第三章 第3話

次の僕の新しい家族となる人は後天性の弱視の女性だった。名前は堀内若葉。大学を卒業して障がい者雇用枠のリクルート社の事務員として働いて間もないという。もう1人紹介された。

彼の名前は堀内 かける。若葉さんの従兄妹であり、両親のいない彼女と同居している人だ。


その日の夜、彼女のベッドの下で真美さんから譲ってもらった専用のベッドに眠りにつこうとした時、リビングのあたりから何かの匂いが漂ってきた。少し気になり部屋を出て見にいくと、翔さんが何かの液体を専用機器に入れてコンセントをつけていた。僕は彼の顔を見ると微笑んでくれた。


「これ、アロマディフューザーっていうんだ。いい香りだろ?」

「レモンかオレンジかな?柑橘系の香りだ。木の香りもする…」

「そう、よくわかったね。さすが嗅覚が優れているよな」


僕は一瞬耳を疑った。この感覚は何だろうか。もう一度彼に話しかけてみた。


「僕、前のお家が長かったから、寂しくて。ここには慣れるかどうか気になるんだ」

「松浦さんも突然いなくなって寂しいよね。……ルーシー、僕の声がわかってくれているみたいだね」


どうしたらいいんだろう、僕の声が彼には通じている。僕は後ずさりをして部屋に戻ろうとしたが、彼は続けて話をし出した。


「……驚かせてごめん。僕、動物が考えている気持ちや声が小さい頃から聞こえるんだ。昔飼っていた犬や猫にも話しかけて、よく親にも心配された事もある。」

「それじゃあ出会った時にはすでに僕の声が聞こえていたんだね?」

「うん。来たばかりで落ち着かないのに、ビックリしたでしょう」


その後しばらく僕らは話をした。でも僕は不思議と彼と話ができているのを自然に受け入れることができていた。彼は若葉さんの両親が彼女を育てるのに手が負えなくなってしまい離婚したという。

その後、彼の実家で兄妹のように過ごして、彼女が大学生の時に2人で暮らし始めて、それと同時に在宅ワークに転職して家事をしながら家にいる時間が長いとも話してくれた。


「盲導犬として過ごすのも大変だよね。たまにならお互いこうして話もできるから、困った事があったら教えてね」

「ありがとう。僕、寝るよ」

「おやすみ」


僕は寝室へ行き眠りについた。

翌週の月曜日、僕は2人とともに、若葉さんの会社までの道のりに慣れるために通勤路を覚えていった。以前とは違う街の雰囲気が体にまとうようにビル風に吹かれながら歩き、電車に乗って40分かけて会社までたどり着いた。

翔さんが帰ると彼女と僕は社内へ入り、エレベーターで上階へ行くと彼女の職場に着いた。誰かがこちらに向かって駆けてきた。


「おはようございます」

「おはようございます。堀内さん、この子がルーシーだね。……マネージャーの有田です。今日からよろしくお願いします。」


彼女の上司の有田さん。この社内に盲導犬を取り入れることを後押しして承諾をさせてくれた人だ。若葉さんの席について僕も机の隣に座って待機した。

朝礼後勤務が始まり、昼休憩をはさんで再び作業にかかり、その間何度か有田さんも彼女の様子を伺いながら職務にあたっていた。退勤時間になると若葉さんは翔さんに電話をかけて、会社の近くまで来ているからもう少し待っていてほしいと返答していた。


しばらくして彼女が席を立ちハーネスを握り僕にエレベーターまで行くように指示してきた。

1階のフロアに降りていくと、翔さんが到着していたので皆で自宅へと向かった。

途中、彼がスーパーへ買い出しに行くから先に帰ってくれと言い、最寄りの駅に着いて家とは反対の方向に行った。若葉さんと僕は自宅に着き、玄関でハーネスを外し足を拭いてもらいリビングへと上がった。彼女が部屋で着替えている間、僕はベランダに立ち止まり遠くから男の人の影を見つけて、鼻を嗅ぎつけて玄関へ向かうと翔さんが帰ってきた。


「ただいま。待っててくれたのか?」

「うん。早く上がって」


僕は尻尾を振った。本来なら任務をしている間は自分から人になつくことはしないようにしているけれど、彼と会話ができることに僕は今まで以上に開放感と喜びに気持ちが溢れていた。

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