正月の神の家
一夜明けて、新しい年がやってきた。
「私…は白みそが良い!あでもお澄ましの方もちょっと味見したいかな」
「ふ。邪道だな楓は。雑煮はお澄まし一択だろ」
絶対に喧嘩になると分かっていたので、お雑煮は白みそとお澄ましと二つ作っておいた。やっぱり二種類作っておいてよかった。年始から血をみることになるところだった。
「餅なら腐るほどあるからな。今日からしばらくは三食餅だ」
「まかせて。おやつだって餅でもいいわよ」
「俺はおせち専門でいかせてもらうわ。けど実際問題、どんだけ三人で頑張っても余るだろあの餅の量」
「ああ、あれは近所の神やあやかしに配るんだ。明日は二人ともそれ手伝えよ」
「おっ、瑞穂が『稲の神様』らしいことするの初めて見るー」
「無駄口たたいてないで集中して食べろ。でないとお前が今年の患者第一号になるぞ」
楓はもっちゃもっちゃと美味しそうに餅をほおばった。
「そういや瑞穂ってこんなところに居ていいの?お正月ってそれこそ本業の方忙しくなるんじゃないの?初詣とか来るでしょ」
「何言ってんだ。神様だって正月は休んでるもんだぞ」
「えー⁉じゃあ、私がこれまで初詣に行ってた神社って無神だったの?」
「そりゃそうだ。正月なんて、それこそ神様は天界で飲んだくれてるのが普通だからな。まあでも、お願い事の記録は、あとでサッと読んでるから」
「えええ…。そんな感じなの?なんか、もっとじっくりと、一人一人に耳を傾けてくれてるんだと思ってた」
「そんなの無理だろう。神様だって万能じゃないんだ。それに、人間の願いをかなえることだけが神様じゃないからな」
「そうだよなー。神様って恐ろしいやつもけっこういるし」
「『神堕ち』とか?」
「あれはまた別だよ。ほら、例えば『雷神』とかさ」
「『畏れ』は神様の大事な役割だからな。『雷神』はまさに『畏れ』の象徴だ」
「確かに。雷様は願いをかなえる系の神様じゃないよね」
楓は納得、という顔になった。
「ごめんくださーい」
三人で雑炊を食べていると、『水の神』
ゴンは即座に立ち上がろうとしたが、その瞬間、餅がのどにつまったらしい。自分の胸をたたきながら目を白黒させている。楓がドンドンと、ゴンの背中をたたいてやった。
俺は、ゴンを楓に任せて来客の対応へと出向く。
「あけましておめでとう。さあ、上がってくれ」
「おめでとーさん!今年もあるか?雑煮!瑞穂の雑煮!」
雨音と一緒に、二番目の姉の
いつからか『水神三姉妹』たちは、こうやって正月にそろってうちに来るのが恒例になっていた。しかし、今日は一番上の
「今日は、雨霧はいないのか?」
「
そういって雨音は苦笑してみせた。
「あけまして、おめでとうございます。女神様方。今年もその麗しいお姿を拝見できて光栄です」
ゴンは雨音と雨夜が部屋に入って来るまでに、なんとか持ち直したようだった。ただ額にかいた汗は拭いきれていない。
「そんなのいいから、早く雑煮食べさせてよ。あたしゃ、そのために来たんだから」
雨夜の言葉を聞き終わる前に、ゴンは颯爽と台所に消えた。
「瑞穂、いつもの『お餅配り』は、いつやるの?」
雨音は、持ってきた重箱を炬燵の上で開きながら聞いた。
「明日やるつもりだけど、どうかしたか?」
「その方がいい。今日は嵐になると思うから」
雨音は気が重そうな様子でそう言った。
「なんで嵐になるの?」
「霧姉の喧嘩してる相手は、『雷神』なの。だからね、二人が喧嘩すると、ひどい雷雨になるのよ」
雨音が持ってきた重箱の中には、おせちがぎっしり詰められていた。見た目に派手さはなく質素なものだったが、雨音の作るおせち料理はいつもどれも美味しい。
『水の女神』たちは俺とは違って、金には困っていないはずなのだが、財布の紐を握っているのがしっかりものの雨音なので、裕福なわりには質素倹約な暮らしぶりをしていた。
昼過ぎから降り始めた雨は、だんだんと雨足を強め、遠くで雷の音も聞こえる。やはり『水神』と『雷神』が喧嘩しているというのは本当のようだ。
だが俺たちは嵐のことなどお構いなしで、ここぞとばかりに羽目を外して盛り上がった。
ゴンは水神二人と飲み比べをしてつぶれてしまい、畳の上で気持ちよさそうに転がっている。楓は雨夜と一緒に新発売の『化け知恵の輪2』と格闘していたが、二人とも相当酔っぱらっていて知恵の輪を解くどころか手で持っているのもやっとだった。しかも一向に解ける様子はないのに、何が面白いのか二人は時折笑い声をあげて転げまわっている。
雨音はというと、おそらくこの中で一番酒を飲んだのだが、いつもと変わらない様子で、皆が酒でつぶれていく様子を愉快そうに眺めていた。
そして、夜もだいぶふけた頃。雨夜と楓もついに眠ってしまい、居間は静かになった。
しらふの俺と一向に酔わない雨音は、使い物にならなくなった三人を居間に残し、二人きりで台所の洗い物に取りかかった。
「ほんと、楓とゴンが来てくれて良かったね、瑞穂」
食器を神水で清めながら、おもむろに雨音が言った。
「なんだよ急に」
俺は雨音が清めてくれた食器を布巾で拭いていく。
「だって、今まで瑞穂、ずっと一人だったから…」
「まあ、二人が来てくれて診察はずいぶん助かってるよ」
「診療所もだけど、ほら、私たちと出会ったときは、瑞穂けっこう荒んでたでしょ?」
俺は『水神姉妹』と出会った当初、まだ妖だった。その頃の俺は、霧の中を歩いているようなもので、ふらふらと地に足のつかない日々を漫然と過ごしていたのだ。
「あの頃は、雨音たちにも迷惑かけたよな」
「ううん。瑞穂が努力して、少しずつ変わっていったんだよ。それに、楓とゴンの二人が来てからはずっと表情がよくなったと思うわ」
「そうかあ?むしろ二人のせいで、毎日イライラして荒れてる気がするけどな」
そして、俺と雨音が宴会の後片付けを終えた頃、玄関の方から声が聞こえた。
「みんなぁ!いるー?」
玄関から聞こえたのは、『水神三姉妹』の長女である、
雨霧は出迎えるまでもなく、ずかずかと俺たちのいる居間に入って来る。
「ちょっと聞いてよー!って何、もうみんな、つぶれちゃってるの?」
雨霧は、酔いつぶれたゴン、楓、雨夜の三人の姿を見て顔をしかめた。
「霧姉が遅いからだよ。それで、づっちーとは仲直りしてきたの?」
づっちーというは『雷神』のイカヅチという男のことで、先ほど雨音が言っていた、雨霧の喧嘩の相手である。
「仲直り?私は、あいつが泣いて詫びるまで、絶対許さないわ」
雨霧は、頭から湯気が出そうなくらいご立腹だった。せっかくの美しい顔が、ゆで蛸になりそうである。
「何があったんだよ」
「聞いてくれる瑞穂ぉ。あいつ今度は桜の精と遊んでたのよ。絶対許さないわ、今度こそぜーったい許さない」
「そうか大変だったな。まあ飲めよ、飲んで忘れな」
実はこの『水の神』である雨霧と『雷神』のイカヅチとの喧嘩は、俺が知るだけでももう186回目なのだ。よくもまあ、これだけ喧嘩のネタが尽きないものだと、むしろ関心してしまうが、雨霧にとってイカヅチに喧嘩を吹っかけるのはすでにルーティーンのようなものなのかもしれない。それに付き合うイカヅチもイカヅチで、優しいのか、ただの阿呆なのか分からなかった。
「お姉ちゃん、そんなにお酒強くないんだから、ほどほどにしといてよ。私また吐物まみれになるのは嫌だからね」
そんな雨音の忠告も聞かず、雨霧はぐびぐびと酒を仰いだ。雨音はそんな雨霧に何か言おうとして口を開きかけて辞めた。そして、深い溜息をついたあと、俺の淹れた茶をすすった。
「邪魔するぞー」
また玄関から誰かの声が聞こえた。そして今度も、出迎えに行く間もなく来客が勝手に入って来る足音が聞こえた。みんな、俺の家を、公民館か近所の集会場とでも思っているのだろうか。
「まーた、ここにいた。なんでお前はいつも、一人で勝手に行っちまうんだ」
入って来たのは、噂の『雷神』イカヅチだった。
「え?誰…?サーファー?」
畳の上で寝っ転がっていた楓が、『雷神』が居間に入って来たのに気づいて、むくりと顔を上げた。
「馬鹿、サーファーじゃなくて『雷神』だ」
だが楓がサーファーと言ったのも、分からなくもなかった。なにせ、このイカヅチという男は、この寒さの中でも、筋肉質な小麦色の上半身をむき出しにしているような奴なのだ。
「何しに来たのよ…」
「何しにって、お前が話してる途中で消えちまうから、迎えに来たんだろ」
「もう話すことなんてないわ。出てってよ!瑞穂こいつ追い出して!」
「うぅん」
俺は面倒ごとに巻き込まれないよう、曖昧に返事した。
さすがに186回目ともなると、二人の喧嘩も、もはや夫婦漫才の域である。
俺と雨音は炬燵で熱い茶をすすりながら、この嵐が通り過ぎるのを、ただじっと待っていた。
「もう!みんな私の話し、聞いてくれないんだから!」
雨霧が癇癪をおこすのも、毎度のことである。これは、そろそろ『雷神』が次の一手を出してくる頃合いだ。
俺が横目でちらりと『雷神』を見ると、袴のポケットをごそごそ漁っているのが見えた。そして、薄紅色の可愛らしい花がついた髪飾りが、姿を現した。
「ほら、これ作らせてたんだよ。お前のために」
『雷神』は、その小さな可愛らしい髪飾りを雨霧に手渡した。
「か、かわいい…」
「お前の髪の色に合うと思ってな。俺の目に、狂いはなかったろ?」
「ありがとう…ヅチ」
「当たり前だ。俺はお前にぞっこんなんだからよ」
「もう…ヅチ大好き!」
ズズズ…。俺と雨音は茶を飲み干した。
隣で一部始終を見ていた楓をちらりと見ると、なぜか目を潤ませ、鼻をすすっている。まさかとは思うが、この夫婦漫才を見て感動したのだろうか…。
そして、ゴンと雨夜はというと、二人が大声で喧嘩をしていたにも関わらず、すぐ横で腹を出してひっくり返って寝ていた。
まったく、どいつもこいつも愉快なやつらばかりだ。
「今年もこいつらみたいには、ならないようにしよう」
俺は独り、年始の意思を固くしたのだった。
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