシンボル。行けば嫌でも分かるわよ」


 そう言うと木城はきびすを返して去っていく。


「お、おい、もっと詳しく言ってくれ」


「私は優しくないの。遅れたら夕食はあなたの奢りよ」


 関原は頭を掻いて困惑するも、どうにかなるだろと考えるのをやめて自分の部屋へ足を進めた。



 コミュニティフロアは今や小さな街となっている。まだ空きテナントが目につくが、様々な企業や店が地下5階のコミュニティフロアにもやってきていた。

 心機一転、新しい生活を始め、人々はこんな時でも前を向こうとしている。コミュニティフロアで仕事をしている人や関原と同じようにどこかへ出かけようとしている人を見ながら、関原はコミュニティフロアを原動キックスクーターで移動していく。


 ホーリークリスタル。ネットで調べたら簡単に出てきた。

 日本特殊防衛軍の現役隊員の個人情報は秘匿ひとくされている。基地でも情報保護のため、すべての端末が基地内専用になっている。隊員のみならず、基地に住む一般市民も必ず交換させられる。


 基地外部との連絡手段は手紙すら禁止されているため、知らずに基地へ来た者たちが不満を爆発させることもあった。

 代わりに、基地へ住むことになる際には通信端末のデータ移送、契約済みの端末と同等の性能を持つ端末との交換、または新規契約。これらすべてが無料となる。

 ネットも外部との通信が一部制限されているため、地上でできることが地下ではできないことが多々ある。この不便極まりない環境に嫌気が差し、出ていく人も続出していた。


 ホーリークリスタルというものも、住人もまだ少ない基地内部の人がネットに載せてくれていたから助かった。


 クリームイエローの路地を曲がり、目的地へキックスクーターを走らせる。

 キックスクーターは基地内部で重宝される移動手段だ。

 基地内の移動手段は限られる。自転車さえ禁止されており、基地に住むことになった者たちのほとんどは車を使わなくなった。許されているのはキックスクーターと荷車くらい。関原がキックスクーターで通路を走っていても目立つことはなかった。


 コミュニティフロアは民間による運営ができるエリアとなる。地上のようにレジャー施設やスーパー、コンビニ、教育機関、ベンチャー企業、教会。少しずつ街らしくなっていく地下街。

 賑わいを添える飲食店や居酒屋がいろんなところで新規オープンの時期を張り紙している。

 人が増えれば増えるほどコミュニティフロアは広がりを見せ続ける。それでは移動が大変になってしまう。しかしコミュニティフロアに車を走らせるわけにはいかなかった。


 車が走るほど大きな空間を作るには大変なコストがかかる。バイクも車と同じく自動運転がシェアを占めているが、地上の法定速度でプログラムされている。

 地下通路で40キロもの速度を出されるのは危険だという判断がなされ、通路は基本歩道とする規則が決定された。

 そのため通路には信号も白線もない。あるのは人の流れと街灯、モニュメントだ。関原のお待ちかね、そのモニュメントが姿を現した。


 3メートルくらいはある白い三角錐のモニュメントが、十字路の真ん中に咲いていた。透き通る白い三角錐の周りには、しだれのように長い草を模した造形物が生えている。


 名を花冷えの光、通称ホーリークリスタル。この基地に移り住んだ、とある日本人の芸術家が制作したそうだ。

 ネットで『ブリビオ』と名乗っている以外、詳細は分からない。基地の役所に届いたものだった。

 基地に放り込まれて不安に思う人々が、また再起できる象徴になってほしい。そう願う善意の贈呈品として、無償で提供された代物だと、市民政策部に転属した知り合いから聞いた。


 基地内部は通信制限がなされている。通信制限は基地内部の隊員の情報を外部に流出させないようにするためだ。いち住民の個人情報を隅から隅まで把握する必要もなかった。

 特製の機械荷車によって運び込まれた物品は、そういった経緯によって置かれたとの話が、基地内のネットコミュニティやテレビで話題になっていたようだ。

 まったく知らなかった関原は、固まってしまうほどそのモニュメントに目を奪われてしまった。


 その時、感動に浸っていた関原を強引に醒ます衝撃が軽く腰を打った。ボンという音と柔らかい何かが後ろから打たれ、振り返る。

 大きな手さげ鞄を持った木城が悪戯っ子のように笑っていた。


「早かったじゃない。ちゃんと遅れずに来るなんて感心ね」


 仕事とは無関係に会っているのだから当然だが、木城がめかしこんだ身なりをしていることに少し言葉に詰まった。

 ニットの服にジーンズジャケット、柔らかいベールを重ねたようなスモークピンクのロングスカート。関原の印象ではシックな身なりをするのが木城という人物だった気がしていた分、その出で立ちは意外だった。

 木城の身なりに驚きつつも、変に動揺するとからかわれそうで平静を装った。


「君に脅されたからな」


「人聞きの悪いこと言わないでくれる? あんなの脅しのうちに入らないわ」


 木城は自分の持ってきた手さげ鞄をキックスクーターのハンドルにかけると、さっさと行ってしまった。ほんの少しだが、木城は楽しそうだった。


 プールなんて高校以来行くこともなかった。正直プールでどう過ごせば楽しめるのか忘れてしまった。そのせいかはしゃぐ気分も高まらない。突然これで遊びなさいと言われても、遊び方を知らないと楽しいのか分からないのと一緒だ。

 ならやってみる以外にない。手取り足取り教えてもらわなければならないほどじゃないだろうと、余計な考えを取っ払ってキックスクーターを走らせた。

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