愛華と家族の話

私の大切な

 その日、私は母達と映画館に来ていた。


「飲み物買ってくるわね」


「私、グッズ見てきて良い?」


「良いよ。チケットとってくるから行っておいで」


 チケットと飲み物を母達に任せて、グッズ売り場を見ていると、ふと視線を感じた。振り返りきょろきょろすると、ドリンクを持った母達と目が合う。時間を確認するためにスマホを見ると『まだ見てて良いよ。時間になったら呼びにいく』とメッセージが届いた。と言われても、あまりめぼしいものはなかったから合流しようと思い母達の方を見る。いつの間にか居なくなっていた。しかし、海菜さんは背が高くて目立つからすぐに見つかった。百合香さんも一緒だ。二人の側にはもう一人女性が居た。知らない人だ。


「海菜さん、百合香さん。知り合い?」


 合流して尋ねる。二人が答えない代わりに、女性が私に名前を尋ねてきた。


「えっと……」


 警戒していると、海菜さんが代わりに答える。『娘の愛華です』と。娘という部分を強調して。すると女性は目を丸くして私の名前を繰り返す。彼女のそのどこか悲しそうな眼差しに既視感を覚えた。

 どこかで会った気がする。しかし、女性は言った。「私にマナカという知り合いはいないわ」と。あからさまな嘘だった。だけどそれは指摘しない方が良い気がした。その嘘は私のためのような気がしたから。

 そして女性はどこか寂しそうにこう続けた。「に似ていたから。もしかしてって思って名前を聞いたの」と。その知り合いは、産みの母のことだろうか。あるいは昔の私のことだろうか。


「……その子、そんなに似てるんですか? 私に」


「……ええ。そっくりよ」


「……そうですか」


「ええ。……引き止めちゃってごめんなさいね」


「いえ。行こうか、愛華」


「うん」


 女性と別れて劇場に向かう。あの女性が誰かは分からない。だけど、昔の私の知り合いであることは確かだ。あの人は、父とも、知り合いなのだろうか。私と会ったことを、今の父に話したりするのだろうか。いや、知らないふりをしたからそれはないだろう。そうであってほしい。


「……、手、繋いでも良い?」


「良いよ」


「どうぞ」


「……ありがとう」


 両手を母達と繋いで劇場に入る。女性のことが気になって、映画の内容は入ってこなかった。




 その日の夜。夢を見た。父に悪魔と罵られるいつもの夢。いつもと違ったのは、警察が家に来て、父を連れて行ったこと。その後ろ姿を呆然と眺める私に女性が駆け寄り抱きしめてくれた。女性は何度も『ごめんね』と、壊れたように繰り返す。顔は見えなかったが、その女性の声は映画館で出会った女性によく似ていた。


「あなたは誰なの?」


 恐る恐る、女性に尋ねる。女性は答える。私はあなたの——。その先は聴き取れなかったけれど、代わりに父が叫んだ言葉がはっきりと私の耳に入ってきた。『母さん!!』と。




 目が覚めても、夢の内容は鮮明に覚えていた。最後に父が叫んだ一言まで鮮明に。


「……母さん」


 思い出した。あの人は父の母。つまり、私の祖母だ。そしてあの夢は私の記憶。父から解放された日の記憶。祖母はあの後私を施設に預けた。定期的に会いに来てくれていたけど、ある日から全く来なくなった。その理由はわからないが、愛されていなかったわけではなかった。と、思う。祖母が来ている日は父の機嫌も良かった。


『愛華はほんとに、お母さんに似て可愛いね』


 いつの日か、そんなことを言われた気がする。やはりあの知り合いの子というのは母のことだったのだろうか。

 父が私を母に重ねたのも、そのせいなのだろうか。


『美愛。愛してるよ』


 父の声が蘇る。悪寒がする。息が苦しくなる。息を止めて、ゆっくりと呼吸する。大丈夫大丈夫と、何度も自分に言い聞かせながら。

 しばらくして落ち着いたところで、部屋を出て水を飲もうとリビングに行くと話し声が聞こえてきた。覗くと、キッチンのカウンターの前に二人の姿。私に気付くと、海菜さんがおいでと手招きをし、百合香さんが立ち上がってキッチンに入っていく。二人の元に行くと、湯気が立ったコップが出てきた。中にはクリーム色の飲み物。席につき、一口。身体が芯から温まり、ホッとする。


「二人とも、それ飲んだらさ、ちょっとお散歩しない?」


「「こんな時間に?」」


「こんな時間だからだよ」


 海菜さんに誘われ、上着を羽織って外に出る。時刻は午前三時。まだ外は真っ暗だ。月明かりと街灯が照らす、人も車もほとんど通らない道を海菜さん達と手を繋ぎながら目的もなくただ歩く。


「夜風が気持ちいいねぇ」


「そうね」


「……うん」


 静かだ。まるで、誰もいない世界に三人だけ取り残されたみたいだ。そう思っていると、そんなことはないと否定するように車が通る。


「私ね、たまに仕事帰りにこうやって散歩してるんだ。深夜の誰もいない時間の散歩って静かで落ち着くから」


「そうね。……世界に三人だけになったみたい」


「普通に車通るけどね」


「……うるさい」


 私と同じことを考えて海菜さんにツッコミを入れられ、照れて海菜さんを小突く百合香さん。本当に、仲の良い婦婦だ。見ていて微笑ましい。


『愛華はほんとに、お母さんに似て可愛いね』


 血の繋がりなんて、今まで気にしたことなかったのに。何故か今は二人が遠く感じてしまう。二人の本当の娘だったら良かったのに。


「……愛華は私達の娘よ」


 百合香さんが言う。どうやら口に出てしまっていたらしい。謝ろうとすると、百合香さんはしゃがんで私を抱きしめた。


「良いの。謝らなくて良い。私も、たまに気にしちゃうことあるから。でも……私は、私にも海菜にも似ていないあなたが大好きよ。大好き。愛してる」


「顔は似てないけど、性格はちょっと百合香に似てきてるよね」


「そうかしら。人たらしなところとかあなたに似てる気がするけど」


「いやぁー。百合香さんも自分が思ってるより人たらしですよ? 店に君の会社の子たまに来てるし」


「それ、あなた目当てでしょ」


「違うと思うなぁ」


「どうかしら」


 私を抱いたまま海菜さんと口論を始める百合香さん。話を聞いていると、私と二人の共通点が次々と上がってくる。私と二人は血の繋がりはなくて、顔は全然似ていない。だけどちゃんと親子なんだと、二人の口論で再認識させられる。思わず笑ってしまうと、二人はぴたりと黙った。


「変なこと言ってごめんね。私はちゃんと、二人の娘だね」


「そうだよ。君は私達二人の——私達の大切な娘だよ」


「……うん」


 産みの母はどんな人だったのか、私には分からない。けれど、二人と一緒にいて笑っている私を見て似ていると言ったのならきっと、悪い人ではないのだろう。

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