さてお話というのは、人見広介がそのような状態で、生きがいのないその日その日を送っているところへ、ある日のこと、それは先にいった例の離れ島の大土工がはじまる一年ばかり前に当たるのですが、実にすばらしい幸運が舞いこんできたことからはじまるのです。

 それはひと口に幸運などという言葉ではいい尽せないほど、奇怪至極な、むしろ恐るべき、それでいて、おとぎ話にも似たわくを伴なうところの、ある事柄でありました。彼はその吉報(?)に接して、やがてあることを思い当たると、おそらくなにびともかつて経験したことのない不思議な歓喜を味わい、そしてその次の刹那には、彼自身の考えのあまりの恐ろしさに、歯の根も合わぬほどの戦慄を覚えたのであります。

 その報知をもたらした者は、大学時代彼の同級生であった一人の新聞記者でありましたが、ある日その男が久し振りで広介の下宿をおとずれ、何かの話のついでに、彼としてはなんの気もつかず、ふとその事柄をいいだしたのでした。

「時に、君はまだ知るまいが、つい二、三日前に君の兄貴が死んだのだよ」

「なんだって!」

 その時、人見広介は相手の異様な言葉に、ついこんなふうに反問しないではいられませんでした。

「ホラ、君はもう忘れたのかい。例の有名な君の片割れだよ。双生児の片割れだよ。菰田源三郎さ」

「ああ、菰田か。あの大金持の菰田がかい。そいつは驚いたな。全体なんの病気で死んだのだい」

「通信員から原稿を送ってきたのだよ。それによると、先生持病の癲癇でやられたらしい。発作が起こったまま、回復しなかったのだね。まだ四十の声も聞かないで、可哀そうなことをしたよ」

 そのあとにつけ加え、新聞記者はこんなことをいいました。

「それにしても、僕は、今さら感心したね。なんてよく似ているのだろう。君とあの男がさ。原稿といっしょに菰田の最近の写真を入れてきたのだが、それを見ると、あれから十何年たつけれど、君達はむしろ学生時代以上に似てきたね。あの写真の口髭のところへ指をあてて、そこへ、君のその目がねをかけさせれば、まるでそっくりなんだからね」

 この会話によって、読者諸君もすでに想像された通り、貧乏書生の人見広介とM県随一の富豪菰田源三郎とは、大学時代の同級生で、しかも、不思議なことには、ほかの学生たちから双生児というあだ名をつけられていたほども、顔形から背恰好、声音にいたるまで、まるで瓜二つだったのです。

 同級生たちは彼らの年齢の相違から、菰田源三郎を双生児の兄と呼び、人見広介を弟と呼んで、何かにつけて二人をからかおうとしました。

 からかわれながら、彼らは、お互いに、そのあだ名が決して偽りではないことを、みずから認めないわけにはいかなかったのです。こうしたことは、ままある習いとはいいながら、彼らのように、双生児でもないのに、双生児と間違うほども似ているというのは、ちょっと珍らしいことでした。ことにそれが後になって、世にも驚くべき怪事件を生むに至った事実を思えば、因縁の恐ろしさに身震いを禁じ得ないのです。

 彼らが双方とも、あまり教室へ顔を見せないほうだったのと、人見広介が軽度の近眼で、始終目がねをもちいていたので、二人顔を合わせる機会が少なく、顔を合わせたところで一方は目がねがあるため、遠方からでも充分区別することができたものですから、さしたる珍談も起こらないですみましたが、それでも、長い学生生活中には、笑い話の種になるような事柄が一、二度ならずありました。それほど彼らはよく似ていたのです。

 そのいわゆる双生児の片割れが死んだというのですから、人見広介にとっては、ほかの同窓のほうに接したよりは、いくらか驚きが強かったわけですが、でも、彼は当時から、まるで自分の影のような菰田に対して、彼らがあまり似すぎているために、かえって嫌悪の情をいだいていたくらいで、むろん悲しみを感ずるというほどではありませんでした。とはいえ、この出来事には何とも知れず人見広介をうつものがあったのです。

 それは悲しみというよりは驚き、驚きというよりは、何かこう、妙に無気味なえたいの知れぬ予感のようなものでありました。

 しかしそれが何であるか、相手の新聞記者がそれからまた、長いあいだ世間話をつづけて、さて帰ってしまうまで、彼は一向気づかないでいたのですが、一人になって、妙に頭に残っている菰田の死について、いろいろと考えているうちに、やがて途方もない空想が、夕立雲のひろがるときのような、速さ、無気味さで、彼の頭の中にムラムラとわき起こってきたのです。

 彼はまっさおになって、歯を喰いしばって、はてはガタガタ震えながら、いつまでも、じっと一つところに坐ったまま、そのだんだんハッキリと正体を現わしてくる考えをみつめておりました。ある時は、あまりの怖さに、次々とわき上がる妙計を、押え止めようと努力したのですが、どうして止まるどころか、押えれば押えるほど、かえって万華鏡の鮮かさをもって、その悪計の一つ一つの場面までが幻想されてくるのでした。

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