第17話 1ー紅時15 朧月夜

 紅時は太夫の蒲団をひいた。

 まだ、宵の口にもなっておらず、ガタガタと店が活気に溢れていた。

 太夫が浴衣に着替えると横になった。彼女の行動に誰も何も咎めなかった。紅時も自分の蒲団を持ち出して隣にひいた。


「寝てまいまひょう」


 紅時は慌てて、浴衣に着替えると、コロコロ笑う太夫が居た。紅時を愛おしそうに見ている。


 ガタガタと音のする中で紅時と太夫が蒲団に包まっている。天井を見詰めた侭二人は無言だった。

 外の音を耳だけで感じ取る。

 数十分してから太夫が口を開いた。


「今日は顔も合わせんと銭だけ払うてくれる優しい旦那はんやった」


「ねえさんの旦那さん達は優しい人達ばかりだと思います。何時もいけずをされて飯が食べれない私を心配してくれる旦那さん達ばかりでした。年齢より小さいのを心配してくれる優しい人達です」


「優しい人達……。」


 太夫が少し物思いに耽けると太夫が頷いた。


「紅時は空蝉をどう思う……」


「どう思うとは、どう云う意味ですか……」


「空蝉は十分罰を受けた思うか……。其れか、死ぬのんは当たり前か……」


 紅時は表情を歪めながら考えた。


「嘘は付きたくありません。空蝉ねえさんの命は銭では買えません。だから、生きて紫ねえさんの元で学べは良いと思います。人は誤ちを正す事が出来ます」


 太夫が苦しいそうに目を瞑った。


「女郎は人とちがう」


 紅時は黙っている。

 女郎は人ではないと心に刻んだ。此の時代は穢多非人と同じだと知ってるが、紫には嘘の意見は云いたくなかった。真からの言葉を云いたいのだ。


「なら、空蝉は生きるべきやと云いたいんややな」


 紅時は音もなく頷いた。


 太夫が首を動かさず「ほんまやな……」と呟くと蒲団から起きて、文机に向かった。


 紅時が起きようとすると太夫の背中が話した。


「少し時間をおくれ。まだ、話したい事山程あるさかいね」


 太夫が墨を走らせる。

 紅時は枕から起き上がらず天井を見ていた。

 真剣な面持ちで太夫は何かを書いている。長い紙を使いくるくると丸めている。キュッと紐で包み巻物状にする。


 太夫が部屋からでる。数十通の手紙と巻物を携えて声を張る。


「下男。使いっ走りをしてくれる奴はいーひんか……」


 二階に駆け上がる足音が聞こえる。


「若紫ねえさん。何か御用ですか。」


「此れを上からの順番で手紙を回して欲しおす。必ず巻物を手渡されてから、次の旦那はんへ」


「へえ。時間が掛かりそうですね。」


「おかあはんには、あんたがわっちの使いっ走りをしてると伝えるどす。何、此れを持って行ったらええのに……」


 下男に銀を渡した。

 男の目の色が変わる。


「必ず届けます。時間が掛かってもやります。楼主の許可も取って下さい」


 丁度良くおかあさんがやって来た。畳のヘリのギリギリまで立っている。


 太夫とおかあさんは対面で睨み合う。


「今日の旦那はんが花代を払うて帰った。あんたは強運や」


「おおきに……。今、此の下男に文を持たせた。旦那はんに付け文どす。時間掛かるさかい、楼主の許可もおたのもうします」


 付け文とは女郎の旦那さんに向けた営業用の手紙である。女郎に会いに来るよう諭す物である。


「ふっ。」


 直に踵を返しおかあさんは去って行く。


 下男は体を縮めて廊下の端にいた。


「頼む。大切な文や」


 下男は頷くと急いで一人目に向かった。

 太夫が大きな溜息をした。

 紅時に微笑み掛けると又蒲団に入った。数分天井を見詰めた後、太夫が紅時に聞いた。


「何の文です……」


「知りおへん……。まだ、分からないどす」


 太夫が口を噤んだので紅時は黙った。


「御前さんの『先生』とやらは優しい人どすか……」


 紅時は目を丸くした。

 話題が変わるとは思っていなかったからだ。


「先生は……。優しい人どす」


 紅時も廓の言葉を使った。本気の時は太夫に江戸言葉を喋らなかった。


「なら、女郎でも優しい人がどすか……。紅時」


「関係あらへん。」


「其れは紅時が思てるだけやろう」


「先生はどの時代でも優しかったどす。側におらられへん時期もおました。そやけど、必ずうちの事を心配して、周りに聞いたりして気に掛けて下さった」


「側におらられへんのに、紅時は幸せやったのか……。やったら、今と変わらんとへんか……。存在しいひんも同じや」


 紅時は頭を横に大きく振った。


「ちゃいます。状況がちゃいます。私が男として存在しとったさかいどす。先生には恋人が既におった。そやさかい、其の人をほかされなかったんどす。」


「紅時。其れをほかされたと云うんや。あほ。男でも女でも愛されへんかったのは、同じや。」


「いいえ。ちゃいます。」


「御前は阿呆や。ほかされたのと同じや。今世で紅時を選ぶ保証もあらへん。紅時を探しに来たら其の時はなんも聞かんと、手助けしたるわ。ボケ」


 紅時はムスッとした顔をした。


「先生が此の廓に来たらな……。まあ、無理だろうけど……。」


 太夫の言葉に又、紅時は嫌な顔をした。


「必ず私が探します。先生は必ず見付けます。」


 紅時は強い口調で言い切った。


 部屋の外で末摘花が二人の話を壁に寄りかって座り聞いていた。








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