第12話 雄々原色々女

──もし雄々原色々女が眼鏡のない世界に生まれていたら、どうなっていただろうか?

 

 そんな仮定の質問に、彼女が通う学校の生徒は口を揃えてこう答える。


「だったら良かったよ。素直に尊敬できたのにさ」


 雄々原は学業に秀で、スポーツも得意。人望に厚く生徒会長を務めている。

 堅い口調も慣れれば彼女の個性だ。人を傷付ける不正を拒む厳格さがそうさせているのだと、案外広く受け入れられている。基本的には積極的な善い評価を下されるタイプの人間だった。

 しかし、雄々原は眼鏡が大好きである。


「変なフェチさえ無ければな」


 と、彼を少し知る者は、呆れて笑いながらそう答えるだろう。寧ろあれだけ出来た人間なのだから欠点の一つでもあった方が嫌味もない、とすら思われていた。

 ところが、雄々原本人の回答は違う。

「愚問だね」と、雄々原は腕組みし、真っすぐな目で答えるだろう。


「世界に眼鏡が無いとしても、私が眼鏡を創ったに違いない」


 雄々原色々女の眼鏡に対する信仰は、度を越していた。

 その妄執を裏付けるエピソードは枚挙に暇がない。

 赤子の頃、雄々原は人を雌雄よりも先に眼鏡の有無で分けることを覚えた。

 幼稚園の先生が眼鏡からコンタクトに変えた時、原因不明の高熱を出した。

 小学校の頃、眼鏡を掛ける為に目を悪くしようと一晩中暗闇で懐中電灯を注視した。

 中学の試験ではいつも満点を取ったが、教科書の偉人には全て眼鏡の落書きを加えていた。

 歳を重ねても眼鏡への愛は微塵も衰えないばかりか、重症の一途を辿り続ける。

 そして十五を境にその内なる衝動は外側へと向かい始める。高校生の雄々原はもう、自分で眼鏡を掛けることや眼鏡を掛けている人を見るだけでは満足できなくなっていた。


 雄々原は生徒会長である。


 学校を良くしたいと思って立候補し、地道ながら効果的な選挙活動で下馬評を覆し、初の女性生徒会長に当選すると、様々な改革を行った。『古き良き』は残し、『悪しき古習』は正す学校改革──その中には月一の全校生徒ゴミ拾いボランティア実施など生徒達からの不興を買うものもあったが、学校の評判が上がり教職員やPTAからの好感を得た。またお堅いばかりではなく、文化祭の規模を拡大する提案を通し、その成果をもって雄々原色々女は全校生徒からの支持を盤石なものとした。

 だが雄々原の最終目標は、校則に『全校生徒及び全教職員は眼鏡を着用すること』という一文を追加することにある。学校を良くしたいという気持ちには一かけらの嘘も混じっていなかったが、雄々原にとって最も『良いこと』とは、即ち眼鏡に他ならないのである。


 人に眼鏡を掛けたい。


 眼鏡が好きなことは知られていたが。当然誰もそこまでとは思っていない。気絶した人間に眼鏡を掛けるような暴挙は見せていなかった。だから雄々原の周囲の人間はまだ生徒会長の裏の顔を、その内側に潜む衝動を知らずにいた。

 だが知らない内に土壌は整い始めている。現在、信頼と実績から、様々な権限が業務と共に生徒会長という立場に集中しつつあった。『眼鏡推奨』という校則の追加も、案外洒落のわかる奴だという人物評に覆われて、せいぜいが話のタネである。まさかいずれ来る『眼鏡強制』の伏線だとは、誰も思っていない。全ては雄々原の計画通りだ。そして誰も止められなくなったところで、やがて雄々原はその狂気を実行に移すだろう。とはいえ、近い将来とある高校で発生する生徒会長と裸眼革命軍の闘争は、本筋とはまるで関係の無い話である。

 

 という訳で、話は本筋へ戻る。


 クソラグくんから◯の説明が為される直前、青月十三月の願いが不幸な事件によって亡くなった家族の生き返りであることを知り、雄々原の内側に一瞬葛藤が生じた。


(この戦い、彼女が勝つべきではないか?)


 青月の狙い通り、同情を誘う揺さぶりは一定の効果を発揮していたのだ。眼鏡への偏愛を除けば雄々原は善人と呼んで差し支えない人格の持ち主であり、しかしその偏愛が問題だった。


(いや、私にも懸ける願いがある。否、掛ける願いが)


 ──人に眼鏡を掛けたい、切に。

 本当にどんな願いでも叶うのなら、話は校則どころではなくなる。

 雄々原の願いとは究極、全人類に眼鏡を掛けることだ。そしてその願いは彼の中で世界平和に等しい正当性を帯びた大義である。狂気と正義は強固で崩れにくいという点で性質を同じくし、また人を熱くさせる物には違いない。雄々原は、懐に仕舞った眼鏡達がカイロのように熱く燃えていると思った。葛藤は一瞬で過ぎ去り、決意が後に残る。願いは、譲れない。

 かく様に雄々原色々女は勝利を目指す、勝つべきは己だという確信と共に。

 

「ここは……」


 そして◎で意識が遠ざかってから、気付くと雄々原は二畳ほどの小さな白い部屋で椅子に座っていた。目の前には個人机があり、画面が点いたままのタブレットが置かれている。

 これが話にあった入力端末なのだろう。

 個室──その空間の構造はそれこそネットカフェの個室に近いものだったのだが、雄々原はネカフェに入ったことが無い為、ただ狭い部屋だなとだけ思った。

 端末を手に取ると、画面には大きくタイマーが表示されていた。百分の一秒単位まで表示されたデジタル表記の数字が急かす様に減り続けている様は、さながら時限爆弾のようだ。


(制限時間は10分だったか)


 タイマーの下には三つ、アプリのアイコンが表示されていた。アプリの名前は『ルール』、『質問箱』そして『投票箱』。雄々原が試しに『ルール』アプリをタップすると、◎にあった3つのパネルの内容が画面上に表示される。パネル内容は個室でも確認できるらしい。

 雄々原は◯パネルの内容に改めて目を通す。




 

▽ ◯パネル(後半)


 ・注意事項

 

 (1)【◯】中、優先度①~④の【能力】は使用できない。


 (2)各々の【補助能力】選択結果は公開されない。


 (3)【調査投票】では、【アビリティ一覧】から未開放かつ選択可能な情報マスを各々が選択し投票する。集計の結果、最多票を獲得したマスが公開される。


 (4)【調査投票】で選択できるマスは、すぐ左のマスが既に公開されているものに限る。


 (5)【調査投票】の結果は、集計と同時に、誰がどのマスに投票したかという情報を含めて全て公開される。


 (6)【調査投票】の結果複数のマスが最多票を得た場合、そこからランダムに一つが公開される。


 (7)【最終投票】では、六人の参加者と六つの優先度の組み合わせを各々が選択し、投票する。

    集計の結果、正しい組み合わせが過半数(4人)に投票された者は脱落する。


 (8)【最終投票】の入力では、①~⑥の数字を全て割り振ること。

    

    (同じ【優先度】の複数記入や、空欄での提出はできない)

 

 (9)【◯】中、あらゆる暴力は禁止とする。




 

(暴力禁止が最後に書かれているのを見ると、あの件があってから書き加えたのかと邪推してしまうが──いや、それより問題は最初の一文か)

 



(1)【◯】中、優先度①~④の【能力】は使用できない。



 

 雄々原は自身の手の平に刻まれた情報とそれを見比べた。


 

 雄々原色々女 能力名:《コールドゲーム》

        優先度:②

        能力内容:素足で触れたものを凍らせることができる。


 

 雄々原の持つ能力優先度は②。つまり、現在まだ使用不能である。


(《コールドゲーム》──何度見ても名前は強そうだ。しかし文面では強弱がわからないな。足で相手に触れれば勝ちということだろうか? この能力なら靴は脱ぐことになるのだろうが、素足で地面を歩くは少し嫌だな。足がしもやけになるのではという不安もある)


 何より少々はしたない気がした。彼女は、眼鏡以外については人並みの羞恥心がある。メンバーが女性だけでよかったと、そう思った。

 だが、聞かなくてもその内わかるだろうことについては回答を控えるとクソラグくんが言っていた。それは能力の使用感などのことを指しているのだろう。雄々原の懸念は、今考えても仕方がないことだった。ならば気にするべきは己の能力ではなく、他者の能力についてだ。

 アプリ『質問箱』を開くと、日本語キーボードがポップした。

 雄々原は拙い手つきで『優先度⑤と⑥の能力は現時点で使用可能である、という認識は合っているか?』と入力し、送信ボタンをタップする。それは質問タイムを要求した雄々原が真っ先に尋ねようとしていたことだった。


(うーむ、だが今にして思えばあれは迂闊だったか。あの場でこれを尋ねるということは、自分の優先度が①~④であると知らせているに等しい)


 説明中、クソラグくんは口頭でその注意事項にある文言に触れることをしなかった。恐らく敢えてそうしたのだ。雄々原は◯というルールを肌で理解し始める。

 これは如何に自分の情報を伏せながら他人の情報を探るか、というゲームなのだ。

 間も無くして『その認識で問題ありません』と回答が返ってきた。

 ということは、6つ中2つの能力が現在進行形でアクティブであるらしい。


「何はともあれ、気を引き締めなければな」


 雄々原は眼鏡のブリッジに指を当てながら呟いた。そのまま他にしたい質問はないかと思案するが、特に思いつかない。そうしている間にもタイマーの数字は減り続けている。一旦補助能力選択を先にすることにして、雄々原は『投票箱』を開いた。

 



《ラグナ記録》

  ◎での会話記録をいつでも回覧できる。


《アイテル》

  自身の個室から別の個室に通信することができる。


《能力ガチャ(改)》

  ◯終了後、2つ目の能力を得る。(能力は複数の候補からランダムで選出される)




 三つの補助能力候補が画面に表示される。

 制限時間内に三つからいずれかを選択して決定ボタンをタップしなければならない。

「むぅ」と雄々原は唸った。


「──何度考えても、《能力ガチャ(改)》で良い気がするが」


 なにせ、他の二つを選択する理由が乏しかった。

 まず《ラグナ記録》。

 これはつまり議事録を参照できる能力と考えれば良さそうだった。だがそもそも、大雑把に話の流れを記憶するくらいのことは、紙とペンが無くとも人間ある程度できるものである。雄々原は試しに◎に来てからの会話を思い出す。やはり発言の一言一句を詳細に思い出すことは難しかったが、凡そ抜けなく内容は思い起こすことができた。


(あれば便利以上にはなるまい。私とて生徒会で何度も会議を経験した身だ、議事録の重要性は理解しているが──この補助能力は、それにしても流石に効果が地味すぎる)


 次に《アイテル》。

 こちらも内容は地味といえば地味であり、個室と個室の通信など本来端末にデフォルトで機能があっても良さそうなものである。しかし自身の記憶力である程度代替できる《ラグナ記録》とは違い、選択しない限り個室から他の参加者とコンタクトを取る手段はない。

 雄々原は《アイテル》を、相手に密談を持ち掛ける能力だと解釈していた。

 雄々原がこれを選択肢から外した理由は単純で、自分から通信を仕掛けて自分が有利になるケースが思い当たらなかったからである。この先9回の調査投票と最終投票の計10回、参加者達は個室へと誘われる。《アイテル》を使用できる機会自体は多いだろう。だがその時間で誰かと通信できたところで、今の所雄々原には特に喋ることがなかった。


(うまく使えば何かができそうだが、私がうまく使えるとは思えない。むしろこれは、誰かに使われた場合のことを警戒するべきか?)


 例えば生流琉死殺と青月十三月。

 この二人が《アイテル》で連絡を取り合い、結託する可能性はどうか。二人には『ネオ・ラグナロク』の読者であるという共通項がある。それに青月が気絶している時、誰かが言った原作を知っている者が有利だという話題によって、生流琉が孤立しかける流れがあった。


(危機感を覚えた生流琉くんが青月君に協力を持ち掛ける──十分に有り得るか)


 或いは協力ではなく献身かもしれない。青月には第三者から見ても同情する背景があった。


『青月さんの叶えたい願いは、ひょっとしてご家族の──』


 雄々原は生流琉の青ざめた顔を想起した。同じ読者というシンパシーもあるだろう。勝利へのモチベーション次第だが、場合によっては利害の一致による一時の共闘どころか、自身の勝利を捨ててまで青月を勝たせようとするかもしれない。

 雄々原には全人類に眼鏡を掛けるという譲れない芯があったが、皆がそうとは限らない。願い、つまり動機はそれぞれにあるはずで、必ずしも切実とは限らない

 ──もし自分以外の誰かを勝たせる目的の者がいたら、どう動くのだろうか?

 その時、雄々原が持つ端末が細かく振動して鳴った。残り一分を切ったことを知らせる通知音だ。タイマーの数字が赤色に変わる。雄々原はふとこのまま投票しなければどうなるのか気になったが、その質問をする時間は残されていないし、試すつもりもなかった。


(仮定に仮定を重ねて熟考する時間は無いか。結論、《ラグナ記録》は補助能力の中でも見劣りする性能であり、《アイテル》は恐らく私には使いこなせない。誰かが使っている可能性は念頭に置きつつ、私が選択するのは──)


「《能力ガチャ(改)》だ」


 雄々原は決定ボタンをタップした。ランダム要素は強いものの、単純に決戦での武器の数が二倍になる。やはりこれが無難に強いように思える。


「──しかし、何が(改)なのだろうか」


 ひょっとするとそれも、『ネオ・ラグナロク』を読めばわかるのかもしれない。

 ◯は原作にない特殊ルールらしいが、それでもこのゲームはきっと原作小説の設定から要素を拾い上げて下地にしている。原作を知らない雄々原だったが、随所にそういったある種のこだわりを感じていた。適当な作品の名前を借りてきた訳ではない。前提として、『ネオ・ラグナロク』があったのだ。大胆なアレンジだが、別物では無いのだろうと思った。

 雄々原は◯が苦肉のプランCとは知らなかったが、己の中で燃え盛る眼鏡への情熱が、彼女を他者の情熱に対しても敏感にさせていた。真夏の外界と比べて冷やかな真っ白い空間に、ずっと、何者かの熱が宿っている気がしていた。

 そしてタイマーの数字が0になるのを待つだけの時間。目まぐるしい情報と状況の渦の中、束の間の息継ぎのその一瞬。雄々原に素朴な疑問が浮かぶ。動機はそれぞれにあるはずだ。


 ──では、勝ち残れば願いが叶う人の死なないデスゲームを開催する動機とは何か? 


 クソラグくん、或いはその裏にいる黒幕は、どうしてこんな事をしているのだろうか?


 雄々原は『質問箱』を開いた。

 だが、端末操作に不慣れな彼女が一文字目を入力するよりも先に、制限時間の10分が経過してしまう。

 端末がまた音を鳴らし、そして雄々原の意識は再び薄れていった。

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