四椛文庫2023

四椛 睡

睦月文書

1:人類タンクトップ計画

『タンクトップ事変』(2023/01/10・monogatary)



 20XX年XX月。地球上からタンクトップ以外の洋服が姿を消した。超常現象ではない。異常気象でもない。後に〔タンクトップ事変〕と称され、第X次世界大戦一歩手前の危機的状況へと発展する凶悪珍事は、ある男の言から始まる。




 * * *




「タンクトップっていいな」


 この世のあらゆる富と名声を腐るほど持て余し、世界の富裕層の頂点数パーセントに君臨する主君。革張りの高級ソファーで寛ぎながらの発言に、執事は紅茶を注ぐ手を止めた。聞いた瞬間の感想は

「は? いきなり何言ってんだこの馬鹿ボンボン」

 である。が、それを実際に口にしたが最後、お伽話の短気な女王様よろしく気軽に「頸をお刎ね!」されてしまう。なので、吐き捨てたい気持ちは肚にしまった。ティーポットを置き、音もなくティーカップを主君の前へ。

「仰っている意味がよく分かりません」

「そのままの意味さ」

「……肌着として、ということでしょうか」

 主君の服装は晴れ着から寝巻きまで、良質な素材を使ったオーダーメイドである。アンダーウエアの類いもまた然り。しかし、彼が持つアンダーウエアの中にタンクトップ型は一着もない筈だ。

「いや、下着じゃなくて。服装として」

「失礼ですが、貴方様は一度もタンクトップをお召しになったことがないでしょう」

「うん。ない」

 主君は優雅と言える動作でティーカップを手にした。流れるように口をつけ「でも」と続ける。

「見たことはある。夏にタンクトップを着て、ほっそりとした腕を惜しげもなく晒す女性。あるいはムキムキの筋肉を自慢する男性。体型に合わないものを着ちゃった所為で胴体の脂肪が強調されちゃったおばさん。昼夜問わず白タンクトップな夏のチャイニーズおじさん。胸元が開き過ぎなせいで屈んだら晒される、ブラジャーに包まれたおっぱい。脇のところからチラ見えする胸筋と乳首。デコルテを流れる汗。腕を上げた時の脇の窪み。ライブで引き裂かれるタンクトップ。バスケや陸上競技の選手が着るタンクトップ。……いい。すごく好い。素材が綿から化学繊維まで豊富なのも素敵だ。メッシュなんて最高だよね! タンクトップいいよ!」

 何がいいのか、執事にはさっぱりである。

 少なくとも主君が可笑しな目線でタンクトップを眺めていることは分かった。

「……それでは、シルク素材のタンクトップを作らせましょう」

「え、なんで作るの?」

 きょとんとした顔で見上げられ、困惑する執事。

「『着たい』という要望では?」

「えぇ? 違う違う」

 主君は苦笑いを浮かべ、首を振り否定した。

「俺が着たいんじゃなくて、着てる人を見たいの。あわよくば腕に触ったり筋肉を揉んだり脂肪を突いたり匂いを嗅いだり汗を舐めたり胸元を覗いたり乳首に悪戯したりしたいの! 他人のタンクトップ引き裂きたいの! 自分で着たら、そーいうこと出来ないじゃぁん。自分の腕とか筋肉とかおっぱいとか乳首とか汗とか匂いに需要ないんだよ。優秀な執事なら、もっとよく考えよーぜ?」

 執事の苛立ちは瞬間的に最高潮へ達した。

 けれど、すぐに平静を取り戻した。そして鉛でも飲み込んだように胃の辺りが重くなる。恐怖や不安から来る重みだ。主君の性癖がヤバい。一刻も早く対処し、調きょ……ではなく教育しなければ。さもなくば近い未来、致命的な何かをやらかす!

 執事が抱いた恐れは正しかった。

 しかし、一足遅かった。

 否。主君が一足先だった、というべきだろう。金と権力と時間を持て余した馬鹿は、碌なことをしない。

 ついでに言えば、この主君、己の欲望には非常に忠実であり、物凄い行動力を発揮するタイプだった。

「よし、決めたぞ!」

「何も決めないで喋らないで——!」

「タンクトップ以外、排除しよう!」




「非タンクトップ上衣排除」宣言以降、とんとん拍子とはいかないものの、物事は執事の想像を超える速さで進んだ。

 まず、メーカーやブランドを問わず、世界中の縫製工場でタンクトップラインが設けられ、タンクトップ以外の衣服——Tシャツ、ポロシャツ、ワイシャツ、トレーナー、パーカー、セーターなど上半身に着るものは全部——の生産が禁止された。例外は防寒着と消防士の防火衣や、外科医の手術着のような「業務上、着用が必須」な衣服のみ。それ以外は全てタンクトップに変わった。

 全世界で老若男女、みなタンクトップ。赤ちゃんも小中高生も大学生もタンクトップ。役人もタンクトップ。サラリーマンも仲良くタンクトップ。大企業の社長も会長もタンクトップ。大学の理事長もタンクトップ。政治家は

「タンクトップは下々のパンピーが着るもんであって、我々上級国民には関係ない」

 と踏ん反り返り、タンクトップ着用を断固拒否していた。が、各国の大統領、首相、王室、皇室の方々がタンクトップになったので、自分たちもタンクトップにならざるを得なかった。検察官もタンクトップ。弁護士もタンクトップ。モデルはタンクトップでランウェイを歩き、役者はタンクトップで演技をし、芸人はタンクトップで笑いを取り、歌手はタンクトップで歌い、アイドルはタンクトップで踊り、アナウンサーはタンクトップでニュースを読み、天気予報士はタンクトップで天気図を解説する。日本の大手企業や銀行は

「受付並びに窓口業務を担当する女性社員は会社の顔である。タンクトップ姿で対応するなど有り得ない」

 と大反発。航空・交通業界も同様の主張をし、ストライキを起こした。しかし「業務上、着用が必須」な衣服は着用可、という前提のもと

「会社指定のジャケットやベストは着て構いませんよ。自衛隊員も警察官も制服の下はタンクトップですし、囚人は囚人服の下がタンクトップ、医者や研究者はタンクトップの上に白衣を着てますから」

 と告げればストライキを止め、業務を再開した。一部の女性社員は姿見に映った姿を見て

「上半身、裸エプロンならぬ裸ベストみたいで、逆に恥ずかしい」

 と言い、自らベストを脱いだ。

 最後まで抵抗したのは原住民である。民族衣装を重んずる人々は勿論、ほぼ全裸な原住民はタンクトップの着用に中指を立てた。「頸をお刎ね!」するか否かの議論がなされた。しかし、原住民の保護、並びに独自の文化を保護する責務が先進国にはある。故に特例としてタンクトップ免除とされた。

 反対に、宗教を盾にしてタンクトップを拒否した人々は〔反タンクトップ派〕と看做され、政府から武力特権を付与された〔親タンクトップ派〕に「頸をお刎ね!」された。テロリストよりもテロルな行いを辞さない彼らの所業は民族の分断と、新たな宗教戦争を引き起こす恐れがあり、中立派から危険視されている。

『人類タンクトップ化計画』を歓迎したのは、衣食住にほとほと困窮している最貧国の民ぐらいだった。




 * * *




「貴方が仕えている男を排除して欲しいのです」


 女の言に、執事は驚きで眼を瞠る。



 全く予期せぬ来訪だった——というわけでは、ない。

 いつか来ると思っていた。具体的には、主君が「タンクトップ以外、排除しよう!」と笑顔で宣い、弱みを握る権力者各位へ連絡を取り始めた頃から。いずれ彼女が現れ、なんらかの無理で無茶な要望をしてくるぞ、と覚悟していた。

 してはいたけれど、予想に反して遅い登場だった。

 そして予想外の言葉だった。

 秒針の音さえ聞こえない、ひっそりとした邸内。ふたりきりの応接間。芳しい香の紅茶に、黄金色のマドレーヌ。主君の留守を狙って訪れたのだろうタンクトップな彼女と向かい合いながら、タンクトップの執事は細く長く息を吐く。

「……排除とは、どういう意味でしょう」

「そのままの意味ですよ。世界からタンクトップを除いた上衣が鏖殺されたように、諸悪の根源である人間を無き者にして欲しいのです」

「……どうして私が?」

「貴方が執事であり『彼に最も近い人物』だからですよ。あの男は馬鹿ですが、愚かではない。有り余る富と名声と権力を有するが故、警戒心は人一倍です。護衛さえ信じていない。その証拠に、この屋敷で暮らしているのは貴方と彼のみ。貴方が食事を拵え、貴方が淹れた紅茶しか飲まない。違いますか?」

 その通りだ。執事が主君に仕えた時には既に、彼は独りぼっちだった。

 イギリスの大邸宅を思わせる屋敷。当然、複数の使用人が居るだろうと思っていた。けれど、蓋を開けたら意外千万、誰も居なかったのだ。何百、下手したら何千人も雇える財力があるのに。

 そんな主君が何故、執事“のみ”採用したのか。真意は未だに謎だ。

 それに、と彼女は続ける。

「私は貴方の過去を知っています。実力も知っています。これまで幾人の要人が、自然死、或いは事故死を装って葬られました。貴方の手腕は芸術の域。あの男もまた、最も自然な最期を迎えられるでしょう」

「それは君たち諜報部員が居てこそ、だ。今の私は、ひとりの一般人——ただの執事に過ぎない」

「あら、面白い冗談も言えるんですね。唯一、信頼されている執事——ターゲットの性格、思考、行動パターン、病歴、その他諸々の情報を事細かく探り出せるスパイなら、私の眼の前に居るじゃないですか」

「…………」

「先程、お願いの態で申しましたけれど、これは決定事項なのです。タンクトップ着用を免除された原住民と地下に潜った〔反タンクトップ派〕を除き、皆が文句の一つも零さずタンクトップを着ています。でも、内心では憤怒の念でいっぱい。至極当然ですよね。着たい服を着る自由と権利を奪われ、異を唱えれば命の危険に晒される。これほど人権を無視した恐怖政治は第二次世界大戦以降ありません。欧米諸国——特にアメリカ、イギリス——ロシア、中国の反発は凄まじいものがあります。しかし、誰も彼もが——大統領も首相も——タンクトップを着続けるのは、諸悪の根源が恐ろしいからです。それほどまでに彼の影響力は大き過ぎる。

 ……けれど、我慢の限度があります。現在、この悪夢を終焉へ導くため、様々な計画が水面下で練られています。アメリカはISISと手を組みました。NATOとロシアは事実上の停戦状態となり、ロシアの核及び生物兵器使用を黙認する動きが見られます。中国はタンクトップ生産工場国の筆頭なので軍事行動は控え目ですが、今後の行動が正直未知数です」

 一気に言い切った彼女の左手が紅茶へと伸びる。マドレーヌは右手の白魚のような指に摘まれ、そのまま赤茶色の池に浸された。

 しっとりと濡れた一口を愉しんだ彼女の口角が上がり、唇が弧を描く。


「お分かり頂けましたね? この悪夢を平穏且つ平和的に終わらせられるのは、貴方だけなのです」




 * * *




『人類タンクトップ化計画』施行から7ヶ月と18日後の朝。執事は仕える主人を喪った。


 遺骸の発見者は執事だ。

 起床時間を厳守する主君が起きてこないのを怪訝に思い、執事は寝室のドアをノックした。しかし、応答がない。何度かノックを繰り返した後、無礼を承知で入室する。

 主君はキングサイズのベッドで俯せになっていた。傍らのローテーブルにはスコッチウイスキーの空き瓶とグラス。嫌な予感がした執事は駆け寄り、主君の身体を引っくり返した。が、手遅れだった。

 解剖により死因は「窒息死」と断定された。

 俯せに酔い潰れた結果、吐瀉物が喉に詰まったらしい。



 葬儀は盛大に執り行われた。

 主君の死装束はタンクトップ。

 世界中の誰もが哀悼の意を表した。参列者は白い薔薇の代わりに、白いタンクトップを捧げた。柩に横たわる彼は柔らかな笑みを浮かべている。如何にも幸福そうな死顔だ。


 その日、タンクトップを着た者は、ただひとり——死者だけだった。



(終)

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