第30話 俺の義姉がこんなに可愛いわけがない

 前日。冬弥は水着を買うべく、近所のショッピングモールに来ていた。


 冬弥の隣には紅色髪の女性がいる。若宮ナギは肩にバッグを提げながら、ウキウキした様子で歩いていた。


「いや〜、海なんて何年ぶりだろ〜」


 ナギはそう言って笑った。彼女はタンクトップに露出の多いショーパンと、夏らしい格好をしている。


「夏休み初日から、車出してもらってすみません……しかも明日も……」

「大丈夫だよー。たまには外に出て、リフレッシュするのも大事だし〜」


 ナギはニコリと笑った。明日は冬弥たちを乗せて、海まで一緒に来てくれるらしい。


「ほんと、ありがとうございます!」

「いえいえ。でもまさかここまで灯織が乗り気になるとは思わなかったよ。こっそり一人で水着も買ってたみたいだし〜」

「そうですね。あいつも楽しみにしてるみたいです」

「ふぅん……そっかぁ……」


 彼女はどこか嬉しそうな声色で呟いた。冬弥は少し不思議に思ったが、気にしないことにした。


「ところで、どこに向かってるんですか?」

「え? 女性用の水着が売ってる店だけど」

「……?」


 冬弥はキョトンとした。


「あ、あの、ナギさん? 俺は別に着いていかなくても……」

「心配しないで。後でちゃんと冬弥くんの海パンも選んであげるから♪」

「え!?」

「せっかく行くなら、ちゃんと準備しないとね」

「それは分かってますよ! でもその、女性のお店は恥ずかしすぎるというか……!」

「大丈夫! ちょっと試着して冬弥くんに見てもらうだけだから!」

「それがマズいんですよ! 殺す気か俺を!」

「でも明日どうせ見るんだから、いいでしょ。ホラ、行こ!」


 そう言って、ナギは冬弥の手を引いた。


「わ、分かりましたから……!」


 そうやって先を歩くナギの後ろ姿は、少しだけ灯織のそれに似ていて。


 やはり姉妹なんだなぁ、と思いながら冬弥は後をついて行った。


「はい、着いた!」

「Oh……」


 女性用水着専門店に辿り着くと、冬弥は顔を背けた。店内には文字通り、女性が着るための水着しか置いていなかったのだ。


「大丈夫だってば。誰も冬弥くんのことなんか見てないよ」

「そういう問題じゃない……! 俺がここにいる全ての人間を見ちゃうんですよ……!」

「何言ってんの。ほら入るよー」

「ちょ!?」


 ナギは冬弥の手を引くと、そのまま店の中へと入っていった。


 ☆


「…………」


 冬弥は試着室の前で、小さくなって佇んでいた。


 ナギが水着に着替え終えるのを待っていた。幸い店内には人が少なかったからいいものの、これではただの不審者である。


「……はぁ」


 冬弥がため息をついた、その時だ。着替え終わったナギは、試着室のカーテンを勢いよく開けて出てきた。


「どう?」

「…………!」


 冬弥は言葉を失った。その格好があまりにも破壊力抜群だったからだ。


 ナギは薄い水色のビキニを着ており、抜群のプロポーションと相まって、まるでモデルのようだった。まさにボンキュッボン、理想の体型である。


「どうしたの?」

「あ、いや、なんでもないですよ!」


 そう言って冬弥は目を逸らす。すると、ナギは冗談めかして笑った。


「あははっ……そんなに似合ってないかな?」

「そ、そんなことないです!」

「じゃあさ、感想聞かせてよ。可愛いとか綺麗とか、なんかあるでしょ?」

「……」


 冬弥は言葉に窮した。しかし、答えなければここから解放してもらえないだろう。


「か、かっこいい……です」

「へぇ〜! かっこいいか〜!」


 彼女はニヤリと笑った。


「そっか〜。可愛いじゃなくて?」

「もちろん可愛いんですけど……なんか、かっこよさが勝つというか……」

「ふぅん……?」


 ナギは興味深そうに冬弥を眺めた。そして、不意に手を近づける。


「おっ!?」


 すると、ナギは自分の手を冬弥の顔にくっつけた。


「もっと見てもいいんだよ?」

「か、からかわないで下さい!」


 冬弥は顔を真っ赤にしてそう叫んだ。ナギは笑いながら、彼から離れる。


「じゃ、この水着にしようかな〜♪ 冬弥くんもそろそろギブアップって感じだし!」

「やっぱりわざとですか! 酷いですよ、いたいけな少年の心を弄ぶなんて!」

「あはは。ごめんって〜」


 彼女はケラケラと笑った。冬弥は大きなため息をつく。


「もう……勘弁して下さいよ……」

「じゃあ、これ買ったら次は冬弥くんの水着ね!」


 ナギはそう言うと、試着室のカーテンを閉めた。「……」


 冬弥はしばらく呆然としていたが、やがて大きな溜息をついた。


「誰かに見つかったら終わるな……」


 そう呟きながら、天井を仰ぐ。そして、ぼんやりとナギが出てくるのを待つことにした。


 ☆


「あはは、いいねー! その腹筋!」

「………………」


 その後、二人は男女両方の水着が売っている店に来ていた。試着室にて、今度は冬弥が水着に着替えている。


「結構鍛えてるんだねー。これは灯織ちゃんも驚いちゃうかも……」

「待ってください! 水着の感想は無いんですか!?」

「え? いや、まぁ、普通にカッコいいと思うよ?」

「なんでもいいと思ってますよね!? もういいですよこれで!」


 冬弥が選んだのはごく普通の海パンであった。どうせ海に行くなら色もそれっぽい方がいいだろと思い、青いものを選んだのだ。


「着替えますよ、じゃあ!」


 冬弥は試着室のカーテンを閉めると、元の服装に着替えた。その間わずか八秒である。元々男子校に通っていたからか、着替えが凄まじく早い。


 そのままカーテンを開けて外に出る。しかし、気づけばナギがいなくなっていた。


「あれ……」


 冬弥はキョロキョロと辺りを見回す。女性用の水着でもまた見てるのかな……と思い、そのまま広い通路に出た。


「……!」


 すると、ビキニを持った女の子と目が合った。その子は着物を着ており、薄い桃色の髪を後ろで束ねている。冬弥は驚いた。その少女に見覚えがあったからだ。


「初代───」

「……!」


 冬弥は駆け寄ろうとしたが、それより先に彼女が走り去ってしまった。


「……」


 冬弥はその場に立ち尽くしていた。たしかに、あの女の子は松原初代だった。


『貴方様の真っ白な心は……やがて……』

『初代とともに……染まっていくでしょう』


 その時の彼女の表情を思い出してしまって。冬弥はその場から動くことが出来なかった。


「あっ、着替え終わった?」


 ナギの声を聞いて、冬弥はハッとした。いつの間にかナギは戻って来ており、冬弥のすぐ側まで近付いていた。


「あ、はい……」

「よしっ。じゃあ買いに行こっか」


 そう言って、ナギは歩き出す。しかし冬弥の脳裏には初代のことが引っ付いて離れなかった。


「ん、どうしたの?」

「な……なんでもないです!」


 冬弥は慌ててナギの後を追った。なんで初代は逃げたんだろう──そんなことを思いながら。

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