第9話 1ー紅時7 花魁道中1

 昼見世が終わって、夜見世に移行する時間。

 紅時が栗色おかっぱ頭の髪の毛に櫛を通している。

 着物も艶やかな禿らしくない上物を纏って、鏡の前で紅を引いた。


「忘れないように帯に中刀挟んでおく」


 紅時が支度に手間取っている禿の後ろに回った。彼女も紅時の隣を道中する為、紅時と瓜二つの格好をしている。

 難儀をしているようで、初めて下ろす固い帯を早乙女に結えない。


「緩すぎるから、もっと絞るよ」


「お願い。こんな上物の帯、私では上手く結えへん」


 背丈が同じ禿が騒いでいる。くるくると紅時が帯結を終えると、道中に持つ煙管箱を禿に手渡した。


「夕顔ねえはんか、空蝉ねえはん。どちら手伝うのがよいものか……」


 禿はこれ又、同じ背格好の新造二人を見た。


「悩むなら空蝉ねえさんを頼むわ。夕顔ねえさんは殆ど自分で出来るから……。私はねえさん所に行ってくる。夕顔ねえさんが居ないから首筋の白粉すら塗れないもの」


 禿が頷くと、煙管箱を見える場所に出した。


「ねえさん達、先に行きます」


「頼むわ。流石に重いわ。此の帯……」


 紅時は纏わりつく振袖を襷に掛けた。自分が着崩れするが仕方がない。

 通常運転をしている廓で花魁道中を無理矢理やるのだから、仕方がない。

 伊勢の旦那さんは花魁道中の一切の費用を自腹で出した。若紫が断れないようにする為だ。通説なら費用は全てを花魁が借金して行う筈である。禿の衣装も道具類も全てである。此の廓には前例がない。此の京吉原には天都の文化を継いではいないのである。其れ程、公家と武士の文化は違いがある。

 太夫の部屋の襖に話し掛ける。


「紅時どす。開けてもええどすか……」


「お入り」


 紅時は声の質に違和感を覚えた。

 襖を開くと、華やいだ太夫が居た。既に着付けもして、紅も引いている。髪も結上げ凛としている。


「横浜兵庫……。誰が……」


 紅時が驚いている。


「私が手伝いもって、おかあはんがやったさかい。まるで、結い方みたいやったわ」


 末摘花が立っている。

 おかあさんは、自分で煎れた茶を飲んでいる。


「紅時。此方へ」


「御前。何処で髪結いの仕方を習った……。横兵庫なら分かる。何故、天都で流行ってる髪型を結えるのどす」


 紅時が下を向いた。

 前世での記憶で、職業が呉服店に勤務していたとは云えない。髪型や着付けの技術も前世で見た。付け尾で直に令和で見た結い方だと気が付いた。だが、答える事は出来ない。


「お末に聞いたら、着付けも御前だそうな」


 末摘花が面目なくしている。


 伊勢の旦那さんは、若紫に袖にされている。彼女は持病の癪を患い、彼が来ると、裏を返さなかったのだ。顔見世、裏、馴染みで3回目訪問しないと若紫は体の関係にはならなかった。

 引手茶屋で逢い引きする女郎はいるが、若紫はしなかった。

 だから、旦那さんは羽振りの良い所を見せ、彼女が従うのを見たかったのだろう。しかし、彼女は妓楼としての対面も保ち、自分が安く買い叩かれないようにしたのである。

 紅時は咄嗟に違う事を考えていた。

 言葉に困る紅時。


「あの……」


「伊勢の旦那さんに、わっちが教えてもろうた。紅時は、其の時、隣におったわえ。天都から着付け、結い方を呼ぼうとした旦那さんを止めたのは、わっち。他人が体を触られるのが嫌どす」


 おかあさんの目を真っ直ぐ見て、若紫が話した。


「紅時。鏡台の一番大きな引出しを開いて持っておいで……」


 紅時は立ち上がると、鏡台の引き出しを開いた。紙の読み物が入っている。

 おかあさんに渡すと、大きな溜息を吐いてから、読み物を開いた。パラパラとめくる。


「一朝一反では出来ますまい。あの身なりは素人では無理やわ。馬鹿を御云いよ」


 おかはさんは、若紫に初めて吉原遊郭の身支度をした時の事を云ってるようだった。

 その後時、指摘しなかったのは、おかあさんの優しさだった。読み物を紅時に向かって投げた。

 末摘花が拾いながら、中身を見る。


「こりゃあ。指南書じゃないか……。髪結いの仕方や太夫の着付けも載っているわ。なら、夕顔や私が手伝って彼処迄やったのどす」


「紅時に聞いとるのや。周りはすっこんどき」


 おかあさんは、辺りを睨み付けた。

 紅時を庇おうと見え見えな、二人は黙った。


「楼主からも話は聞いとる。紅時。何故、知っている……」


「先生から教わりました……」


 令和で師範に教わったのだ事実である。

 太夫の着付けは此の時代にならったのだが、帯の結い方以外は余り変わらない。装飾が派手になっただけだったからだ。


「又、夢の中の先生かい……。男だろ。女の流行り物迄知っている筈はないわいえ。まあ、誰に教わったかは問題ないどす。あんたの技量を知りたかっただけどす」


「ええ」


「紫には悪いが、おかあはんになる気はないか……」


 おかあさん以外は思考が停止している。

 此の時代は太夫に迄、登り詰めた人物が、廓を切り盛りする女主人になる。年季が開けても廓に残る者で太夫に迄なった者しかなれない。其の上、紅時は禿である。


「へえ。無理どす。年季が明けたら、先生を探しに行くどす」


「女郎が外に出ても夜鷹にしかなれへんのは、知ってるやろう。なら、子供の居ないわてらの娘になりよし」


「無理どす」


「紫がおかあはんになるならどうや。双璧で廓を守ってくれよし」


「無理どす。年季が明けたら出ていくよし」


 紅時は引かない。


「紫。何か云ってくれよし。悪い話ではないどすやろ……」


 おかあさんは、若紫に助けを呼んだ。彼女が呆れた顔をしている。


「無理どす。紅時は先生の為だけに生きてる娘やわ。新造になる事すら私は反対や。先生と云う希望すらなかったら生きてまへん。おかあはんは良かれと思うてやろうが、紅時には地獄でしゃろ」


「同感。紅時が死んじまうさね」


「廓の借金は、体で返すしかないえ。禿が太夫の側におるんは、修行の為……。紫が頷いてくれるのなら、おかあはんの席を譲るよし」


「夕顔はどうすんのさ」


 末摘花が何度も口を挟む。


「五月蠅いえ。お末は誰の味方や。次の看板を背負うのは、紅時でっしゃろ。夕顔やおまへん」


 おかあさんは怒鳴った。

 若紫と末摘花が顔を見合わせた。


「やってみなきゃ分からない。紫の無き後は、夕顔が看板どす」


「おかあはんは、紅時を可愛がり過ぎや。私の水揚げ後は、夕顔が太夫どす。其れは間違えおまへん」


「夕顔では……」


 おかあさんは言葉を濁す。

 末摘花がきつい顔をした。


「夕顔は紅時を守る為、此の頃ははっきり物を云っとる。流されていたのは、昔の話どす。おかあはんの立場を空けるのは理由があるのどすか……。イキナリ紅時を乗せようとするのは……」


 若紫が訊ねる。


「分かったどす。夕顔を判断してから、此の話はしまひょ。ささ。今日は花魁道中で忙しいどすな」


 おかあさんは、ささっと部屋から出て行った。











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