小林少年の勝利

 二十面相は、おとしのところにしやがんだまま、今取上げたばかりのピストルを、手の平の上でピョイピョイとはずませながら、得意の絶頂でした。そして、なおも小林少年をからかって楽しもうと、何かいいかけた時でした。

 バタバタと二階からかけ降りる音がして、コックの恐怖にひきつッた顔が現れました。

『大変です。……自動車が三台、お巡りがうじゃうじゃ乗っているんです。……二階の窓から見ていると、門の外で止りました。……早く逃げなくっちゃ。』

 アア、果してピッポちゃんは使命を果したのでした。そして、小林君の考えていたよりも早く、もう警官隊が到着したのでした。地下室で、この騒を聞きつけた少年探偵は、嬉しさに飛びたつばかりです。

 この不意打には、さすがの二十面相も仰天しないではいられません。

『ナニ?』

 とうめいて、スックと立上ると、陥戸を閉めることも忘れて、いきなり表の入口へかけ出しました。

 でも、もうその時は遅かったのです。入口の戸を、外から烈しく叩く音が聞えて来ました。戸の傍に設けてある覗穴に目を当てて見ますと、外は制服警官の人垣でした。

『畜生ッ。』

 二十面相は、怒に身をふるわせながら、今度は裏口に向かって走りました。しかし、中途までも行かぬ内に、その裏口の扉にも激しく叩く音が聞えて来たではありませんか。賊の巣窟は今や警官隊によって全く包囲されてしまったのです。

かしら、もう駄目です。逃道はありません。』

 コックが絶望の叫を上げました。

『仕方がない二階だ。』

 二十面相は、二階の屋根裏部屋へ隠れようというのです。

『とても駄目です。すぐ見つかってしまいます。』

 コックは泣き出しそうな声でわめきました。賊はそれにかまわず、いきなり男の手を取って、引きずるようにして、屋根裏部屋への階段をかけ上りました。

 二人の姿が階段に消えると程もなく、表口の扉が烈しい音を立てて倒れたかと思うと、数名の警官が屋内になだれ込んで来ました。それとほとんど同時に、裏口の戸も開いて、そこからも数名の制服巡査。

 指揮官は、警視庁の鬼とうたわれた中村捜査係長その人です。係長は表と裏の要所要所に見張の警官を立たせておいて、残る全員を指図して、部屋という部屋を、片っぱしから捜索させました。

『アッ、ここだ。ここが地下室だ。』

 一人の警官が例の陥戸の上で怒鳴りました。たちまちかけ寄る人々。そこに踞んで、薄暗い地下室を覗いていた一人が、小林少年の姿を認めて、

『いる、いる。君が小林君か。』

 と呼びかけますと、待ちかまえていた少年は、

『そうです。早く梯子を降して下さい。』

 と叫ぶのでした。

 一方、階下の部屋部屋は隈なく捜索されましたが、賊の姿はどこにも見えません。

『小林君、二十面相はどこへ行ったか、君は知らないか。』

 やっと地下室からい上った、異様な衣姿の少年を捉えて、中村係長が慌しく尋ねました。

『つい今し方まで、この陥戸のところにいたんです。外へ逃げたはずはありません。二階じゃありませんか。』

 小林少年の言葉が終るか終らぬに、その二階からただならぬ叫声が響いて来ました。

『早く来てくれ、賊だ、賊を捕えたぞ!』

 ソレッというので、人々はなだれを打って、廊下の奥の階段へ殺到しました。ドカドカという烈しい靴音、階段を上ると、そこは屋根裏部屋で、小さな窓がたった一つ、まるで夕方のように薄暗いのです。

『ここだ、ここだ。早く加勢をしてくれ。』

 その薄暗い中で、一人の警官が、白髪はくぜんの老人を組み敷いて、怒鳴っています。

 老人はなかなかごわいらしく、ともすればはね返しそうで、組み敷いているのがやっとの様子です。

 先に立った二、三人が、忽ち老人に組みついて行きました。それを追って、四人、五人、六人、ことごとくの警官が、折重なって、賊の上に襲いかかりました。

 もうこうなっては、如何いかきようぞくも抵抗のしようがありません。見る見る内に高手小手にいましめられてしまいました。

 白髪の老人が、グッタリとして、部屋の隅にうずくまってしまった時、中村係長が小林少年を連れて上って来ました。首実検の為です。

『二十面相はこいつに相違ないだろうね。』

 係長が尋ねますと、少年は即座に肯いて、

『そうです。こいつです。二十面相がこんな老人に変装しているのです。』

 と答えました。

『君達、そいつを自動車へ乗せてくれ給え。抜かりのないように。』

 係長が命じますと、警官達は四方から老人を引っ立てて、階段を降りて行きました。

『小林君、大手柄だったねえ。満洲から明智さんが帰ったら、さぞびっくりすることだろう。相手が二十面相という大物だからねえ。明日になったら、君の名は日本中に響き渡るんだぜ。』

 中村係長は少年名探偵の手をとって、感謝に堪えぬもののように、握りしめるのでした。

 かくして、戦いは小林少年の勝利に終りました。仏像は最初から渡さなくてすんだのですし、ダイヤモンドは六とも、ちゃんとカバンの中に収まっています。勝利も勝利、全く申し分のない勝利でした。賊はあれほどの苦心にもかかわらず、一物をも得ることが出来なかったばかりか、折角監禁した小林少年は救い出され、彼自身はとうとう捕れの身となってしまったのですから。

『僕なんだか噓みたいな気がします。二十面相に勝ったなんて。』

 小林君は、興奮に青ざめた顔で、何か信じ難いことのようにいうのでした。

 しかし、ここに一つ、賊が逮捕されたうれしさの余り、小探偵がすっかり忘れていた事柄があります。それは二十面相の雇っていたコックの行方です。彼は一体どこへ雲隠れしてしまったのでしょう。あれほどの家探に、全く姿を見せなかったというのは、実に不思議ではありませんか。

 逃げるひまがあったとは思われません。もしコックに逃げる余裕があれば、二十面相も逃げている筈です。では、彼はまだ屋内のどこかに身を潜めているのでしょうか。それは全く不可能なことです。大勢の警官隊の厳重な捜索に、そんな手抜かりがあったとは考えられないからです。

 読者諸君、一つ本をおいて、考えてみて下さい。このコックの異様な行方不明には、そもそもどんな意味が隠されているのか。

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