第2話 ♪藤色の郵便屋さん

――暦を司る神さまを時神ときがみとしてあがめる人たちがいる。その使者として時を旅する者たちは暦人こよみびとやカレンダーガールと呼ばれている。その時間移動には太陽と月の光、そしてそれらを祀る場所に開く「時の扉」が使われる。いにしえより続く、限られた人たちだけが、その役目のために隠密行動で時を超える。そして彼らの原動力は、いつの時代も人の世のやさしさ――


   残業

 大丸彩香だいまるさいかは終業時刻が近づいたので、帰宅の準備を始めた。その矢先のことだった。


「大丸さん、今日は研修があるので高島君と二人、申し訳ないが残って仕事をしていって欲しい」と背後から三越省治みつこししょうじ局長の声が飛んできた。

「えっ…」


 ずぼらな性格の彩香は少し不満げな顔で角口をした。今日こそは早く帰ってやり終えていないルービックキューブの六面完成に挑戦しようと思っていたからだ。サイコロ型の色を揃える立体パズルの一種で、この一九八〇年頃に爆発的な人気を博した玩具である。


 申し遅れたがこの物語の舞台となる時代設定は一九八〇年の春、高校卒業後に働き始めて二年目の彩香は仕事にもそこそこ慣れてきたが、まだまだ新人。知らないことばかりの毎日を送っている。業務が終わり、シャッターやブラインドを閉めた局内の残務整理をしていた彼女に、珍しく局長直々の残業宣告である。逆らうわけにもいかず角口というわけだ。


 指示通り、机上の整理を一通り終えた彼女は、店舗裏の休憩室に足を運んだ。するとその長テーブルの席には一足先に仕事を終えた一年後輩の高島安記たかしまやすきが腰を下ろしていた。彼も言われたとおり私服に着替えている。


「ああ、大丸先輩。何の仕事なんですか?」と高島。少々不安げな表情である。


「さあ、わたしも分からないです」と手を回して、ルービックキューブのシュミレーションをしながら興味なさげに答える。

 しばらくすると二人の前に局長がやってきた。様子をうかがうように静かに歩く局長に、通常業務とは異なる緊迫感を感じた二人。一体どんな残業があるというのだろう。


「では二人とも、私についてきて欲しい」

 二人ともいることを確認すると局長は手招きをした。

 局長は普段使わない開かずのドアの鍵を開けると先頭に立ってそこを歩き始める。二人は誘われるまま後ろを歩いて行く。生暖かい不思議な感触のトンネルである。少し坂になっていて下っている感じがする。


『大昔の防空壕の跡なのかな?』と彩香は心中呟いた。


 しばらくすると広い部屋にたどり着いた。そこには昔集配局で使っていたであろう郵便番号別に配達先を振り分ける大きな棚が置かれている。この当時は郵便番号の自動読み取り装置も導入が少ないため、郵便番号を人が確認して振り分けをしていた時代だ。なぜ特定局のこの郵便局にあるのか不思議だ。しかも本来であれば郵便番号によって振り分けられる棚には、存在せず、使用しないイレギュラーな四桁の数字が割り当てられている。ちなみにこの当時は郵便番号は三桁ないし五桁が一般的な時代だ。四桁という設定はない。


 局長はにこやかに笑うと二人にバッジを差し出した。そこにはメカニカルなリアリズム風にアレンジされたポストンナンバーくん(かつての郵便局のマスコットキャラクター)の図案に『JIKUYUSE 』と刻印がある。

「じくゆせ?」と高島。

「いや。時空郵政という意味だ。時空は時間空間の時空で、郵政は郵政省の郵政だ」と局長が訂正する。


「これから君たちには出張を命じねばならない。ただしこの時代の時間では一分未満に相当するため残業代がつかない。それでは困るので表向きは明日の休日を有給休暇として扱うことになる。給与明細の摘要欄は名目上有休消化だ。これから君たちはその配達の仕分け箱の年号の場所に行ってもらうのだが、あちらの時間で朝から晩までの日がな一日滞在してくる事になる。しかし、私の方は君たちを送り出した一分後に君たちが帰ってくることになる」


 局長は当たり前のように淡々と説明をしているのだが、おかしなことを言っているおじさんとしか若者ふたりには見えていない。ただ棚に書かれた四桁の番号が西暦と言うことだけは分かった。


「あの局長……」

 さすがに困ったようで一年先輩という立場もあり彩香が口を開いた。

「なにかね」と局長。

「すみません。何を言っているのかさっぱり伝わりませんが……」


 彩香のその言葉に「コホン」と咳払い一つをして、局長は段取りを考え直して、いちから説明することにした。


「この郵便局は夜の時間、つまり営業時間終了後に時空郵政庁の管轄となり、別の業務が始まる。時空郵政庁は、二十五世紀の時間旅行が、一部公に解禁になった時に作られた未来の総務省の一部門だ。同じ総務省管轄の時空管理局と合わせて時空逓信現業じくうていしんげんぎょうと言われている。その組織専門の職員を置くだけの余裕のない時代には我々が嘱託形式で働くことが決まっている。勿論隠密行動だ。だが、どの時代にもごく少数の時空郵政の利用者がいて、それを暦人と呼んでいる。暦人は私たち同様に時間を移動するが、一つだけ違うのは彼らはメッセージとして天の声によって動かされるため、自分の目的の時代に行くと言うよりは運命で連れて行かれるというのが正しい。これは時空郵政の管轄外なので訊いてもいけないし、知らないまま帰ってくることだ。しかし配達人である私たちがその時代で困ったときには力になってくれる。時空を彷徨う「迷い人」にならないように手助けもしてくれる役目を担っている民間人だ」


 さすがに聞いてられないと思った彩香は「あの、局長。その空想のお話は次の図書館の朗読会で子どもたちにでも聞かせるつもりですか?」と放った。


 局長は鼻で笑うと「大丸さん。これから本当に目の前でそれが起きるので、一応半信半疑でも真面目に聞いておいて欲しい」と宥めた。


 そして局長は横の仕分け棚を指すと「ここに行き先別の荷物が置かれている」と言って続きを始めた。


「これは配達先の年号が書かれた時空小包パックだ。未来の時空郵政庁では『じくぱっく』と呼ぶ。ここに記されている日付の荷札が時代オペレーションに反応して、君たちを連れて行ってくれるから安心してくれ。この日月町局は一九八〇年の郵便局としては特定局なのだが、夜の時空郵政庁オフィスとしては集配局に指定されている。したがって、この任務を覚えたあかつきには当然窓口業務も覚えてもらうことになる。また配達業務は前島密まえじまひそか卿が郵便制度を作った一八七一年以降からが配達可能年代となる。この集配局の受持は日月町局が置かれてからとなるので、大正時代以前の配達はない。また太平洋戦争中の時代への扱いも受付が出来ない。配達員を危険から守る目的からだ」


 そう言った後、局長は棚から二つの荷物を取り出した。一つは一九六七年の棚、もう一つは二〇一五年の棚である。ちなみに郵便局は三越局長がここで言っているとおり、町の小さな郵便局である特定局と郵便自動車などが回収を目的に集まってくる、公官庁街に多く見られる大型の集配局に分けられている。ここで局長は通常業務は特定局だが、時空業務は集配局になっているという日月町局の説明をしたのである。


「今回は高島君には一九六七年の過去へ、大丸さんには二〇一五年の未来に配達をお願いしたい」


 そう言って手渡された『じくぱっく』には説明通りQRコードのような読み取りマークと配達先の時代と思われる年月日が記されていた。


「配達先は不二秋助さん。中身は写真撮影用のフイルムとあるわね」


 彼女の言葉に局長は「二十一世紀のカメラはフィルムを使わないものが主流だ。だから入手不可能になった廃版のフィルムや現像液を、必要な人が時間配達ショップ経由で注文してくる事が多い。音楽用レコード盤も少ないので、レコードプレーヤーの注文もおおいな」と加えた。


「局長、二十一世紀に行ったんですか?」と彩香。半分は冷やかした顔で訊く。


「仕事だからね。でも慣れるまで大変だ。とにかく一般の人とはあまり口をきかないこと。暦人の人たちはバッジを見て分かってくれるから襟元にでもつけておいてくれ。それで迷子になっても彼らが分かってくれれば何とかなる。あとどの時代に行っても困ったら、この郵便局のある場所に入ってくれ。郵便局の敷地内であればそのバッジがトランシーバーの役目をするから、二十五世紀の時空郵政庁のコールセンターと繋がるように出来ている。横にある突起ボタンがオンオフのスイッチになっている。押せば自然とコールセンターに繋がり、再度押せば通信は切れる。そして配達が終わったら、そのコールセンターにID番号を告げて報告を入れて欲しい」と真面目に加えた。


「それと……」と言って局長は財布を二つ彼らの前に差し出した。


「中にそれぞれの時代のお金が入っている。あとクレジットカードと時空郵政嘱託IDカードだ。高島君の時代はクレジットカードが使える場所が限られているのでよく確かめること。それぞれの配達時代の日付の天気は快晴、帰路のタイムトンネルは月明かりで出現する日月神社の神池岸の七色のゲートだ。覚えておいてくれ。それを潜ればこの時空集配局に戻れる。では健闘を祈るぞ。ちなみに昭和四十年以前と、昭和の次の平成時代になってすぐに町名と番地変更が行われている場所が多いはずだ。大変だろうがなんとか配達住所を探し当てて、時間内に配達をおわしてくれ。もし届けられないときは持ち帰ってもう一度別の日にトライすること。帰れなくなってからでは大変だからな。時刻までに帰路についてくれよ。もし本当に帰り損ねたら、その時代の日月町特定局の局長にその嘱託IDカードを見せて訳を話しなさい。力になってくれるはずだ。それと、あともし早めに配達が終わるようだったら、今後のために帰り時間までゆっくりと配達時代の見聞を深めてきてくれ」と局長の説明が続いた。


 局長はふたりを古めかしい扉の前に立たせると、突然ドンと背中を押した。その拍子に二人は扉の向こうの七色に光る穴へと落ちていった。異次元トンネルか、はたまた童話の国にでも連れて行ってくれるのだろうか……。とにかく落ちていく過程でかすかに高島が彩香に手を振っているのが解った。おそらく「行ってきます」の合図なのだろう。


   配達作業

 彩香がストンと着地をしたのは日月町郵便局の前である。時間はまだ夜明け前。そろそろ東の空が白み始めていた時刻のようだ。一般にいう暁の空だ。紫から白へ、そして白からオレンジをへて、紅色に色彩の変化がおりなす天体ショーが夜明けだ。この日の出の時刻はあっという間に時が過ぎていく。刻一刻とあたりが見え始める。柔らかなオレンジ色の朝日が少しずつ彩香を照らし始める。


 あたりも明るくなり彼女の目にいろいろなものが見え始める。それで気付いたのだが、局舎は新しくなっており、看板もオレンジ色に『NT 日本逓信郵配会社にっぽんていしんゆうはいがいしゃ 郵便局』と変わっていた。


「移転したわけじゃないわよね。郵便局って書いてあるものねえ」と腑に落ちない様子で一人呟く。まだ業務時刻ではないのでカーテンとブラインドで遮られているため中の様子は分からない。


 彩香は郵便局の前にあるコンビニに気付いた。


「明治屋さんのある場所だわ」


 明治屋とは彩香の時代の日月町唯一の万屋で、食料品から雑貨品までを扱うお店だった。


「しかもここのコンビニエンスストアは午前七時前から開店しているのね。便利ねえ」


 彼女のつぶやきはもっともで七十年代後半から八十年代前半頃のコンビニエンスストアは午前七時に開いて午後十一時に閉じるのが普通だった。それでも当時の商店が午前十時から午後七時までしか開いていない時代には随分と便利なお店であったことは間違いないのだ。


 雀の鳴き声の中、彼女はコンビニ店の自動ドアをくぐり抜けた。

「いらっしゃいませ」と店員の声が響き渡る。その声を背にして朝食を選ぶ。正確には彼女は残業中なので、あっちの時間で言えば夕食なのだが…。


「へえ…」


 彼女がひとり頷いたのはバラエティにとんだおにぎりとホットデリカの種類である。どこのコンビニでも彼女のいた時代は四種類から五種類が良いところだし、フィルムの包装紙に個別で入っているものを初めて見たからだ。またホットデリカはアメリカンドッグとフライドポテト程度しか売っていない時代から来たので、商品の種類が多い保温式ショーケースの大きさに目を見張った。彼女の時代のコンビニのレジカウンターで一番大きいのはかき氷を半解凍したシェーク状の飲み物と中華まんのスタンドぐらいだったからだ。そのシェーク状の飲み物は常にレジの横で床屋の看板のようにクルクルと回って、凍り付かないように容器を動かしているのが印象的だった。


 彼女はおにぎりと缶コーヒーを購入すると店の外にあるベンチに腰掛けて、まるで外国からやってきた人のようにフィルム包装のおにぎりの開け方を熟読して、なんとか食事にありつけた。


「正直、言葉が通じること以外は外国に来た気分だわ」と呟く彩香。

「未来って、こう考えると便利になった反面利用方法を知らないとちんぷんかんぷんの世の中なのねえ」


 初めて口にする未来のおにぎりに不思議な感覚を覚えた。おそらく味はそう変わるものではないのだろうが、彼女の口には未来の味がした。


「げっ!」

 彼女は次の瞬間また焦った。缶が開かないのだ。プルトップの円形をした指を入れる引き金口がない。


「こんな小さな穴じゃ指入らないよ」と開け方の分からない缶コーヒーに弱っていた。

 辺りを見回すとゴミ箱に空き缶入れがある。

「みんなどうやって飲んでいるのかな?」


 彼女はゴミ箱の中をそっとのぞいた。正直、若い女性のこの姿はあまり見た目の良いものではない。だが背に腹は替えられない、そこにヒントがあるのならやるしかないのだ。プルタブ式の開封口は一九九〇年頃には全てステイオンタブ式に変わっている。要は蓋が本体から切り離されることを嫌った結果、押し開ける方法で開封できるようにした缶飲料を、過去から来た彼女は知らなかったというだけのことだ。


「なるほど……」


 どうやら彼女は開け方を会得したようでようやく自分の買った缶コーヒーを飲むことが出来たのである。


 そこそこおなかも満たされた彼女は、腹ごなしもかねて配達の下調べをすることにした。この当時の住所を記したものと思った時、公園の中の立て看板形式の住所案内地図が頭に浮かんだ。


「たしか、ため池のほとりに児童公園があったはず。日月児童公園だったかな?」


 思い出した彼女はとぼとぼと歩き始める。公園ならベンチもあるし、あの公園なら高台で市街地を見渡せる。多少の気休めにはなるだろうという算段だ。この未来にもあの公園はあるのかだけが心配だった。


 着いてみれば安堵の感、昔と同じ場所に公園は存在した。名称は変更されていて、『日月新町公園』という看板だったが、これで彼女は一安心である。ただし彼女の時代とは比べものにならないくらい綺麗に整備されて、煉瓦の石畳で公園は舗装されていた。砂利をまいただけの昔の児童公園だった時とは比べものにならないくらい見違えて立派になっている。


 公園の隅の見晴らしの良い展望台には三脚を立てて、日の出の町並みを撮っている彼女と同じくらいの年齢の男性がいた。距離にして五十メートルほどあるため、別段気にすることもなく彼女は入口付近に据え付けられた町名案内地図を確認する。あちらも彼女の存在に気付いていないようである。


「ふーん。当時の日月町の一〇〇番台の住所が一丁目、二〇〇番台が二丁目、三〇〇番台が三丁目になっているのね。おおよそわかりやすい番地変更だわ。そして四桁の一〇〇〇番台の住所と大字のついた日月町が日月新町になっているのね。……ということはバス通りの神社側が日月町、その向かい側が日月新町という区分けだわ。良かった。推測できる範囲で」と地図を見ながら納得の彼女である。一区切り着いた様子だ。


 彼女はおおよその目星がついたところで公園の中、入口に一番近い場所、藤棚のそばにあるベンチに腰を下ろした。相変わらず遠方には写真を撮る男性がいる。たまに首をかしげたり、手でフレームを作ったり、レンズを交換してみたりとなにやら忙しそうである。そんな様子を頬杖をついて彼女はボ―ッと眺めていた。


 ふと、彼女は思い出したように自分のハンドバッグの中からコンパクトと口紅を出す。朝の始まりに化粧をしておかないと、配達にいく手前エチケットを思い出したのだ。さすがに昼休みに作り直した化粧は残業時間までは保てない。


 鏡を見始めたそのとき、一匹のアブが彼女の顔めがけて飛んできた。


「きゃーっ!」

 

仰け反った拍子に彼女は椅子から転げ落ちた。ハンドバッグの中のものがあたりに散らばる。足をすりむいた彼女はベンチにもたれながら起き上がろうとしていた。


「大丈夫?」


起き上がろうとしていた手を掴んだのは、写真を撮っていた彼である。悲鳴を聞いて駆けつけてくれたのだ。


「ありがとう……」と言いかけた彼女は彼の顔を見て、鼓動の高鳴りを覚える。


『春彦先輩……?』


 彼女は心中呟いた。しかし急いで気を持ち直すと「ごめんなさい。アブが顔に突進してきたから、とっさに避けたらバランスを崩して……」と理由を告げる。


「この時期五月は、藤棚の近くって、受粉の季節、アブや蜂も蜜に誘われたり、花粉団子を作りにやってくる。花房よりも低い位置にいないと彼らの通り道なので危ないよ」と彼女の汚れた服をタオルで払いながら説明する。そして「でも一番良いのは彼らの近くにいないこと、近づかないことかな。彼らだって仕事してる。余計な者が道をふさいでいたら気分を害するかも知れないね」と笑って加えた。


「詳しいのね」


「花の写真も撮るから、最低限の知識は身につけておかないとね」と笑う男性。


 ひとしきりすると、彼は散らばった彼女の化粧道具を拾ってあげる。

「ああ、ありがとうね」と戸惑いながらも笑みを浮かべる彩香。

『やだ、植物好きなところも先輩と一緒』


 どうやら彼女の意中の人は学校時代の先輩のようである。しかも植物が好きな男性。


 散らばったカバンの中身、拾いもので屈んでいた夏夫の目線の先にはすりむいた彩香の膝小僧が見える。そこそこの広範囲で血がにじんでいる。彼はそっちの手当が先だと思った。


「ちょっと待っててね。動かないでよ」と彼。


 彼はフォトグラファーベストのたくさんあるポケットの一つから小型の携帯用消毒液を取り出した。


「えっ?」

「ほっといて化膿でもしたら大変だ」


 そう言って彼女の膝小僧に惜しみなく、ドボドボと無色の消毒液をかける。そして懐から手ぬぐいを取り出すと彼女の足にきつく結んだ。


「これで大丈夫。スカートの裾にも血はつかない。汚れないよ。あとは薬局の開く時間になったら大型の絆創膏でも買って貼っておけば良いよ」


 再び彼は手当が終わると散らばったバッグの中身を集め始める。


「僕は不二夏夫ふじなつおっていうんだ。すぐ近所に住んでいる。君は見かけない顔だけど、この近所の人?」と彼は自己紹介をしてから彩香に訊ねてきた。


「私は大丸彩香っていうの。公務員でお届け物を渡しにこの近所まで来たんだ」と詳細を明らかにせずに身の上をあかす。


「そうなんだ。朝早くからご苦労様。……で、どこの家、この辺の大概の家は僕分かるよ」と夏夫。


 彼女はベンチの傍らに置いた荷物を再び手に取ると荷札を読んだ。

不二秋助ふじあきすけさん」

 それを聞くと彼は笑って「うちのじいちゃんだ」と答えた。


   

   受領印

 夏夫が彩香を連れて家の前まで戻ると、秋助はちょうど苗の世話をしているところだった。

「じいちゃん。お客さんだよ」と夏夫。


 秋助は「はて?」という表情で若い娘さんを見る。そして彼女の襟元のバッジを確認すると、「ああ、時空郵政の郵便屋さんだ」と合点のいった表情をする。


「なに? じいちゃん、じくうゆうせいって」と初めて聞く言葉に不思議顔の夏夫。


 それに対して彩香は大慌てである。

「ああ、ああ……、天気がいいので、踊っちゃう……かな?」と言いながら、意味も無くその場で足の痛みも忘れて跳び跳ね始めた。要はごまかすのに精一杯なのだ。


『この老人、依頼主以外の人間がいる前なんてことを……』というのが慌てふためいている彼女の内心である。


 すると彼女の気持ちを察した秋助は「こいつは大丈夫だよ。暦人だから」と笑って答える。そして「良い機会だから時空郵政の存在を教えておかないとなあ」と加えた。


 近くにあった縁台に腰をかけると秋助は目を細めて話し始めた。


「我々のようにメッセージを受け取って時間を飛び越える人間を暦人というのだが、この人のように襟元にバッジをつけている人たちは仕事で時間を飛び越えてくる人たちだ。届け物をしてくれる時空郵政庁の人たちなんだよ。二十五世紀の国家公務員なんだぞ」と夏夫に教えた。


 このもっともらしい嘯いた話は、この物語では本当だから大変である。夏夫は「まだ、そんなおかしなことがあるのかよ」と少々ブーたれている。だが一度タイムスリップをしている夏夫だ。この程度の奇妙なことぐらいではもう驚かない。


「まあ、あまり出くわすこともないのだが、じいちゃんはたまに過去のディスコンになった商品を取り寄せるんだな。特にフィルム。今回はスカーラB&Wポジフィルムというのを取り寄せたんだ。今では手に入らない白黒のスライドフィルムだ。それも一本じゃないぞ。まとめて1ダースだ」と得意げに取り寄せた品の説明をしている。


 その時の夏夫の反応はきわめて冷静で次の台詞で分かるとおりである。


「あのさ。ばあちゃんに見つかったらまた写真馬鹿って言われるよ」


  すると秋助は「大丈夫、冬美には時空郵政も含めて内緒の話だ」と笑った。


「ご説明中に申し訳ございませんが、出来れば先に受領印をいただけるとありがたいのですけど……」とタイミングを見計らっていた彩香が切り出す。


「おお、そうだった」

 我に返って秋助は「ちょっと待っていておくれ。ハンコとって来るから」と言い残すと母屋の方に歩いて行った。


 待ち時間の世間話にでもと思い、夏夫は「過去の商品を持ってきたってことは、過去の人なんだね」と訊く。

「身分については詳しくは言えないんですが、まあそんなところです」

「僕もね。ちょっと前に昭和五十三年に行ったんだ。あまりに違いすぎてびっくりしたよ」と笑う。


「例えば?」

「都内の交通機関。首都メトロは営団地下鉄って言うし、東日本線は国鉄っていうんだ。おまけにあなたの所属するNTは国有の郵政省だ。民営化される前って国営や準国営の現業経営団体って多かったんだね。あっ、たばこ局や電話局もそうだったよね」と彼も外国での土産話をするように笑った。


「へえ、じゃあ、二十一世紀はみんな民営化しているんだ」

 彩香もすこし興味のある話なので納得する。


「難しい話はわかんないけど、この三十年ほどでみるみる生活形態が変化しているのは間違いないんだ。パソコンやスマホもそうだよね」と続ける


「パソコン? スマホ? わからないわ」と素直に彩香は答えた。彼女の脳裏ではスチーム・パンク文学のイメージが具現化されていた。機械とメルヘンの融合した童話的なSFに見られる独特のあの世界観がイメージされている。この時点で、彼女は二十一世紀の社会を大きく勘違い、間違えている。


 すると三文判を持って帰ってきた秋助が「マイコンと携帯無線電話のことだよ」と間を取りなしてくれる。


「ああ、マイコンね。家庭用のコンピューターのことね。好きな人はプログラムを作っているわよね」と納得する。


「これはこの時代のことを少し教えてあげた方がいいな。夏夫、町山田の駅前の量販店にでも行って案内してやると良いよ」と秋助が笑いながら、受領証の押印欄に判を押し当てた。


「OK。じゃあ、案内するよ」

「あんたもこれからこの仕事を委託されるのだから、社会の構造を知っておいた方が良い。前にここの地区の担当だった三越さんは私が情報をお渡ししていたんじゃ」と加えた。


「局長ですか?」

「おお。三越さん最近来ないと思ったら局長になったのか。ではもうお会いすることもないな。一九八一年以降、あなたが独り立ちしたら、彼は別の地区に移動じゃと思う。近未来の場合、下手をすれは同時代の私たちと会ってしまう。そんなことになれば、時空のズレが出来かねない。なるべく出くわさないようにするのが時空郵政庁のコンプライアンスだ。残念じゃな」


「そういうものなんですか」とぼんやりした彩香の台詞。

「たぶん」と秋助。


 そう言ってから「私は時空郵政庁の人間ではないので詳しいことは分からない。おそらく過去の配達の人を見ていると突然来なくなって、偉くなったと言う話を新しい担当の人からよく聞くからな。それを材料にした私の推測に過ぎん」と加えた。


「ちなみに父さんには時空郵政の話はしてはいけないの?」と夏夫。確認のため秋助に訊ねた。


 さも当たり前のように薄目を開けて秋助は「だめじゃ」と一言だけ答える。

「そっか……。でもなんで僕とじいちゃんだけが共有できるんだろう」と不思議顔の夏夫。


「さあな。日月さまにでも訊いてみんとな。もっとも教えてはくれまい」



 ふたりの会話に彩香は、

「あの……。つかぬ事をお伺いしますが、もしかして夏夫君のお父さんって春彦さんてお名前では?」と訊ねる。


 その言葉に「正解」と夏夫。そして「父さん知っているんだ」と笑った。

「ええ。高校の先輩なんです。写真部でしたよね。じくぱっくも写真関係の注文だったし、夏夫君が植物のことよく知っているから、ひょっとしたらと思いました」


「会わせてあげられないのが残念だ」と夏夫。

「いえ、良いんです。もうあきらめてますし……」という彩香の言葉に夏夫は反応する。


「好きだったの?」と驚き顔。

「えっ? えっええ」とうっかりの自分の心の声が漏れていたことに動揺しながらも、もう過去のことという振り切った気持ちもあり彼女は白状した。どうせどこにばれるわけでもない間柄の人たちとの会話である。


「父さん、意外にもてるんだよなあ。僕から見てもただのカメラバカなのに」と言って笑う。


 すると黙って聞いていた秋助が「モテるところは私に似たんだな」と平然と言い放つ。


「はいはい」

 あきれ顔で真一文字に人差し指で鼻の頭をこすりながら夏夫は頷いた。

「春彦さんは困った人をぞんざいに扱わないの。私みたいな引っ込み思案な女の子にも気配りをして、ちゃんとグループの一員として扱ってくれるの」と彩香は頬を赤らめて言う。


「母さんもそれにやられちゃっていたもんなあ」と笑う夏夫。


 一瞬、その言葉に興味を持った彩香だったが、それは訊かないでおいた方が自分にとって幸せであることにすぐに気付いた。実のところ夏夫が自分の子どもで無いと言うことが判明した時点で春彦との恋愛成就はなかったとすぐに悟れるからだ。


「じゃあ、社会科見学お願いします」

 軽く笑顔で会釈すると彩香は、秋助に挨拶をして不二家を後にした。


   ラウンド

 町山田は東京都の多摩地区に属するこの物語だけに設定された架空の都市である。人口は四十万人を超え、民営化された官鉄系の横浜本線と多摩急行線が交差する交通の要衝である。駅前には東横百貨店、元官鉄系デパートのミルネ、多摩急百貨店、赤井月販百貨店、才華モール、丸大百貨店などが建ち並ぶ商業都市である。


 その賑わいを見た彩香は「ああ、これなんとなく面影があるわよ。所々綺麗になっているけど、おおよその建物は私の時代と一緒だわ」と嬉しそうである。途中のドラッグストアで絆創膏を買って、彩香の怪我した膝の処置を済ますと、二人は量販店に近い駅前にやってきていた。


「駅の向こう側に電気製品を売るカメラ量販店があるんだ」


 そういうと夏夫は横浜線をまたぐように作られた駅のコンコースを歩いて、線路の反対側へと向かった。


 橋上の駅舎から地上へ降りた目の前にカメラ量販店の入口がある。そこまで来ると元気な店のテーマ曲が聞こえてくる。


「あら、山手線の歌。このお店、新宿のカメラ屋さん。この時代には町山田でもお買い物が出来るようになったのね」と少し上機嫌の彩香。

「よく使うお店なんですか?」と夏夫。

「いいえ。全然来ないわ」と笑いながら答える彩香。


 ガクッときた後で、

「じゃあ、なんで嬉しそうなの」と困惑顔の夏夫である。

「このお店ね。春彦先輩と一緒に入ったお店なんだ。あの時はもう嬉しくって、舞い上がる思いだったなあ。そして勝手に失恋してブルーになったっけ。ちょうど三年前……。うーん、ではなくて今は昭和何年?」

「昭和じゃないです。もう良いです。いちいち換算していると話が進まないので」


 夏夫のその言葉に「そうね」と笑いながら彩香は続けた。

「あの日はね、高校二年の夏休み明けだった。先輩にとっては高校生活最後の夏休みが開けた頃ね。始業式が終わってすぐに、私は友人と新宿のフルーツパーラーに話題のパフェを食べにきていたの。その食後の散歩で西口を歩いていたら、先輩が一人でOK百貨店の前を歩いていたのね。こんなチャンス滅多にないのに、足が震えて声かけられなくて、すれ違いざまに、一緒にいた友人が声をかけてくれたのよ。以前から私の憧れの先輩だって知っていたから」

「へえ」というぼんやりした相づちと裏腹に、夏夫は自分が暦人として過ごしたあの晴海埠頭の夏の日の、その後の話だと悟った。とても気になる話だ。

「ああ、こんな私の初恋話聞いてもつまらないわよね」と夏夫の反応を感じて話を終わらせようとした。


「ううん。聞きたい。ステキな話だ」と夏夫は機嫌良く促す。

「本当。嬉しい」と気を取り直した彩香。歩道にあるガードレールにもたれかかっって話を再開した。



―一九七七年晩夏

「先輩、私ご一緒しても良かったんですか?」と彩香。

「いや、ちょうど一人でいると辛い気分だったから嬉しいよ。ただブルーな気分なので、反応が遅かったら勘弁してね」と前置きで断りを入れておく春彦。

「いいですよ」

「ありがとう」

「先輩って、いつでもカメラと一緒なんですね」と笑う彩香。

「ああ、落ち着くんだよ。こいつといると」と言って、肩にかけていたミノルタXEを凝視する。

「じゃあ、新宿だし、カメラ屋さんに行きましょうよ。先輩が元気になる様に」と彩香が提案する。

「いいねえ。気持ちが和らぐよ」と弱々しい笑顔の春彦。

 ショーケースが並ぶ店内に彩香にはよく分からないメーカーの商品を集めたコーナーが複数点在している。さすがにミノルタや旭光学は大企業なので知っていたが、マニアにしか分からないお宝グッズを作るメーカーは、知る人ぞ知るの世界なのだろう。勿論当時の人気商品F2や旧F―1は別格で特設展示コーナーで扱われていた時代である。

「ねえ、先輩。もしかして進路のことで悩んでいるんですか?」と彩香。ショーケースを見ながら話しかける。

「いや、それもちょっとはあるんだけど、おおかたは恋煩いかも知れない」

 彩香はいきなりカウンターパンチを食らったようにめまいがした。折角のチャンスと思った二人だけのこの時間に出端を挫かれたのだ。半ば魂の抜けた状態で彩香は続ける。

「相手はどんな人ですか?」



 彩香のこの言葉の裏にはライバル心と敗北感が紙一重になった何とも言えない虚脱感が存在した。


「おとなしくて、ちょっとズレてて、そこが可愛くて、それでいてしっかり者なんだ」


 春彦の言語制御能力が低いのではなくて、部分で当てはめれば人の性格などというものは、そんなもので出来上がっている矛盾の産物と言うことである。ただし十七歳だった当時の彩香にはそれは理解できないだろう。彼女の頭の中は「?」でいっぱいのはずである。


「はあ」

 分かったような分からないような、かといって質問するにも忍びない意中の人の恋の話だ。

 するとすぐに彼の方から少しこころを開いてきたのか続きを話し始めた。


「その子はね、三重県から来た子で、松阪ってところに住んでいるんだ。同い年で自分の進路は横浜の女子大って決めていた子でね、何をやるにもマイペースだけど一生懸命なんだ。なんかいつも隣で見守っていてあげたくなるような子でね。余計な意地悪やからかう言葉も使わずに、いつも大切な友人や家族を正面から受け止めてくれるような子なんだ。この夏一緒に晴海の国際展示場に行ったときから彼女のことが頭から離れないんだよ。こんな気持ちになったのは初めてなんだ」と思いの丈をありったけ吐露する春彦。


 成り行きとは言え、吐露された側の彩香のこころの中はたまったものじゃない。土砂降りの雨あられである。


『それって、作り物ではなく女の子の持つ力を芯から備えた女でしょう。しかも男の子にとって魅力にうつる部分ばかりが増幅されているし、私、勝ち目無いじゃない。そんな話聞かされたら自分が俗物的に見えちゃうよ。しかも勝っているのは先輩との地理的な距離感だけ。あとは惨敗じゃない。とほほ……』


 彩香のそんな心の内を知るよしもなく春彦は続ける。


「それでね。約束したんだ。横浜の女子大に入ってまた再会を果たして、その時は一緒にいろいろなところに行こうってね」

「そうですか。先輩はこの夏良い恋をしたんですね」と引っ込み思案にもまして、伏し目がちな感想を述べる彩香。


「大丸さんは良い恋してる?」と春彦。


『とほほ…。先輩がそれを私に訊いてどうするんですか? たった今失恋したようなもんなんですけど』と、困った心境を吐露できず曖昧に微笑む彩香。それどころか他人に話して少し気が晴れた春彦と、きっかけすら与えられずに急降下で告白以前の失恋に至った彩香の立場逆転はいたたまれないものだった。


「余計なお世話だね。ごめん。話題変えよう。このお店にさっきから流れているこの曲、一説では『権兵衛さんのあかちゃん』という曲か『オタマジャクシは蛙の子』っていう曲かで友人同士で議論になるんだけど、大丸さんはどっちだと思う?」


 気を遣ったつもりの春彦の話題転換は何の意味もなしておらず、彼女の頭の中は『先輩には悪いけど、どっちでもいいの! でも私の頭の中は山手線みたいにぐるぐる回っているわー!』といった具合だった。


 彩香はガードレールにもたれかかり、懐かしそうに高校時代の初恋のエピソードを終わらせた。


「それ、相手母さんだね」と夏夫。


「そうなの?」と興味津々の彩香。


「母さんは三重県の松阪出身。横浜の女子大を受験して入学。卒業と同時に父さんのお嫁さんになっている。当時はそういうの割とあったらしい。いまでものんびりペースの母さんにじれったい思いをしながら、フォローしてるよ」


「そう、先輩は幸せそうで良かった」


 その彩香の言葉に嘘はないと夏夫は思った。高校の頃は考えもしなかったが、自分の愛を受け入れてもらえなくても、好きだった人が幸せにいてくれるというのも愛情の一つなのだとおぼろげに分かるようになった。だから愛を受け入れてもらえないからといって逆上したり、変な忘却の方法に走るのではなくて、失恋という事実を受け入れて、普遍的に愛することへと変化させることが望ましいのだ。それが人を傷つけない、自分も傷つかない失恋の方法なのであろうと感じた。


「彩香さんっていいね。ステキな女性だよ」


 母のライバルだった人にそういうのも不思議な気もするが、夏夫はこころの奥底から自然にそう思った。そしてその言葉が無意識に出てきた。


「あの、女の子口説くんならよそでやってくれない」という女性の声。


「そう、女の子口説くんなら……」と復唱しそうになった夏夫は彩香ではない声に「えっ?」と我に返る。


目線の位置を顔の前に移すとそこには夏夫の彼女、恋人の晴海の顔があった。しかも彼女は薄目を開けて軽蔑するように、彼の目の前でにらんでいる。


「楽しそうね。デートかしら?」と腕組みして仁王立ちの晴海。


 隣にいる彩香の身なりを頭の上からつま先まで流して見ると、「こういう人もタイプなのかしら?」とチクリと一言。


「あああ、あわわ。ちが、ちが……」と動揺する夏夫。


「なに、茅ヶ崎に連れて行ってあげるの? 多摩急江ノ島線に乗って海辺までいくの? 海を見ながらデートかしら? 君はこの海よりも美しい、とかいってあげればいいんじゃない?」と冷ややかに言葉尻を捉えて嫌みを言う晴海。結構なヤキモチ焼きである。しかも素直じゃない。いつか暦人となった時に見た晴海の母、若き日の葉織に言い回しがそっくりである。


 すると平然と彩香は「こんにちは。夏夫君の彼女ですか? デートではないので安心して下さい。それと彼は失恋した私を慰めてくれていただけですから、励ましの言葉ですよ」と的確に誤解を解くための情報を言葉にして伝えた。


 その威風堂々と見えた彩香に晴海は少々たじろいで、「あっ、そうでしたか。私てっきり浮気かと」と言って、「こいつめ!」と夏夫の胸を丸めたチラシでトンと軽く叩いた。


 彩香はクスリと笑うと「仲良いのね。羨ましい」と言う。そして「そんなファッショナブルで、しかも可愛いお洋服を着ているからおしとやかなのかと思ったら結構おてんばなのね」と加える。


 その言葉に乗っかって「おてんばではなくてじゃじゃ馬……」と言おうとしたところで晴海の鋭い睨みが彼を襲い、彼は口をつぐんだ。


 その後晴海は彩香の襟元のバッジを見つけた。

「あれ? 時空郵政さん?」と訊く。

「ええ。あれ、分かるの?」と彩香。

「もちろん。私カレンダーガールだから」と返すと合点がいったようで「まあ」と驚いた後、彼女は彩香に握手を求めた。夏夫は心中『だからカレンダーガールって何? 暦人と何が違うの?』と問う。


 彩香も手を握り「よろしく」と挨拶を交わす。


「実はパソコンとスマホというものがどういうものなのかを教えてもらうために、このお店に来たんです。そしたらこのお店、昔新宿で好きな人と一緒に入ったことがあるお店だったんで、その時の話をしていたのです」

「なーんだ、そっか。まあ考えてみれば夏夫が浮気するだけの度胸があるとも思えないものね」と笑う。


 夏夫はその表現に少々引っかかるところがあったようで、「度胸が無いのではなくて、倫理観や道徳観からしないだけですけど」と言い直す。


「あら、結婚しているわけじゃないから、何人と交際しても法律的には問題ないのよ」と白々しく返す晴海。


 その横でぼそっと「本当に浮気したら、絶対怒りまくるくせに」と呟く。

 その言葉が晴海に届いたか否かは夏夫には分からなかったが、晴海は「じゃあ、早速見に行きましょうよ」と彩香の背中を押して店へと入っていった。


   持ち込み検査

おおよそデパートの最上階、屋上のひとつ下の階には多くの場合、食堂街が形成されている。町山田の東横デパートも例に洩れず多くのレストランがあり飲食を楽しめる。スマホとパソコンを見学した後、夏夫たち一行はその中の一軒に入っていた。


「そっか。不二のおばちゃんの恋敵ライバルだったんだ」とボンゴレスパゲティをフォークに巻きながら呟く晴海。

「不二のおばちゃん、女の私から見ても可愛いもんな」と加えた。いきさつをひとしきり聞いた晴海の意見である。


「やっぱりそういう感じの人なのね」と彩香。


「なんかねえ。こう、守ってあげたくなっちゃうような、守り切ると、この人を守れたってことの満足を心地よく思うって感じの女性。品も良いし、私と同郷、同じ大学の卒業生、ルートが同じとは思えないくらい可愛い人。妹さんもそんな感じ。松阪の小宅こだく家の人はおっとりして、働き者で、柔らかい感じの性格の人が多い」と加えた。


「じゃあ、地味な私に目を向けてくれるわけがなかったのも頷けるわ」と真摯に受け止める彩香。


「私、出身も松阪で、大学も一緒で、絶対に不二のおばさんみたいになりたいって思っていたのに、年々うちのお母さんに似てくるわ」


 その言葉をすかさず聞き逃さなかった夏夫は「うん。そっくり。特に不機嫌なとき」と余計なことを口走る。


 その言葉に反応して、晴海は軽く夏夫のほっぺを摘まんだ。


「なんかいいましたか?」

「ううん、何も言っていないよ。晴ちゃん美人だって言った」と夏夫。

 晴海は笑顔になって手を離すと「夏夫ったら、人前で」と両手で頬を覆って恥ずかしがって見せた。


「ところでパソコン関係はよく分かったのだけど、私、晴海ちゃんと会ってもうひとつお願いしたいことが出来たの」と話題を変える彩香。


「なに? 出来ることならなんでも」と晴海。

「私、可愛くなりたいので、あなたのお洋服のセンスをお借りして自分へのお土産に二十一世紀のファッションを持って帰りたいんだけど。無理かな?」と切り出した。

晴海は少し考えた後で、「後ろ襟のタグを切って、使われている生地の材質や原産国表記を無くすこと。当時工場なんて無い国から輸入されていたら変だしね。文字などがデザインに入っていないこと。社会現象などの具現化されたデザインが描かれていないことが守られていれば、自分だけで着る分には許されているはず。着られなくなったら速やかに処分して、人には譲らないと言うことが前提ね。たしかそれだけ守れれば、持って帰って良いはず」と説明した。


 晴海の時空移動に関する知識を横で聞いていて、夏夫は『まるで税関の職員みたいだ』と思った。

「じゃあ、食べ終わったら下のフロアでお洋服を一緒にコーディネートしてくれるかな?」と彩香が訊ねた。

「勿論」

 晴海は嫌な顔一つせずにOKサインを彼女に送った。


「良かった。大変な思いをして未来まで来た甲斐があったわ」と彩香も笑う。

「じゃあ、可愛くって言うのなら、もうそのまま夏色でいこう。ホワイト系で前襟リボン結びの半袖ブラウスとピンクの膝上チュールスカートに……。……そうね、あなたに合ったカラーは藤色、薄いパープルの網目テイストのニットボレロが良いわね。うん、そのスタイルなら可愛い」とイメージを作る晴海。


「ちょうどこんな感じ」

 晴海は思い立ったように手元のトートバッグからファッション雑誌を取り出した。口で説明するよりも見せた方が早いと悟ったためだ。


「わあ、こんなウエディングドレスみたいなスカートが流行っているのね」と驚く彩香。


「一応軽く全体見て納得しておいてね。これに似たような服でまとめるからね」


 そういって所定のページを見せた。


「この組み合わせはワンピースじゃないけど、それ相応のシルエット自体は全体的に腰下をフワッとしたAラインっぽくして淡いピンクの清潔感を出して、同時にひらひら感で甘くしてみる。藤色の持つ清楚さをボレロで強調、しかも夏に向けて暑くないように編み目の粗いものを選ぶ。そして夏色のマストアイテム、白の夏帽子で上品さも捨てられないわ。今風のミュールだけは持って行くと大変なことになるから、通常の平底の紐サンダルにしましょう」と彼女に手持ちのファッション雑誌を見せながら説明をした。その姿は彼女の母、葉織とそっくりで少々尊敬してしまう夏夫だった。そしてそれと同時のこの女子トークの中に男一人でいるのは完全に無理だとも感じた。


「お話も尽きないようだけど、女性服売り場に僕は少し居づらいので、二人が買い物している間、さっきの量販店でカメラを見ているけど良いかな?」とナポリタンを食べ終えて紙ナプキンで口を拭きながら夏夫は提案する。


「そうよね。女性ばかりの売り場では目立つし居づらいもんね」と理解を示す晴海は「じゃあそうしてくれていいわ。終わったら携帯に連絡するから」と夏夫を労った。


 会計を済ませて、夏夫をエレベーターホールで見送ると二人はエスカレーターに乗る。

 すると夏夫がいなくなったこともあって彩香は見たままの本音を晴海に告げる。


「晴海ちゃん、夏夫君のこと本当に好きでたまらないのね。最初見たときは、晴海ちゃんが主導権を持っているように見えたけど、それって表向きって分かっちゃった」と笑う。見透かされた感が否めない。


「ばれた?」と晴海。特にムキに隠すこともなく素直に認める。

「やっぱりそうなんだね」

「だってさ。私みたいなわがままな子、いつも笑顔で許してくれる人なんて他にいないもん。人前ではあまりわがままを出さないから愛想良く見られているけど、地の自分出したらどん引きされるの知っているから」と晴海は続けて白状した。


「私ったら酷いもんよ。夏夫と知り合う前にデートした人とのエピソードが多数あるけど、ほとんど武勇伝なんだから」と笑う。


「聞きたい」と彩香も笑う。


「あまり威張れたもんじゃないわよね。怒ってデートの途中ですっぽかして帰っちゃったり、男の人のプライドズタズタにののしったり、平等、同権と嘯いてこき使ったり、ほんと過去の人たちには懺悔しているの。おかげで、決まって最後には必ず『お前は俺の手に負えない女』って言われて皆が去って行くの」


 その話を聞いて呆気にとられた彩香。


「すごい」と彩香は冷や汗まじりの一言。あとは絶句である。昭和五十五年には想像できない成人女性の姿である。


「でもね。夏夫は私が怒ったとき、私に謝らないし機嫌もとらないの。そして、早く美人な顔に戻ってくれれば僕はまた好きになる、とか普通に言ってくれちゃうし。ごまかしでも、気休めでもなく、彼はその後本当にその通りにするの。そしてその彼の行動を見て、自分がまた短気で人を傷つけたって、自然に私を気付かせてくれるんだ」と打ち明けた。


 頷きながら「いい話ね」と彩香は納得した後で、「でも半分はこの話ごちそうさま」と恋ののろけ話に付き合わされた感じにも受け取った。


 晴海は「ごめんなさい。このこと夏夫には内緒ね。私、負けず嫌いだから、こんな風に私が思っているなんて知られたら恥ずかしいし、悔しいから」と返した。


「たぶん、夏夫君は気付いていて口に出さないんじゃない。もう分かっていると思う」と彩香。


「それでも気付かないふりしてて欲しいんだ」と晴海はぺろっと舌を出して笑った。

「いいなあ。私も夏夫君みたいな彼氏欲しい」

 彩香はこの居心地の良い二十一世紀のカップルたちとの友好的な時間に親しみを感じていた。


 婦人服フロアに着いた二人はエスカレーターを降りると「さあ、選ぶわよ」と意気込んでお目当てのプレタポルテのブランドショップへと足を運んだ。


   遺失物

 午後三時を過ぎたあたりで三人は日月町のバス停に降り立った。神社の参道入口の脇にある明治屋が経営するコンビニの前だ。


「私、配達終了の連絡を入れないといけないので局の駐車場スペースで連絡を入れてこなくちゃ」と彩香がいう。

「OK。じゃあその間、荷物持ってあげるわよ」と晴海が彼女の手から服の入った手提げ荷物を譲り受ける。


 彩香はハンドバッグの中をごそごそとかき回しIDカードを探す。

 ところが何度引っかき回してもIDカードが見つからない。


「あれ?」と額に汗がにじみ始める彩香。

「どうしたの?」と夏夫と晴海が彼女の方を見て気遣う。

「時空郵政の嘱託IDカードが見当たらないのよ」と青ざめた顔の彩香。相変わらずバッグの中をかき回している。

「とりあえず、ここのベンチに中身全部出してみれば?」と晴海。


 晴海の提案に「うん」と答えて中のものを並べ始めた。

 ハンカチ、携帯ティッシュ、お化粧ポーチ、筆入れ、メモ帳、カセットテープのウオークマン、食べかけで開封してある当時流行したはじけるキャンディー、そして時空郵政のクレジットカードとこの時代の現金が入った出張用の財布、最後が当時の自分の財布である。これだけ並べたがどこにもIDカードが見当たらない。


「どうしよう……」

 悲愴感に苛まれた彩香。ただ指をくわえてワナワナとしている。旅先でのなくし物や落とし物は普段にも増して不安を招く。


「探してみれば良いよ。まだ帰社時間までは四時間近くあるし」と夏夫。

「それに最悪IDがなくても帰ることは出来るはずだから、帰社後に上司に届け出るしかないわね。怒られるだけで、自分の時代には帰れるから大丈夫。落ち込まないで」と晴海。「うん」という彩香の声が心なしか元気がない。


 思い出したように夏夫が「もしかしたら日月新町公園かも?」と彩香に言う。

「あっ!」と彩香も納得する。

 二人は互いに頷くと「行ってみよう!」と言って公園に向かって歩き始めた。

 晴海は「どういうこと?」と言いながら二人に続く。


「僕が彩香さんに声をかけたのがあの公園で、彼女がアブを避けたときに転んでバッグの中身が飛び出してしまったんだ。しかも膝をすりむいてしまうし」と夏夫は歩きながら説明をする。


「その時手当てをしてくれて、配達先が自分のおじいちゃんだって分かって連れて行ってくれたの」と彩香が付け加えた。

「なるほど」と頷く晴海。そして「その避けたときに飛び出したバッグの中身が拾い切れていないかも知れないと言うことで、確認をするために向かっていると言うことで良いかしら」と続けた。


「お察しの通り」と夏夫。

 公園に着いた三人は急いで藤棚のそばのベンチへと駆け寄る。

「ハルちゃん、こっちだ」と夏夫は彩香の座っていたベンチ周辺へと誘う。

「まだ十分に日は明るいから見つかるはずだわ」と晴海。


 ベンチの下をひざまづいてのぞき込んだり、裏手にある花壇や生け垣の中を手でかき分けてみる。彩香も必死だ。

 しかしそれらしいものは一向に見当たらずしだいに困ってきた。

「手がかりだけでもあってくれたらいいのに」と晴海は地面を手でなぞり慎重に探しながら言った。


 それから一時間ほど探してみたが、半径二メートルほどの小範囲なので探し尽くした感が出てきた。


「もし見つからなかったらどうなるの?」と夏夫。

「私も時空郵政の人に会うのはこれが二回目なので詳しいことは分からないけど、叱咤されることと、始末書ぐらいだと思うんだけど……」と晴海が返す。

 それを聞いて少し安堵すると「仕方ないね、今後の善後策を考えて知恵を出し合おうよ」と慰める夏夫。


「二人ともありがとう。初めての時空出張に大失敗だわ」と自己嫌悪の彩香。青ざめた彼女の顔を見れば職責を全うできていない自分への悲愴感が漂っていた。


 気がつけば三人はとぼとぼと来た道を夏夫の家へと戻っていた。道の両脇には香しきツツジの花の青々としたにおいが風ととも漂っている。そして三人が夏夫の家の玄関先に着いたときに、ちょうどタイミング良く玄関の戸が開いた。


「今日はありがとうございました。また近くに来たら寄らせていただきます」と帰りの挨拶をする声がした。夏夫と晴海には聞き覚えのある声だ。


 玄関から出来てきたのは近隣の町、相南市あいなみしの桜台駅前でフォトギャラリーカフェをやっている山崎凪彦やまさきなぎひことその恋人の明治美瑠めいじみるだった。美瑠の実家は日月町郵便局前のコンビニ明治屋である。つまり隣のコンビニだ。ただし店頭演奏者、電子ピアノのデモンストレーターの傍ら、山崎の店のスイーツづくりを手伝っている。ここのコンビニは兄夫婦が経営している。


「あれ、マスターと美瑠ねえちゃん、なんで?」と不思議そうな夏夫。

「やあ、こんにちは。今日は秋助さんに面白いフィルムが手に入ったって言われて、近くまできたもんだから寄らせてもらったんだ」と山崎。

「ふーん」と夏夫が頷くと、美瑠は隣にいる彩香のことに気付いて、「あっ、この人だわ」と山崎に同意を求める。

「あ、本当だ。写真通りだ」と山崎。


 二人の様子を見た彩香は『なに、おとがめがもう来たのかしら』と少々不安である。後ろめたいことや失敗をやらかしたときの愚直な反省モードの時ほど悪く考えがちである。


「あなた時空郵政さんでしょう?」と山崎が訊ねる。

「はい」と元気ない返事の彩香。

「あなたのIDカードを公園の藤棚の下で拾ったので秋助さんに預けておきましたよ。時空郵政さんが運んでくれたフィルムを使って藤棚の藤の花を試し撮りしていたら偶然見つけちゃってね。秋助さんにカードを見せて、この人知ってるか、って尋ねたら、届けてくれた局員で夏夫君と一緒に社会科見学している、っていうので、そのままカードを預けました。拾ったのが私たちで良かったですね」と笑う山崎。


 その言葉とともに満面の笑みに変わる彩香の表情に夏夫と晴海も安堵する。

「ありがとうございます」と彩香。


「W&B(白黒)のフィルムで花撮るか?」と腑に落ちない夏夫だったが、頭を切り替えて「この二人も暦人だから大丈夫だよ」と夏夫は彩香に説明する。

 その言葉を聞いて「日月町には暦人がたくさんお住まいなのね」と感心する。


「いや、私たちは日月町ではないんだ。相南あいなみに住んでいるんだ」と軽く打ち消す山崎。


「私も実家はこの近所だけど暦人になったのは桜台なの」と美瑠。

「まあ私たちのことはいいから、早く秋助さんにIDカードをもらっておいでよ。可愛い郵便屋さん」と笑う山崎。大人の落ち着いた優しい魅力の持ち主だ。

「そうだね。おいでよ」と夏夫は彩香を家の中に入るよう促す。


 彩香はぺこりと二人にお辞儀すると「ありがとうございました」と言って夏夫に続いて家に入った。


 残った晴海が意味深に「美瑠さん、ついに片思い脱却したんだ」と笑顔で呟く。


「ははは」と照れながら美瑠も頷く。

「マスター、良いですね。綺麗な彼女で」と冷やかす。

「うん。本当だ。私にはもったいないお嬢さんだ。楽器も上手だし」と頷く。


「平然と言ってくれちゃうんですね」

「これ、のろけでも何でも無くて本当にそう思っているから」と冷静な返答の山崎。

「そっか、客観的な分析でそう思うんだ」と晴海。


「そう、感じたそのままです」と山崎は笑う。そして「でもIDカード、拾ったのが私たちで良かったね」と始めた。


「もし一般の人に拾われて世間に公になると、二十五世紀の時空郵政庁だけの問題じゃなく、時空を管理、割り当てする時空管理局までが動くことになる。そうなると時空移動検査窓口の人間が各方面に動くことになります。やっかいな話になるところでした」と真面目にため息をついた。


「そんな大事になるところだったんですか」と晴海は自分が楽観的に考え過ぎていたことに気付かされた。そして重ねて、追い打ちにならないように、そのことは彩香には黙っていることにした。


「マスターこれからなんか用事ありますか? 良かったら皆で一緒に食事でも……」と晴海が言いかけたところで、山崎は「申し訳ない。これから店に戻って仕事なんだ。あした団体のお客さんの貸し切りでね。個展の打ち上げ会をするらしくって。準備が普段の三倍あるんだ。店内の飾り付けまで頼まれちゃってさあ」と言って頭を抱えてしまった。


「もっと遊んでいたいなあ」とぼやく山崎に「私が遊んであげますから。お店の中で」と美瑠が宥める。そして付け足すように「もっとも私だけが遊んでいそうだけど」とぺろっと舌を出した。


「そんなわけなんで我々はここでおいとまします。夏夫君たちによろしくね」と山崎は軽く会釈の後で近所の駐車場へと歩いて行った。通りに出ると美瑠が寄り添うように腕を絡めるのが晴海からも見えた。

「大人のカップル」と晴海は憧憬の眼差しでふたりの姿を見送った。

 

   業務終了

 彩香は襟元のバッジの横に突き出ているボタンに軽く触れる。バッジに赤いランプが点灯して交信が始まった。

「はい。時空郵政庁東京第二コールセンター、松坂やよいです」


「嘱託ID〇八九四〇大丸彩香です。不二秋助宅への配達完了しました。十九時過ぎに昭和五十五年の局に戻ります」


「ID〇八九四〇の大丸彩香さんですね。お仕事ご苦労様でした。今回の報酬は郵便貯金経由で出張費と休日出勤手当という名目で振り込まれますので確認して下さい。なお支払いはその時代の当局にお任せしているので、詳細は所属の郵便局長にお尋ね下さい。ご協力ありがとうございました。またじくぱっく配達の折はよろしくお願いします」

「はい」


 交信が終わると自然にランプは消えてボタンは跳ね上がり、もとの突起した状態に戻った。報告が終わると彩香は郵便局の敷地の外に出て、晴海と夏夫の待つ日月神社の参道の入口に来ていた。


「いよいよお別れね」と彩香。

「うん。元気でね」と夏夫。

「あの服着た彩香ちゃん、女子力十倍アップ間違いなしよ」と晴海。


 その言葉に彩香も「嬉しいなあ。私、初めてファッションを話せる友達が出来た感じだわ。ルービックキューブで遊ばなくても、おしゃれな人生に趣味を変えられそう」と満面の笑みである。

「るーびっくきゅーぶ?」と不思議顔の二人。

「なんでもない。なんでもないの」と手で宙を扇ぎながら、かぶりを振った彩香。


 三人は参道を池の畔までやってきた。池からは水蒸気とも霧とも言えるような白いもやが立ちこめている。更に近づくとそこには秋助の姿があった。

 彩香は会釈をすると「お世話かけました。お元気で」と挨拶をした。

 すると秋助は笑いながら「なんじゃその今生の別れのような挨拶は」と相手にしない。


「だって生きている時間が違うから会えないし……」と言いかけると、秋助はそれを遮って「これからはお前さんがこの時代の担当だって言ったろう。また注文すると思うぞ。じくぱっくの通信販売」と笑う。


 すると皆がしんみりムードから一転、日常の明るい顔に戻った。

「そっか。また会えるんですね」と彩香。

「ああ。あんたが担当を外れない限り注文する度に一日中遊びに来れるというシステムだ」


 秋助は手に持った中華まんを手渡す。

「持って行ってあっちで食べなさい。まだピザまんとミルクキャラメルまんはあっちでは売っていないだろうから」と言う。おそらくコンビニの明治屋さんで買ってきたのであろう。


「大丈夫。まんじゅうの下の紙だけはがしてしまえば過去に持って行っても情報は載ってないから。あと仕事終わりの連絡を局に入れたら、もうあんたにとってはプライベートな時間だ。友人知人としてのお土産だから気にすることはない。三越さんにもくれぐれもよろしくな」


 そう言われて、白い無地の紙袋の中にある中華まんの紙を、彩香は言われるまま剥がして秋助に渡した。


「はい。ありがとうございます。後でいただきます」といった時、池の畔の霧の中に七色に光る御簾のような形をしたゲートが出来た。満月の煌々とした月明かりを水面が反射して出来たプリズム光。このゲートはそれをスクリーン代わりの白い霧に投影され映し出されているのだ。


「お別れじゃな。またお願いするからな」と秋助。

「また待ってるよ」と夏夫。

「ステキなお友達が出来て嬉しかったわ」と晴海。

「うん、またね」


 三人の方に手を振りながらも前に、一歩、また一歩と歩いて行く彩香。やがて高速エレベーターの落下するような感覚とともにそれが止むと、突然、出がけに局長の三越に背中を押された扉の前にストンと着地した。意外に呆気ない時空移動だ。


 そこには「お帰り。ご苦労様」と笑顔で迎えてくれた局長の三越がいた。三越は彩香が手に中華まんを持っているのに気付き、「秋助さんにいただいたな」と嬉しそうに笑った。


 白い包み紙を見ながら『秋助さんの恒例のお土産なのね』と彩香は思った。

「はい。局長にくれぐれもよろしくと言っておりました」


 彩香のその言葉に局長はあごを撫でて照れながら、

「そうか、お元気だったようだね」と親しみのある顔をした。

 彩香にとって、いつもしかめっ面での数字合わせと、現代でいうところのコンプライアンスのことしか気にしていない、無愛想なおじさんという局長のイメージが自然と払拭されている。彼の顔が人間味ある地域とともに歩む郵便局員の顔になっているのが分かった。信頼関係のあるお客さんには顔もほころぶのだと言うことを彩香は初めて悟った。


 彩香は、思いがけない親しみのある局長の顔に、

「あの、局長もおひとついかがですか?」と中華まんの袋を差し出す。

「いいのかい?」と嬉しそうな局長の顔。

「はい」

 そう返事すると彼女はそっと袋を差し出した。


 二人は郵便物の仕わけ棚の前にもたれかかって、中華まんを分け合って食べる。


「二十一世紀の味がするなあ。この味こっちの時代にまだないもんな」と局長。そして「どうだった未来への配達は?」と業務内容の吸い上げをする。ここは局長としての仕事の延長線上だ。


「二十一世紀の社会、気に入りました。また配達に行かせて下さい」と白いまんじゅうを頬張りながらの彩香の言葉に、「もちろんそのつもりだよ」と局長は笑って答えた。


 そのうちにどこからかブザー音がした。

 それに反応して「おっ、高島君も帰ってくるぞ」と言って、局長は残りのまんじゅうを口に放り込むと再び扉の前に立つ。


 その瞬間、空間に穴が開き、高島がストンという軽い音とともに床に着地した。

「お帰り、高島君」と笑顔で出迎える局長。

 あたりをきょろきょろと見回した後で、我に返ると高島は「ただいま戻りました」と挨拶をする。


 彩香は彼の視線の奥の方から小さく手を振った。それに気付いて高島は彩香に軽く会釈をした。


   再会

 彩香は自宅の鏡の前に立って買ってきた服を合わせてみる。鼻歌交じりの彼女はいつになく上機嫌である。一眠りをしたものの時間的には少々寝不足気味だが、それよりも晴海に選んでもらった服が嬉しいのだ。


「やった」と、意味も無く嬉しさを表す言葉をさっきから連呼している。両手で握り拳を作って中腰になりながら、力むように嬉しさを体全体で表現しているのだ。彼女の人生の中でこれだけポジティブにものを考えたことなど無かったのでないだろうか。


 折角の休日、彼女は出かける予定もないままお昼を過ぎていた。お気に入りのその服を着ていけるところなど彼女にはない。でも着て外出したい。そう考えた彼女は近所の喫茶店に出かけることにした。残念ながら一九八〇年の日月町には喫茶店はないため、駅に通じる町山田街道沿いまで、散歩がてら出かけることにしたのだ。


 風薫る季節の青空と日差し、清々しい景色が彼女の前に広がる。切り通しの斜面には山藤の弦が巻き付いている。等間隔にたわわに花房を垂らして。


 しばらく歩いているとあちらから手を振る二人連れが見える。

「誰だろう」と呟く彩香。

 それは彩香の憧れの先輩、春彦と彩香は知らない彼の友人だった。

 話が出来る距離まで近づいてきたところで春彦が笑顔で話しかけてきた。


「やあ、彩香ちゃん。久しぶり」

「こんにちは。不二先輩」と彩香。

「新宿の時以来だね。郵便局に入ったって聞いたよ」


「ええ。なんとか試験に合格して……まぐれで」と笑う彩香。

「すごいじゃないか。優秀だ」

「先輩は農業大学に行ったって聞きました」

「うん。例の彼女に尻叩かれて猛勉強したよ」

「上手くいったんですね」と吹っ切れた彩香は愛情に満ちた笑顔を彼に向けた。


「あの時、君にいろいろ愚痴っちゃったみたいでごめん。でも上手くいったよ」と笑う春彦。


「よかった」と嬉しそうな彩香の横でそわそわし始めた男がいる。

 それまで沈黙を守っていた大介が春彦の肩を叩き、「おい、春彦。この可愛い子誰だよ。紹介しろよ」と口を挟む。


 驚いたように「あれ? お前知らないのかよ。うちの高校の一級したの子で大丸彩香ちゃんだよ」と紹介する。


「ファッションセンス抜群のこんな可愛い子、うちの高校にいたか?」と不思議そうな大介。


 あらためてみると、めかし込んでおろしたての清楚でさわやかな装いの彩香。春彦は言われて初めて気付いた。


「彩香ちゃんどこ行くの? そんな余所行きの格好で」、と言う春彦に「新しく買った服を着ていくところ無いから、せめてひとりで近所の喫茶店でも行こうかと思って散歩してました」と素直に答える。


「なら一緒に行ってもいい? 男ふたりで暇つぶしていたんだよ。華がなくてさあ」と笑う春彦。そして「連れのこいつも彩香ちゃんに興味あるみたいだから」とふざけた顔で大介をからかう。


「やった。一人でお茶するのもちょっと寂しかったんです。嬉しいです。……ただ華にはなれないですけど」


 彩香がそう言い終わると、待ってましたとばかりに大介が身を乗り出して、「俺、大介。十河そごう大介っていいます。春彦と高校の時、写真部で一緒でした。いま奈良の南都文化大なんとぶんかだい理学部物理学科の二年生です」と勝手に自己紹介をする。


 彩香はクスッと笑うと「面白い方ですね」と帽子のつばを両手で軽く掴む。すると「かわいいなあ。百恵ちゃんみたいだ」と加えた。


 すると彩香は「不二先輩、この方お口が上手なんですね」とふざけてみる。

「いやいや。こいつお世辞で言ってないよ。この素振りだとかなり気に入られているねえ、彩香ちゃん」


「えーっ、私、男の人にそんな風に扱われたことないからわかんないわ」と驚きである。さすがに家で一人、ルービックキューブをしているのが日常の楽しみとも言えず、とっさに出た言葉だった。

「迷惑なら迷惑って言った方が良いよ」と珍しくふざけ口調の春彦。


「それはないだろう、春彦」と再び大介は春彦の肩を叩く。おそらく二人は気のあった友人同士なのだと推測できる。

「全然迷惑じゃないですよ」と彩香。

「ますます良い子だなあ」と大介。

「じゃあ、行こうか。彩香ちゃんが主役なので真ん中ね」と男ふたりが両端に分かれる。

「私、端っこの方が好きなんだけどなあ」と小声の彩香をよそに背中を押されて、彩香を中央に近所の喫茶店へと三人は並んで歩いて行った。


終業

 それから二年ほどが過ぎたある日の局内である。彩香もそこそこの仕事がこなせる局員へと成長していた。勿論時空郵政の仕事もちゃんと勤め上げている。変わったことと言えば、上司の三越だけが定年を理由にこの局を去って新しい局長の時代になっていた。


 仕事終わりの五分ほど前、彩香は白い箱に入った藤の花房形のバレッタをまじまじと見つめていた。


「どうしたんですか? 髪留めなんか眺めて」と高島。

 彩香は柔らかい笑顔で「なんでもないわ」と答える。

「最近先輩、妙に女性らしくなりましたよね」

「あら、そうかしら?」とその言葉にまんざらでもない気分の彩香。

「前はルービックキューブの六面完成の本ばかり見ていたのに、最近はファッション誌ばかりを読んでいるじゃないですか。もっぱらのウワサで彼氏が出来たんじゃないかって、みんな言ってます」

「あはは。そうね」と笑う彩香。

「本当なんですか?」

「うん。先日会ったときにね。結婚しよう、って言われちゃった」と少し恥ずかしげに話す彩香。そして「その時にね、このバレッタをもらったの、エンゲージリングを来週にでも買いに行こうって言われて」

「すごいじゃないですか。おめでとうございます。ちなみに相手は誰ですか? 差し支えなければ教えて下さい」

「いいわよ。別に隠すものじゃないし。同じ高校の先輩。……といっても在学中は知らなかった人なんだけど。今は奈良の大学を終えて、この四月からここの近所の高校に赴任が決まったんだ。それでね、結婚の話になったの。来年の五月になったら結婚しようって」と嬉しそうな彩香。

「だから藤の花なんだ」と高島。一人で勝手に合点のいった顔をする。

「えっ、なに?」と彩香。

「分からないでその髪留めもらったんですか?」と笑う高島。

「うん」


「藤の花は春日大社かすがたいしゃの神社のおしるしの花でしょう。神使しんしが鹿で、花徽章はなきしょうが藤の花ですよ。巫女さんのかんざしにも大きな藤の花が揺れているでしょう」と笑う。


「そしてついでにお教えすると藤の花言葉は『決して離れない』と『優しさ』です。巻き付いて抱きしめるような枝幹と柔らかな風にそよぐ花房が花言葉の由来とも言われています。しかも結婚五月って言いましたよね。藤の季節じゃないですか」と加えた。


「先輩の彼氏はロマンチストですね。そして春日さんのお印花を知っているなんて叙情的な一面もおありで、ステキな方とお察ししました」と言う。

「詳しいのね」と感心する彩香。


「だってうちの母は奈良の人で、実家が若草山わかくさやまの近くですからね。普通に祖父母の家の近所、行動範囲にありましたから覚えますよ。春日さんの藤棚によく遊びに行きましたしね。それは見事な藤棚ですよ」と種明かしをした。そして「いずれにしても愛されていますね。先輩」と笑顔で高島は再び、「おめでとうございます」と小声でささやくと彼女のそばを離れていった。


 そんな話を聞いた彩香はまたバレッタを見つめて真っ赤になってしまった。

「いやだ。頬が熱くなっちゃった」と頬にそっと手を当てる。

 藤の花で始まったエピソードは藤の花で終わる。彩香の一つ一つの小さな出会いをサポートしてくれた春彦や夏夫、晴海との交友関係のそばにはいつも藤の花があった。


「そういえば、あの人、最初のデートは春日大社にしようといって連れて行ってくれたっけ。あれにもきっとなにか意味あったのね」


 言われて初めて気付くタイプの彼女。うららかな春の日差しがまだ少し残る夕刻前、今日の帰り道は次のバス停まで歩いて帰ろうと思った。あの公園の藤の花が急に愛おしくなったからであった。

                            了

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