第4話 ああ


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「ないなぁ」


「ごめんねぇ」


「満室なのよぉ」


 ギルドマスターと別れた後、俺はギルドの資料室を少し覗いて夕方になってから街に出た。


 適当に飯を食い宿を探そうとしたところで俺は自分が場末の観光地をなめていた事実を思い知らされた。


 部屋がない。


「部屋に毛が落ちるのが嫌なら別に掃除代を払うから」


 人種の九割を占める裸猿人族ヒューマン以外の種族の宿泊に対しては割増料金を求められる場合がある。


 けれども、相手はそういう交渉を求めているわけではなかった。


「違うのよ。もともといくつも宿がないところに、このところの急なミスリルスライム騒ぎでしょ。そもそも宿が足りないのよ。多分どこも満室だと思うわ」


 野宿の装備一式は持っているが、まさか街の中で屋外に寝る事態は避けたい。


 せめて屋根だ。


 俺はギルドの受付カウンターに足を運んだ。


 探索者の手助けは、やはり探索者ギルドに限る。


 提携している宿泊施設でもあれば、うまく口をきいてもらおうと思ったのだ。


 すっかり客がいなくなったカウンターには、幸い昼間の受付嬢が、まだ座っていた。


 俺は被っていたフードを後ろに外してカウンターに近づいた。


「あら、ポチさん。どうされました?」


「誰がポチだ!」


 反射的に俺は突っ込んだ。


「あはははは。ごめんなさい。あんまりインパクトが強かったものだから」


 俺は、ふう、と息を吐いた。


「何で、あんなに懐かれたんだ?」


「その顔。失礼ですがワンダルフさんは、ああ・・ちゃんが小さい頃に飼っていた犬に、そっくりなんです」


 俺の顔は基本的に黒犬だが左耳根元の頭頂部寄りから右目を斜めに切断するように右耳全体を含む顔の三分の一弱の毛が白くなっている。他には見たことがない柄だ。


「その犬は?」


 受付嬢は首を振った。


ああ・・ちゃんがギルドの仕事でダンジョンに入ったのを追いかけちゃったみたいで、それっきりに。でも、ああ・・ちゃんは、ずっとどこかで生きていると思っているんです」


「言動が幼かったみたいだが」


 俺はトントンと指先で自分の頭を叩いてから、くるりと回した。


「そんなんじゃありません」


 受付嬢の声のトーンが高くなった。


「ただ、誰からも教育を受けていないだけです」


「悪かった」


 俺は素直に受付嬢に謝った。


 いや、本当に謝るべきは、ああ・・に対してだろう。


 奴隷に下手に知恵をつけると理屈をこねて主人に逆らうようになるから駄目だと言われている。


『あ』とか『い』とかいう名前は奴隷の名前付けを主人が面倒臭がった場合によくある奴だ。


『あいうえお』の『あ』、『いろはにほへと』の『い』、『ABC』の『A』、『αでありΩ』の『α』、要するに最初の一文字だ。


『あ』でも『あああ』でも『ああああ』でも区別さえつけばどうでもいいのだ。


 今回、『ああ』なのは多分、『あ』一文字は既に誰かに登録されていたとかそんな程度の理由だろう。


 本当は『あ』一文字だけれど単純に『ああ』と伸びて発音されているだけかもしれない。


 いずれにしても区別がつけばどうでもいいのだ。


「彼女はギルドの奴隷なのか? 奴隷の証の首輪はなかったが」


「実質の奴隷待遇です。まだ小さい頃ギルドに置き去りにされていたそうです。顔の火傷もできたてで死にそうで、多分そのせいで捨てられたのだろうって。すぐ死ぬだろうからと奴隷商も引き取らず当時のギルドマスターがここに置くことに」


 何だか、しんみりした。


 探索をしていると裸猿人族ヒューマンの女が他種族の男に無理やり、なんて話は珍しくもない。


 ヒューマン同士でもある。


 望まれない子だ。大概は奴隷として売られるか間引きされる。


「彼女とは幼馴染? ここはダンジョン系のギルドだから職員は地元出身者が多そうだ」


 ダンジョン系の探索者ギルドの職員は、そもそも圧倒的に地元の人間が多い。


 ダンジョンは地元の共有財産だと考えられているからだ。


 あがりを余所者よそものにとられないよう地元が運営組織を担っている。


 親がギルド職員ならば子もギルド職員になる場合が多い。


 職員の仕事の邪魔にならないよう職員たちの子供は日中、一つ所に集めて年長者管理の元、放っておかれる。この受付嬢とハーフオーガ女の二人は同じ輪の中にいた可能性が高いと俺は踏んだ。


「何も知らない小さい頃はよかったですね」


 子供の頃は一緒に走り回っていたはずなのに、いつしか立場に違いがあると知って、仮に相手を気にかけていたとしても今までどおりに近づいたり親しく話せなくなるなんて話は貴賤に関わらず、ざらにある。


ああ・・ちゃん、ワンダルフさんに会って、とても嬉しそうだったから優しくしてあげてくださいね」


「もしえんと機会があったらな」


「絶対ありますよ」


 受付嬢は、にっこりと請け負った。なぜだか自信満々だ。


「ところで、ご用件は?」


「実は今夜泊まる宿がない。ギルドの伝手で何とかならないか?」


 受付嬢は、あからさまにご愁傷さまという顔をした。


「ならないです」


 俺は天を仰いだ。


「じゃあ、ここに泊まらせてくれ。屋根さえあればそのへんの床や馬小屋でもいい」


 ぷは、と、受付嬢は吹きだした。


「縁、ありましたよ」

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