ゲロ吐き聖女と覚悟ガンギマリ魔王
恵ノ島すず
第1話 プロローグ
オロロロロロロロロロロロ……
声、というか、もはや音、というか。
なんとも情けないうめき声のようななにかと一緒に胃の中身が喉を逆流して、抱え込んだ桶の中へと落ちていく。
食材とその生産者と料理人に大変申し訳ないが、止めなきゃという思いがかえって更に胃を刺激している気がする。止まってくれない。
「だ、誰も、死ななくて良かった。間に合って良かった。み、みんな、ちゃんと守れてよかった。うん大丈夫。間に合った。私は、間に合った……!」
波が去った合間にそんな事実を言葉にして、だから吐く必要はないのだと己に言い聞かせてはみたものの。
「……ああ、でも、あ、あんなに血がいっぱいで、みんなぐったりしていて……、間に合わなかったらどうしようって、こわ、こわかったよぉおお……」
こぷり、と、先程の恐怖といっしょに、まだ胃の中に残っていたらしい液体を吐き出した。
瞬間。
「まーたうちの弟子はゲロ吐いてるのか……」
そんな呆れたような師匠の声と、爽やかな風が、背後から吹いた。
ああ、すっきりする。
ゲロの臭いがこもりつつあった部屋の空気ががらりと入れ替えられ、新緑のような爽やかな香りがふわりと広がっていく。
浄化と消臭? この香りは精神を落ち着かせる魔法かな? 軽く治癒も混ぜてくれたっぽいな。その証拠に、口の中の苦すっぱさと喉のひりひりしていた感触まで消えた。
さすがは師匠。さらりと無詠唱で複雑で高度な魔法を行使してくださる。
「あ、りがとうございます、師匠」
「どーいたしまして。まったく、そこまで気負わなくて良いのに。お前は、この世界の住人に対してなんの責任もないんだから」
なんとかお礼を告げれば、師匠はため息混じりにそう言いながらも、どこまでも私を労る手付きで、そっと私の背を撫で始めた。
「いやぁ。プレッシャーを抜きにしても、グロ耐性の問題もありまして、ですね」
そう言ううちに先程の光景が蘇り、ぐうっと胃を突き上げられるような感触がしたものの。
先ほど胃液っぽいものまで吐き出しきったおかげか、落ち着けようとしてくれている師匠のおかげか、追加のゲロはやって来なかった。
うん。感触的にこれ以上なにも出ない、気がする。たぶん。
「じゃあもうこんな前線に駆けつけてバフ掛けたり治癒するの辞めろよ……。聖女であるお前にしかできないことなんて、魔王討伐と【穢れ】の浄化だけなんだから。それ以外は全部俺とか他にやらせとけ」
そう言いながら師匠が差し出してくれたコップを、会釈して受け取り中身を口にしていく。
かさついていた唇が潤い、癒やされていく感触がした。
これは水、というか、白湯か。
人肌より少し熱いくらいにあたたまった優しい液体が、じわりと体に染み込んでいく。
その心地よさのままに一息にコップの中身を飲み干すと、これにも治癒魔法でも混ぜていてくれていたのか、なんだかとてもほっとして、胃も体もずいぶん楽になった。
うん、復活。
復活したつもりなのに、まだひどく心配そうな表情でコップを受け取り、ハンカチで私の口元の水分をぽんぽんと拭うまでしてくれる過保護な師匠の、先程の『もう辞めろ』は本気なのだろう。
その返答を待っているらしい彼をまっすぐに見つめ返して、私は断言する。
「いいえ。治癒は聖女がするのが1番効率的ですし、聖女でなければ死なせてしまう怪我人もいますから。私ならば救える人を、見捨てるつもりはありません。それに、魔王を倒すためにも、この力をいっぱい使って鍛えなきゃ、でしょう?」
「まあ、確かにその通りではあるが。ならせめて、完璧聖女のふりだけでも辞めたらどうだ? お前が本当はこんななのを明かす……、のは、まあさすがに、恥ずかしいか」
「ええ。一応うら若き乙女なんで。みんなにゲロをカミングアウトは無理ですね」
「さすがにそうだよな。それにしたって、表でも少しくらい弱音を吐いたり、無理なことは無理だと断るべきだ。全部抱え込んで笑顔で隠して、裏でこれじゃあ……、お前の負担が大きすぎる」
負担が大きいのは、私のはずなのに。
私よりもよほどつらそうな表情で、私を聖女にしてしまったことを日々猛省しているらしい師匠はそう述べた。
そんな師匠ににこりと笑って、師匠以外のみんなに見せている完璧な聖女のような笑顔で、私は宣言する。
「絶対に、嫌です。聖女は、この世界の人類の希望なんですから。私が弱気な顔をしていたら、みんなが不安になります。『なんでもない。こんなの楽勝。魔王だって恐るるに足らず!』そういう顔を私がしていれば、みんなが安心して活躍してくれて、結果私も楽をできるでしょう?」
「……まあ、一理ある」
「それに、魔王だってきっと、気弱なゲロ聖女より、笑顔の完璧聖女の方が恐いでしょうから」
「どうだかな。魔王なんざ、理性も知性も失った獣だろ。恐怖なんざ感じる心を持っているかどうか。……しかしまあ、お前は心根までも美しい聖女だな」
説得を諦めたらしく、ため息混じりにそう言った師匠は、眩しいものを見るような目で私を見つめている。
その言葉、その視線。好きな人からのそれは、とても嬉しい。
にやーっと我ながら嫌らしい笑みを浮かべてしまっている自覚はありながら、それを抑えきれない程度に浮かれた気持ちで、私は師匠に絡みに行く。
「あら師匠。私に惚れました? 惚れちゃいました?」
「はいはい。もうメロメロのべた惚れだよ、聖女サマ。俺だけじゃなくて、世界中の誰もがお前のことを愛しているさ」
む。師匠め。あからさまにこちらをあしらうような、いかにもテキトーな表情と口調で流そうとしているな。
でもまあ、言質は取れている。ということにして、追撃をしよう。
「私は、師匠のことを本気で愛しています。師匠のことだけを、愛しています。相思相愛なら問題ないですよね? 私と結婚しましょう! 共に生きてください!」
「はー……。なんでお前は、こんなに男の趣味が悪いんだろうな」
決死のプロポーズに返されたのは、いやに重いため息と、ものすごーく嫌そうな表情で発された嫌味だった。
ぐぬぬ。負けない。
「師匠は普通にかっこいいですよ。まず顔がいいです。ぶっちゃけ一目ぼれでした。更に魔法もすごくて、努力家で、お人好しで、面倒見が良くて、気が利いて、優しい。もう、全部大好きです!」
「まあ、俺が有能なのは疑う余地もない事実だが。条件的にはもっと良いやつが何人も聖女サマに惚れてるってのに。なにも、田舎の農家出身の死刑囚なんかに執着しなくて良いだろ……」
私の心からの賞賛と告白に、しかし師匠は心底呆れたとばかりにため息を吐いた。
手強いなぁ。ちょっとくらい照れたりしてくれてもいいのに。
「それでも、師匠は、私を見つけてくれた人です。それに、師匠だけが、私が裏でゲロ吐いてるって気が付いてくれました。どうしようもなく、好きになっちゃったんです。もうあなた以外見えないんですよ」
「見ろよ。目移りしろよ。世界は広い。……まあ、俺が死ねば、嫌でも他を見ることになるか」
私の必死の追撃も響いた様子はなく、一段暗い瞳でそんなことをぼそりと呟いた師匠に、ちょっと泣きそうになってしまう。
ぐっと堪えて、私は続ける。
「死なせませんよ。あなたの死刑判決程度、当の被害者である私が、世界を救った実績を盾にゴネにゴネてひっくり返してやりますから」
「そうか。じゃあ、まあせいぜいがんばって魔王ぶっ殺して世界を救ってくれ」
私がこれほど情熱的に訴えても、師匠はどこまでも低いテンションのままだった。
なのに、『鏡見て出直してこいブス』とか『お前ごときが俺に釣り合うと本気で思うのか』とか、私を傷つけるような断り方はしない。
それどころか、『お前をそういう目で見られない』とか『他に心に決めた相手がいる』とか、やんわりとけれどしっかりと望みを絶つような振り方さえもしてくれない。
これでは、諦めることなど到底できそうもない。
ああ、好きだ。その優しさと残酷さすらも。
どうすれば、この人は振り向いてくれるのだろう。
どうすれば、この人は私との未来を真剣に考えてくれるのだろう。
聖女召喚を行った罪での死罪なんて、当の召喚された聖女であるところの私が『むしろあなたに会えて良かったから赦す』と主張しているのだから、きっとひっくり返るだろうに。
どうしてこの人は、こうも頑なに死ぬつもりなのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。