十七 不連続殺人事件

 当局の努力にも拘らず、確実な証拠は何一つ見出されないようであった。

 神山と海老塚を疑ぐりだすと、殆ど解決がついてしまう。内海殺しの場合にしても、二階の神山はピカ一の目をゴマかせないが、海老塚ならば、難なく階下の内海明を殺すことができた筈だ。

 けれども、ただ一つ、千草さん殺しの場合には、二人のアリバイが成立つのである。

 神山東洋は坊さんや一馬と一緒に火葬場から戻ってきて、御婦人連とズッと広間に話しこんでいたことは、御婦人連が口をそろえて証明している。

 海老塚は八時ごろ、村の方からやってきて、裏門で私と一馬にぶつかった。医院を出かけた時間について、カングリ警部に問いつめられたり、木ベエにやりこめられたりしながら結局返答をしなかったが、調査の結果、患者の証言によって、六時から七時二十分まで三人の患者を順に往診しており、この時間には犯罪の余裕がない。七時二十分から八時までの間も、最後の患者の家からは、歩いてちょうどそれぐらいのもので、彼はビッコであるから、並の人よりいくらか時間がかかることも不思議ではないのであった。

 神山夫人木曽乃さんも、当日はオトキの用意にテンテコ舞で手伝っており、調理場をはなれなかったことは多くの証人がおり、例の論語研究家も、その日は七、八里はなれた町へ行っており、その町には彼のアリバイを証明する確実な証人があった。

 私は当局ばかりじゃなしに、巨勢博士も、海老塚と神山について、メンミツに調査していることを知っていた。然し、やっぱり、このアリバイをひっくり返すことはできないようであった。

「ねえ、博士、このいくつかの事件は、犯人が別なんじゃないかな。歌川家の家族に関する事件と、千草さんや王仁や内海は、犯人が違っているんじゃないのか。時間的には連続していても、動機も犯人も別な事件が入りまじっていて、結局は不連続殺人事件じゃないのか」

「そうですね。この事件の性格は不連続殺人事件というべきかも知れません。私がこれを後世に記録して残すときには、不連続殺人事件と名づけるかも知れません。なぜなら、犯人自身がそこを狙っているからですよ。つまり、どの事件が犯人の意図であるか、それをゴマカスことに主点が置かれているからでさ。なぜなら犯人は真実の動機を見出されることが怖しいのですよ。動機が分ることによって、犯人が分るからです」

「じゃア、すべての事件が同一犯人の仕業なのかい」

 巨勢博士はニヤニヤしながらうなずいた。

「それは、むろんのこと、きまってまさア。なぜなら、これだけのいわくつきの人物が一堂に集められたこと、それが偶然によるものではなくて、犯人の意志によって為されたものであるからです。御ていねいに、僕まで呼び寄せやがったのだから、いささか、しやくにさわるじゃありませんか」

 博士はてれくさそうな笑い方をしたが、私は彼が、すでに何物かを握っていることを悟った。

「じゃア、犯人の真実の動機はなんだね」

 巨勢博士は声をたてて笑った。

「それが分れば、犯人は分りまさアね。だが、恐ろしく計画的な犯罪ですよ。すべてがメンミツに計算されているのでさ。日本に於ける、最も知的な、最も雄大な犯罪なんでしょうな。この犯人は天才でさアね。インテリ型のケチな小細工がてんで黙殺されているところなど、アッパレ千万というものでさ。扉を糸に結んで自然にしまる装置をするとか、密室の殺人を装うとか、そういう小細工は小細工自身がすでに足跡というものでさア。すでに一つの心理を語っているではありませんか。この犯人は、常に心理を語ることを最も怖れつつしんでいまさアね。この怖るべき沈黙性は、犯人が天才の殺人鬼である証拠でしょうな。犯人の真実の動機は何か。どの殺人事件が犯人の真の目的であるか。ともかく事件は犯人の警告通り八月九日に完結するでしょうが、真実目的の犯行が八月九日に完結するとは限りませんや。目的の殺人はとっくに終っているのかも知れませんぜ」

「それなら、なにも、この警戒厳重のさなかに余分の犯行をつけ加える必要はなかろうじゃないか」

「つまり、真実の動機を隠さなければならないからです。然し、八月九日に何が起るか、これは一つのクライマックスでもあるでしょう。僕は然し思いますな。この犯人は、八月九日の予告をだしたから、必ず八月九日に決行するというバカみたいに義理堅いトンマじゃありませんぜ。なぜなら、犯人は時に一日に二つの殺人を敢てする、つまり彼氏、常に虚を狙い、虚をつくのです。ひとたび毒殺が行われれば、それに対する警戒が加わる。だから一気に二つの毒殺を敢行して、それで恐らく、彼の毒殺プランは終りを告げているに相違ないと思いますよ。恐らく次の犯行は、予期せざる型で行われる。これが、この犯人の性格ですよ。だから、八月九日を馬鹿正直に当てにするのも、考えものかも知れませんや」

 然し、巨勢博士は、決して確信があるのではなかった。

 私は博士が片倉老人を訪ね、海老塚の生家を訪れてきたことも知っていた。然し又、一馬に疑いをかけているのも知っていた。なぜなら博士は一馬に向って、

「僕は然し、歌川先生が、海老塚さんの叔父に当っていることを知らなかったなんて、どうも想像がつかないなア。お梶様は知らなくっても、当家の跡とりの歌川先生には、お父様から打ち明けてあるものと思いますが、あんまり常識外れだもの」

 一馬はひどく気を悪くした。私は一馬に代って、

「博士はあのとき居なかったから知らないのだが、私はね、片倉老人が秘密を打ちあける席に居合わせたから見ているのだよ。あのときの一馬の顔というものは、茫然自失、まったくがくぜん、色を失ったものだった。あの表情はどんな名優でもマネることのできない、つまり心の真相の発露だよ。あの顔は偽ることのできないものだ。こういう真実というものは、噓発見器よりも確かだぜ」

「そうですかなア。先生方の文学的方法というものは銘々得手勝手の独断的のもので、噓発見器みたいな正確なものじゃアなさそうだがなア。歌川先生がこのことを本当に今まで知らなかったなんて、すくなくとも神山東洋氏が知るほどのことを、一家の相続人が知らないなんて、おかしいなア。神山東洋氏が知ってなきゃア、納得もできるけれど」

 一馬はまた気を悪くした。彼はムッとして、

「僕は本当に知りませんよ。相続人といったって、僕なんかは、まったく、ほかに相続人がないから相続するというだけのこと。それに僕のオヤジという人物は、お前の代にはお前の勝手にやるがいい、人間死んでしまえば墓なんかもどうでもいいや、というぐらい、虚無に徹したところのある人物でしたよ。だから旧家の当主に似合ず、家というような観念は少く、本来無東西というような、冷めたい人間孤独の相を凝視しつづけていた人です。ですから、案外、文学なんかも僕よりも深く理解しているところがあったかも知れない。ですから、一家の古傷のような小さな秘密など問題にしていなかったのも当然ですよ。たまたま、こういう事件が起って、それが凄く重大なことになっただけで、こんな事件でも起らなければ、とるにも足らないことではありませんか」

 巨勢博士はいささかてれながら、

「そうですなア、然し、なんですよ、それも僕みたいな氏も富もない家庭の出来事なら、仰言るようなものでしょうけど、まったく神山東洋氏のユスリのタネになるのも道理、当家の財産を分配する、そういう事態の起る場合を想像すると、この分配の金額は、とるにも足らないというわけには行かないだろうと思いますが」

「神山東洋が訴訟を起すというなら、そしてそれが正当なものなら、僕はユスリには応じぬ代りに、海老塚には遺産を分配してやりますよ。僕は物質よりも、正義の方の味方をしますよ」

 一馬は息をはずませて叫ぶように言い切った。

 ところが巨勢博士は、私のことまで疑っているのである。

「ねえ、先生」

 彼は私の部屋を訪れて、私と京子の顔をニヤニヤ眺めながら、

「歌川先生はああいうけど、歌川先生のことは別として、もしや、先生は、海老塚さんが当家の孫だという一件を知ってたんじゃ、ありませんか。ともかくですな。ユスリの種になってるほどのことだから、お梶様に近い人、女中とか、それから加代子さん。加代子さんなんかは知ってたんじゃアなかったかなア。加代子さんが、臭いなア」

 彼は益々ニヤニヤしながら、

「ねえ、奥さん。奥さんは加代子さんの親友だけど、加代子さんから、そんな話、きいたことがあったでしょう」

 まったく露骨きわまる探偵ぶり、アイクチをふりかざして内ぶところにイキナリ飛びこむやり方であるから、京子もいささか気を悪くして、

「あら、巨勢さん、ひどいわ」

「イヤ、奥さん、悪くとらないで下さい。悪くとらないでと言ったって、全く、どうも、失礼を承知の上で、アグラをかいて訊かざるを得ない性質のことなんで。実はねえ、奥さん、あなたは多門さんの愛人だった御方ですから、多門さんからも、その話がなんとなくもれきこえたというようなことが」

「いいえ、ございませんでしたわ、そんなこと」

 と、京子は気色ばんで、さえぎった。

「どうも、すみません」

 博士はてれてニヤニヤした。

「ところで、先生、丹後先生は独身なんですか」

「独身らしいね」

「それで、愛人はいらっしゃらないのですか」

「どうだかなア、あんまり、そんな話は、きかないなア」

「珠緒さんには、丹後先生、相当、なんじゃなかったんですかなア」

「いくらか惚れてはいたろうさ。あいつが何をどの程度に思いこんでいるか、あんな、ひねくれ者のことは、私は考えてみたくはないよ」

「まったく、大作家ともなると、気むずかしくて、つきあいにくいですな」

 全然あらゆる人間を疑っているようなものである。私も、いささか、ウンザリした。私はどうも巨勢博士を買い被りすぎたと思った。これにくらべて、さすがにカングリ警部ともなると、軽率なところがなくて、慎しみ深く、何か我々の分らぬ狙いをつけて、一途に掘り下げているような、たのもしさが感じられる。

 ある朝私が三輪山の方へ散歩にでると、危っかしい様子の男女の老人が二人、もつれるように道の上にうずくまるようにしている。見ると、お由良様、もう一人の男の方は私の始めて見る人だが、お由良様の夫の南雲老人に相違ない。

 私がすすみよって、どうかしましたか、ときくと、お由良様は困りきった顔にホッとした色を浮かべて、

「無理に歩いてみましたら、この有様で、年寄は十日前には出来たことが、今日はもう出来なくなっているのですよ」

「あなたは御病気という話でしたが」

「ええ、さいわい今朝は気分がよかったものですから。それに、このオジイサンが、いつになく足腰がしっかりしてきましてね。少し無理かと思いましたが、千草の屍体があったというあたりまで出掛けてみようと、年寄の愚痴ですわねえ。それを承知で、こうしてムキに飛びだしてくるというのも、愚痴のほかに、年寄のせつない思い、さきほども申し上げました通り、今日できることが、明日、明後日には、もう出来なくなる、そういう無常が身にしみているからですよ。今しなければ、もう出来なくなる、とりかえしがつかない、死んでもいいから、思い残すことがないように、四ツ五ツの子供が明日の我慢がないよりも、もっと我慢がなくなるのですよ。あげくに、疲れはてて、この有様ですもの。まだこの春は、鉱泉まで、さのみ疲れずに歩くこともできたのに」

「そうそう。先日も鉱泉宿で、そのお話は承りましたよ。カルモチンを買いに行かれたそうですね」

「カルモチン? いいえ、そんな薬は」

 と、お由良婆さまは、色をなして、打ち消した。

「この方は、どなたじゃ」

 うずくまっていた老人がきいた。

「こちらは洋館のお客様で、矢代さんと仰言る方、ほら、京子さんと結婚なさった方ですよ」

「ああ、ああ、その御方か」

 私が手をだすと、それにつかまって、起き上った。なんなら、背負ってと思ったが、瘦せてはいても、五尺八寸からの大男で、

「じゃア、喜作じいさんにたのんで、車でも廻させましょう」

「いや、いや、これで、充分、歩けまする」

 私の肩にすがって、歩きだした。

「諸井さんは、ジャケンな人ですのよ。患者の散歩といえば、附添って歩いてくれるぐらいの思いやりがあるどころか、途中で死にたかったら勝手に、と言う人ですからね。それに強慾無道なのですよ。チップをはずめば、どんなことでも、致しますよ。まとまったお金でも握らせてごらんなさい。あの人は一服もるぐらいのお手伝いでも、平然とやりかねない鬼ですのよ」

 オジイサンも私の肩に縋ってフウフウやりながら、苦しい息からムリに声をしぼって、

「ウム、そうじゃ」

 よっぽど諸井琴路なるものが口惜しい存在であるらしい。

「身持は、どうですか」

 ときいてみると、

「身持って、あなた。あんな人に身持なんか、あるものですか。私の兄(多門のこと)はもともとあれが病気の人でありましたが、それは別として、海老塚さんも、あの人の身持がよかったら本妻にも直したでしょうよ。郵便局長だの、学校の先生だの、近頃では金廻りのよい百姓だのと、あの人の相手を探せば数えきれやしませんよ。あの人はそのミイリで尺祭り以上の百円札の札束を抱いて寝ているということですよ。心にまことの情愛がないから、お金だけが、親身の友達というのでしょうね。いやらしい人」

 私は道で神山東洋に会わなければ、すんでにノビるところであった。

 神山は五尺八寸余の大男だから、軽々と南雲老人を背負って、お由良婆さまと肩をならべて歩きだした。

 諸井琴路。この謎の女が、この事件の片隅に、必ず謎の役割を果しているということを痛烈に考えざるを得なかった。

 強慾無道の彼女の心をあやつる者は、誰であろうか。

 私はさっそく、七月十八日の夕方、千草さんの殺された日の彼女のアリバイをしらべてみた。するとアッサリ失敗した。

 あの日、千草さんが裏門からでかける姿を最後に発見した人が諸井であった。そして諸井看護婦は、その六時から七時まで、多門老人のマッサージをやっていた。その後も外出はしていなかった。

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