ウォーター・ビームの誓い

@climomi2299

第1話「ミズタ・くりこの物語=湧水一族ってなに?」

世の中って日常の中にふっと、平気な顔で非日常がまぎれこむものらしい。

うちの母親はオカルト的なものをいっさい信じない人だったが、たった一回、父が亡くなったときだけ「台所の窓の向こうにリョウちゃんが立ってたのよ、ああ、来たんだなあと思った」

と言った。父、リョウちゃんはその頃病院で危篤の床にあり、交代で家族がついていて、母が一瞬、家に帰っていたときに亡くなった。普段まったくそういうことを受け付けない母がそれを言ったので驚いた。さりげなく身に起こる超自然なことを、人は案外自然に受け入れてしまうものらしい。


はじまりは、先週だった。

青い空が金色になるほど輝いていた午後。

仕事が一段落したので近所の遊歩道を歩いていた。

フリーランスでライターをしていて、もっぱら暮らしにまつわることを書いている。

街歩きもよく依頼がくるテーマのひとつだ。知らない街を歩くことの楽しさは未知の宝箱を開けるようなものだ。何が出てくるのか、金銀財宝か悪魔の腸か、なんであれとりあえず見てみたい。こぎれいなカフェに退屈が詰まっていたり、小汚い日用雑貨屋に興奮が潜んでいたりする。つまるところ街を散歩しておもしろそうなものを見つけるだけでお金が貰えるわけだが、猛暑の炎天下に山道を登り、極寒の北風の中、海辺を歩く。涼しい顔で「ゆったりしたひとときが過ごせます」と書きながら、その実、水面下では死にものぐるいで水を搔いている。

そんな仕事の締め切りから解放された日は、頭を空っぽにして近所を歩きたい。

どうにもその日は、天気が良くて、この郊外の町は死ぬほど平和そうで、だのに道端の草や花でさえ官能的なぬめりを感じさせて、いつもとはどこか空気がちがうような気がしていた。


この町には、昔の小川を暗渠にして、そこに整備された遊歩道が至るところにうねっている。

私の家の前にも、その中のひとつがあり、何本かの幹線道路と交差しながら町外れまで続いている。うちの前にもそんな遊歩道が通っているので、日々の散歩はここからスタートするのが常だ。

駅に近い私の家から歩いていくと、景色が違って行くのがわかる。駅から離れるに従って、かつて田畑が広がっていたエリアになる。今はすでに田畑は消えて住宅街になっているけれど、ごくたまに雑木林や小さな畑が残されていて、キャベツやブロッコリーなどが並ぶ瑞々しい光景が見られる。キャベツ畑の向こうにスタイリッシュな建売住宅の一群が並び、「セントジョーンズウッドヴィレッジ」なんぞと書かれた売出しの旗がなびいていたりする。

長雨の間、人があまり通らなかったのか、狭い遊歩道には左右の樹木から野放図に枝葉が伸びてきていて、通行人が枝を避けようと抵抗した気配もない。

早足で歩くとスニーカーが地面を滑りそうになる。

道が湿りきっているからだけれど、多分、水捌けを考慮して普通の土ではない要素を混ぜて、歩道の表面を整えているからではないだろうか。

結果的に地表がツルッとしていて、アスファルトとも土とも違う、不思議な感触を足の裏にもたらす。

かつて小川だったことを知らしめるように、少し古い家は石垣で土壌を守っている。

湿気のすごさで石垣の苔具合がハンパなかった。

ここまで苔むした石を、ここで見るのははじめてだ。

王家の秘宝を隠した地下室に侵入するには、

この四角い升のどこかを回すに違いない、と思わせるような苔具合の石垣だった。

このあたりで引き返すのがいつものルートだ。戻って幹線道路を通ってスーパーで買い物をしようなどと思っていると、スズメバチが3〜4匹、もと来た道からこちらに向かって飛んできたのであわてて早足で逃げた。

アシナガバチなら気にしないけれど、スズメバチは刺激したくない。

多分あのハチは、王家の秘宝を守っている存在に違いない、と思わせる猛りぶりだった。

それにしても30分ほど歩いている間、遊歩道ですれ違ったのは、目つきの鋭いおじいさんと、小さい孫を連れたおばあさんのみ。

歩道の両側に並ぶ家々からは、植栽越しに時折、家族の話し声とか聞こえてくるのに。

ひょっとして声は造り物で、家の中には誰もいなかったりして、なんぞという妄想も浮かぶ。

晴れた夏空の下の遊歩道は、サイコホラー的風情に満ちている。

そのあとに来る恐怖の幕開けシーンに最適な、愚鈍かつ平和な郊外っぷりだ。

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