嫉妬に凍える雪女(中編)

診察後の片付けを終えてゴンと一緒に家に帰ると、すでに食卓の上には夕飯の皿がずらりと並んでいた。

きゅうりの酢の物、きゅうりの春雨サラダ、カツオときゅうりの甘辛炒め、きゅうりのみそ汁。

なんとなく予想はしていたが、全てのおかずに漏れなくきゅうりが入っている。


「だって、きゅうりってそんなに保存が利かないんだもん!ぬか漬けの壺だってそんなにたくさん入らないし…」


俺たちの表情で察したのか、楓は今日の夕飯がきゅうりのフルコースになった理由をまくしたてた。


「俺、きゅうりってそんなに好きじゃない」


ゴンはあからさまに、きゅうりだけ避けておかずをつまんでいた。俺は苦手というわけではないが、さすがにこれだけ、きゅうりがあるとキツイ。

だがもったいないので、俺は楓が作ったきゅうり料理を全て平らげた。




次の日、診療所は休みにしていたので、俺は朝から畑の作物の世話をしていた。楓も一緒に畑仕事を手伝ってくれていたのだが、これから寒くなるというのに、きゅうりを植えると言い出した。


「うげえ。また、きゅうりかよ。もういいって」


準備をしている楓を横目で見ながら、ゴンが嫌そうな顔をして言う。


「冬でも育つ方法教えてもらったから試したいの」


「だけど、もう植えるとこないぞ、この畑には」


「ええー。じゃあ植木鉢でいいか」


楓は巾着から薄い橙色の貝殻を取り出した。そしてそれを粉砕し植木鉢の土に混ぜる。


「この『夏蛤なつはまぐり』って言う貝を土に混ぜておくと、冬でもきゅうりが出来るんだって!」


楓は嬉々として、きゅうりを植えていたが、途中何度も「ぶえっくしょい!」と盛大にくしゃみをしていた。


「大丈夫か。薄着すぎるんだろ、もっと服着て来いよ風邪ひくぞ」


「うーん、なんか今日は冷える。もう冬なんだね」


「だから、きゅうりなんか辞めとけって言ったんだ。そんなん混ぜたって、この寒さじゃ絶対無理だって」


「うるさいなぁ。ゴンにはきゅうり出来てもあげないから」



今日は一日中、畑仕事をした後、早めに夕飯を済ませ、その後はまた炬燵で暖をとりながらそれぞれ自由に過ごしていた。


俺は診察で使う護符が少なくなってきていたのを思い出してその作成に取りかかり、ゴンは寝ころがりながら漫画を読んでいた。楓は『あげ』印の「化け知恵の輪」と格闘していたが途中で飽きたらしく、漫画を読んでいるゴンに話しかけた。


「ねえゴン。ゴンは耳とかしっぽとか出たりしないの?ほらよくあるじゃない。猫耳的なやつ」


楓はそう言って、自分の手を頭の上でぴょこぴょこさせた。


「こういうやつか?」


と言うゴンの頭の上にはいつの間にか三角の猫の耳がはえていた。それを見て楓は「きゃ!かわいい!」とその頭の上にはえた耳を触ろうとしたので、ゴンはすぐに耳を引っ込めた。


「こういう半妖はんようの姿って、妖力が不安定になるから、あんまりなりたくないんだよ」


「どゆこと?」楓は首をかしげた。


「妖力って人の姿になってる方が扱いやすいんだ。その方が力を繊細にコントロールできるし、使える妖術の幅も広がるから。逆に半妖の姿って中途半端で力が安定しないし、不便なんだよ」


「そうなんだ。耳、出てる方が可愛いのにな」


「中には半妖の姿を好むやつもいるけどね。あえて不安定な感じを楽しむっていうのかな。そういう変わり者もいる」


ゴンの解説に一つ付け加えると、子どものあやかしのように未熟なものや、人の姿になりきれない者もまた半妖の姿となっていることもある。それに天狗なんかはあの高い鼻に誇りを持っているから、常に異形の姿だ。


「じゃぁ、ゴンもたまには半妖の…へっきしょい!!」

 

「楓、この中に入ってて寒いのか?」


『火の玉』の火加減が強すぎたのか、炬燵の中は蒸し風呂のように暑くなっていた。


「え?二人とも寒くないの?」


「俺はちょっと汗ばんでるくらいだぞ?」


ちらりとゴンを見てみたが、ゴンも特に寒そうな様子はない。


「俺も、どっちかというと火強すぎたかなと思ってた」


「わたし、風邪ひいちゃったのかな?」


そう言う間にも、楓の顔からはさーっと血の気が引き、唇と手の先がみるみる紫色になっていく。


「楓、大丈夫か?これ…本当に風邪か?」


確かに、これほど急激に血の気が引くなんて、ただの風邪とは思えない。


「おまえ、どこかで術をかけられたんじゃないだろうな。今日変わったことなかったか?思い出してみろ!」


「そんなこと言われても、今日は畑仕事以外なにもしてないよ…」


「そうだ、昨日買い出しに行ったとき、会ったのは『河童』のハナだけだったか?」


「えと…あとは薬局の『ガマ仙人』と…それから、帰って来た時に綺麗な女のひとに会った。神社の前でこけそうになってたから、助けてあげたの」


俺とゴンは顔を見合わせた。


「それだ!楓ちょっと」


楓の皮膚が出ている部分をよく見てみると、手首の内側辺りに小さな薄いあざがあった。


「ゴン!急いで診療所から『呪消じゅけ』取って来てくれ!」


ゴンは分かった、と言って診療所に走っていった。


「これはおそらく『氷室の術』だ。ったく何でこんな面倒なものかけられたんだ」


ずっと近くにいたのに楓が『呪い』をかけられていたことに全く気付かなかった。俺としたことが、呪いの臭いに気づかなかったとは。


「何でわたし…」


楓の身体は氷のように冷たく、皮膚は真っ白になってきていた。すでに返事をすることもままならない様子だ。


「駄目だ!目を閉じるな!もう少しでゴンが戻ってくるから、頑張れ」


俺は楓の肩を強くたたいて意識が持っていかれないように刺激し続けた。しかし、ゴンはなかなか戻ってこない。もしかすると、あいつは『呪消しの粉』がどこにあるのか分からないのか。


これは俺が行った方が早いだろうと腰を上げようとした瞬間、強烈な寒気を感じた。最初は冷たい楓を抱えていたからだと思ったが、違う。縁側の障子の隙間から猛烈な冷気が流れ込んできているのだ。そして風もないのに、ふっと居間の明かりが消えた。月明かりに照らされ、何者かの影が障子に浮かび上がる…。

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