第21話 1ー紅時19 秋

 季節は移ろうって行く。

 紅時が禿としてゆっくりと成長している間、先生は現れなかった。

 だが、まだ幼い紅時には新造になるには時間があった。何より若紫の庇護が凄く、大切に育てられた。


 冬先のまだ肌寒くなり始めのころだった。

 昼見世の時間に夕顔が走って来た。

 もう馴染みが付いている夕顔が店先の格子窓に出る事はない。だが、そちらの方から出て来る。


「紅時。紅時……大変だよ。」


 若紫の御客に茶を淹れて歩いている紅時が、呼ばれる。振り返ると、焦った夕顔の顔が彼女の前に屈まれた。


「落ち着いて聞いとくれ……」


「はあ……」


 気の抜けた返事が出た紅時に、夕顔が盆を受け取る。


「どうしたの……。夕顔ねえさん……」


「先生らしき人が居る……」


 紅花の背筋が伸びると走り出そうとするが、夕顔が片腕を捕まえる。盆の茶が揺れる。


「まだ解らないのだよ。梁見せに出ているお京からの伝言だよ。らしき人だ。紅時を探している。年半頃の男性だ。女郎に末摘花を選んだ。今、相手をしているが大部屋だから、直に炊事場の近くに行き。禿が大勢働いてる場所に探しにくるよ。」


「先生という確証は……?」


「ない。誰もあんたの先生の顔なんか知らないし……。でも、男が『こう』を探していると伝えたそうだ。後、痣の話もしていたから、紅時を探しているだろうと思う」


「先生……! 」


 走ろうとする紅時の腕を強く握る夕顔。


「馬鹿。目立つ行動をすのではないよ。しれっと連れていかれな……。誰が呼びに来るかも解らないのだから……。もしかしたら、只の冷やかしかもしれないし……」


「先生です!先生です!コウと呼ぶのは! 」


「だから、静かにおし……。今はあんたを信じるよ。だから、おかあさんに知られる前に御会い。落ち着くのだよ。茶でもお飲み……」


 紅時に盆が近付く。夕顔が手に力を込める。

 紅時が震える手で茶をゆっくり飲んだ。其の動作を確認してから夕顔が、微笑んだ。


「紅時の隙は……。若紫の隙に繋がる……。だから、先生の話を広めたくなかったのさ……。今だって誰かも分からず、会いに行くだろう。紅時の特徴を知ってれば誰だって、先生になるよ。危なくて誰かれ話さずにいて正解だったね……。初めにお京が話したら危ない人間ではなさそうだったそうだよ。」


 紅時の肩が、震えた。

 先生を名乗る怪しい客かも知れないのだ……と気が付いた。


「まだ、人がいる大部屋で末摘花を選ばせたのは、お京が偉いわ。末摘花なら先生でなければ男から逃がすだろうし……、屏風の隙間から逃げなよ」


「分かった……。逃げる。顔を見て逃げる」


「なら、炊事場のへ行くよ……」


 紅時と夕顔の顔が引き締まった。

 炊事場に付くと、禿と女郎と台のようになっている机を挟んで飯炊き女が世話しなく働いてる。

 夕顔が新しい茶を貰い、盆を持つ紅時の近くに立っている。

 二人だけ横に逸れていて静寂を纏っているように佇んでいる。


「御前。紅時だな……」


 下男が後ろから話し掛けた。

 破落戸ごろつきだ。目が血走っている。


「何か用かい……。此の子は、若紫ねえさんに茶を出しに行くんだよ。暇じゃない」


「紅時なら、付いて来い。大部屋の末摘花が待ってる。」


 夕顔が舌打ちした。

 外れだと感で分かった。金で物を云わされているのだろう。末摘花なら自分で呼びに来る可能性が高い筈だ。


「ねえさん……。わっち、行くどす」


 紅時の顔を見詰める夕顔。


「なら、私も行くわ。茶なら私が持って上げるわよ」


 紅時から夕顔が盆を受け取る。彼女の目は鋭い侭だった。信じている。もしくは、先生ではない男に会いに行くのだ。

 下男の後ろに摺り足で紅時が近付く。

 確かに道順は大部屋だ。横を女郎と男達が過ぎてゆく。時間が嘘言の様に流れて行く。

 夕顔がゆっくりと従う。

 下男が部屋に入って行く。




 扉から見やすい位置に居る。少しズレれば屏風の中が覗ける。

 男は下男に何かを渡している。直に踵を返し下男は去って行く。

 顔を団扇で隠した末摘花と目が合った夕顔。


 男がゆっくりと戸の方へ振り返る。 


 お世辞にも綺麗と云う着物ではない。農家だろうか、輪植屋に有り金を叩いて来たのだろう。

 髭面の眉も整えていない青年が居た。顔も土汚れが付いている。だが、目だけが透き通る色をしている。


「先生! 」


 紅時が口元に手を当てて、足を竦むようにしゃがむ。一瞬で走り出した。


 夕顔が小さな背中を見詰めると、慌てて若紫の部屋へと急いだ。紅時は見付けたのだ一人の人を……。




 紅時の時間の殆どを、秋継が占めている。


 ああ、何と長い時間を共にしたのだろう。

 足が縺れる。

 ああ、何と長い時間、共に飯を食べただろう。

 古い記憶だ。

 ああ、何と長い時間、待ち侘びただろう。

 廓で只一人で……。


 紅時は、言霊が流れる様に息をする。


『先生!』


 ボロボロな男は座った侭、両腕を広げた。

 埃臭い着物の中へ紅時は抱き着いた。肩に腕を回した。少年の時のよりもより一層細い体で……。


「コウ……。」


 秋継は確かに呟いた。











 このお話は

 小説家になろう

【完結】倫敦ロンドン  時折トキオリ、春〜君を辿って〜 の

 未來 十二 昔語り 3 (紅時)に続きます。


若紫が若干強く描かれていますが、紅時を守る母の様な存在の為、敢えて此のポジションです。命がけで巣立ちを見送りました。

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