#35 帰宅




 結婚の意思を確認出来たことが余程嬉しかったのか、A駅に到着するまでミキは俺に抱き着きそうな勢いでべったりで、しきりに「これで旅行、終わりかぁ」とか「次に行けるのは何時かなぁ」など、旅の終わりを惜しんでいるていで、『もう少し一緒に居たい』と言いたげな様子だった。


 勿論、その気持ちはとても嬉しいが、今朝二日酔いだった上に長時間の電車での移動で疲れてもいるはずのミキを早く家に帰さなくてはならない。 いくら本人がもう少し遊びたいと言ってても、流石にこれ以上の無理はダメだ。



「疲れてるだろうし体調だって悪いんだから、今日は大人しく帰りなよ。 それに家族にも今日帰ること言ってあるんでしょ?」


「体力だけは自信あるもん。お家には『体調悪いから、もう1日お世話になってから帰る』って言えばいいし、ヒロくんちにもう一晩お泊りしたい」


「ダメだって。今日は帰りなって。 そうだ、明日は昼から会って、夕方一緒にバイトに行くようにしよう。今日は帰って寝るだけだから、それなら我慢出来るでしょ?」 


「むー」


 いつもなら簡単に折れる俺が珍しく譲らないから、ミキはワザとらしく不機嫌な表情を作った。


 ミキの体調を心配する俺と、まだ帰りたくないと俺んちに泊まろうとするミキ。

『帰れ』と言う男と、『泊まる』と言う女。


 電車の中なので周りの乗客に聞こえない様に肩寄せ合って小声で会話しているが、こんな会話を聞かれでもしたら「リア充、氏ね!」とか言われるのは間違いない訳で、こんな会話はとっとと終わらせたい。


 だがしかし、ミキは諦めない。

 俺が拒否すればするほど、不屈の闘志を燃やし、電車を降りてからもバス停に移動してからもしつこく「変なことしないから」だの「一緒に寝るだけだから」だの、まるで、気分が乗らない女性にどうしてもヤリたい男が言う「先っちょだけだから」みたいなことを言い続け、それでも頑なに「今日は帰って休め」と言う俺に、ミキは最終手段に出た。


 俺やヒトミのワンルームとミキの自宅は路線バスが異なるので、ミキの自宅方面のバス停へミキを見送る為に来たのだが、停車中のバスに乗ろうともせずにベンチにヒザを抱えて座り込み、顔をヒザに伏せて「旅行凄く楽しかったしヒロくんが結婚してくれるって言ってくれて凄く嬉しかったんだもん。もっと一緒に居たいって思うのは仕方ないじゃん」とシクシク泣きながら駄々をこね始めた。


 ミキが泣く姿をこれまで余り見ることは無かったので少なからず動揺してしまうが、それでも何とか宥めて帰って貰おうと横に座って話しかけていると、バスは出発してしまい次のバスまで30分待ちとなった。

 ミキの体調を思えばこそ早く家に帰してやりたいのに、本人は帰ろうとせず、俺も帰れない。


 で、結局俺が折れた。



「分かったよ。 本当に寝るだけだからね?エッチとかしないよ?」


 遂に俺が了承の言葉を口にすると、泣いていたはずのミキは顔を上げてパァと100点満点の笑顔で「ヒロくんだ~い好き!」と言いながら抱き着いて来た。

 ミキの眼元や頬は、全く濡れてはいなかった。



「てめぇこの野郎!ウソ泣きかよ!」


 俺が怒ろうが人目も憚らずに俺に抱き着くミキ。

 腹立つやら飽きれるやら。

 でも既にOKしちゃったし、諦めてとっとと俺の部屋に帰ることに。



 ミキがお金を出すと言うので、俺の部屋までタクシーで帰ることにした。

 ヒトミの家に置きっぱなしの自転車は、明日バイト前にでも取りに行く予定。


 タクシーの中で「家に電話するんじゃなかったの?」とミキに尋ねると、「電車に乗ってる時にLINEでもう言ってある」と言う。

 つまり、ミキの中ではウチにもう一泊するのが最初から決定事項だった訳で、バス亭で俺がいくら説得を試みたところでこうなることが決まってたということで…。


「因みにどのタイミングで?」


「う~ん、7時くらいだったかな?」


 7時頃だと、電車乗り換えて直ぐの頃で、まだミキが落ち込んでた時間帯だ。


 元気の無いミキを元気付けようと、羞恥に耐えて結婚の話とかして頑張ったと言うのに、この女は…

 目を細めて不服の意を眼力に込めてジッと睨むと、ミキは両手で俺のほっぺを掴み「怖い顔しないの。うふふ」と茶化す。


『女はしたたか』とよく言うがミキもやっぱり女で、なんだかんだと俺はてのひらの上で踊らされる運命さだめなのかもしれない。




 ◇




 俺のワンルームに着いた頃には夜の9時を過ぎていた。

 ミキが支払いを済ませてる間にタクシーのトランクから荷物を降ろして、2階の自室前に運ぶ。

 タクシーから降りたミキも来たので、ポケットから玄関の鍵を取り出し開錠し扉を開ける。


 最近は帰宅時のクセになっている郵便受けの確認をするが、特になにも入っておらず、ミキに先に上がって貰い俺は二人分の荷物を運び込む。



 ふぅ~

 やっと帰ってこれた。

 マジ疲れたなぁ


 と玄関の内鍵を締めながら靴を脱いで上がると、先に上がって部屋の換気をしようとしていたミキが大きな声を出した。


「ヒロくん!ベランダの鍵開いてたよ!出る時確認しなかったでしょ!」


「なぬ!?」


 慌ててミキの居る窓際に駆け寄る。


 五日前の家出る時、どうだったっけ…


 確か、冷蔵庫の玉子がパックごと残ってるのに気が付いて、悪くなったら勿体ないって慌てて料理して急いで食べて、そんなことしてたせいでヒトミとの待ち合わせの時間が迫ってて、食事の片付けもロクにせずに慌てて飛び出したな…


「家出る前、めっちゃ急いでたから、施錠した記憶が無い…」


「もう!ホント抜けてるんだから!しっかりしないとダメじゃん!」


「ごめん…。 念のために部屋の中の確認するから、ミキはお風呂の準備して先に入ってて」

 

 はぁ



 ようやく帰ってこれて疲れてるのに、なんてこった。

 自分自身への怒りをドコにも向けることが出来ず、ミキの前だというのに思わずため息を零してしまう。


 俺が自分の不甲斐なさに落ち込みながら取り合えず荷物をベッドの傍まで運ぶと、ミキは「その前に!」と言いながら両手を広げてハグを要求してきた。

 今朝は二日酔いでヘロヘロだったというのに、流石バレーボールで鍛えて来たお陰か、復活すると俺よりもよっぽど元気だ。


 ハグに応えると、更にミキの方から濃厚なキスをしてきたが、俺の方が疲れてる上に施錠忘れで凹んでいたので直ぐに終わらせる。



「コレがしたくて今日は帰りたくなかったんだよ~」


「そっか、しかし帰って早々アクシデントでごめん」


「ううん。私もさっきはキツい言い方してごめんね? 部屋の中のチェックは私も一緒にするから、お風呂には一緒に入ろ?」


「了解。その前に、母さんが作ってくれたおにぎりで晩飯にしよう。少しは休まないとマジで倒れる」


「うん、分かった。その前にお手洗い」


「そうだ、うがいも手洗いもまだじゃん。まずは落ち着こう」



 ミキがトイレに行ったので、俺はキッチンの流しで手洗いとうがいを済ませ、お茶を煎れる為にコンロに置きっぱなしのヤカンを水ですすいで、湯を沸かす準備を始めた。



 だがそこで、キッチンの様子に違和感を感じた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る