三章(三)

 病室の扉が開いた。

「すいません、ちょっと迷いまして。」

 先生は謝りながら入ってきた。

 私は、知っている。私と彼女が話しているとき、声を荒げる彼女の後ろにある扉が、かすかに開き、すぐに閉じられたのを。それと同時に扉の向こうの影は消えた。

 先生は、トルコキキョウが活けられた花瓶をテーブルの上に置いた。

「きれいですよね。キキョウ。それだけの理由で選んだんですけど、花言葉は、「あなたを想う。」って教えてもらいました。」

「そうですか。」

 彼女は、まだ、カーテンの方をみていた。

「桂さん、申し訳ないですけど、暗いのでもうお帰りください。エレベーターのところに清水さんがいます。」

 私は、先生に「はい。」と返事をし、彼女には「今日は、ありがとうございました。」といい、退室しようとした。

「桂さん」

 私は、振り返った。彼女は私の目を見ていた。 「また繁に会いに来てくださいね。」

 彼女はぎこちない笑顔を向け、私にいった。

「はい。」



「お母様と何を話していたんですか?」

 清水さんが、エレベーターの中で聞いてきた。彼女は病院という場所なのに白衣を着ている。

「部屋の外にいたんですか?」

この人は、いつから、来ていたのだろうか。

「外にはいましたけど、あまり聞こえませんでしたね。 あなたの、親御さんは心配してませんか。もう外は暗くなってきてますけど。」

「教えませんよ。母には連絡してあります。」

「そうですか。」

 私は、携帯をみた。病院に入る前に送ったメッセージに対して、母からは「あなたは優しいから友達も喜ぶと思うわ。あなたが帰ってきたらカレーを一緒に食べましょう。」と返信が来ていた。

「うれしそうですね。」

 彼女は私の顔を覗き込み、そう言った。

「ええ、まぁ。」

 私は、自然と笑みがこぼれていたようだった。

「よかったですね。」

 彼女は、いつもの微笑みを私に向け、エレベーターを出た。

「では、気をつけて帰ってください。」

「今日はありがとうございました。」

「私も。」

 彼女は、今までと違う何か意味を含んだような笑みを私に向けた。病室での話はしっかりと聞かれてしまっていたかもしれない。

 私は、明るい病院から薄暗い暗闇へ自動ドアを出て足を踏み出した。自然と足取り軽く、昔から聞いていた曲を口ずさみながら帰った。




 今の状態について、村雨の母親から聞き、俺は病室を出た。待合室へ行くと、清水が一人で白衣をひざ掛けにして座っていた。

「桂さんは帰った?」

彼女の隣に座り、尋ねた。

「ええ、十五分ほど前に。」

自動ドアを見つめながら、彼女はそうつぶやいた。そして俺の方に顔を向け、「あ、そうだ。」といい、缶コーヒーを俺に手渡した。

「お疲れ。」

「ああ、ありがとう」

 缶コーヒーを受け取り、俺はプルトップを引いた。

 お互い、何も喋らず、ただ缶コーヒーを飲んでいた。待合室には、患者の名前を呼ぶ受付の声や小走りする医師や看護師の足音が忙しなく響いていた。

「外出ようか」

 中身が無くなった缶コーヒーを軽く振り彼女は聞いてきた。

「そうしようか。」

 外はもう暗く、六時を過ぎていた。

「彼はどんな容体なの?」

 行きは、S駅からタクシーで行ったが、帰りは歩こうということになった。彼女は俺の少し前を歩いている。 街灯の下を通ったときに彼女が俺に聞いた。

「一命は取り留めているらしいけど、予断は許さない状況には変わりないと聞いた。」

「そう」

「北校舎の屋上は、低いから。それが幸いだったのかも。」

「とはいっても、彼が死のうと思ったことは事実だよ。」

 彼女が、街灯の無くなった道で振り返る。

「原因は、やっぱり。」

 村雨の母が語った過去の話を思い出した。

「そうね」

「親って大変なんだな。」

 俺は、田舎にいる両親を思い出した。

「そりゃあね、人間が同じ人間を育てるんだから。」

 すでに、明るい街並みになっていた。S駅近くの繁華街を二人で歩いていた。 「桂さんのことは知ってたのか?」

「まぁね、村雨君との件は知らなかったけど、入学式のときに少しね。親御さんから私に話をしてくれたの。」

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