第15話

 私は、私のせいで伸びきった草に埋もれかけている護衛の方々の様子を確認すべく、席を立った。

 しかし、人が倒れているというのに、殿下とバージルさんは相変わらずそれをどうとも思っていないかのようにのんびり会話を繰り広げる。


「それにしても、なかなかショックだな……。呪文の詠唱は、かえって邪魔になる変な癖、か。子ども時代に君の指導を受けたかったよ」


「いや別に、俺やこの世界にたった1人の聖女といった、集団に埋没できない人間には使う理由がないってだけで、呪文も悪いことばかりではない。呪文詠唱派、メジャーなだけに他人と合わせやすいだろ?」


「ああ、そうか。複数人で力を合わせて発動する大魔法があるね。タイミング、込める力の大きさ、方向、足並みが揃っていなければ失敗してしまう。呪文の詠唱は、それらを揃えるのにはうってつけだ」


「そういうことだ。大魔法に限らず、集団で動く場合、周りの奴らに自分がこれから何をするか知らせる必要もあるだろう。それに、王子サマの場合はきちんと護衛がいるのだから、魔法の発動に多少時間がかかっても問題ないはずだ。お前にとって、呪文の詠唱はそれほどのハンデではない」


「そうだね。バージルには、それに聖女様にもか、他人なんて足手まといになってしまう程突出した能力がある。集団と合わせて動くことはないからこそ、か。よく考えれば、君と同じようになんて、私にできるはずもなかったな」


「する必要がない、だろ。それに、俺だって、さすがに聖女召喚のときには呪文の詠唱をした。複雑で高度な魔法を使う際には、集中を高めるとか、自分を鼓舞するとか、多少足りない分を神に懇願するとかの意味で、やはり呪文は役に立つ」


「そうか。君も、強いて言うなら呪文詠唱派、だったね。……ふふっ、バージルがそうも言葉を尽くして慰めてくれるなら、たまには拗ねてみるのも良いな」


「腹立つなその顔。もう1発殴ってやろうか……」


 2人の会話を聞くともなしに聞きながら、転がっている人々を観察した。

 全部で11人。全員呼吸は落ち着いていて、顔色も悪くない。

 ただ、寝ているというには静かすぎるし、身じろぎもしない。

 外傷はなさそうだし、ゲーム的に考えれば、HPを回復させるのではなく、状態異常を回復させれば良い、のだろう。たぶん。

 いやでも、そっと降ろされたようには見えたけど頭打ってたりしたら心配だから、もうとにかく全部よくなれ元気になれの気持ちでいくか。

 ええと……。


「魔力を手のひらから出している都合上、無詠唱の時は手や指先の動きを魔法の発動のトリガーにするのが俺はやりやすい。リアの場合は、呼吸に緩急をつけるか深呼吸なんかが良いかもな。それに慣れておけば、両手を縛られようと猿轡を噛ませられようと魔法が使えるようになる」

「聖女様をそうも危ない目に遭わせるわけがないだろう、バージル」

「じゃあ、どれだけ静まり返った夜でも、誰にも気づかれずに魔法が使えるで」

 殿下のツッコミを受けつつ、バージルさんがそんなアドバイスをくれた。


 呼吸、深呼吸か。いや深夜にこっそり魔法を使うシチュエーションイズなにという気はするが、どんな状況でも魔法が使えるようになるというのはきっと良い事だろう。

 病院なんかの雰囲気からして、治療というのは静かにできる方が良いだろうし。

 喉から魔力のお仲間であるらしいところのドラゴンの如く、咆哮なんてのはもってのほか。さっきは歌だったけど、家族が生きるか死ぬかの現場でいきなり子守歌を歌われたら、私だったらすごく嫌だし。


 というわけで、呼吸だ。呼吸。深呼吸。さっきの感覚を思い出しながら。

 中心から喉、ゆっくりと吐き出した空気に乗せて、魔力を外へ。

 11人全員、完全に元気になりますように……!


 ふわりと光が広がって、11人の全身を包み込む。それと同時に、ほう、と感心したようなため息が、たぶんバージルさんと殿下の2人分聞こえた。


「……っ! 聖女様と殿下はご無事かっ!?」

「う……」

「ここは……?」

「止まれ、バージル・ザヴィアー!」

 11人が次々に起き上がり、大多数の人は状況がよくわからないようで呆けているものの、幾人かが素早い反応を見せた。

 意識を刈り取られる前の続きのように叫び、立ち上がり、剣を構え、そしてバージルさんを睨む。


「うるせ。もうザヴィアーじゃないっての。しかしまあ、そうも元気に動けているなら、大成功だ。よくやったリア。魔法、1人で最小限の動きで使えたじゃないか。その感覚を忘れないようにな」


 バージルさんはそう言いながら、倒れていた集団の方へとやってきた。

 そして治療のために彼らの前に立っていた私を追い抜きながら、ぽんぽんと軽く私の頭を撫で、続ける。


「といっても、あまり根を詰めて練習しなくていい。2日休んで1日働くくらいで十分だ。1日を魔力と体力の回復、1日を趣味の遊び、1日を労働にあてるサイクルだな。労働日以外には練習もするな。それと、気分次第でもっと休んでも良い」


 え。そんな。用は済んだみたいな、まるで別れ際のアドバイスのような。

 バージルさんを睨んでいる、職務に忠実な人たちの近くになんて行ったら、また捕まってしまうのではないのか、死刑囚。

 いや、捕まるつもりなのか。

 え。ヤダ。そんなのヤダ。どうしたら……。


「……師匠!」

「は?」


 私がとっさに叫ぶと、バージルさんと、彼を捕えようとじりじり動き出していた人々がピタリと動きを止めた。


「そ、その人は、バージルさんは私の師匠です! 捕らえることは、私が、聖女リア・シキナが許しません!!」


 私の宣言に、集団の動きは、完全に止まる。

 ちらちらと顔を見合わせながらも、世界一偉いはずの私の強い言葉に、彼らは引き下がらずを得ないようだ。


「リア……。俺はお前の師匠なんて大層なものになった覚えはないんだが?」

 まあ、そんなこと初耳のバージルさんだけは、素直に引き下がってくれないんだけども。

 呆れたようにそう言って、嫌そうなため息を吐いた彼は、でも私に視線を向けてはくれた。


「で、でも、私に魔法を教えることができたの、バージルさんだけじゃないですか。私、確かに魔法、今は使えましたけど、今後も行き詰ったり、悩んだりするはずです。だって、初心者ですよ? 魔法どころか、この世界の。良い師匠が欲しい、です。これからも、バージルさんの指導を、受けたいです」


 私の要望に、バージルさんは『はあ?』とばかりの呆れ顔だが、私の隣へと歩み出てきた王太子殿下は、しっかりとはっきりと頷いてくれる。


「確かに、バージルほどの魔法使いは、他におりませんね。聖女様がより良き師をお望みとあらば、我々は何に代えても用意せねば。さいわいバージルなら強制労働を課すことのできる囚人ですから、王家から命じましょう」


「おいリア、王子サマ、俺の故郷の教えを聞け。『食用の家畜に名前をつけるな』だ。下手に情が移ると、殺すときにつらくなる。死刑囚と聖女で師弟関係なんか結べるか。リアの名誉のためにも、俺が死んだときのことを考えても良くない。少なくとも、王家は全力で止めなきゃおかしいだろ」


 バージルさんの言い様に、私の中で、ブチリと何かが切れた感触がした。

 このわからずや! 死なせる気なんて最初からないわ! 私の好きな人を、家畜と並べないでちょうだい!!

 ぶわりと湧き上がった感情のままに、私は叫ぶ。


「私の名誉なんて、世界を救えばどうとでもなるでしょう! それを導いた師匠だって、きっと死刑囚なんかじゃなくなります! 私が、全部、ひっくり返してやります!」

「いや、リア……」

「情云々なら、もうとっくに手遅れなんですよ! だって私、バージルさんのこと好きですもん! 愛してますもん! ぶっちゃけ一目惚れでしたっ!!」


 しん……と、途中口を挟もうとしていたバージルさんすらも黙り込み、場が不気味なほどの静寂に支配される。

 遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。


 ……うん。私、勢い余ってけっこうなことを叫んだな?


「いや、その、一目惚れといっても、顔だけの話ではなくて。バージルさん、世界のために死のうとしているとことかも、すごくかっこいいじゃないですか。面倒見良いですし。それに、あの、私、あっちであまり家族に恵まれていなくて。バージルさんが私を聖女として見つけてくれて、むしろとても恩義を感じている、みたいな」


 もうこの際だからと、でも恥ずかしくてごにょごにょと告白を続ける私を無視して、私の傍らの殿下に視線をやって、バージルさんは深刻そうな表情で尋ねる。


「なあ、王子サマ。もしかしてこれ、今から下手に俺と引き離すと逆に盛り上がるやつか……?」


「障害がある程、恋は燃え上がると聞くね。実情を知らないほど、良いように想像してしまうだろうな、とも思う。これで2度と会わないなんてなったら、一生バージルへの恋に囚われるようになるんじゃないかな。バージルをこのまま牢に戻したりしたら、私たちは相当恨まれるだろう」


「チッ。どうしてそんなに男の趣味が悪いんだ、リア……! 王子サマも王子サマだ。こんなこと言い出す前に、ぐずぐずの骨抜きに懐柔しておくべきだっただろ……!」

 舌打ちまでして、心底忌々しそうに。

 殿下の返答を聞いたバージルさんは、怨嗟の言葉を吐き出した。


 いやひどくない? 仮にもこっちは愛の告白をしたというのに。


 頭痛をこらえるように頭を抱えていたバージルさんは、はた、と何かに気が付いたように顔を上げる。


「いや、恋人になれというわけじゃなくて弟子にとれ、か。普通に師弟の距離感でしばらく俺といれば、そのうち俺の現実が見えて幻滅する、か?」


「どんな大恋愛も共にいて年月を経れば、新鮮さがなくなり色褪せて萎んでしまう、とか。あるいは、遠距離恋愛の時はこの上なく燃え上がっていたのに、いっしょに住むようになるとあっという間にあれ? とかいう話は、聞いたことがあるな」

 そこまで言ったところでそっと気まずげに視線を落とし、殿下はぼそぼそと付け足す。

「……うちの両親は、国がかなり離れていたから。良いような噂だけ届く環境での文通と偶の短時間の逢瀬から、急にずっと一緒に住むことになったので、それはもう落差が激しかった、とか」


 国王陛下夫妻のそんなご事情、聞きたくなかったよ。聞かなかったことにしよう。

 私は聞かなかったことにする決意を固めたが、バージルさんは殿下があげた実例に、多少の感銘を受けたらしい。

 ふむ、と一つ頷いている。


 チャンスかも。冷めるつもりは毛頭ないが、冷ますつもりで一緒にいてくれるというならそれで構わない。


「バージルさん、いえ、師匠。私にそんな尊大な態度をとるのって、バージルさんしかいませんよ。私に指導なんてことができるの、師匠だけでは? それに、私がやつれたって言ってましたよね? この1ヶ月で私をやつれさせた人たちに、このまま私を任せておいて良いんですか?」


 私が畳みかけると、バージルさんは嫌そうな、そんなに嫌そうな顔しなくても良いじゃないかと泣きたくなるくらい嫌そうな顔で私を睨んだ。

 はあ、と、深く重いため息とともに、彼は尋ねる。


「魔法は無理せず。飯食え、休め、ダラダラしろ。そういった命令を、俺が傍にいて都度言わないと、聞く気がないってことか?」


「ええそうです。師匠が牢にいるうちは、心配でご飯が喉を通らないでしょう。私を強制的に休ませることも、師匠以外の私に気を使ってばかりの方々には、到底無理かと」


「良い性格してやがる……。リアが断食なんかしたら、聖女様が食べたくなる食事を提供できなかったと、料理人の首が物理的に飛びかねないというのに。更に体調を崩したりしたらなんて、考えたくもない」


 え。マジか。ハンストダメじゃん。

 いや、ここで動揺を見せたら、やっぱり食事はしますとか言ったら、バージルさんは牢に戻ってしまうだろう。

 動揺を押し殺し、私はバージルさんをまっすぐに見返した。


 するとやがて、ガシガシと頭をかきながらのため息が、バージルさんから返って来る。

「はあ。仕方ない、か……。俺の指導は厳しいぞ」

「望むところです! よろしくお願いします、師匠!」

 バージルさんの師弟関係を受け入れたと見なせる言葉に食い気味でそう言ったところ、彼は仕方なさそうに苦笑した。


「じゃあ、今からリアは俺の弟子だ。嫌になったらすぐ言えよ」

 そんな言葉と共に肩の力の抜けた様子で差し出された手に、口角が上がる。


『さっさと俺に幻滅してくれ』という副音声が聞こえた気がしたが、副音声は無視して、『嫌になんてならないので永遠に言いません』なんて言葉は胸の内に秘めて。

 しっかりと握手を交わし承知したと示すように頷いて、こうして私とバージルさん、いや、私と師匠の師弟関係が、結ばれることとなったのだった。

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