天魔ククルカン

千歳卜部

上:常でなくなった日


「号外ごうがーい! 今日の記事はとびきりだよー!」


 朝を告げる鐘の音のあと、まだ夜の闇が染み付いた大通り。人と馬車と電気自動車のまだらに、朝の新聞屋がそれを知らせる。その小さな体躯は軽い靴音でリズムを刻み、人混みをかき分け、ドアに看板を掛ける大男にたったたったと近づいた。


「あ、パン屋のおっちゃんオハヨー! 今日も朝はやいね~、やっぱり美人のお嫁さん捕まえたから張り切ってるんだ」

「ははっよせやい。確かにあいつは最高だが、俺は元から早起きさ」

「ふ~ん。朝の新聞買ってくれなくなるって残念だったのに、残念!」

「……へえ、そりゃなんで」

「精が出るから」

「よせや」


 沈んだ顔でパン屋は新聞を買い、新聞屋はそれに満面の笑みを浮かべた。


「いやほんとに、今日は買ってもらえないかと思ってたんだ。今日は特別だから」

「特別?」


 新聞屋が通りの人通りを見て、パン屋もその先を見る。そこには少しの人だかりがあり、どうやら新聞が売られているらしい。


「……天魔」


 自然に背いた生命。人知を超えた存在。

 それが隣の町で暴れたらしいと新聞屋は言った。


「こ、こんなビッグニュースのせいでもあるけど、一番は逃げてきた他の街の人向けだね。いつも見ないカオがうじゃうじゃ紙切れさばいてんだ」

「……ほう」

「おっちゃんも気ぃつけなよー!」


 新聞屋の少年はそう言って雑踏の中に戻る。それは次の客を見つけノルマを達成するためであり、パン屋の沈んだ顔に気づいたからでもあった。外は薄暗く、雨も風もない曇り空であった。

 すぐにパン屋は手のひらで目を覆い隠し、大丈夫だと言い聞かせ開店した。忙しくなれば気も晴れるだろうと。するとすぐに来店を知らせるベルが鳴った。

 中肉中背の黒髪に黒コートの男は、店をぐるりと見渡してパン屋に伝えた。


 ――1番人気教えてください。あと全種類1品ずつください。


 よりどりみどりのパンを見て、語尾にハートマークがつくのが見えるくらい幸せそうな男だった。



◆ ◆ ◆ ◆



 昼が中点に登った頃。ブラウンのベレー帽とウエストコートをまとった少年新聞屋は、2枚の新聞を手に横丁の階段に座って黄昏れていた。


「売れ残っちゃった……」


 少年は大通りの人だかり、路地の人だかり、建物内の窓の向こうの人だかりを観察していた。盗み聞き、口を読んだところで読み取れるのは似たような事……ことばかり。

 大陸渡り。町落とし。天魔。


「皆天魔の話ばっかり。これじゃ売れないよ~」


 新聞の内容を少年は覚えているようだ。それでも1枚なら自分の分として金を出しても良かったが、2枚は流石にいらないとして、この場に居座って客を探していた。

 だがそう都合よく、昼になって出てくるぐうたらが買いに来ることはなかった。

 時計塔の針をにらみつける新聞屋。どうやら時間が進むのが憎たらしくなってきたようだ。しょうがないからと財布を出しかけた時のことだった、横からの足音に気がついたのは。


「こんにちは。君は新聞屋さんかな」

「え? ……あ、はい、はい! そーですとも」

「ああ良かった。やっぱり僕はツイてるなぁ~~」


 笑って新聞屋の横に座ったのは、黒髪黒目の男だった。


「買ってくれるんですか? これいちおー朝のやつですけど……」

「いいよ。むしろ良いといっても良い。僕が欲しかったのも朝刊だったからさ」

「ありがとーございます! 毎度ありー♪」


 バサッと新聞を広げる男と、その横でステップする少年。小躍りして鼻歌を歌う新聞屋が微笑ましかったのか、男は新聞屋に笑いかけた。新聞屋は頬を赤らめて問いかける。


「……な、なんで朝刊が欲しかったんです? 昼の分にも似たようなのが書いてありますよ」

「買い損ねたからね。豪華な朝食にしたのは良かったんだけど、食い切るとどの新聞屋も大行列! 並んでも必ず僕の前で売り切れるし、途方に暮れていたら君を見つけたんだ。」

「ふふ、おマヌケさんですね。……あっごめんなさい! せっかく買ってくれたのに」

「いいよいいよ。パン美味しかったし」


 新聞屋は首を傾げる。


「それに、君に会えたからね。嬉しくてしょうがないよ」


 男は笑いかけた。

 少年は青ざめた。


「お、オレそういうのやってないんで!」

「あれなんか誤解してない?」

「オレは全然ノーマルだし、高身長スタイル抜群の彼女も3人いるしえっとえっと」

「誤解してるうえに嘘下手か! 違うから、良いことがあったな~って話だから」


 あ、そうなんですか。新聞屋はそう言ってスッと立ち直った。その早さにちょっと疑いの目を向ける男であった。


「新聞ありがと~」

「いえいえ、ただちょっといいですか。おにーさんって隣町から来ましたよね」

「ん? そうだけど」


 新聞屋はそう言って紙とペンを取り出した。


「じゃあ、天魔見ましたよね。色々教えてください!」

「ああ~なるほど。……配達人が記事も書くのかい?」

「お小遣いがでるんですよ」


 それでそれでと推して聞いてくる彼に、男は謝る。


「申し訳ないんだけど、見てない。僕も天魔の話を聞きに来たクチさ」

「なーんだ。同業他社か。じゃあちょっと遅かったんじゃ」

「似たようなもんだよ。遅れたのは、ごめんとしか言いようがないね」

「え?」


 それじゃ、行くところがあるからと言って男が立ち去っていく。

 新聞屋はそれを見送るのみだった。ただ見送る最中に、一言。


「最後の……」


 少年は思う。

 やたらとニヨニヨ笑う男であった。黒い目をくちゃりと潰すのが特徴的だった。少ししか話してないが、なんだか人生が幸せそうなやつだった。

 そんな人が笑って誤魔化した。

 なんだか悪い気分だった。


「オレっていつもこうだ……」


 ――なんか空気不味くなったな。

 ――お前、うっとおしい。

 ――間が悪いんだよ。


 胸がきゅうっとなって、腹が重たくなる。さっきまでの笑顔のやり方を忘れる瞬間。少年は、うつむいて落ち着こうとした。いつもこうしていれば直るからと。頭の中で、ごめんごめんと謝って許してくれる夢を見る。

 そうしようとしたところで気付いた。離れていった革靴音が、振り子のように戻ってきたのを。


「……ご、ごめんなさ」

「僕と来るんだ」

「え?」


 離れていった青年が、打って変わって険しい顔で少年にずかずか迫る。

 なんで? どうして? あんなに優しそうだったのに……。彼はそう思った。そしてわかった。

 僕のせい?


 彼の中で大きくなる。

 だんだんと。

 悪夢が。


「ご――ごめんなさい、ごめんなさい! 僕、そんなつもりじゃなくて、やだぁ!」

「え? あっ、待って!」


 少年は逃げ出した、青年とは逆方向に。階段を落ちるように蹴り降りて路地裏に入る。日陰の中を、運動量に見合わぬ激しい動悸が身体能力を押し上げる。

 だがそれでも近づいてくる足音。

 地元の土地勘と逃げ足。両方自信があってフルに活用しているにも関わらず、それは一定間隔で近づいてくる。


「なん、はひぃ、なんでぇ」

「待っ――ここ――ぶない――――!」


 ゴミ箱木箱を掴んで曲がると同時に横倒しにする。障害物づくりと急速旋回を繰り返してようやく、悪夢の声が遠ざかる。

 走った先には大通り。暗い路地からは日の光だけが見える。

 そこに安心感と、理由のわからない不安を感じて新聞屋は飛び込んだ。


 そこで思い至る。

 青年と話した階段のある道、建物の中、路地裏。

 どうしてこんなに人がいないんだろうと。


「う、わぁ」


 視界が二転、三転。新聞屋が大通りに抜けた瞬間に強い圧迫感と衝撃、そして浮遊感に襲われた。

 車に轢かれた? 否。


(何かに!)


 体に食い込む三点。そこから一点に向かい伸びる感触と獣臭と突風の理由を、かろうじて自由な右腕を風除けにして新聞屋は目にした。


 鶏だ。


 ただの鶏ではない。三前趾足の二本の足に翼。人間の指が三本ある腕が腰のあたりから伸びている。


「天魔――ヴィゾフニルっ!!」

「あん? オレっち知ってんのか。坊主」


 少年はぎょっとして声の主を辿る。それは鶏のくせに空を飛び、少年を掴んでいる化け物。

 その人面から声が出ていた。

 形はおかしくないが赤と白のラインが入っており、何よりその表情が少年の胸中をかきむしる。

 おぞましい。

 何よりおそろしいのは。


「そう! 音にも聞け! 目にも見よ! このオレっちこそが世界に照らされた光!!」


 ――天魔ヴィゾフニル様だぁ~~。


「ギャーッハッハ」「ギャハ」「ギャハハ」ハ」「ギヒ「ヒャハ」「ギャ~」「「ヒヒヒ」」「ギャハ」「ギャハハ」「ピヒヒ」「「クックッ」「ギャハッギャハ」」


 百では利かないこの群体。

 全て同じ姿であることだ。


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