名探偵の狼藉

『エ、エ、君は何をいっているんだ。何も盗まれてなんかいやしないじゃないか。僕はつい今しがた、この目で陳列室をずっと見廻って来たばかりなんだぜ。それに、博物館のまわりには、五十人の警官が配置してあるんだ。僕のところの巡査達は盲人じゃないんだからね。』

 警視総監は明智を睨みつけて、腹立たしげに怒鳴りました。

『ところが、すっかり盗み出されているのです。二十面相は例によって魔法を使いました。なんでしたら御一緒に調べてみようではありませんか。』

 明智は静かに答えました。

『フーン、君は確かに盗まれたというんだね。よし、それじゃみんなで調べてみよう。館長、この男のいうのが本当かどうか、かく陳列室へ行ってみようじゃありませんか。』

 まさか明智が噓をいっているとも思えませんので、総監も一度調べて見る気になったのです。

『それがいいでしょう。サア、北小路先生、御一緒に参りましょう。』

 明智は白髪白髯の老館長にニッコリほほえみかけながら、促しました。

 そこで、四人は連れ立って館長室を出ると、廊下づたいに本館の陳列場の方へ入って行きましたが、明智は北小路館長の老体をいたわるようにその手を取って、先頭に立つのでした。

『明智君、君は夢でも見たんじゃないか。どこにも異状はないじゃないか。』

 陳列場に入るや否や、刑事部長が叫びました。

 いかにも部長のいう通り、ガラス張りの陳列棚の中には、国宝の仏像がズラッと並んでいて、別に無くなった品もない様子です。

『これですか。』

 明智はその仏像の陳列棚を指さして、意味ありげに部長の顔を見返しながら、そこに立っていた守衛に声をかけました。

『このガラス戸を開いてくれ給え。』

 守衛は明智小五郎を見知りませんでしたけれど、館長や警視総監と一緒だものですから、命令に応じて、すぐさま持っていたかぎで、大きなガラス戸を、ガラガラと開きました。

 すると、その次の瞬間、実に異様なことが起ったのです。

 アア、明智探偵は気でも違ったのでしょうか。彼は広い陳列棚の中へ入って行ったかと思うと、中でも一番大きい、木彫の古代仏像に近づき、いきなりその恰好のよい腕を、ポキンと折ってしまったではありませんか。

 しかもその素早いこと。三人の人達が、あっけにとられ、とめるのも忘れて、目をみはっている間に、同じ陳列棚の、どれもこれも国宝ばかりの五つの仏像を、次から次へと、たちまちの内に、片っぱしから取り返しのつかぬ傷物にしてしまいました。

 あるものは腕を折られ、あるものは首をもぎ取られ、あるものは指を引きちぎられて、見るも無残な有様です。

『明智君、なにをする。オイ、いけない。よさんか。』

 総監と刑事部長とが、声を揃えて怒鳴りつけるのを聞流して、明智はサッと陳列棚を飛出すと、又最前のように老館長の側へより、その手を握って、ニコニコと笑っているのです。

『オイ、明智君、一体どうしたというんだ。乱暴にも程があるじゃないか。これは博物館の中でも一番貴重な国宝ばかりなんだぞ。』

 真っ赤になっておこった刑事部長は、両手をふり上げて、今にも明智につかみかからんばかりの有様です。

『ハハハ……。これが国宝だって? あなたの目はどこについているんです。よく見て下さい。今僕が折り取った仏像の傷口を、よく調べて下さい。』

 明智の確信に満ちた口調に、刑事部長は、ハッとしたように、仏像に近づいて、その傷口を眺めました。

 すると、どうでしょう。首をもがれ、手を折られたあとの傷口からは、外見の黒ずんだ古めかしい色合とは似てもつかない、まだ生々しい白い木口が覗いていたではありませんか。奈良時代の彫刻に、こんな新しい材料が使われているはずはありません。

『すると、君は、この仏像がにせものだというのか。』

『そうですとも、あなた方にもう少し美術眼がありさえすれば、こんな傷をこしらえて見るまでもなく、一目で贋物と分かった筈です。新しい木で模造品を作って、外から塗料を塗って古い仏像のように見せかけたのですよ。模造品専門の職人の手にかけさえすれば、訳なく出来るのです。』

 明智はこともなげに説明しました。

『北小路さん、これは一体どうしたことでしょう。帝国博物館の陳列品が、真っ赤な偽物だなんて……』

 警視総監が老館長をなじるようにいいました。

『あきれました。あきれたことです。』

 明智に手を取られて。ぼうぜんたたずんでいた老博士が、ろうばいしながら、てれ隠しのように答えました。

 そこへ、騒ぎを聞きつけて、三人の館員があわただしく入って来ました。その中の一人は、古代美術鑑定の専門家で、その方面の係長を勤めている人でしたが、こわれた仏像を一目見ると、さすがに忽ち気づいて叫びました。

『アッ、これはみんな模造品だ。しかし、変ですね。昨日までは確かに本物がここに置いてあったのですよ。私は昨日の午後、この陳列棚の中へ入ったのですから、間違いありません。』

『すると、昨日まで本物だったのが、今日突然贋物に変ったというのだね。変だな。一体これはどうしたというのだ。』

 総監が狐につままれたような表情で、一同をまわしました。

『まだお分かりになりませんか。つまり、この博物館の中は、すっかり空っぽになってしまったということですよ。』

 明智はこういいながら、向側の別の陳列棚を指さしました。

『な、なんだって? すると、君は……』

 刑事部長が思わずとんきような声を立てました。

 最前の館員は、明智の言葉の意味を悟ったのか、ツカツカとその棚の前に近づいて、ガラスに顔をくッつけるようにして、中に掛け並べた黒ずんだ仏画を凝視しました。そして、忽ち叫び出すのでした。

『アッ、これも、これも、あれも、館長、館長、この中の絵は、みんな贋物です。一つ残らず贋物です。』

『外の棚を調べてくれ給え。早く、早く。』

 刑事部長の言葉を待つまでもなく、三人の館員は、口々に何かわめきながら、気違いのように陳列棚から陳列棚へと、覗き廻りました。

『贋物です。目ぼしい美術品は、どれもこれも、すっかり模造品です。』

 それから、彼等は転がるように、階下の陳列場へ降りて行きましたが、しばらくして、元の二階へ戻って来た時には、館員の人数は、十人以上に増えていました。そして、誰も彼も、もう真っ赤になって憤慨しているのです。

『下も同じことです。残っているのはつまらないものばかりです。貴重品という貴重品は、すっかり贋物です。……しかし、館長、今もみんなと話したのですが、実に不思議という外はありません。昨日までは確かに、模造品なんて一つもなかったのです。それぞれ受持のものが、その点は自信をもつて断言しています。それが、たった一日の内に、大小百何点という美術品が、まるで魔法のように、贋物に変ってしまったのです。』

 館員は口惜しさに地だんだを踏むようにして叫びました。

『明智君、我々は又しても奴の為に、まんまとやられたらしいね。』

 総監が沈痛な面持で名探偵を顧みました。

『そうです。博物館は二十面相の為に盗奪されたのです。それは、最初に申し上げた通りです。』

 大勢の中で、明智だけは、少しも取乱したところもなく、くちもとに微笑さえ浮かべているのでした。そして、あまりの打撃に、立っている力もないかと見える老館長を、励ますように、しっかりその手を握っていました。

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