第22話

 王都を出発して、東へ師匠の飛行魔法で約2時間。

 荒野という程ではないが、草原と評するのは無理があるなという、草がまばらな乾燥した土地。

 そこが、今夜にも【淀み】が発生するだろうと、師匠が予測した地点だった。


 今は夕方。師匠が2往復して運べる限りの人員と物資を運び、現地の領主様から派遣された軍も合流し終えたところ。ちなみに、聖女が行くならば王族も行かないわけにはいかないとかで、能力と私との親しさにより選出されたというマライア王女も運ばれた人員の中に入っている。

 罪人であり頭一つ抜けた実力者でもある師匠は当然のように最前線、その少し後方に盾と槍持ちの騎士、更に後ろに魔法使いの一団と彼らを守る役割もあるらしい遊撃役の剣士たち、一番後ろがマライア王女とその護衛と領主軍の指揮官とその護衛。

 こういった配置で淀み発生予測地点の前に陣取っていて、私は師匠の隣にいる。

 戦闘が始まれば魔法使いさんたちと同じラインまで下がるように言われたけど、それは師匠にバリアや強化の魔法をかけてからにしたい。


 うーん、いざ【淀み】が発生する瞬間には師匠がわかるそうなのだけど、あとどれくらいなんだろう。

 皆一様にすぐ戦える準備はしてあるものの、あまりに何もない場所過ぎて、まだどこか現実味がないというか、どことなく空気が緩い。


「リア、お前は今のうちにマライア王女殿下のところに行っておけ」

 そんな中、師匠はふいに、そんなことを言った。


 出発前とここに到着してすぐに、あちらから丁寧な挨拶はあったんだけど、戦闘開始前に改めて挨拶をしに行ってこいということかな……?

 師匠の指示に従うという約束でこの場にいるから従うつもりだけど、いまいち理由がわからない。


 頷きつつも、首をひねる。

「はい、わかりました……? なにかあちらに伝言とかあります?」


「ない。いいから早く行け。間に合わなくなる」

 今一つ真意がわからなかったが、まっすぐに前を見つめる師匠が、どこか緊迫した雰囲気で重ねて命じてきたので、私は今度はただ黙って頷いて、後方へと歩み始めた。


 間に合わなくなる? 何が? 王女様の方で何か起きているの? 師匠の謎の勘で、私があちらに行く必要性を感じ取った? でもこの緩んだ空気の中で、なにかがあちらで起きている気がしないんだけど……。

 師匠からの伝言はないということだが、マライア王女の所に行けば、あちらから何か指示があるとかかな……?

 事前に王女様の所にバリア張ってから戻って来いとかそういう……? でもそれならそういう風に言うよね? ただ行ってこいってなに? やっぱり改めて挨拶しておけとかそういうあれ?

 疑問は色々浮かぶものの、まあまだ何も起きなさそうな空気だし、挨拶がてら時間を潰してこいくらいのものだろう。たぶん。

 私がそわそわしていたのが若干うざかったのかもしれない。それで、なんでもないけどとにかく行ってこいって。これかも。きっとこれだわ。


 そんな結論が出た辺りで、私は最後方にたどり着く。

 マライア王女たちの護衛の方々とも会釈しつつすれ違って、マライア王女の目の前へ。

「聖女様……? どうかなさいま……」


 ……!?


 瞬間、ぐわん、と、私の背後の、空気が揺れた。

 私に声をかけようとしたのだろうマライア王女は言葉を失い、目を大きく見開いている。

 周囲の護衛の人々が、素早く一段警戒を高めた。


「構えろ! 来るぞ……!」

 慌てて背後を振り返れば、最前線で師匠が大声で、前線の人々に向けてそう叫んでいた。


 えっ。来る!? 来るって【淀み】が来るってこと!?

 今のうちにって、まだ淀みが出るまでに時間がある今のうちに挨拶済ませて来いって意味じゃなくて、今から淀みが発生するから巻き込まれないうちに後ろにさがっておけってこと!?


 あ、あの野郎、私を前線から遠ざけやがった……! 私だって、師匠の手助けくらいはしたかったのに!!


 憤る私の視線の先、ぐにゃり、師匠の眼前の大地が歪んだ。


「なに、あれ……。あれが、【淀み】……?」


 どろり、どろりと、嫌悪感を掻き立てられる、ねっとりと重たい質感の影のようなヘドロのようなナニカが、大地から湧き出て広がり覆い、不気味にその輪郭をたわませていく。

 穢れを浄化しに行った所は、黒っぽくなっているだけでしっかりと踏みしめることのできる大地だった記憶があるのだが、こちらはゆらゆらとぬとぬとと蠢いていて、まるであの場が沼に変わってしまったかのようだ。


「魔物が出るわ! わたくしなどどうなってもかまいせん、聖女様を優先して護りなさい!」

 マライア王女から鋭くとんだ指示で、硬直したままの私の視界が、背の高い騎士らの背中で遮られた。


 ……っ! ぼけっとしている場合じゃない!

 私も、私にできることをしなくては!


 師匠に教わった通りに、深く息を吸って、集中して、こうなれと願いながら魔力を呼気にのせて吹き出す。

 この場にいる人皆に、どんな攻撃も跳ね返すバリアを。

 それから、身軽に動けるように、強い力を振るえるように、バフもかかれ!


 キラキラキラと、黄金の光が、見える限りのの範囲には広がったけれど、師匠のところまで届いただろうか……。

 というかこれ、本当にちゃんと私の魔法、できてるのかな……。


「……ひっ」

 魔物だ。魔物が、淀みから湧いてきている。

 きちんとできたか確認したくて様子を伺うためにひょいと覗き見た先、騎士の背中の向こうのその様に、私の喉から、意図せず悲鳴が漏れた。


 四足の、羽の生えた、鋭い牙の、蛇のような、様々な特徴を持った種々の黒い影が、ギシャアとこちらを威嚇するような産声を上げながら、淀みから湧いて、湧いて、次々に湧き出て、ああ、まるでこの世の終わりのような光景。

 あれが、こちらまで来たら、死んでしまう。そう確信せずにいられないおぞましさ。


「おら来いよザコども! 全部まとめて相手してやる!」

 ところが最前線の師匠は、どこか楽しげですらある様子で高らかにそう吼えて、やつらを燃やす炎を踊らせ始めた。

 それも、こちらどころか師匠以外の誰のところにも魔物がたどり着けない勢いで。


 魔物が湧いて、湧いたかと思った端から燃えて、燃えて、燃やし尽くされて、崩れ落ち消える。

 死の恐怖も緊迫感もどこかに飛んで行ってしまう程の、圧倒的な暴力。


「ええ、師匠、つっよぉ……」

 思わず、そう呟いてしまった。


 むしろこれ、魔物の湧きの方が間に合ってないな?

 師匠が討ち漏らしたら魔物を止める役目のはずの、師匠のちょっと後ろで警戒している騎士の人たち、なんか気が抜け始めてない?

 師匠じゃない魔法使いの人たちも、詠唱こそしているものの、詠唱し終える頃には魔法をぶつけるべき相手が消失しているようで、戸惑いが見える。魔法を引っ込めたり、テキトーなところにおずおずと放ったりしているもの。中には師匠の炎をサポートするように風を送っている人なんかもいるようなのだが、あれは意味があるのかどうか……。


「おいどうしたそんなもんかよもっと気合いれろよ手ごたえのない!」

 師匠はそんな理不尽なことを言いながら、苛立ちを表すようにぴしゃんと雷を落としその一撃でも魔物を崩れ落ちさせた。


 えっと、必要ない気がするんだけど、一応師匠にも強化かけておこうかな……。

 さっきのでかかっていたかもしれないけど、この集団の中で今現在戦っていると評せるの、師匠くらいだし。

 もしあの人に届いていなかったら、私がここに来たの、全くの無意味になってしまうので。


 そういや、『いや良いよお前は、来なくて』とか言われたなぁ。この光景を見ると、確かにそんな気がしてきてしまう。

 私はっていうか、師匠以外全員。別に来ても来なくても、師匠にとっては同じことなのかも。むしろ運ぶ手間の分マイナス、とか……。いや、むなしくなるから考えないようにしよう。


 いやいや、連れて来てもらった分、仕事をすれば良いのだ。

 師匠に、更なる力を。もっと軽やかに、強く、負担を少なく、速やかに回復するように……!

 私の祈りを込めた魔法が、どうやら無事に、師匠へと届く。

 師匠がキラキラと輝いた刹那、彼の操っている炎が、赤から金のキラキラを纏った青へ変じた。勢いも増している。


「……はははっ! ああ、これは良いな!」

 複雑な気分で放った強化の魔法だったけれど、師匠を高揚させ笑わせる程度の効果はあったらしい。


「んえっ!? なんで淀み自体が縮小し始めて……、あ、炎に聖女の魔力が乗ったから? それで、浄化的な効果が出たとか……?」

 そう考察する間にも、魔物たちは湧き出た端から燃え落ちて、やつらの根源である淀みすらも師匠の炎に撫でられたところから消え去り徐々にその範囲を狭めていっている。


 もしやこのままだと、淀みが落ち着いた後の穢れの浄化すら必要がなくなる……?

 待って。待って欲しい。

 いや、たぶん今師匠が浄化っぽいことができているのは私の魔法の効果であるのだが、直接仕事した感がないと、師匠の『いや良いよお前は、来なくて』がますます説得力を持ってしまう。

 今回すら最後尾に追いやられたのに、次回以降はもっとずっと後ろに追いやられるかもしれない。さすがに城に残れとまでいかなくても、最寄りの街とか。あり得る。それはなんか、ちょっとさすがに。私は活躍せねばならんのだ。

 いやでも、師匠の有能さをアピールすることも彼の助命嘆願には有効だったりするかな……?


「相変わらず、デタラメな男ね……」

 マライア王女が呆れたようにそう呟いた。

 この無双っぷり、相変わらずなんだ。初回の強化魔法は、やっぱり師匠のところまでは届いていなかったか。素で、死刑判決下る前から、あれだったのかあの人。

 じゃあ、師匠の有能アピールは、あんまり意味がないかもしれない?

 やっぱり私も活躍しなきゃ……!


「えっと、魔物に攻撃……は、あんまり意味ないかな? 淀み産の魔物とか魔王には私の魔法がよく効くって聞いてるけど、姿を確認してからこの距離で攻撃するんじゃ、あっちに届く前に師匠に燃やし尽くされて消えてるだろうし……」

 どうしたものかとそんな独り言をつぶやいていると、私の背後から、マライア王女がおずおずと声をかけてくる。

「聖女様におかれましては、こちらでおくつろぎいただいていてもよろしいかと……」


「いえ、さすがにそれは……。まあそれでもあんまり変わらないかなという気はしますけど、私だってなにかした、あ、ああっ、そんな事言っている間に師匠がすべてを片付けてしまいそう……!」

 マライア王女のお誘いを断っているうちにも、どんどん淀みが縮小してきている。


 いや、あれもたぶん私の力もあってのものなんだけど!

 師匠の活躍が華々しすぎて、聖女(むしろこの場の師匠以外の全員)なにしに来たの感がね!?


 できるかどうかわからないし、そんなことをしたという記録はないみたいなのだけれど。淀み発生→魔物が出現→どこかで限界が来て魔物の出現が止まる→討伐完了→穢れが残るからそれを聖女が浄化がセオリーらしいのだけれども。師匠の勢いは、そんなセオリーをひっくり返しつつある。

 こうなったらもう、私もセオリーひっくり返して淀み自体の浄化をするしかない!

 そう決意し、魔力を練り上げる。


 大地の穢れもなにもかも消え去り、この地に平和と安寧と豊穣が広がりますように……!

 ありったけの魔力と願いを込めて祈ると、まばゆい光が、私を中心に広く広く、師匠のいるラインも淀みの発生地点も越え、どこまでも広がり大地を覆っていった。


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