第5話 のぞき見と告白と漆さん


 次の日の放課後。わたしはひとりで旧校舎1階の廊下を歩いていた。中学生になってから初めての日直。日誌を書き終えて、ようやく帰れるといったとこ。オレンジ色の夕日が登り始めているのを窓から見て一息つこうとしたとき、死角になっている校舎の隅にひとりの女の子が立っていることに気付いた。


「やばっ」


 あのポニーテール、奥田さんだ。わたしはびっくらこいて思わずその場にしゃがみこんだ。そういえば奥田さんは今日1日ずっと緊張してる風だった。あのラブレターは昨日の内に恋する先輩へと渡して、今は待ってるんだ。その先輩が返事をしにくるのを。 


 ラブレターを見てしまったのだって偶然だし、これも偶然。奥田さんだって見つかりたくはないに決まってるから、何もなかったことにして立ち去るしかない。わたしはこっそり窓の外を覗いて彼女の様子を伺う。


 校舎の壁にもたれてそわそわと、表情は赤らんでるように見えた。普段は元気な奥田さんらしくないけど、それが恋ってやつなのかな。


 そんなことを思いながらすっくと立ちあがって廊下を歩き出す。視界の端では、ちょうど向こうから来たらしいもうひとりの女の子と奥田さんがなにやら話し始めてるのが映った。

 

 あれが多分先輩かな、ほっとする。告白の返事がどうなるかはわからないけど、それでも彼女の恋が叶ったらいいなと思った。クラスメイトとして、女の子に特別な感情を持ってる女の子として。なんだか勇気を貰えた気分だった――。


「あれ、四ツ足さん? 日直の帰り?」


「うへぇ!?」


 いい感じで帰ろうとしていたわたしだが、廊下の角を曲がろうとしたときに誰かと鉢合わせしてすっとんきょうな声をあげる。運がいいのか、今の状況だと悪いのか。そこにいたのはカバンを肩にかけた漆さんだった。


「あ、そのとおりです……う……うるし……さん……」


 やばい。吉井さんに指摘されたときから強くなっていたこの気持ちだけど、漆さんとこうやって至近距離にまで近づいて話すのは3日前以来。つまり、これが恋疑惑が出てからの初最接近。わたしはしどろもどろになってぶつぶつ呟きながら俯いた。この真っ赤になってみっともなくなってる顔を漆さんに向けたくなかった。


「おつかれさま。意外とやること多くて大変じゃなかった?」


「ちょ、ちょっとだけ……」


 にこっと微笑んでカーディガンの裾をちょいちょいと片手で直す漆さん。やっぱりその一挙一動がわたしをヘンにしてく。身体の中に時限爆弾が埋め込まれていて、漆さんが何かする度にそのカウントダウンが減っていってるような感覚。それがゼロになったとき、わたしは少なくともまともじゃいられなくなる気がした。


「…………」


「…………」


 けど、ここで会話が止まる。わたしから話しかけるような内容はないし、それは漆さん側も一緒なはず。入学式のあのとき以来、悲しくなるほどわたしたちには何もなかった。だから漆さんも黙ってきょろきょろとあたりを見回して、窓の外を見る――。


「あ、あれって奥田さんと3年の先輩じゃない? ほら、バド部の……」


 どうやら漆さんは外にいる奥田さんとその先輩に気付いたみたいで、窓のそばまで近づこうとした。まずい。わたしは思わず漆さんの手首を掴んで止めた。入学式以来の漆さんの肌のぬくもりにめまいがする。


「ま、待って漆さん……! 今は話しかけない方がいいかも。奥田さん、今あの先輩に多分告白してる……」


「……えっ、こくはく?」


 流石に予想外だったようで、こっちを向いた漆さんの整った目が丸くなる。だけど2人の雰囲気からそれが間違ってないと分かったみたいで、さっと柱の陰に隠れるようにした。


「ほんと、なの?」


「多分……。本人に聞いたわけじゃないからわかんないけど……」


 ラブレターを見たことは言えないわたしがおもむろに頷くと、漆さんの頬が少し赤くなった。握ったままの細い手首から体温が伝わってくるような気がした。むしろわたしが漆さんに高熱を送ってる方だと思うけど。


「そっか……そうなんだ。じゃあこれ以上邪魔しないほうがいいね。帰ろっか、四ツ足さん」


「う、うん」


 漆さんはなにか納得したかのように頷いたあと、そう提案した。こっちとしてもおんなじ意見。だからわたしたちは奥田さんたちに見つからないよう息をひそめて歩き出す。その最中、いつの間にか漆さんの手がするする動いてわたしの手とかるく繋ぐみたいな形になっていたけど、たまたまだろう。


 *


 そんなこんなで、奥田さんの告白現場からは少し離れた。けど、手の中にある漆さんのぬくもりはまだ消えてない。


 いつ離すんだろう、この手。漆さん的には繋いだことすら動揺で忘れてしまってるのかもしれないけど、わたしとしては一生そのままでもいいくらいだから切り出したくない。


「ねぇ、四ツ足さん。四ツ足さんはさ、どう思う?」


 と、不意に隣の漆さんが声をかけてくる。同時に握られた手がぎゅっと締まったような感覚を覚えてわたしは頭1つ分背の高い彼女の横顔を見上げた。


「なにが……」


「女の子同士の……恋愛っていうか……」


「……!」


 口調は歯切れ悪く、しかし内容は直接的に漆さんは言った。わたしは、否応なくその場で立ち止まる。漆さんもそれに気付いたのか歩くのを止めてこちらを向いた。


 窓から差し込み始めた夕日に照らされて、その表情はうかがえないけど。どこか覚悟を決めてわたしに聞いてきていることは分かった。


「わたしは……」


 ここで漆さんに答えたらどうなるんだろう。実はあなたのことが好きなのかもしれませんって。その顔も髪も性格も声も制服も机も、漆千草さんにまつわるもの全部が気になってしょうがありませんって。


「……漆さんこそ、どう思うの」


 だけど、臆病なわたしにそんなことができるわけもなく。まともな返事もできずに逆に聞き返してしまう。ズルいなわたし、と漆さんでいっぱいの胸がちくりと痛んだ。


 漆さんはそんなわたしの逃げに対して何も突っ込んでこなかったけど、しばらく黙ったあとにかすかな声で言った。


「……一時の気の迷いとか、そんなのありえないとか。一般的な意見だと、こうだよね。特に私たちくらいの年齢だとそう思われやすいかも」


「!」

 

 さっきまで高くなっていた体温が急激に冷めていくようだった。一瞬、漆さんにわたしが秘めてるこれを否定されてるのかと耳を疑ったのだ。


「でも私はそうは思わないかな。どんな形でも好きは好きで、恋は恋でいいんじゃないかなーって」


 だけど、漆さんは最後にはきっぱりと言い切った。ちょうど、夕日が雲にでも隠れたのか漆さんの顔がわたしにも見える。


 漆さんは、にこやかに笑っていた。嘘とか分かってる風じゃない、本心で言ったんだと伝わるたんぽぽのような笑顔、入学式のあの日。わたしがこの気持ちになり始めたきっかけの笑顔。ああ、と唾を飲む。わたしは怖かったんだ。


 漆さんに『これ』を拒絶されて、否定されることが。だから心の奥底ではわかってたけど、この気持ちを認めるわけにはいかなかったんだ。


「だよねっ。わたしもそう思う!」


 漆さんを見上げて、わたしも笑う。やっぱり漆さんはきれいでかわいい。全部が全部愛おしい。心臓がどきどきいう、頬が熱くなる。このままずっと隣にいたいって思う。


 やっぱりこれは恋だ。わたしは漆さんが好きだ。あの笑顔に一目惚れしたんだ。そう自分の中に結論付けてしまえば、驚くほど澄んだ世界が飛び込んでくる。どうしようもなく胸に抱えていたもやもやな霧もどっかに飛んでいく。


「でも明日どうしよ。もし奥田さんがフラれてたりしたら……」


「そうならないといいけど……そのときは励ますしかないよね。でも私、あんまりそういうフォローは得意じゃないから……」


「わ、わたしも手伝う! 1回も奥田さんと話したことないけど!」


「あははっ。頼もしい助っ人だね」


 手を繋いだまま、わたしたちは靴箱まで並んで歩く。お互いに帰宅部だからもう帰っていいけど、わたしは自転車通学で漆さんは徒歩。名残惜しいけどここでお別れだ。


「それじゃ、また明日ね。四ツ足さん」


「……うん、漆さん!」


 『また明日』、なんて素敵な響きなんだろ。それを脳に響かせながら、駐輪場まで向かう。


 臆病でビビりでなんにもひとりじゃできないわたしは、奥田さんから勇気を貰って漆さんがそういう恋愛を受け入れてくれるのだと知って、この気持ちを理解できた。


 結局なにも解決はしてない。漆さんだって好きな人がいるかもしれない。わたしがこの気持ちとどう付き合っていくのか、漆さんに対してどうするのかとか頭の中じゃ何も固まっちゃいない。


 でも、今はこれでいいんだ。ようやく前を向けた気がするから。漆さんの左手を握っていた右手は未だに熱くて、帰り道を自転車に乗って駆ける風は今までで1番気持ちよかった。


 

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