3 ずぶ濡れ

 少し濡れた制服。席につくと、エアコンの風に体がどんどん冷えていく。

 今はあの胡桃沢さんと一緒に帰ってるけど……、本当に夢みたいな状況だった。まさか、そこで声をかけられるとは思わなかったし……。こんな時間まで学校に残るのはほとんど運動系の部活をする人や図書委員くらいだから。学校が終わるとすぐ家に帰る胡桃沢さんが、その時間まで残っていたのがすごく不思議だった。


 しかし、こんな偶然があってもいいのか……?

 あの胡桃沢さんと二回だぞ。


「あっ……、そう! 宮下くんってどの駅で降りるの?」

「俺は……、〇〇駅です」

「えっ! ウッソ! 同じ駅で降りるの?」

「え……? 本当ですか?」

「私もその駅で電車乗ってるからね……? でも、全然知らなかった。同じ駅だったら声かけてよ……! もう……」


 胡桃沢さん…びっくりしてるけど、今のは全然知らなかった。

 入学してからけっこう時間が経ったのに、どうして俺は彼女が同じ駅で乗るのを知らなかったんだろう……? 駅でうちの制服を着た女子と会ったこともないし、胡桃沢さんくらいの人ならきっと目立つはずなのにな……。不思議だ。


「すみません……。次はちゃんと声をかけます」

「ふふっ……」

「そういえば、胡桃沢さん……誰か迎えに来るんですか? 同じ駅だとしても、家はけっこう遠いんじゃ……?」

「誰も迎えに来ないけど……? お母さん忙しいし……、降りてから全力で走るとなんとかなるかもしれない……!」


 多分、この雨は明日まで続くと思うけど……、なのに大雨の中を走って帰るのか。

 これは余計な心配かもしれない。

 でも、胡桃沢さん……傘持ってないから風邪ひくかもしれないし……。今そばにいるのは俺だから今日だけ…家まで送ってあげよう。こんな状況で俺だけ家に帰るのもあれだしな……。


「あの……、よかったら家まで送ってあげます」

「えっ? 本当? そんなことしても大丈夫? 早く帰らなくてもいいの?」

「一人暮らしだから関係ないんです。それより……胡桃沢さんを大雨の中を走らせるのがちょっと……」

「へえ……、私のことを心配してくれるんだ。優しいね。宮下くん……」


 その笑顔はすごく可愛かった。

 降りる時まで、俺はすぐそばから見たその笑顔を忘れるのができなかった。


 ゴロゴロ……。

 空を眺めると、すぐ雷でも落ちそうな天気だった。


「私の家は駅から歩いて20分くらいだけど、宮下くんは……?」

「あんまり遠くないです。5分くらいかな……? 大体それくらいです」


 そう、今この曲がり角から左の方に行くと俺が住んでいるマンションが出る。

 とはいえ、駅から20分くらいならそんな遠くないところに住んでるってことだよな……? なのに、今まで知らなかったのかよ……。やはり俺は鈍感すぎるかも。それにしてもあの胡桃沢さんが近いところに住んでいるなんて、……すごいな。


「なんか空は変だよ……。宮下くん」

「空がですか?」


 あっ、これはちょっと……雷が落ちそうだな。

 もしかして……胡桃沢さん、雷が怖い……?


「は、早く行こう! み、宮下くん……」

「は、はい!」


 そして急ぐ二人の後ろからピカッと雷が落ちた。


「ひゃっ———!」


 ものすごい音にびっくりする胡桃沢さん。


「うわっ———!」


 いきなりくっつく彼女に、足を滑った俺は情けない格好で地面に倒れてしまう。


「ご、ごめん……。あの、あ、あ、あの……宮下くん大丈夫……?」

「あっ、はい……!」


 とはいえ……、制服がずぶ濡れになっちゃった。

 それに傘まで落として胡桃沢さんも濡れちゃったし……、このまま家まで送るのは無理かもしれないな。


「あの……、うちすぐだから……傘、貸してあげます。あの……今制服が濡れちゃって胡桃沢さんにも迷惑だし、送ってあげるのは無理です」

「じゃあ……、私宮下くんの家に行ってもいい?」

「えっ……?」

「私も宮下くんの家に行きたい! そして……私ちょっと寒いかも」

「えっ! 体が寒い? 早く行きましょう!!」


 風邪をひくかもしれないからすぐうちに連れてきたけど……、なんか申し訳ないっていうか……。俺一人で暮らしてるから家の掃除がちゃんとできていなかった。こんな家を見せちゃって……、俺の人生もここまでかと……こっそり涙を流す。


「ここが……、宮下くんの家!」

「すみません。掃除ができてないから……」

「ふふっ。いいよ。気にしなくても」

「あの……先にシャワー浴びてください!」

「いいの?」

「あっ……! その…いやらしい意味ではなく、そのままじゃ体が冷えるから……」

「知ってるから緊張しないで……」

「はい……。着替えは用意しますから……」

「ありがと〜」


 一応……、ほっとしたけど……。

 本当にあの胡桃沢さんがうちに来るなんて……、少しずつこの偶然ってやつが怖くなってしまう。


「……一応、出る前まで片付けておくか」


 胡桃沢さんがシャワーを浴びる間、俺は床に散らかってる本や布団などを片付けていた。


 一方、浴室では———。


「あっ、この前の体育授業で……着てたジャージーだ……」


 洗濯機の隣に置いている洗濯物から朝陽のジャージーを取り出す雪乃。

 じっとそれを見つめていた彼女は、「スーハー」とジャージーの匂いを嗅ぐ。


 少し震えている手と、幸せな表情。


「朝陽くんの匂いだぁ……。えへへ……」


 鏡に映る雪乃の真っ赤な顔、そしてずっと我慢してきた感情が高まる。

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